昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

出番が一番の健康法!

2007-08-31 21:33:15 | 健康
気象庁の発表で、8月1日から30日までの平均気温は
仕事場のある大阪市が平年比プラス1.5度の29.9度で
全国最高となったという。

この夏は、74年ぶりに国内最高気温が塗り替えられるなど
北海道から沖縄までの日本全国92地点で最高気温の記録を更新した。
これほど多くの地点で最高気温を更新するのは、極めて異例らしい。

猛暑の続いた大阪は、昨日から今日昼過ぎにかけて
雷を伴う強い雨が降ったり止んだりの大荒れ模様
明日からの9月を前に、清めてくれているかのようだった。

その雨の中、昨日の午後から今日昼過ぎまで
久しぶりに泊まり込みの仕事があった。

 「プレゼンテーション」

三つの実習を中心にして、相互に評価をしあいながら
真剣に、楽しく、学びあった。

終われば、楽しみの懇親会、二次会以降は失礼したが
参加者は、おそくまで楽しい夜を過ごしたらしい。

今朝は、猛烈な雨の中、参加者がホテルに足止めされたため
三十分遅れの開始となったが、初期のねらい通りの仕事はした。

精一杯のプレゼンテーション&パフォーマンスはしてきたつもりだ。
実に楽しかった。


舞台があると生き返る。
出番があると燃える。
まだまだ、やれる!

疲れたが、心地よい疲れだ。

戻ってきたら、○務○から注文?の電話があった。
らっきー、らっきー、また、舞台?が踏める。
ただいま、現役、続行中! 

ぴーす !

今年も、同窓会の誘いがきた!

2007-08-29 17:00:43 | 交流
ことしもハガキがきた。

中学校の同窓会のお誘いに
なかよしだったおみっちゃんからだ。

・・修学旅行への参加名簿に名前がないのでさびしいです。
いろいろ理由もありましょうが
バカになって残り少ない人生を楽しみましょう!
(同窓会を小旅行にして修学旅行と言っている)


おみっちゃん、すまん!
桃色吐息、一緒に歌いたいけど、やっぱり行けん!
仕事があるんで、定年になったら行くから・・・
と返事を書くつもりだ。

それまで一度もなかった同窓会が、還暦の歳から毎年開催
定年退職組が熱心にお世話をしてくれている
定年後、畑づくりや軽農家を始めた連中に都合がいい九月末か
十月初旬のウィークデーがお決まりだ。

こちらは、仕事の入る可能性の高い時期のウィークデー
しかも、今年は九州、費用も結構かかる
休んで給料が入るわけでもないし、事務所代にもならい年金では
悠々自適者と同じことをしていているわけにはいかない
しかし、その話をしても、そんなことないでしょ!で片づけられる。
理解できないみたいだ。

おみっちゃんの・・・残り少ない人生・・・という文面には
どきっ!だが こちらは、そんなつもりはない。

まだまだ、時間はあると思っているし、引退など、考えたこともない。
まして生涯現役と言うてる以上”定年”はない。
「定年」とは、命の果てる時のことくらいにしか思っていないからだ。

だから、おみっちゃんに会える機会はないかもしれないし
このまま会えないのはさびしいなあ。

中学・高校の同級生で、仲良しだったおみっちゃんは
同級生に冷やかされると

”うちは、○○君が好きじゃけェ”とはっきりと言うてくれた
勉強ができる元気で明るい少女だった。
(広島の女性は「自分・私」のことを「うち」と言っていた、いまは?)

過去、二度ほど出席した時、孫もいておばあちゃんになっているおみっちゃんと
高橋真梨子の桃色吐息をカラオケで歌って昔を知る同級生から受けた。

もう一度、歌いたいなあ・・・と思ったりするが
どうなることやら。

この歳になると、いつ、なにがあるかわからない。
まして、命の定年に順番などありはしない。

好きなとき、好きなことをと思いながら
先に先に広がっていく、明日の自分をおっかけしていると
昨日までのことは、どこかへ行ってしまっている。

これが、自分の道なのかなあ・・・


実は、十月末開催の小学校の同窓会の案内もきている。
小学校と中学は同じ学区内で、当然、中学の同窓会には小学校の
同級生もいる。どっちかに行く・・・というわけには行きにくい。

「敬老会」に「同窓会」、なぜか身近に感じられなくて
抵抗しているわけではないのだが、素直になれない自分が
ただのがんこ者なのか、変わり者なのか、ここ数年、秋になると
心穏やかでないお誘いにゆううつになる。

「敬老の集い」の案内がきた!

2007-08-28 19:06:14 | ひとりごと
ことしもハガキがきた。

   平成19年度「敬老の集い」のご案内

・・「敬老の集い」を開催しますのでご来場をお待ちしています。
当日、このハガキを受け付けにお出しください。
参加記念に○○○保存パック三組と引き換えます。
後日の引き換えはありません。・・・・・

「敬老の集い」で何が行われるのか、
まったく書かれていないということは、○○○保存パック三組と
引き換えに地域の小学校の体育館にこいということか。


お世話をしている人達のご苦労はわかる。
しかし、あまりに義務的な行事ではないか、
こんなことを、楽しみにして、喜んで参加する人がいるのだろうか
儀礼的に、ただ、開催するというのであれば、やらないほうがいい。

そこに行けば、ここまで生きてきてよかった

元気がもらえた、まだまだ、楽しく生きるぞ

あんな生き方もあるんだ

あんな人もいるんだ  

あんなサークルもある 

そんなことが、実感できる場が用意されているのだろうか

のこのこと○○○保存パック三組と引き換えのために会場に行って
パックをもらっている自分の姿はあまりに寂しい。

その日は、元気よくウォーキングに行ってくるよ。

そもそも「敬老の日」とは、どう定めてあるのか
また「老人」とは、何歳からなのだろうか

祝日法では、老人の日の趣旨をこう定めている。
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」

以下は、私が65歳なって最初に迎えた敬老の日の読売新聞の記事から(2005.9)

「老人」一体、何歳からなのだろう。

人口統計では65歳以上は「老年」(高齢者)らしい。
15~64歳を「生産年齢人口」と呼び、
65歳以上は0~14歳とともに「従属人口」とされる。
65歳で線を引くことにも、従属人口という呼び方にも、
違和感を持つ人が多いのではないか。

内閣府が60歳以上の人に「高齢者とは何歳以上か」と聞いた調査では
8割近い人が70歳より上の年齢を挙げた。
活躍中の日野原重明・聖路加国際病院理事長は、
「高齢者の基準を75歳に引き上げてはどうか」と提案している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

65歳以上を「従属人口」とは、違和感どころか
自分のように一生懸命に現役で頑張っている者には失礼だ。

世の中が、勤め人、定年という枠組みでしかみないから
年金生活→従属人口という発想なんだろうか
年齢関係なく働いている大勢の者は、その他という扱いをしてしまう。

自分で生きている人間は、いくらでもいるし
社会に貢献している人もたくさんいる。
まったく、人を見下した表現だ。


元気だからこそ、怖さを知ろう!

2007-08-26 19:22:47 | 健康
夕陽が沈んでいく・・・
暑い暑い、日中の暑さは衰えないが
沈みゆく夕陽が、真夏の日没とは少し違う。

来週は、もう、9月だ。

今日の新大阪駅はほんとうに人が多かった。
最後の夏休みを楽しむ旅行者なのか・・・
世界陸上を見にきた人たちなのか。

事務所前の道路際に植えたはるかのひまわりも種をつけて
重そうに下を向いている。
高さが三メートル、もっとあるかも。
よく、今年の暑さに耐えて、おおきく成長したものだ。


今日は、兵庫県の郊外へウォーキングを予定していたが
かんかん照りの中を無理して行くこともあるまいし
無理してプラスになる年齢ではないと
あっさり断念した。
先月までだったら行ったに違いないのだが・・・

きのう、定期検診で医者と話していて
先日の神戸たそがれウォークで、途中の休憩所で脈拍を測っていたら
(ウォーキングではこれも大事なこと)不整脈だったことを話したら
熱中症の前触れだったかもしれないと言われた。

5月の東海道五十三次ウォークでも、滋賀県草津市で、気分が悪くなって
何度も休憩したことも、きっと、そうだったのだろう・・・
怖くなった。

歩くのは面白い
歩けるようになると
ついつい、どれだけ歩けるとか、どれだけ歩いたとか
そんなことに 自信を持ちすぎて
その裏にある怖さに気づかなくなる

この年齢になると「怖さ」知っておくことが
健康寿命を延ばすことだと悟った。

思い返してみれば、これまで亡くなった友人達に
共通するのは、頑健で酒飲み、ほとんど突然死だった。
山男のSは、アルプス登山中になくなった。

まあ、自分は、頑健ではないし、むしろ、弱いために
入院したり、手術したり、転職したりを繰り返した。
その分、いま、元気でいることがうれしくて
少々、無理をしているのかもしれない。

まわりから、元気だといわれ、ついつい、調子にのって
歩きまわっているが、これからは、「怖さを知れ」と
ブレーキをかけて、のんびりと人生も歩いていこう。

まもなく、秋だ、その時を楽しみに、辛抱も大事だ。


母をたずねて青春18きっぷの旅。

2007-08-25 18:02:07 | 家族
母が面会に耐えられるまで回復したと田舎の兄から連絡がはいったので
昨日、日帰りでふるさとの母を見舞ってきた。

母の見舞は、青春18きっぷを利用してと決めて切符も買っていたが
容態がなかなか回復しないので気になって、一刻も早くと思いながら

若い時、関西に出てきて、帰省をするときは、いつも、各駅停車の列車で
ふるさとで待つ母を思いながら帰ったものだった。
あの頃のことがなつかしくて、ひさしぶりに各駅停車の青春18切符で
母に会いにいこうと思った。

朝、新大阪を6時40分スタート。
東海道線、山陽線を利用して「母を訪ねて18切符」
の長い長い電車の旅が始まった。

大阪駅でJR西日本ご自慢の新快速で姫路へ。ここまでは一気に。

姫路からが大変、岡山行き各停電車へ乗り換え、青春切符で
関西から西へ行く人の多くはこの時間、この電車に乗る。
うまく座席が確保できてほっとしてる間に次の網干駅へ。
ここは、五日前に四国からの帰りに「置き去り」にされた駅だ。

ここで隣と向いの席がかわり三人連れの女性がかけてきた。
18切符組だろうと声をかけると滋賀県から徳島まで行くという。

すっかり打ち解けて岡山まで退屈しなくてすんで楽しかった。
旅は道ずれとはよく言ったもんでこういう楽しいこともある。

気をつけて、楽しんできてね!と声をかけて別れた。

岡山駅での乗り継ぎ時間は2分。福山行きの快速サンライナーに乗る。
これもうまくすわれた。やっと朝食用のサンドイッチを食べる。

倉敷、笠岡をすぎて、いよいよ岡山県からふるさと広島県へ。

福山駅でシティーライナーに乗り換える。

しばらくすると瀬戸内海と並行してすすむ
大きな船が建造されているドックを過ぎるとなつかしい尾道大橋の下を
通り尾道駅へ。

やがて向こうに因島大橋が見える。
この橋も尾道大橋も、2年前のしまなみ海道ひとりウォークで歩いて
渡った橋。


12時に広島駅へ、そして母の待つ病院に近い宮島口駅へ。
ここまで5時間48分の旅。
(乗り換えた駅 大阪駅→姫路駅→岡山駅→福山駅→広島駅)


駅前からなつかしい宮島、朱の大鳥居が見える。
潮の香がふるさとの懐かしさを募らせる。


母は、昼食を済ませて待ってくれていた、
昼食といってもチュウブ食、自分では食べられない。
味もなくおいしくないと言う、そりゃそうだろう。

ベッドにねている小さな母が空襲の夜に、防空壕へ何度も
背負って逃げたあのたくましい母とは思えない。

母との思いは、どうしても、背負われた幼い戦時中のころに
戻ってしまう。

去年の春、もしものことがあるかもしれないのでと、医師から
兄弟が召集され、延命措置は希望しないと返事をした、
それから奇跡の回復、しかし、この一年は、母にとって
あまりに厳しい局面の連続だった。

点滴跡で黒ずんだ、まるで古木のような細い手をとってみると
それでも温かい、母の手だ。

くつしたをはかされた足はむくんで冷たい。
血の循環が悪いんだろう。

兄もきて、しばし、親子三人で・・・声も小さくて、話が十分に
できない母は、ほとんど聞いているだけだがうれしそう。

家内の母のことをさかんに気にする。(こちらも介護中)
見舞いにいけずにすまないと言う。

○○(兄の名)が、いつも頑張れというが、もう、がんばりたくない
そして、もう、長くはないから・・・と弱気なことを言う。

あえて、それも否定しないで
もう、十分に頑張ってきたのだから、あんまり頑張らなくていいよ
と言った。

辛いだけの毎日、見ているだけでもかわいそう。
自分も子供だから、母をこれ以上、苦しめたくなくて
いつでも、好きなとき、父のところへ逝ってくれていいと思っている。

泣いたり悲しんだりはしないつもりだ。

母の手をとって、今度は、家内が来ることを伝えて部屋を後にした。

母の病室から見える宮島

兄と父の墓参りをして、兄宅にもよらず、とんぼ帰り。

帰りは、すんなりと帰りたいと、食べたい広島の焼きそばも食べないで
広島駅から岡山行きに乗った。
そこまでは、時間通り戻ってきた。

ところが乗り継ぎ駅の岡山駅でまた大混乱。
乗り換えるはずの伯備線からの電車がきていない。

伯備線で電車とトラックと衝突、到着が大幅に遅れていて
いつ、電車が入ってくるかわからないという。

ホームは満杯。
次の電車は、一時間後、座れる保証もない。
ここまで戻ってきて残念だが、また、なにかに巻き込まれる
ようなことがあってはいけないと納得させて
岡山駅から新幹線に切り替え、ひかり、のぞみの席がとれなくて
久し振りにこだまに乗って戻ってきた。

母を訪ねて18切符の長い日帰りの旅、なんとか無事に戻ってこれてよかった。

 子を思い 母を思いて 幾歳月 思いは同じ いついつまでも

青春18切符ウォーク高松の旅。

2007-08-20 19:31:55 | ウォーキング

昨日、酷暑の中、主宰しているウォーキングクラブの例会で
青春18を切符利用して、四国高松まで遠征ウォーキングを
楽しんできた。

わがクラブとしては、初めて会員外のメンバーも合流しての
ウォーキング。
一応、責任ある立場、初対面の人もありで、熱中症のことや
途中の乗り換えの多い交通のこともあり、運営担当者共々に
気をつかうことの多い一日を過ごすことになった。

大阪駅で顔合わせ、8時の山陽本線新快速で兵庫県の相生
へ。そこで乗り換え岡山駅まで各停、ここまでは予定通りす
すんだが、岡山駅についたとたん、事態は早くも急変!

予定していた瀬戸大橋を経由して高松までの香川県内予讃
線の坂出で列車接触事故があり不通になっているとのこと。

ここから、長い一日は、行きのルート変更から始まった。
そこで、瀬戸大橋ルートからフェリーで行くルートに変更する。
これは帰りのコースになっていたのでとくに問題はなし。
茶屋町乗り換え宇野線で宇野港へ。

瀬戸大橋が開通するまでは、これが四国への正規のルート
だったのでよく知っている。
宇野港を出港、船内はJRからの乗り換えで思わぬ混み方。

船上から宇野港を写す。


宇野港から高松港まで55分、瀬戸の船旅が始まる。
昔、サラリーマン時代は、この宇高航路はお馴染みだった。
ほとんどのメンバーは涼しい船室の中で休んでいたが、自分
は、ずっと甲板上から景色を眺めて楽しんだ。
カンカン照りで暑いが、潮風にあたるのも気持ちがいい。おか
げで、今日は、両腕が赤く日焼けしている。




はるか西前方に通過するはずだった瀬戸大橋がかすんで見
える。写真では撮れていないのが残念。
自分で勝手におにぎり島と名づけている△形の島を通過。


一路、高松へ。さすがに暑い船上にいる人は少ない。


おにぎりさんが遠くなっていく。


右前方に屋島が見えてきた。前を定期航路の船。


高松市内が見えてきた。高い建物が高松駅付近。


まもなく高松港へ、屋島の全景。




メンバーの気持ちは一つ、早くさぬきうどんが食べたい!
暑い道路を競争のように第一目標のさぬきうどん店へ快歩。
高松城艮櫓(うしとらやぐら)の前を通る。
高松城の北東の守りの要だったもので、三層三階・入母屋
造・本瓦葺で、初層に大きな千鳥破風があるのが特徴。
昭和25年に重要文化財に指定された。


高松城跡(玉藻城)
高松城(玉藻城)城跡が玉藻公園になっている。
ここで記念をして素通りする。
高松城は、天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられ
た生駒親正がこの地に城を造り、その後4代生駒家の子孫
が城主であったが、寛永19年に徳川家康の孫で水戸の徳
川頼房の子、松平頼重(黄門様で知られる水戸光圀の兄)
が藩主となり東讃12万石を領しこの高松城に入り、明治2年
の版籍奉還までその子孫が11代228年間松平藩の居城とし
て在城した。北側は海、残り三方の濠に海水を引き入れめ
ぐらした日本三大水城の一つとして知られている。

高松駅前から正面にすぐ位置する玉藻公園、まるで東京駅
と皇居の関係みたいな、そこにあることで街に安らぎと落ち
着きを感じさせてくれる。高松の人々にとっはぜいたくな玉
藻公園、今回は時間の関係で公園内へは入らなかった。
今度ゆっくり園内を歩きたい。


そして、待望のさぬきうどん店へ、三年前に行って気に入っ
たあの店だ。
ぶっかけ大盛にいなりずし一個、しいたけのかき揚げ天ぷら
一個で530円。やすい、うまい。


そこから高松市のメインを一気に栗林公園までウォーキング。
途中の中央公園の一角に文豪菊池寛の銅像の前で一息。


午後の一番気温の高い時間帯を汗ふき、水分補給を怠らな
いよう・・・われらはウォーキングクラブ。どんなに暑かろうと手
抜き、いやはしない。いつもの調子で先頭を歩き続け
てようやく、久しぶりの栗林公園に到着する。

【栗林公園】公園でもらったパンフレットから
国の特別名勝に指定されている庭園の中で、最大の広さを
もつ栗林公園は、松の緑濃い紫雲山を背景に六つの池と13
の築山を巧みに配し、江戸時代初期の回遊式大名庭園とし
て、すぐれた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでい
ます。
公園の沿革・・元亀、天正の頃から豪族であった佐藤氏に
よって、西南地区に築庭されたのが始まりといわれている
が、後に松平家に引き継がれ、明治維新に至るまで松平家
11代(228年)にわたり、下屋敷として使用された。明治4年
(1871年)高松藩が廃され、新政府の所有となったが、明治
8年3月16日、県立公園として一般公開され現在にいたて
いる。


熱中症に襲われはいないかという恐怖と闘いながら、よくも
歩いたものだ。さすがに疲れが出る。店内の休憩所でしばし
涼をとる。ここで帰りの時間の再検討とJRの復旧具合を高松
駅に携帯確認。

時間にあまり余裕がないために園内は、簡単なコースをめぐ
ることにした。それでも広い。
名園と言われるところには、何個所も行っているが、ここは
まさに名園。
しかし、一番暑い時間帯の公園は、暑かった。暑かった。











あまりの暑さに、かき氷がほしくて・・・売店でおのおのかき
氷にアイスクリーム、もう、小学生並のうれしいひととき。


トイレで着替え、夏は着替えしないと気持ち悪いし乾いたあと
の汗臭い匂いは人にも不快を与えるので着替えるようにして
いる。それだけで暑さもずいぶんと違う。脱いだシャツは、絞
ればしずくが落ちるほどに濡れていた。

少し癒されて帰路の高松駅へ。


16時43分のマリンライナーは満員、ここから長い旅が始ま
った。大阪駅への帰着予定は8時22分。
朝の事故の加減か、車両は三両編成で全員座れない。満員だ。
最初の駅で補助席があいた。ラッキー、しかし、いねむりをし
ていて瀬戸大橋からの夕暮れ前の絶景を見損なった。

岡山駅で姫路行き各駅停車に乗る前に、車内で食べる夕食
と飲み物を確保。先頭で並んでいたために全員座席を確保。
6時2分発車、新幹線なら新大阪まで簡単だが今日は、山陽
本線のここからが長旅だ。
待望のビールとおにぎりを食べて一息していたら、姫路駅で
落雷があり電車が止まっているという。
ここから徐行運転のはじまり、とうとう和気駅でストップ。
満員の車内は冷房もきかないほどの蒸し暑さ、てんでにホー
ムに出て涼をとる。外のほうが涼しいのだから車内が想像で
きよう。少し雨が降ってきた。

しばらくすすんで兵庫県の網干駅で二度目のストップ。
もう、ホームは、人だかり。とても、じっと座ってなんかお
られない。トイレに煙草に自販機に、そして携帯で家にだろ
うか連絡している人が目立つ。
ここで私のずっこけ物語が始まる。あーいやだ!
でも、公開しよう。多分、読む人は大笑いするだろう。本人
も思い出すたびに笑ってしまう。


あまりの長い停車に、みんなを代表して、という気概で二階
にあるトイレをすませて、そのまま駅事務室へ行って状況を
聴いてこようと思って立ち話していたメンバーから離れてす
ぐ目の前の階段を階上のトイレへ。
トイレでは、メンバーの一人とつれなんとか。

ここで、すんなりと階段を降りておれば、なにの問題も起き
なかったのに、駅員室へ向かったのが間違いの元。

改札横の駅員室をのぞくと帽子で駅長とわかる男性と若い
駅員が電話で忙しくしている。わずか30秒くらいか待ってい
なかったと思うが、いま聞くのも邪魔になってはと思って向
かいの自販機へ。
缶コーヒーを探すがほしいのがなかったのであきらめて一階
のホームに下りかけたらなんと電車が動いている。

あわてて下りた時は、後ろの車両が行くところ。あっという間
に仲間とすべてが入っているリュックを見送ることになった。

なんでや!

あいつら、おれを置いて云ったな!

と、大きな声で言うと、言い方もユーモアに聞こえたのかホー
ムにいた若者が、名前をマイクで呼んでましたが、もう乗って
いるやろうと、そこにいた人が言って、すぐ出ましたよ!

と教えてくれた。

ほんとうに、あっという間のことだった。
まあ、しょうがないわ、それより先に、次の手を打たんことには
と、駅員に事情を話して、姫路駅への連絡を頼んだ。多分、次の
新快速電車に彼らは乗るはずで合流できると判断したからこちら
にも余裕があった。しかし、車内のやつらは、自分がいないこと
でびっくりしているだろう。それがすまんことだ。

こっちも、怒ったりはしなかったが、駅員、駅長らしき人も何ひ
とつ詫びはなかった。
階上に改札もあるし、トイレもある。もし、トイレにでも入って
いたとしたら女性なら出てこれないはずだ、なぜ確認もせずに、
しかも駅員の目の前のわずかなスペースにたった一人しかいなか
った自分に声をかけなかったか。乗客であることには違いないじ
ゃないか。その確認もしないままに発車させたJRの明らかにミス
だが、それを言っても解決するわけじゃないしやめとこ。

そういうことで、電光掲示板で新快速が続いていることはわかっ
ていたが、ぽつんと暗いホームで、所持品は、小銭入れだけ、1
8切符はメンバーに持たせているので、なにももつものもなく手
ぶらの男がベンチに座っている様は、なんともさびしいものに見
えたに違いない。
駅のホームで電車を待つ身がおかしくて一人笑ったよ。

とにかく自分を置いて行った連中がもあの車内で混乱していない
か、それが気になった。

結局、姫路でメンバーと再会して、自分が乗ってきた新快速で
大阪駅に到着したのが10時半。約2時間の長旅になった。

こんなことで長い一日が過ぎた。

まあ、大勢でなにかをすれば、いろいろなこともある。
人的事故がなかったのだから、よしとしょう。

おじさんだって格好よく!

2007-08-18 22:53:51 | 輝いて生きる
今日も暑かった! 

岡山は40度になったとか、それなのに東京は27度だったとか
信じられないなあ???

狭い日本列島、どうなっている!

知人の京都のTさんが、とうとう、丸坊主にした。
そそのかして、その気にさせて、この暑さも手伝ったのかもしれないが
奥さんが刈上げたという坊主頭の写真をインターネットで公開
奥さんの腕前にも感心した。

また、それに、Tさんの男女仲間たちのコメントが次々と寄せられて
なんだか、坊主頭がニュースになっているのが愉快だ。

コメントで坊主頭に関心を持っている人が結構いることがわかった。
それなりの年齢になるとだんだんと頭髪がうっとうしくなる。
それに、頭の恰好は「みかけの年齢」にまで影響してくる。

自分の場合、頭髪が少なくなり始めてから、ずっと短くしてきたが
二年前に生涯丸坊主宣言をして以来、完全?坊主頭で通している。
上から八分刈り→五分刈り→三分刈り→二分刈りだ。

薄くなった頭髪は、手入れが難しいし
見ていても恰好がよくない。
いかにも、ふけたきた!そんな頭になってしまう。

それだけでなく、消極的になったり、自信をなくしたり
する人もいる。

目立つところだから、なんとかこぎれいにしておきたいと思う。
やっぱり、男といえども、いくつになっても、こざっぱりと
年輪が少しでもきれいに映るようにしていたいというのは
だれもが思うことだろう。

自分は、一番目立つ、頭髪をさっぱりとしたおかげで
鏡で見ても、写真をみても、雰囲気がすっきりしたと思う。
いまでは、坊主頭が自分のイメージだ。

洗髪も簡単、クシもドライアもいらない。
シャンプーも少量で済む、経済的効果?もある。

もう、二度と髪を伸ばそうと思うことはない。
もっとも、その前に、頭の砂漠化のほうが早いかもしれないが・・
それも楽しみだ。

あればあるでヘアスタイルの楽しみ方もあるだろうが
ないものは、ないのだから、ないことを強みにして
いくつになっても、恰好よくしていたい。

今日も、昼間、頭から水かぶったけど、こんなことも簡単だ。

にっぽんが熱中症に!

2007-08-17 21:05:12 | 健康
昨日は多治見市と熊谷市で40.9度を記録したという。
長かった梅雨が明けたとたんに、日本列島は、連日の猛暑、いや酷暑。
なんだか、にっぽんがまるで熱中症にかかっているみたい。

今日の大阪は、38.5度だ。

甲子園の高校野球の選手や、スタンドの応援団大丈夫なんだろうか
心配になる。

全国あちらこちらから悲しいニュースが伝わっいる。

お年寄りばかりではなく、ラググビー中の高校生や
バスケの中学生までが熱中症でなくなっている。

熱中症指数を見てみると関東以西は全域「厳戒警戒」だ。

まさか自分は、と思うのが一番いけないこと。
自分でできることはやっておきたい。


●自分が普段から心がけていること。

 水分を充分にとること

 これは、二年は続けている。
 高血圧対策ということもあるが、枕もとには年中、
 水(冬はお湯)を用意しており、就寝前、起床後に必ず飲んでいる。
 
 極力、アルコールは飲まない。
 夏はなんといってもビール、ビール党にとって夏の楽しみ一番だ。
 そのビールも、週のうちせいぜい二日、あとは飲まないようにしている。

 いつ頃からか、前夜にアルコールを飲んだ翌朝と、まっく飲んでいない
 朝との目覚めが微妙に違うことを感じている。
 だから、飲まなくてすむ時は、飲まないことにしている。

 寝るとき、クーラー、扇風機等は一切つかわない。
 これは、昔からの習慣でどんなに暑くても、汗をかいても自然のまま寝ている。

 それに、今年は、八月になってからは、歩きたい気持ちも抑えて
 いつものナイトウォークは休んでいる。

 また、去年までは、真夏でも長そでにスーツ、ネクタイが制服だったのを
 クールビズに踏み切って、半そで、ノーネクタイにしたら、至極身体によい。

 ささやかなことかもしれないが、これだけのことを習慣にしてしまったからか

 不思議なことだが、今年の暑さなのに

 夜は、ぐっすり眠れている!

 朝の寝ざめもいい!

確かに暑いが、自分としては、暑さ負けしているとは思わない。

自分が心がけているようなことが、多少でも意味があるのだろうと
信じて、今後も、体調管理のために続けていきたい。

こんなことを言っていると、ある日、パタンといかないとも限らないので
油断大敵。

暑さは(寒さも)歳を重ねると身体にこたえる。
抵抗力がだんだんと無くなってきていることを自覚しないと
元気なつもりで無理をして、取り返しがつかないことになったら大変。

暑さには、臆病になれと自分に言い聞かせている。


千の風になって・・・

2007-08-16 18:36:29 | ひとりごと


秋川雅史が紅白で歌った「千の風」がミリオンセラーになったそうだ。

クラシック歌手が歌った曲が、ミリオンセラーになったことが異例のこと
らしいが、それだけでなく、「死者」からのメッセージ風の歌詞と
あのさわやかなメロディーが、聴く者の気持ちをいやしてくれるような
そんなところがいいのかなあ・・・と思う。

買ったCDは、何度も聴いているが
聴くたびに、父親からのメッセージのような気がしてならない。

ずっと離れた生活が続き
たまに帰省しても無口だった父とさして会話をすることもなく
なにの言葉も残してくれないまま逝った父だが

千の風のように
いつも見守ってくれているのだろうと思う。

お盆ということもあるが
千の風を聴いていると
亡き父のことが浮かんできて
空を見上げる。

いつまでも見守ってほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
千の風になって

作詞・不詳  作曲・新井 満 日本語詞・新井 満

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る

 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 死んでなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています

 あの大きな空を
 吹きわたっています


八月十五日におもう。

2007-08-15 18:53:54 | ひとりごと
敗戦記念日と言っていた八月十五日が、いつの頃からか終戦記念日になった。

八月六日のことは、鮮明に覚えているのに、八月十五日のことは、全く記憶にない。
五歳四か月の時だ。

大きくなったら、兵隊さんになると言っていたそうな。
昔、祖母がよく話してくれていた。

戦地から病気のため強制送還されて内地へ配属された父は
戦友を失いながら、自分が生き残ったことへの慙愧があったのだろうか
戦争の話はしなかったし、終戦記念日のテレビは一切見なかった。
ただ、靖国に対する強烈な思いを激しく口にしていた。

わが家は、近所では珍しく、あの大戦で人的被害はなかった。
そういうこともあってわが家では、ご近所へ申し訳ないという空気があった。

”あんたんとこは、えかったネー、戦争にもピカにもとられんかったけぇ”
(あなたの家はよかったね。戦争でもビカ・・ピカドン-原爆でも死ななくて・・)
と、近所の大人たちに言われると子供心につらかった。

家内は、旧満州で生まれ、そこで敗戦を迎えた。
というより参戦してきたロシア軍と中国に追われ
取り残された多くの日本人と厳しい逃避行を始めていた。

女の子は略奪されるということで坊主頭にして
一年半もかかり叔父につれられ大阪へ戻ってきた。
ひとつまちがえれば、あの残留日本人孤児の運命にあったのだと思う。

父親は、シベリアへ送られて今なお消息不明のまま
だから父親の顔はしらない。

今日の記念式典でも平和への誓いが宣言された。
いつも思う、平和の誓いとは、どういうことなのか?
どうすることが平和の誓いの中身なんだろうか・・・

誓うということは、具体的に、国民ひとりひとりにどうすることか
なにも具体的な行為として明確にしていない。

美しい言葉だか、なにも中身も具体性もない儀式言葉の虚しさを覚える。

平和を唱えて、じっと待っておれば、だれかが与えてくれるのか
守ってくれるというのか・・・

あるいは、なにかを提供し、派遣をすることが平和貢献なのだろうか?

あの大戦の反省と唯一の核被爆国として日本でなければできない
平和への役割、積極的な活動があるはずだ。
言うべきことがあるはずだ。

二度と過ちは繰り返しませんから・・・と原爆慰霊碑に刻まれている。
それだけでいいんだろうか・・・

今朝、民放の番組で、アメリカの子供たちに原爆の悲惨な画面を
みせる授業が放映されていた。

アメリカの教科書では、原爆は戦争終結のために
使われたのだから正しかった・・・と書かれている。
前防衛大臣もそう言っていた。

その子供たちが、悲惨な原爆の映像をみて表情がどんどん変わり
あの原爆投下がもたらした悲惨さに声をなくしていた。

日本の学校の現場にも、このような生の教材があるんだろうか
教えているんだろうか・・・疑問に思う。


日本は、(とくに指導者)主語を失った、主語を持たない国だ。
それを外国人は、顔のない日本というのだろう。

自分の言葉で話したい、自分の意思をきちんと伝えたい、
自分を持たず、言わずして、人に身を預けるような安易で
妥協的な生き方はしたくない。

平和とか、個人の安定は、他から与えられるものではなく
自ら守り勝ち取っていく、努力が必要だと思っている。

強い自分、強い国民、強い国にならないと馬鹿にされてしまう。
(ヒロシマ人として平和への欲求はだれよりも強い、戦争を礼賛しているのではない)

あれから62年の日に思う。

ふくらはぎは第二の心臓!

2007-08-14 22:03:04 | ウォーキング
ふるさとの母の見舞いと父の墓参りは
人の大移動期間をさけて一週間遅れて帰郷することにしたので
きょうは、朝から仕事場の整理と掃除をした。

だれもこない夏休みの仕事場だからと
リラックスして半ズボンをはいた!

フローリングの床なので素足になった。気持ちがいい。

いつものクセで、つま先立ちしをして、なにげなく、足をみると
えっ!

ふくらはぎにしっかりと筋肉がついている!

足首は細いが、ふくらはぎに肉がついて太くなっている!

もしかしたら、これが六年間、ウォーキングを続けてきたことで
鍛えてついて筋肉なのかなあ・・・ 

さわると柔らかいが、つま先立ちするとごつごつしてる

毎日、七階までの階段を上り下りして三年に

そして、電車では吊皮もってつま先立ちもよくやっている。

いまでは、自然にできているこれらの積み重ねが、
ふくらはぎを丈夫にして、ちゃんと貯筋してくれているんだろう。

「ふくらはぎ」について検索してみると
ふくらはぎは、「第2の心臓」などと言われていますが、それ以上に心臓の働きをもコントロールする大切な器官なのです。最近ようやく、血行改善にふくらはぎの重要性があちらこちらで聞かれるようになってきました・・・・ と書いてある。

なんと「第2の心臓」! 
大事なお仕事してるんや!

少しでも老いの進行を遅らせるように、健康寿命を延ばしていくためにも
大事な筋力アップは、年齢に関係なく可能だと聞いたことがある。

お金をかけなくても、自分でできることは、手抜きしないでやっておこうと
実行していることが、実を結んでいると信じて続けていこう。

たまたまはいた半ズボンのおかげて?
思わぬ気づきがあった終戦記念日の前夜も静かに暮れていく。


奈良燈花会&たそがれウォーク。

2007-08-13 14:21:56 | ウォーキング
お盆前の恒例のひとり行事、奈良燈花会&たそがれウォークに
きのう行ってきた。

暑い昼間はさけて、夕刻午後五時前に近鉄奈良駅へ。
そこから古い街並みのつづく奈良町をぐるり歩き。

すっかり有名になった燈花会を目指して来た人もいるのだろうが
奈良町も大変な人出。
どうしてもスローウォークになってしまう。

盆地の奈良は暑い、早くも汗が噴き出る。

奈良町からおなじみの奈良公園へ。
ここにくるとおきまりのコースに足が向く。
世界遺産登録の興福寺。


鹿も暑さでぐったりか、記念撮影につきあってもらう。



東大寺へ、ここのライトアップは明日から。
でもこの時間(18時20分)の東大寺のたたずまいも好きだ。
実は、ここからの夕陽もとてもきれいに見える。



ただし、今日の最大の目的地は、二月堂、そこから眺める夕陽だ。


これは、燈花会とは直接関係ないが、ウォーキングを始めて
まもないころ、カメラが趣味の友人に連れられてきてやみつ
きになった。

六時半から七時まで、日没から茜色に染まる西の空が手前に
ひろがる奈良の街をまるで闇の世界へ引き込むように真っ暗
にしてしまう際立ったコントラストがたまらない。
ここの回廊は、そのファンでいっぱい。カメラマンも多い。












しばしみとれたあと、燈花会の会場へ。
ここは毎年の見慣れた光景だが、灯りが織りなす幻想的な雰
囲気は、何度みてもうつくしい。




【燈花会の概要】 なら燈花会パンフレットから。
 
1300年前に都として栄えた奈良。
広大な自然の中に古代日本のおもかげが今も残る。
そんな奈良にふさわしい、どこか懐かしさを感じ、
心を癒してくれるろうそくのやさしい灯り。
 
『なら燈花会』はゆったりと時の流れる世界遺産の地、
奈良に集う人々の祈りをろうそくの灯りで照らし出します。
 
1999年に誕生した『なら燈花会』。古都奈良にろうそくの灯りがとけ込み、
人々の心にさまざまな感動を与えてきました。夏のたった10日間だけ、
広大な奈良の緑と歴史の中にろうそくの花が咲きます。
 
『燈花』とは、灯心の先にできる花の形のかたまり。
これができると縁起が良いと言われています。
『なら燈花会』を訪れた人々が幸せになりますように。
そんな願いを込めてろうそく一つ一つに灯りをともします。


春日の園地→浮雲園地→世界遺産登録春日大社→浅茅
ケ原→浮見堂→奈良国立博物館(上写真)→猿沢の池→
五十二段→興福寺→・・・

ろうそくの灯りの祭典をふんだんに楽しんだあと、これも
お決まりのひとり隠れ店、ここに来ると必ずよるしゃれた
おでん屋へ。ビールとおでんで古都奈良の余韻に浸った。


私の隠れ家、男の書斎。

2007-08-11 22:54:38 | チャレンジ
今日も暑かった!

夜の10時を過ぎて、窓をあけるとようやく涼しい風がカーテンの
隙間から部屋いっぱいに入ってくる。
とても気持ちがいい。

ここは、ビルの七階、私の隠れ家、男の書斎。


昭和51年4月2日、志をたて、大きな夢をいっぱいに膨らませて
この部屋を居所と決めスタートした日のことが鮮明に浮かんでくる。

飛行機で、新幹線で、全国どこへでもでかけられる便利なところ
大好きな新幹線が見えるところ

そんな条件を満たすという条件で選んだこの場所、新大阪駅前のビル。

あれからいつのまにか31年がたった。

病気入院の期間はあったが、ここから一歩も動くことなく

どんなに苦しくても
どんなにつらくても

真上を大阪空港へ降下していく飛行機をながめ
同じ目線を通る新幹線をみつめ

スタートしたあの日のことを思い出し、勇気にして
ここまで歩いてきた。

 初心生涯

 この道以外わが道なし、この道を行く・・・

67歳のいまもこの信念に変わりはない。

 生きている限り

 生涯、命輝かせて
 自分を生きて行きたい。

ここは、自分の人生の縮図。

ここは、自分が自分に戻るところ。

ここにいると、楽になる。

ここにいると、癒される。

ここは、自分の隠れ家、男の書斎。




やればできる、現役の場はある。

2007-08-08 20:15:34 | チャレンジ
自分が退いた後は、一切、口を挟まないというのが
自分の行き方なのだが、今回はそうはいかない!

事務所があるビルの管理組合が緊急の臨時総会を開催するので
六時から出席をしてきた。

ここは、駅前の店舗、事務所、住宅がある複合ビル総計190戸。

規模の大きいビルだけに年間予算も数千万、建物も老朽化がすすみ
様々な問題が発生して、管理組合の運営は、なかなか大変、とくに
期末の総会は、例年、荒れることが伝統?なくらい、きびしい。

実は、昨年まで、ここのひら理事を2年、副、正理事長を4年、計6年
もやって、昨年末の総会で、留任の説得も強引に押し切って退任した。

きちんとやらないとすまない性格もあるが、理事長の期間は
仕事より管理組合の仕事に時間をとられてしまった。
無給理事長など、とても長くやるものではない。

強硬派理事をずっと押さえて後任理事長に譲ったが、とうとう
持ちこたえられなくなってその案件について臨時の総会開催となった。

推薦した理事長を困らせたくないのだが、強引な方向転換には
釘をさしておかないと気がすまなくて言うべきことは言って
こっそり、携帯で理事長を励ましておいた。

この種の役は、だれもやりたがらない。
やりたい人にはやらせられない。

結局は、走りまわって苦労するのは、いつも自営業の者に限られる。
自分はその中には入らないが、日頃から社会の荒波にもまれている
彼らが一番、頼りになるということもわかった。

自分には、向いていないと思いながら、いざ、やってみると意外とできた。
それはそれとして勉強にもなった。

度胸がつき、決断力、交渉力がついた。
普段、接することのない分野の人と接して、得難い知識や知恵も教えられた。

こういう役は、積み重ねた年齢が役にたつこともある。
シニア世代は、ビジネスの中だけでなく、むしろ、あらたな世界で
自分を生かすこともできる、そこで自分の現役寿命を延ばすこともできる。
元気なうちは、引っ込んでいたら勿体ない。

去年は、理事長に幹事長、会長の三役をやって、胃の痛む緊張の連続
だったが、自分でもやれたし、多くの友情を得た。

まあ、ひとつくらいなら、いつでもやったるで!
いまはそこまで言える自分になっているのが面白い。

ただ、悠々自適の身ではないから、もう、仕事に専念だ。

満員電車は「現役専用車」 

2007-08-07 23:36:41 | 輝いて生きる
先月の初めに、夜型から朝方の生活パターンに切り替えると
宣言をし、具体的な取組計画を書いた。

その決心の通り、いまのところ夜型から自分なりの朝型に移行
しつつある。

そのことによって、まったく予期もしなかった効果が出てきた。

先々月までは、とくに急ぎの仕事がない限り、朝の電車は九時
過ぎに乗っていた。ラッシュを避けたかったからだ。

最近は、七時半から八時頃の電車に乗れるようになった。
ラッシュの少し前だが、混雑していることには違いない。
仕事場には八時につく。

わずか一時間ほどの違いだが、電車内の光景がまったく違う。

とくに、自分が乗るのが女性専用車の隣りの車両のため
車内の大半は男性、いわゆるビジネス戦士だ。

話し声ひとつなく、まるで無声車両、新聞や雑誌をみる者、
資料に目を通している者、目を閉じていざ出陣と黙考している者
パソコンを開いている者、さすがに男性は、携帯はほとんど使って
いない・・・イヤホーンで音楽を聞いている者・・・

さまざまな出勤前のビジネス戦士の姿がみられて面白い。

日経新聞なら、ちょいと見渡せば、どこかの記事は見える。

また、クールビスが意外に浸透している、ネクタイ、スーツ
姿が少なくなっているのには驚いた。

夏でも長袖のワイシャツにネクタイ着用、そして、スーツが姿が
若いころからずっと続けてきた自分のスタイル。

しかし、なんだか、自分自身に違和感を感じたので思い切って
梅雨明けと同時に、半そで上着なしに変えた。
これがいい、スーツよりはるかに涼しいし楽だ。

別におじさんだっておかしくないぞ。

自分の息子のような人たちと背中すり合わせていると
なんだか、昔に戻ったみたいで仲間になった気分だ。

やっぱり、朝の通勤電車は、ビジネス戦士?が仕事場という
戦場へ行く前の気持ちを集中する場なのかもしれない。

とにかく、ラッシュのビジネスマンの中に囲まれている
自分自身に違和感がなくなったきた。

それより、なにか新鮮な気分になる朝の通勤電車。

自分もなにかその気になってくるような
現役なんだと気持ちが高ぶり、緊張する時間になっている。

「現役」と名乗るなら、やっぱり、現役の人の中でいることが
一番だ!

よし、やるぞ!

これまでは、それなりの年齢の人をみると、なにか気の毒なような
違和感があるような・・・自分もそんな風に見られているのだろうか

いつもそう思って、年齢の部分に、なにか、こだわりがあって
ビジネス電車に抵抗感があったが、すっかり払拭された。

というより、”オレだって現役の戦士だ”と誇らしく思うことだ。

あんな歳の人も頑張っていると思われるようになりたい。