昨日、酷暑の中、主宰しているウォーキングクラブの例会で
青春18を切符利用して、四国高松まで遠征ウォーキングを
楽しんできた。
わがクラブとしては、初めて会員外のメンバーも合流しての
ウォーキング。
一応、責任ある立場、初対面の人もありで、熱中症のことや
途中の乗り換えの多い交通のこともあり、運営担当者共々に
気をつかうことの多い一日を過ごすことになった。
大阪駅で顔合わせ、8時の山陽本線新快速で兵庫県の相生
へ。そこで乗り換え岡山駅まで各停、ここまでは予定通りす
すんだが、岡山駅についたとたん、事態は早くも急変!
予定していた瀬戸大橋を経由して高松までの香川県内予讃
線の坂出で列車接触事故があり不通になっているとのこと。
ここから、長い一日は、行きのルート変更から始まった。
そこで、瀬戸大橋ルートからフェリーで行くルートに変更する。
これは帰りのコースになっていたのでとくに問題はなし。
茶屋町乗り換え宇野線で宇野港へ。
瀬戸大橋が開通するまでは、これが四国への正規のルート
だったのでよく知っている。
宇野港を出港、船内はJRからの乗り換えで思わぬ混み方。
船上から宇野港を写す。
宇野港から高松港まで55分、瀬戸の船旅が始まる。
昔、サラリーマン時代は、この宇高航路はお馴染みだった。
ほとんどのメンバーは涼しい船室の中で休んでいたが、自分
は、ずっと甲板上から景色を眺めて楽しんだ。
カンカン照りで暑いが、潮風にあたるのも気持ちがいい。おか
げで、今日は、両腕が赤く日焼けしている。
はるか西前方に通過するはずだった瀬戸大橋がかすんで見
える。写真では撮れていないのが残念。
自分で勝手におにぎり島と名づけている△形の島を通過。
一路、高松へ。さすがに暑い船上にいる人は少ない。
おにぎりさんが遠くなっていく。
右前方に屋島が見えてきた。前を定期航路の船。
高松市内が見えてきた。高い建物が高松駅付近。
まもなく高松港へ、屋島の全景。
メンバーの気持ちは一つ、早くさぬきうどんが食べたい!
暑い道路を競争のように第一目標のさぬきうどん店へ快歩。
高松城艮櫓(うしとらやぐら)の前を通る。
高松城の北東の守りの要だったもので、三層三階・入母屋
造・本瓦葺で、初層に大きな千鳥破風があるのが特徴。
昭和25年に重要文化財に指定された。
高松城跡(玉藻城)
高松城(玉藻城)城跡が玉藻公園になっている。
ここで記念をして素通りする。
高松城は、天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられ
た生駒親正がこの地に城を造り、その後4代生駒家の子孫
が城主であったが、寛永19年に徳川家康の孫で水戸の徳
川頼房の子、松平頼重(黄門様で知られる水戸光圀の兄)
が藩主となり東讃12万石を領しこの高松城に入り、明治2年
の版籍奉還までその子孫が11代228年間松平藩の居城とし
て在城した。北側は海、残り三方の濠に海水を引き入れめ
ぐらした日本三大水城の一つとして知られている。
高松駅前から正面にすぐ位置する玉藻公園、まるで東京駅
と皇居の関係みたいな、そこにあることで街に安らぎと落ち
着きを感じさせてくれる。高松の人々にとっはぜいたくな玉
藻公園、今回は時間の関係で公園内へは入らなかった。
今度ゆっくり園内を歩きたい。
そして、待望のさぬきうどん店へ、三年前に行って気に入っ
たあの店だ。
ぶっかけ大盛にいなりずし一個、しいたけのかき揚げ天ぷら
一個で530円。やすい、うまい。
そこから高松市のメインを一気に栗林公園までウォーキング。
途中の中央公園の一角に文豪菊池寛の銅像の前で一息。
午後の一番気温の高い時間帯を汗ふき、水分補給を怠らな
いよう・・・われらはウォーキングクラブ。どんなに暑かろうと手
抜き、いやはしない。いつもの調子で先頭を歩き続け
てようやく、久しぶりの栗林公園に到着する。
【栗林公園】公園でもらったパンフレットから
国の特別名勝に指定されている庭園の中で、最大の広さを
もつ栗林公園は、松の緑濃い紫雲山を背景に六つの池と13
の築山を巧みに配し、江戸時代初期の回遊式大名庭園とし
て、すぐれた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでい
ます。
公園の沿革・・元亀、天正の頃から豪族であった佐藤氏に
よって、西南地区に築庭されたのが始まりといわれている
が、後に松平家に引き継がれ、明治維新に至るまで松平家
11代(228年)にわたり、下屋敷として使用された。明治4年
(1871年)高松藩が廃され、新政府の所有となったが、明治
8年3月16日、県立公園として一般公開され現在にいたて
いる。
熱中症に襲われはいないかという恐怖と闘いながら、よくも
歩いたものだ。さすがに疲れが出る。店内の休憩所でしばし
涼をとる。ここで帰りの時間の再検討とJRの復旧具合を高松
駅に携帯確認。
時間にあまり余裕がないために園内は、簡単なコースをめぐ
ることにした。それでも広い。
名園と言われるところには、何個所も行っているが、ここは
まさに名園。
しかし、一番暑い時間帯の公園は、暑かった。暑かった。
あまりの暑さに、かき氷がほしくて・・・売店でおのおのかき
氷にアイスクリーム、もう、小学生並のうれしいひととき。
トイレで着替え、夏は着替えしないと気持ち悪いし乾いたあと
の汗臭い匂いは人にも不快を与えるので着替えるようにして
いる。それだけで暑さもずいぶんと違う。脱いだシャツは、絞
ればしずくが落ちるほどに濡れていた。
少し癒されて帰路の高松駅へ。
16時43分のマリンライナーは満員、ここから長い旅が始ま
った。大阪駅への帰着予定は8時22分。
朝の事故の加減か、車両は三両編成で全員座れない。満員だ。
最初の駅で補助席があいた。ラッキー、しかし、いねむりをし
ていて瀬戸大橋からの夕暮れ前の絶景を見損なった。
岡山駅で姫路行き各駅停車に乗る前に、車内で食べる夕食
と飲み物を確保。先頭で並んでいたために全員座席を確保。
6時2分発車、新幹線なら新大阪まで簡単だが今日は、山陽
本線のここからが長旅だ。
待望のビールとおにぎりを食べて一息していたら、姫路駅で
落雷があり電車が止まっているという。
ここから徐行運転のはじまり、とうとう和気駅でストップ。
満員の車内は冷房もきかないほどの蒸し暑さ、てんでにホー
ムに出て涼をとる。外のほうが涼しいのだから車内が想像で
きよう。少し雨が降ってきた。
しばらくすすんで兵庫県の網干駅で二度目のストップ。
もう、ホームは、人だかり。とても、じっと座ってなんかお
られない。トイレに煙草に自販機に、そして携帯で家にだろ
うか連絡している人が目立つ。
ここで私のずっこけ物語が始まる。あーいやだ!
でも、公開しよう。多分、読む人は大笑いするだろう。本人
も思い出すたびに笑ってしまう。
あまりの長い停車に、みんなを代表して、という気概で二階
にあるトイレをすませて、そのまま駅事務室へ行って状況を
聴いてこようと思って立ち話していたメンバーから離れてす
ぐ目の前の階段を階上のトイレへ。
トイレでは、メンバーの一人とつれなんとか。
ここで、すんなりと階段を降りておれば、なにの問題も起き
なかったのに、駅員室へ向かったのが間違いの元。
改札横の駅員室をのぞくと帽子で駅長とわかる男性と若い
駅員が電話で忙しくしている。わずか30秒くらいか待ってい
なかったと思うが、いま聞くのも邪魔になってはと思って向
かいの自販機へ。
缶コーヒーを探すがほしいのがなかったのであきらめて一階
のホームに下りかけたらなんと電車が動いている。
あわてて下りた時は、後ろの車両が行くところ。あっという間
に仲間とすべてが入っているリュックを見送ることになった。
なんでや!
あいつら、おれを置いて云ったな!
と、大きな声で言うと、言い方もユーモアに聞こえたのかホー
ムにいた若者が、名前をマイクで呼んでましたが、もう乗って
いるやろうと、そこにいた人が言って、すぐ出ましたよ!
と教えてくれた。
ほんとうに、あっという間のことだった。
まあ、しょうがないわ、それより先に、次の手を打たんことには
と、駅員に事情を話して、姫路駅への連絡を頼んだ。多分、次の
新快速電車に彼らは乗るはずで合流できると判断したからこちら
にも余裕があった。しかし、車内のやつらは、自分がいないこと
でびっくりしているだろう。それがすまんことだ。
こっちも、怒ったりはしなかったが、駅員、駅長らしき人も何ひ
とつ詫びはなかった。
階上に改札もあるし、トイレもある。もし、トイレにでも入って
いたとしたら女性なら出てこれないはずだ、なぜ確認もせずに、
しかも駅員の目の前のわずかなスペースにたった一人しかいなか
った自分に声をかけなかったか。乗客であることには違いないじ
ゃないか。その確認もしないままに発車させたJRの明らかにミス
だが、それを言っても解決するわけじゃないしやめとこ。
そういうことで、電光掲示板で新快速が続いていることはわかっ
ていたが、ぽつんと暗いホームで、所持品は、小銭入れだけ、1
8切符はメンバーに持たせているので、なにももつものもなく手
ぶらの男がベンチに座っている様は、なんともさびしいものに見
えたに違いない。
駅のホームで電車を待つ身がおかしくて一人笑ったよ。
とにかく自分を置いて行った連中がもあの車内で混乱していない
か、それが気になった。
結局、姫路でメンバーと再会して、自分が乗ってきた新快速で
大阪駅に到着したのが10時半。約2時間の長旅になった。
こんなことで長い一日が過ぎた。
まあ、大勢でなにかをすれば、いろいろなこともある。
人的事故がなかったのだから、よしとしょう。