昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

御堂筋の銀杏並木散策。

2008-11-30 17:17:29 | ウォーキング
金、土曜の二日間
フルに口を使ったので今日はのんびりと
癒しの時間がほしくて御堂筋を散策したきた。



銀杏並木は黄色く色づいて見ごろ
大勢の人が散策に、撮影に休日の御堂秋を楽しんでいた。






デジカメを始めてから
毎年、秋の銀杏撮影に来ているが
やっぱり見ているだけでは物足らず
ついつい撮影に忙しくて行ったり来たり



カフェテラスでコーヒーを飲んで休憩したり
新しいビルに入って書店をのぞいたり
結局3時間もうろうろしてしまった。





今日で11月も終り、いよいよ12月になる。



8年ぶりの再会!

2008-11-29 21:53:41 | 輝いて生きる
昨日、担当している勉強会にA社長が来てくれた

みっちり1時間、こちらが期待した以上の話を聞かせてくれ
その自信にあふれた話、堂々とした態度に受講者たちは
すっかり魅了されて食い入るように聞き、ノートをとっていた。

Aさんとの付き合いは長いが最後に会ったのが8年前
当時は、後継修行中の身で、もの静かで、控えめで
現場で黙々と働くAさんだったのでその変身ぶりに
驚ろかされてしまった。

7年前に引き継いで今日まで900名に近い組織にまで
育て上げてくるにはどんなにか苦労をしたことだろう
その体験から得たトップに立つ人間のあり方について
熱っぽく語ってくれた。

アルコールが好きで、よく一緒に飲んだものだが
いまは、やむを得ないお付き合い以外は
家庭を含めて飲まないという

自分の健康度は銀行や取引先の評価になるので
細心の注意を払っていると言っていた。

これが勤め人と経営者の決定的な違い
それでも受講生の誘いに応じて二次会まで
つきあってくれて、相談や質問に対して
てきぱきと明確に答えてくれていた。

創業も大変だが
後継も別の大変さがある

どんな会社にしているのか
見たくなったので
訪ねる約束をして別れた。

止める勇気、始める勇気、続ける勇気!

2008-11-28 00:09:07 | 輝いて生きる
テレビで俳優の宇津井健さんを見て驚いた
今年、「喜寿」だという
若い、とにかく、若い・・・
ふさふさしている髪がなんともうらやましい

宇津井さんの明るくてさわやかで品のある雰囲気が
好きだったが、もう、何年も見ていなかったのに
昔のままの若さだったので回想番組かと錯覚したくらい(失礼)

若さの秘訣を問われて   

①50代でたばこをやめた
②60代で酒をやめた
③70代で車をやめた

と話していた。

長く身につけてきた生活習慣を変えることは難しい
まして捨てるとなるとなおさら勇気がいることだ

自分も来年は「古希」

還暦になった時
前から見られて5歳
後ろ姿で10歳若くみられたい
と厚かましくも書き出してHPにも掲載し
いつも気にはしているのだが
あれから8年、どう映っている事やら

あの頃は運動不足の解消のために
ウォーキングを始めたが(2000.10.1)
それも夜の付き合い=アルコールから抜け出したく
ナイトウォーキングにして
夜の交流会を全面的に中止した


古希を前にして身にしみついた贅肉やさびを落として
自分をコントロールしている心のあり方を正さないと
知らず知らずのうちに老いの道を一気に進んでしまう

少しでも若さを保つためには
心身両面から「捨てるもの」は「捨てる勇気」を持って
メリハリのある生活が望まれる

◎「捨てたいこと」

身近なことだが、心身を疲れさせるストレスを捨てたい!
仕事は好きだからプレッシャーはあってもストレスにはならない
最も影響を受けるのは人間関係にあるので
自他共にいい影響が与えあえる関係や環境を大事にして
心身を疲れさせるだけの付き合いは「不義理の実行」で
許してもらうこと。

◎「始めること」「続けること」

日一日と心身の老いは進行を続ける
少しでもその進行を遅らせ、少しでもいまの若さを保つためにも
新しく「始めること」はなにか
これからもずっと「続ける」ことはなにか
しっかりと定め、勇気を味方にしていい日を送ることを
具体的に決めて行こう。

今日は母の初七日。

2008-11-27 19:50:03 | 家族
母の初七日を無事に終えたと
郷里の兄から連絡が入った

納骨をすませてやっと母を父の元へ届けて
兄もほっとしたのだろう

直系親族だけの家族葬で済ませたので
ご近所や関係先へは一切知らせておらず
あいさつ回りで兄も大変だったらしい

もの静かで控え目な母だったが
お世話好きで好かれる人だったから
あいさつまわりして
皆さんから惜しまれて
母が地域の人に愛されていたことを
知ったと兄が言っていた

いま頃、二人で再会を楽しんでいることだろう



ちょっとした心遣いと手順を踏んでおれば・・・

2008-11-26 23:26:47 | ひとりごと
仕事場のあるビルの管理組合の定例総会があった
午後18時に開始、終わったのがなんと22時15分

ちょつとした手違い・・・・手順違いで大混乱
おまけに大事な議案のひとつが反対にあって頓挫

ビルには、地階が店、3階までが医院や会社
4階から小オフィス、10-11階が生活マンション
合計210室の複合ビルで、それぞれの思惑が違って
総会がスムースに行くことが少ないのが恒例

3年前に理事長をしたのだが仕事よりそちらの方に
時間をとられることが多くてきつかった

今日は管理費に直接関係する規約の改正が議案に含まれ
それに賛成、反対、黙っていようと思ったが
黙っておれない性格でついつい強く言ってしまった

もっと事前にしかるべき方法で組合員にきちんと説明するなり
過去の理事長経験者に声をかけて協力を要請しておれば
もっと、なんとかなったのにと惜しくおもった

一生懸命に理事長や理事をやってくれている人たちの
ご苦労はよくわかっているだけに残念だった

正論ということで一気に通そうとする姿勢が反発を生んだ
時間をかけてじっくりと進めれば通るもの
みんな協力をしたいと思っているのだから

お金に関することは納得してもらうまで
じっくりと時間をかけて説明することが大事。


旅立ちの日。

2008-11-25 23:53:36 | 仕事
あれだけしっかりした同期生のリーダー的存在だった
後継者のS君が突然ことばにつまり泣き出した!

晴れの舞台に出席した両親(経営者)へお礼の言葉を
口にした時だ

続いて登場したいつも冷静でクールなK君までもが
後の仲間が話しやすいように流れを変えると宣言したものの
やはり親への感謝に触れると涙で続かなかった

三人目のT君がなんとか歯をくいしばり流れを変えたが
結局、最後のメンバーまで、涙こらえるスピーチに
会場は感動の拍手の嵐。

毎年、この時期に繰り広げられるシーンだが
こちらも泣けてしまう。

8ケ月間の合宿によるハードな後継者塾の卒業前夜
塾生と両親である現役の社長夫妻を招いての懇親会だった。

例え規模の小さな会社であっても彼らの将来にかかる
期待と不安はどれほど大きいことか
経営経験のない自分にその気持ちはわからない。

期間途中に二回、一ケ月ずつ、全国の現場に散らばって実習
をし現実がどんなに大変であるかを彼らはよく知っている
明日の閉校式のあと、ふるさとへ戻ってから本番が始まる
どうか小さな灯でもいいから輝いてほしい。

会社のトップ以下、役員さん総出で明日は閉校式が行われる
そこまできちんと育成してくれる体制と熱意があればこそ
44年も続いてきた塾だが、担当者の苦労を知るだけに
そちらの報われた喜びがいかほどか、ご苦労さま!と
一声かけて失礼した。


以下は、1年前のブログだ
今年も書けばまったく同じになるだろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は、うれしかった一日。
自分もかかわったきた後継者のたまご達が
長い訓練期間を無事に終えて最終の研修日。

最終日のプログラムは
全国から集まってきたそれぞれの両親(現経営者夫婦)と
終日、机を並べて学習をするのが慣例だ。

自分の出番はないが、上席に飾ってもらって?
親離れ子離れ、お互いの巣立ちをする姿を見続けた。

そして、最終日の最終プログラムが
例年通り「てんびんの詩」のビデオ学習だ。

「てんびんの詩」、何度みたことやら・・・
ストーリーや場面は、しっかりと焼き付いているのだが
やっぱり涙がこぼれてくる。
スタッフも異口同音にそう言う。

てんびんの詩、ビジネスマンなら
大抵の人が一度は見ているほど
よく知られたビデオだ。

近江の商家の子供が、商人として巣立ちを始める時の物語。

小学校を卒業したばかりの13歳の近藤大作少年が
卒業祝いとして父親からもらった物が
風呂敷に包まれた「鍋蓋」
その「鍋蓋」を明日から売って来いというところから始まる。

売れなければ近藤家の商売は継がせないという
いま風でいう後継者教育だ。

たかが「鍋蓋」も簡単には売れない
苦労に苦労を重ねて3か月が過ぎてやっと売れた!

「売り手」と「買い手」の心が一つにならないと物は売れない
という商人道を自ら体得することで商人としての第一歩が始まった。

これはまた、可愛い子の苦労を親が一切手助けすることなく
突き離し続ける親の自立を促す親業でもある。

90分、会場は、静まり返っていたが
後の懇親会ではこの話でもちきりだった。

その懇親会、N○急ホテルで催された。
こういう席が大の苦手
目立つ席に陣取らされて?
マナーもしらない者には、おめでたい席なのに窮屈さがたまらない。

でも、お世辞にでも、親子して、お礼の言葉を言われるとやっぱりうれしい。
今度会うときは、どんなに成長した姿を見せてくれるやら
やっぱりうれしい一日だった。

車で自宅まで送られたので
事務所へは寄らずブログも書けなかった。

今日は、父兄も同伴で彼らの卒業式。
トップから卒業証をもらいいま頃は
ふるさとへ帰る道中だろう。

ここもメーカーと販売店との気持ちが一つになって
とてもいい研修をしている企業として知られている。

もう言い訳はできない。

2008-11-24 20:27:01 | 家族
母を亡くして四日がたった
思い出すと胸がつまり涙が止まらない

振り返れば母への思いはつきなくて
ただ、ただ、至らなかった自分を恥じるばかり
これが母親との別れというものなのだろうか。

もう母の姿はどこにもないが
きっと自分の心の中にひっそりと
住みついて見つめてくれているのだろう。

母に恥じることのない人生を生きていくことが
一番の供養になるだろうと思う。

もう、家族のこと、自分のことだけを考えて
自分の好きなように生きて行きなさい
と言っているはずだ。

なにかあれば母のことが気になって・・・と
いい訳ばかりしてきたような気がするが
もうそれは通用しない。

自分の構造改革に本気になって取り組んで
残された時間を大事に使って行く覚悟だ。

覚悟したら具体的にやることだ
昨日の続きを繰り返すだけで時を過ごし
成長のないごまかしの日々に安住していたら
それまでの人間で終わるぞ!

金本選手の覚悟のすすめ、その通り。

廃線跡に紅葉を訪ねて。

2008-11-23 22:04:55 | ウォーキング
主宰しているウォーキング倶楽部の11月例会は紅葉を求めて
元JR福知山線の廃線跡をメンバーと歩いた。

前夜、母親の葬儀を終えあわただしく帰阪してきた疲れからか
朝の血圧が176-107と高かった!
起きにくい身体に気合を入れ集合場所の福知山線生瀬駅へ。


今日は母を背負って武庫川渓谷に映える紅葉を見せてあげたい!
そんな格別の思いもあった。

昭和61年にJR福知山線の新ルートが開通して廃線になった
旧福知山線の跡は武庫川渓谷を縫うようにして続く線路の跡を
トンネルをくぐりながら歩くハイキング&ウォーキングコース
として関西ではすっかり定着している。

今回初担当のHさんが下見をして往復16キロの資料付き例会
コースをつくってくれた。

駅前でコースの説明の後、ストレッチを入念にしてスタート!

木ノ元地蔵尊霊場前を通過。


晴れ上がった絶好のウォーキング日和、紅葉のすすむ武庫川
渓谷に沿って廃線跡が続く。


大勢のハイカー&ウォーカーが列
をなして歩いている。
やっぱりここは人気コースだ。


右は武庫川渓谷、左は山、渓谷にそって線路後の枕木を踏み
歩いていくのも楽しい。
子供のころ、本物の鉄道の枕木歩きをよくしたものだ。


廃線跡には六つトンネルがあり懐中電灯で足元を照らしながら
すすむのはスリル満点で楽しい。
トンネル内はひんやりとした涼しい風が気持ちよく通り抜ける。

最初のトンネルが北山第一トンネル、用意した懐中電灯を灯す
が、しばらくは目が慣れなくて足元が心もとない。


次が一番長い413mの北山第二トンネルはさすがに暗い。
振り向くと続いてくる人の灯りが蛍の火のように見えた。


続いて横溝屋トンネル、ここは団体さんで混んでいた。


トンネル内、こうして大勢の人が歩いているが足元は悪い。


トンネルを出て振り返ると・・昔のトンネルはレンガ造り。


トンネルを出るとすぐ渓谷に武庫川第二橋梁がかかっている
流れの早い下をのぞくと足がすくむかもしれないがそれほど
長い橋ではないので高所恐怖症の人でも大丈夫だ!


一列になって、足をふみはずすな!


橋を渡ると今度は渓谷の右側を歩く
長尾第一トンネルを通過して風景が変わってきた。
線路跡がなくなり目の前に紅葉が広がってきた。

渓谷にそって、早いもみじはすっかり色づいて見ごろだ
その下を通るメンバーの顔も紅葉して楽しそうに歩いていた。


紅葉の下で倶楽部のしきたり、シートに丸くなって座って
楽しい弁当の時間、Bさんが作ってくれた即席コーヒーを
飲みながら、しばし周囲の紅葉をみてくつろいだ。






長尾第二トンネル、第三トンネルを通過すると
視界が広がって武田尾の民家が見えてきた。


武田尾温泉までさらに緩やかな道を上り続ける。
このあたりはボタン鍋で知られた武田尾の温泉郷。


武田尾温泉に着いたが、ここでゴールではない。
ここはコース中間の折り返し地点でまだコースの半分。

たけだお橋で記念撮影。


一息ついたら、ここから後半のウォークが始まる。
来た道をスタートの生瀬駅まで引き返していくのだ。


前半が緩い上りの廃線跡、帰りはゆるやかな下りの廃線跡を
のんびり、ゆっくり歩いてスタートのJR駅に無事帰着した。


先頭とアンカーをしっかり守ってくれるメンバーがいるので
自分は初心者の前を、いい歩きの見本になるように歩いたが
どうだったか。

道中では、メンバーの内科医にインフルエンザ対策について
アドバイスをしてもらうなど、和気あいあい、とても素敵な秋
の一日を過ごすことができた。

往復約16キロのコースを、初月例会担当のHさんが立派に
リードをしてくれて全員が楽しく完歩することができた。

母を送って。

2008-11-22 23:42:54 | 家族
昨日、通夜、終えて葬祭会館で母と三人の兄弟で一夜を過ごした。

母の思い出を話すとつきない、兄弟で共有できる思い出もあれば
お互いに自分だけの思い出がある

生きてきた道にいつも母がかわっていたことを改めて驚く

今日は秋空に恵まれ、紅葉のすすむ郊外の葬儀場で母を見送った
いま頃は、父のもとに行っただろうか・・・
再会を楽しんでくれているだろうか

 10万人の人がおれば
 10万人の母がいる

 しかし

 わが母に勝る母はなし

こう書いて10数年も前の母の日に送ったハガキを
母は最後まで手元に置いてくれていた

亡くしてますます思うこの気持ち

ありがとう、おふくろさん!

自分の書斎を持とう!わが後継者仲間たち。

2008-11-19 22:16:11 | 本・読書・音楽
11月11日のブログで掲示板読書倶楽部の紹介をした

その掲示板が連日、にぎわっている
ということは、本が好きなメンバーが多いということか

たとえば昨日、こんな書き込みがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご紹介しまーす。
 先月読み終わったのが、副島隆彦さん関係の本です。
①『次の超大国は中国だとロック・フェラーが決めた』徳間書店上下
②『最高支配層だけが知っている日本の真実』成甲書房
 全て、ニュースや新聞や勉強で得たことを否定し本筋から
 少し外れている図書関係です。ここ1年は、船井さん関係
 から始まり、そういう本を網羅しています。
 また、歴史本ならこの本!!というお勧め図書です。
①楊家将(上下)
②血涙(上下)
③水滸伝(20巻)
④楊令伝(10巻)7巻までしか発刊されてません。
 全て、つながりがあり&北方謙三です。
これらは、男としてこうありたい、欲、人間性、ビジネス性、
本質を書いています。少し今までの北方さんとは違うかな。
これを読む前に、吉川栄治さんや、国定忠治さんの水滸伝を
読むと一層わかりやすいです(比較対象として)。
というように、私も皆さんと同じく本大好きですので、紹介本
読んでみます。

★(私は、家を建てたとき本棚付きの読書部屋を作りました。
エロ本も10分の1くらいありますが。こういう空間があれば
集中して読めます。もし家作るときはお勧めです。)以下略。

・・・・・・・・これに対して

私も、家を建てて男の書斎を作りましたよ!
(あまり利用していませんが... エロ本は本棚には置けません)
壁一面の本棚を去年設置ましたが、まだがらがらです。

どんどん増えていくのが楽しみです。以下略。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

経営後継者だから、経営書がまず出てくるものかと思って
いたらこういう調子で、他の書き込みもしかり、驚いている。

ただ、ここに紹介したのは、本の中身ではなく
「男の書斎」とか「読書部屋」を作ったという話。
子供に部屋を占領されて自分の居場所がない、だから読書も
できないとよく聞く。
それは単なる言い訳だと思うが、自分の知っている読書家は、
例え小さなスペースでも男の隠れ家・それが本棚一つでも持
っている。

これから書きこむメンバーもどんどん増えていくはずだから、
この掲示板から目が離せない。

けしかけた人間として、けしかけただけではいけないので自
分も参戦しないと!

東海道五十三次ウォーキング⑲(藤枝宿-丸子宿)

2008-11-17 23:16:33 | 東海道五十三次
14日、15日の二日間、東海道五十三次ウォークシリーズ
(静岡県島田市金谷宿から静岡市丸子宿まで)

11月15日(土) 
藤枝宿(静岡県藤枝市)→「岡部宿」(岡部町)→丸子宿(静岡市)

二日目、6時起床、7時からホテルで朝食。


コースの逆の位置にあるJR藤枝駅へ行ってみた、新しい駅だ。


駅前からきれいに伸びているれんが道商店街をまっすぐに
今日のスタート青木交差点へ向かう。
曇り空、7時55分、スタート。


今日のコースは、ここ藤枝から岡部、丸子まで歩いてゴール
は丸子一里塚に17時。そこから最寄りのJR安倍川駅まで
歩き、東海道線で静岡へ、18時くらいの新幹線で帰阪した
いと思っている。
ただし、丸子宿の丁子屋でとろろ汁を食べたいので多少は遅
くなるかもしれない。

人通りのない街道を気持ちよく歩く、瀬戸川にかかる勝草橋
の手前にきれいに整備された志太一里塚と秋葉常夜灯があ
る。日本橋から50番目の一里塚。


橋を渡って藤枝商店街こだわり街道というきれいな道をすすむ
街灯にかけられた一店逸品ののぼりが統一されていて、これ
が延々と続いていく。

ここらに宿場の西の入口、西木戸門跡があったらしいが、道路
反対側の通りであとから気がついた・・・・朝からドジっ!

少しすすみ左に入ると正定寺、ここには傘の形をした本願の松
という有名な松があるということで寄ってみた。確かに横に這
うように広がった枝ぶりはお見事。


それから右にゆるやかにカープしながらこだわり商店街が続
いていく。各店には、旧街道を意識した木製の表示板がかけ
られている。
問屋場、本陣、高札場がこのあたりにあったらしく上伝馬に
は藤枝宿の道標が立っているのでこのあたりが宿場の中心
だったのだろう。


通りの右をはいったところに大きな松が見えるので行ってみた
大慶寺というお寺で久遠のマツという高さ25メートル、周囲7
メートル、日蓮聖人お手植えの松だそうだ。


旧東海道、いまは商店街こだわり街道をどんどんすすむ
この通りには、お寺が多い。神明神社、洞雲寺、蓮生寺、長楽
寺、できるだけ寄って母の祈願を続けせていただく。

藤枝には、かって田中城という城があり、東西の交通の要衝で
あったため江戸時代は駿府城の西の守り城だったとか・・

その城跡を訪ねてみたくなり、地図では街道からかなり離れ
ているが、行きたいという気持ちを大事に、予定外のコース
をすすむ途中に堀跡の印はたくさんあったが、城跡の碑はい
くら探しても見つからなかった。学校の門の横に本丸跡の碑
が立っていたのでもしかしたら学校内にあるのかも・・・


これは失敗だった、結局、探しても城跡の碑が発見できずに
往復で50分、予定外の時間をとってしまった、これが後々
にひびくことになる。

何事にも興味を持つのはいいことだが、知らない土地では、時
間に余裕をもって先に進まないとだめだ、わかっているのだが。

いつの間にか空があやしくなってきた、いつ、降ってきてもお
かしくない。前回の袋井で雨に遭って困ったことが思い出され
て気になる。

とうとう降ってきた・・・
急ぎ足に切り替えて成田山新護寺、天理教の前を通りしばら
く歩いて向い側の道にあるはずの藤枝宿東木戸口を素通りし
てきたことに気が付き引返すが見当たらない・・・もう少し
戻って探したかったが、雨が気になって諦めて先を急ぐ。

このあたりが藤枝宿の東入口であったということ、ずっと歩
いてきた街道は、ほぼ、昔の通りのままだそうだ。

さらにすすむと道路拡張工事で街道は迂回させられおまけに
大きな開発がおこなわれて地図と現地が一変していてわから
ない。

思案していると、なんと、すぐ近くで交通事故が発生、車の
前部がペチャンコになっている・・・
危ないぞ、危ないぞ、歩いていていつも一番怖いのが車、先
を急ぐ。

いつの間にか小雨になっていた
それに昨日痛みがあった左足の甲の痛みがきつくなってきた
これから向かうのは、市外の岡部宿、峠越えして丸子宿、困
ったなあ・・・

傘のことは後にして、足の状態を見ておきたくて、葉梨川の
八幡橋のふもとのお地蔵さんの前に座り込んで歩行休止。
痛みのある左の靴と靴下を脱いで、貼っていたテープをとっ
てみると甲の部分が赤くはれている。
やっぱり、靴が小さいんだ。

マイカー(手押し車)で通りがかった老婆が”どうしました?”
と声をかけてきた。
”豆ができたので休んでいるところです、大丈夫ですよ”と笑
顔で答えた。
自分の足だけでは歩けない老婆に心配かけさせてどうする!
でも、うれしい、なんだか母のように思えた・・・・。


朝、出かけ前に甲に貼っていたテープが効いていないのでもう
一枚はって甲と直接接しないようにしてみた。

これでしばらく歩いて行くがやっぱり駄目。
小さな休憩所で、左足の厚手の五本指の靴下を脱ぎ、薄手の
靴下に変えてみた。どう?左右違いの靴下、もしかして、これ
流行するかも・・・


横内という地区に入っても小雨が続く、コンビニも店もないの
で傘はない。ここでも一里塚探しに行ったり戻ったり。時間は
大幅に遅れてしまった。

この地方は柿の生産が多いのか、道端の無店舗販売がたく
さんあってうっかり買ってしまった。
大好きな柿三個入り、100円、背中がずっしり重くなった。
足が痛いというのに懲りない。


この地区の家々には、昔の屋号が大きな木板に書かれている
その名前を見ながら、何屋かなと連想しながら歩く・・・足の痛
みからなんとしても気をそらさないと。↓?


岡部の松並木が見えてきた、岡部宿だ。


先週、ここの観光協会に電話で尋ねた時、応対してくれた
人が、ぜひ、寄ってくださいと言ってくれたのでドアに手が
かかったが、時間のことを思うとじっと我慢。
その代わり電話で聞いた「五智如来」には会っておいた。
この五智如来に関する伝説があるのだがここでは割愛する。


岡部の町は、とても奇麗な街で商店会のがんばれ岡部町、
輝け岡部町というおおきな上りが街道にずっとかけられて
元気を感ずる岡部町と感じた。来年は藤枝市と合併するら
しい。がんばれ岡部!

1号線から一筋入った道をすすむと小野小町の姿身の橋と
いう小さな橋が?
なんでも小野小町が東へ行く途中、この岡部宿に泊まり、
この橋の上から夕陽を眺めふと水面に映る長旅で疲れ果て
昔の面影を失った自分の老いの身を見て嘆き悲しんだとい
う伝えがある橋。

岡部公園についたのがちょうど13時、昼食をしていない
が、カバンの重量を少しでも軽くするために朝仕入れた好
物のドーナツと大きな柿一個を食べて昼ごはんの代わりに
することにした。あとは、丁子屋のとろろ汁までがまん◎。

左足の痛みがひかないので、インソールを左だけとって歩
いてみるとこれならなんとかなる、ただし、右が高くて左
足が低い、微妙に差だがバランスが悪い。
しかし、このまま峠越えをして最後までなんとか歩くこと
はできた。

誤解があってはいけないので・・靴に問題があったのでは
なく、靴のサイズが合っていなかったということ。
これまで50キロは履き慣らしてきたが、多少、小さいか
なあと感じていたのでそれがはっきりしたということだ。

すぐ近くの旅籠屋柏屋へ寄った。ここは、岡部宿を代表する
旅籠で、現在の建物は、天保7年に建てられたもの。いまは
建物そのものが資料館として当時の生活ぶりが一目でわか
るようになっている。
平成10年に国の登録有形文化財に認定されている。


奥に店があって食事もできるので、ドーナツと柿を食べたばかり
なのに、うっかり?おでんの匂いにつられて注文してしまった。
350円で6個、みそ味風でやや辛味だったがおいしかった。

お店のおばさんが話かけてきて、これから行く先の地図を持っ
てきて丁寧にボールペンでチェックポイントを記してくれて大助
かり、途中から応援?のおばさんも入ってきてあれこれとアドバ
イスしてもらって・・・頭、こんらん。30分も過ぎてしまった。


まあ、こういう出会いが楽しい思い出、急いでただ歩くだけでは
つまらないと思う。おばちゃん、仕事の手をとってすみませんで
した。おでん、おいしかったよ。
それにしてもかなり遅れてしまったので急がないと。

しばらく1号線にそってすすみ、いよいよ間の宿、宇津ノ谷へ向
かう道へ。ここで道を間違えて最初の急な坂道を登り茶畑に出て
しまう、さすがに足も痛いのでかりかりきた。

宇津ノ谷までの誰もいない峠道は、雨空のせいもあって暗くて慣
れていないとさびしい道だが、熊野古道でこういう道にはなれて
いるので平気。


吉野修行の道で教えてもらった

 さんげ さんげ ろつこんしょうじょう

と繰り返して上リ下りしながら落ち葉の道をすすむ。


やがて、眼下に目的地の古い宇津ノ谷の集落が見えてきた


そこは、昔の宿場の雰囲気が残るちいさな街道、坂道の両
側に並んでいる家々には屋号がついている。
なんだかほっとするような、静かさの中で、リュックにつけ
た鈴の音が妙に大きく響いていた。

下りの真ん中当たりに御羽織屋が見えてきた、ここはもと茶屋
だったらしくて天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原攻略
のときに寄り、陣羽織を与えたという紙子の羽織が所蔵されて
いるそうだ。

 

それからは1号線につかず離れずで一路丸子宿をめざして
すすむ。次の目的地は、丁子屋、ここの名物とろろ汁を食べ
るのが楽しみ。

16時を過ぎ1号線もすでに明かりがついて夕暮れになった。


宇津ノ谷を出てから約1時間、やっと丸子宿についた。
16時32分になっていた。


丁子屋についたのが16時35分、あたりは薄暗くなっていて
丁子屋にも灯りがついてとても雰囲気のいい藁ぶきの店だ。


食事をすれば17時を過ぎるので今日はここをゴールにした。

食べたメニュー「つたの細道」
おひつに麦御飯が入っていて、麦御飯にとろろをぶっかけて
つるつると音をたててお茶漬けのようにして食べる。
おひついっぱい、全部食べた。大きな茶碗三杯で不思議とい
くらでも食べられた。
評判通り、おいしかった。本日16時42分撮影の最新のもの。


満腹、勘定場の女性に
”おいしかったです、これで満足して大阪へ帰れます"と
口に出た。

”それじゃバスの時間をお調べします”

”いえいえ、安倍川まで歩いて行きます”

というと

”そちらに東海道の資料がありますからどうぞ”

と言った・・・

広重の本があったので買って出ようとすると
先ほどの女性が、雨が降っているので100
キンの傘ですが持って行って下さいという

資料をみてくれと言ったのは、その間に傘を捜しに
行っていたのだ

そしてご主人が地図を持ってきて安倍川までの
道を丁寧に教えてくれた

なにしろ外は真っ暗・・・外では地図はみられな
いのだ、たいした雨ではなかったので傘は固辞して
失礼した。

さすがに丁子屋、おいしいのはとろろ汁だけではない
こんなにこころゆくおもてなし心がおいしさの素に
なっているのだとほのぼのとした気持で暗い夜道を
小雨にぬれながら迷いもせずに安倍川駅へ着いた。
17時58分。
一駅先の静岡駅への電車が18時3分。
新幹線静岡発岡山行きのひかりが18時12分。

こんなにうまく接続するとは・・・20時には新大阪へ

新幹線で飲んだ缶ビールがおいしかったこと!

今回の二日間も楽しい、うれしい出会いの連続、東海道
五十三次ひとりウォークは思い出をどんどん積んで行く。

丸子本陣跡


JR安倍川駅



東海道五十三次ウォーキング⑱(金谷宿-藤枝宿)

2008-11-16 19:21:29 | 東海道五十三次
14日、15日の二日間、東海道五十三次ウォークシリーズ
の静岡県島田市金谷宿から静岡市丸子宿まで歩いてきた。

いずれはこのブログで、詳細はHPで紹介するとして
二日間の簡単な歩程について紹介しておきたい。

11月14日(金) 
「金谷宿」(静岡県島田市)→「島田宿」→藤枝宿(藤枝市)

朝6時28分の新大阪発の新幹線で浜松へ

新幹線内で簡単な朝食。

今日のコースの下調べ、お勉強中。

日の出前の京都・東寺の五重塔が見える。

浜松で新幹線から東海道線に乗り換え金谷駅9時1分に下車。


そろそろ富士山が見えるはずだとわくわくしながら駅の観光
案内所を訪ねたら
”よく見えていますよ”と駅の外へ案内された。

わー、見えてる!

これが思わず口に出た感動の第一声。
まわりにいた人がこちらを見るくらい大きな言葉だった。

いつもこんなに奇麗に見えるわけではないそうだ、天気予報
で土曜日から崩れるということだったので晴れ予報の金曜日
に無理して来たのが正解。

スタートして金谷宿をしばらくすすみ金谷本陣跡前へ。


しばらくすすみ大井川鉄道の新金谷駅に寄ってみたら
観光バスの団体で大変な人、人、人。人気観光コースらしい。


SLをまじかにみているとホームに見覚えのある電車が入って
きた、昔利用していた南海電車が現役として働いているでは
ないか!昔のままの車体の色で・・・・。なつかしい。 


さらにすすむと待望の大井川の堤防に行き着いた


 箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川

と言われた難所の大井川だ

さすがに大きい、それに、はるか正面に
富士山がくっきりと見える最高の景色


  感動、感動、感動。

大井川にかかる大井川橋の歩道を渡って行く
冨士山に近づいていくようでわくわくする・・・

先に渡ってきた天竜川に比べると水量が少なく周辺が山に囲
まれているせいか、天竜川ほど大きくは感じないがそれでも
大きな川であることには違いない 
途中で運よく、地元の方に遭遇し写真を撮ってもらった。


1300メートルの橋を渡り切ると島田宿
そこには大井川・川越遺跡が当時にタイムスリップするよう
に復元されていた、ここは国指定の史跡になっている。


渡船が中心のように思った天竜川に対して大井川は
川を渡る川越制度があり、川札を川会所で買って
人力で肩ぐるましてもらうか、輦台というみこしのような
乗り物に乗ってかついでもらうか、どちらかで渡っていたそうだ。



橋を渡って遺跡へすすむ道で地元のご婦人に道を確かめたら
資料館までの300メートルくらいを案内してくれた
どこに行っても地元の人は親切にしてくれてうれしい。

渡ってきた大井川大橋、島田市博物館前の堤防から。


島田市はJR駅前が開発中で、そこにあるという碑が見つか
らない、資料では交番の隣となっているがその交番がない
交番がどこかへ持ち去られたのか・・・まさか?

市内のど真ん中、資料に掲載されている史跡碑があるという
二つのスーパーもなくなっていて碑もわからない
まるで宝探しでもするように史跡探して四苦八苦しながらす
すむのも現代の東海道歩き、これも、また楽しい。
再開発にかける地方の商業ビジネス生存競争の厳しさをここ
でもみた。

島田宿本陣跡。


旧東海道からは外れるが、島田で楽しみにしていたのが蓬
莱橋を訪ねること。木橋としてギネスブックに認定されて
いる世界一長い木造りの歩道橋を渡りたくて足を延ばした。

全長897.4メートルの木橋が大井川にまっすぐに伸びる
ようにかかっている様子は世界一の名にふさわしい、映画
や大河ドラマの撮影によく使われるそうだが想像していた
よりさらにスケールの大きな橋で驚いた。


一歩一歩、ゆっくりとすすむ
穏やかな小春日和が色づき始めている周辺の景色をさらに
やさしく包み込んで渡る人に降り注いでいる

橋の上から眺める富士山はたとえようのないくらい美しい姿で
そこを離れるのがもったいないくらいだった。

二度とこの地にはこない
二度とこの橋は渡らない
二度とこの景色は見られない

しっかりと瞼に収めるように見ておいた。


自分の東海道五十三次は、日本橋までこれ限り
また訪れるという気持はまったくないので名残り惜しい。

富士山を見ることのない西からきた者には
あこがれの冨士山が、こんなにもやさしく迎えてくれて
ここに立てる幸せを感じた。ありがとう。


橋の真中で地元のご婦人二人と楽しい出会いもあった。

遅い昼食に橋のたもとのそばやさんに入って
そば定食を注文して出てきたそばを見て驚いた

醤油の中にそばが入っている!
からい!

うす味、薄い汁の関西から来た者には驚きだ。

冷たいそばを追加したらまた醤油の中に入って出てきた
汁は吸わないように・・・
でも、そばはおいしかったしそれに安かった。

島田市は、金谷の石畳、大井川、国指定の川越遺跡、蓬莱橋
それに人気のSL大井川鉄道と旧東海道にまつわる歴史的財産
をたくさん持っていて魅力のある町だった、通してくれてありがとう。

島田から次の藤枝宿をめざしてすすむ
この間の旧道は、みるべきものがあまりなく
単調な道をすすむだけ、いつのまにか曇り空になって
冨士山はどこかへ行ってしまった。


○○保存会と掘られた碑も多く見かけたが
一つ一つの道標、説明板がていねいに作られていて
藤枝市の史跡に対する姿勢をすばらしいと感じた。

予定のゴール地点・藤枝市青木交差点に、ほぼ予定通りの
4時過ぎに着いた。

明日のこともあるので、そこで切り上げてホテルに入り
食事も外食しないでラウンジ風の雰囲気のいいホテルの
レストランでとった。

静岡限定という抹茶入りの焼酎は香りに品があっておいしく
ひとりで十分にくつろぐことができた。

 約 36,000歩。いい一日だった。



午後から、左足の甲部分に痛みが出てきてちょっと気になる
東海道五十三次には、今日デビューしたばかりのシューズの
左が少し窮屈なのだろう、峠越えがある明日の対策を考えな
いといけない。

翌日のブログは後日にしたい。







「高齢者」になって。

2008-11-13 19:33:02 | 健康
家内から言われていたので
高齢者インフルエンザの予防接種を受けた
対象者は満65歳以上
1000円

「高齢者」は気に食わないが
ここは健康第一、しかも1000円で
この冬の風邪対策が万全なのなら
こんなにありがたいことはない・・・
甘いかな?

それにしても「高齢者」はひっかかるなあ
電車に「女性専用車」があるなら
「高齢車」か「高齢者席」なんてどうだろう
甘いかな?

とうとう、今日は「高齢者」仲間になった記念日
それなら遠慮しないで高齢を活用しないと。


先月末から血圧の数値が高くなってきた
冬用の数値?になってきたのだろう

予定通りと言うのか
毎年、寒くなると同じ事の繰り返しで
また、冬用に薬を増やされた

好きなウォーキングのことも気になるが
無理のない範囲なら結構と
これもいつも言われていることで
ほっとしていいのやら
してはいけないのやら・・

「高齢者」を生きるのは、難しいぞ。

掲示板読書倶楽部。

2008-11-11 23:01:05 | 交流
インターネットを使った「掲示板・読書倶楽部」が
発足した。

某業界の後継経営者の勉強会のお世話をして四期目に
なるが、その卒業生による読書を通しての学習型交流だ。

勉強会では、毎回、こちらから指定図書、推薦図書を
提示して半強制的に読んでもらうことから、読書の習慣
づくりを進めている。

それを推進して読書の習慣のない者が、次々と読書好きに
なっていくのを知って驚いている。

もちろん仕掛けはあるのだが、それにしても意外な効果。

自分が買って読んだ本を何冊も持参したり、A4サイズに
エキスをまとめてコピーをメンバーに配布する者がいたり
して、こちらが彼らの本に興味をもつ立場になったりする。

これを普段会えないメンバー同士で、掲示板を使って
読書倶楽部にすることを提案したら簡単に賛成があり
「掲示板による読書倶楽部-読書会」がオープンした
すでに書き込みが続々と集まっている。

お互いが読んだ本の紹介や感想が当面の形だろうが
そのうち新しい何かが生まれてくるような予感がして
楽しみにしている。

こちらも推薦本の依頼を受けるので、うっかりしていると
読書に追いまくられるかもしれない。

一番つらい立場にあるのが自分かもしれないと思ったり
するが、それを言うと、作戦当たり!と返されそうだ。

第一線で頑張っている若手後継経営者の読む本の多くは
自分なら買わない、読まない本が多い。

それらの本と出会えることは、自分自身の刺激にもなるし
世界も広がる、一番プラスになっているのは自分かもしれない。