昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

青春18きっぷで舞鶴へ

2008-08-31 23:12:11 | ウォーキング
8月最後の日、あきもせず、青春18きっぷを使って京都・舞鶴
に行ってきた。

JR新大阪駅から京都駅経由、嵯峨野線、山陰線、舞鶴線を
3度乗り換え3時間21分の小さな旅の目的地東舞鶴駅に降り
たのは11時36分。
20年ぶりか、駅も駅前もすっかり変わっていて町がとても清
潔、きれい。駅で水兵帽の自衛隊員か、何人かにあった、やっ
ぱりここは舞鶴!

8月4日、下関で唐人桟橋へ向かっていた時、公園の一角で
興安丸の碇をみて舞鶴の引き上げ会館へ久しぶりに行きたく
なったのが今回の舞鶴行きのきっかけ。

舞鶴と言えば、戦後の外地からの引き上げ船、岸壁の母の舞
台になったところ・・・
古い人はなつかしく思い出すだろう、自分にもその思いが強い
昭和の終わりころ、引き上げ記念館とあの桟橋に行ったことが
あった。

駅の観光案内所でもらったパンフレットで市内から遠く離れて
いる引き上げ会館は便数の少ないバスで往復すると帰りの電
車の16時40分になってしまうので今回はあきらめて煉瓦倉庫
群と海岸、波止場めぐりをすることにした。

駅から海岸へ延びる大通りをすすむと交差する東西の横道の
それぞれに日露戦争前の連合艦隊の艦船名が製造順につけ
られていて舞鶴らしい。
東西の通り→富士・大門・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠(東郷
平八郎の旗艦)
南北の通り→吾妻・出雲・浪速


呉と発祥あらそいをしている肉じゃがでも食べようと店を探
したがそんなものはなさそうでささやかな日替わり定食を昼
食にして、海岸線をぶらぶらウォークをしながら赤煉瓦博物
館へ、ここから赤煉瓦倉庫群が始まる。


舞鶴の赤煉瓦倉庫群は、赤煉瓦倉庫群重要文化財の指定と
なりその一部が、「まいづる智恵蔵」として文化活動や展示室
や交流室などで多角的に使われており大勢の人が訪れていた。

赤煉瓦倉庫は明治35年、旧海軍の兵器廠倉庫(砲銃庫)と
して建設され岸壁まで鉄道がつけられ艦船まで運ばれてい
たという。
煉瓦の色つやもいいし、建物そのものもきれいに保存され
ており日本の煉瓦建造物の中でも貴重な近代化遺産建造物
だそうだ。


見学はほどほどにして、駅の案内所の人がぽつりと漏らした
言葉が気になって先を急ぐ。

"海岸から向こう岸に建造中の「南極観測船しらせ」がみえま
すよ運がよければ、自衛隊の艦船も見えます、175は・・・
177は・・・"

しらせが見えるところまで行こうと歩いていると
なんと海上自衛隊の艦船の姿が目の前に見えてきた!ドキっ!

入口の隊員に聞くと
今日は、艦船の見学ができるという ラッキー!!
言われた通り、門を入り受付で必要事項を書いて見学証を
つけてタラップを上がり護衛艦すずなみへ、敬礼、かっこいい!


わーでかい!
おっ、ほんものの大砲もあるぞ!
(偽物やおもちゃつけててどうする)


ミサイル打てるのかな?
敵のミサイル打ち落とせるのやろうか?
あっ、レーダーや!
魚雷も発射できるのかな?
大砲、撃たせてくれないかなあ・・・
(危ないおっさんや!)

隊員たちもかっこええなあ。。。
(ほんまにうるさいおっさんや、黙れ!)

大きくなったら海上自衛隊入りたいなあ・・・
(おいおい、おっさん、いま、いくつ?)

ここは、完璧に幼稚園児レベル。

ちょっと兄ちゃん!・・・と言いそうになって、もとえ

隊員さん、すみません、この船、何トンですか?

(もっと、ましな質問をせんか? ほんとに恥ずかしい)

随所に隊員がいて質問に答えてくれる。

観光案内所で聞いたNO-175と177は、舞鶴を母港として配
備されている二隻のイージス艦のことだった。

舞鶴の海上自衛隊の任務は、北は秋田県から南は島根県まで
の日本海側を警備担当しているそうだ。
北からの緊張が続くいま、その前面にある舞鶴の位置づけは
重大であることはよくわかる。
イージス艦二隻は、とくに北のミサイル対策上で日本海の守
りの飛車角みたいなものなのだろう。

見学できた護衛艦も、もちろんミサイル攻撃はできるし、敵の
ミサイルを撃ち落とす性能の高い対空ミサイル発射装置を備え
ている

対空、対水上捜索レーダーも装備している
護衛艦でこの装備だからイージス艦の装備力は極めて優れて
いるのだろう
護衛艦すずなみの甲板上のものは全部オープンにして見せて
くれてた。


それだけのすぐれた性能の艦船一隻にかかる費用、イージス
艦一隻を配備するには厳しい国家予算の中で防衛費がいくら
あっても足らないことを実感した。

イージス艦175と177の二隻は、向かい側正面の波止場と護衛
艦のすぐそばに停泊していたが、もちろん、外からだけで、
中を見ることはできなかった。
そばで見たイージス艦177は「あたご」、記憶にある半年前に
千葉県沖で漁船と衝突事件を起こした艦だ。ぼけてしまった。



隊員さん達と話していると、なんだか頼もしくなって、すっかり
話がはずんだ・・・・
今日は引き上げ館よりこっちに来たのが正解!

国を守る使命感に燃えたこの人達によって平和が守られてい
るということそのことへの感謝と平和ボケであってはならない
という自分への戒めを強く思った。

写真はたくさん撮ったのだが、デジカメの操作ミスか、ボケた
写真が多くてがっかり、残念。


また、艦隊の停泊している対岸で南極観測船しらせのオレン
ジ色の大きな船体が外観では完成しているようにきれいに見
ることができたのもラッキーだった。
次の観測隊で二代目しらせとしてデビューするのかもしれない。


ここで折り返し、もう一度、煉瓦倉庫群に戻ってていねいに
見学をしてそこから舞鶴駅までウォーキング、16時40分
発のJRで朝の来たコースをそのまま逆戻り、8月最後の日曜
日はのんびり青春18の旅で終えた。

終わり

ありがたい、また、出番がきた!

2008-08-29 16:09:45 | 輝いて生きる
開講が危ぶまれていたある業界の後継者講座が
事務局から正式に決定と連絡が入った。

今期で11期、7期から担当しているので
ここで途切れさせるわけにはいかないのだが
時勢の通り、どこの業界も後継者難
しかも、これまでにすでにめぼしい対象者が
受講しているために候補者も少ない。

マイナス要素は多いけれども
それを言い出すと担当者の資格はない
参加してくる一人一人が
いかに業界への魅力と希望をもたせ
そこで生きる使命とビジョンが持てるように
サポートしていくことが自分の力だ。

また、半年間、若い人たちとの学び合いが始まる

さあ、来い!
さあ、行くぞ!



生きている限り現役で・・・。

2008-08-28 22:21:37 | 輝いて生きる
数か月ぶりに友人からメールがきた
数日前にこちらからメールしたのだが
返信がなかったので気になっていた
ひよっとして・・・。

メールを読んでそれは危惧だった
このところ身体の状況が比較的良くて
前日は知り合いのコンサルタントに要望され
1時間ほど講演をしてきたという。

あーよかった
ほっとした!

彼とは学生時代からの無二の親友
お互いに立場は違ったが仕事でも助け合ってきた

4年前にメーカーの役員を最後に引退
現役時代から引退後の夢とその構想を語っていた
やっと時間を得た途端に病に倒れ入退院の繰り返し。

それでも諦めることなく体調に合わせて
好きなカメラに他県に設けた家庭菜園に
読書に執筆を続けていた。

こちらが一番期待していたのは2冊目の出版だが
それはいまのところ封印・・・

とにかく、いまも、決してひとりで自由に動くには
範囲が限定され、医者の管理下にあるのだが

請われて3年振りに人前でしゃべったというのだから
よほど、気分がよかったのだろう
聞いてやりたかった。

"3年ぶりのことで、語彙力を相当なくしている自分を
実感しました。 久しぶりのことで楽しかったです。"

とあった。

かっては、大学にまで頼まれて講義をした経験をもつ
自分にとっては、話をしても執筆も太刀打ちできない
かけがえのない友であり、ライバルと思ってきた彼が

まだ現場に立てる熱意と学習を続けていることを
なによりもうれしく思った。

「生涯現役」をうたっている自分だが
彼の近況を知って「生涯現役」というのは
日々、現場を持っているということだけではなく
いつ、どこから声がかかってきても
引き受けられるだけの専門性を常に持ち続けている
ことだと再確認をした。

彼は、まだ、現役だと思った。
定年、それは組織が勝手に決めること。

本来定年とは、本人が決めること
勝手に決められてたまるか!

学び続け求められる存在である限り
自分の専門に定年などあるものか。

ひさしぶりに燃えた、ありがとう
わが友人。

青春18きっぷで名古屋へ。

2008-08-26 19:01:42 | 健康
24日、マネジャーをしているウォーキング倶楽部の
8月例会で9名のメンバーと名古屋へ行ってきた。

夏場の暑い時、炎天下のウォーキングは、熱中症はじめ
万一の事故があってはならないので、毎年、電車を利用し
青春18きっぷの小さな旅に出かけて現地でグルメと
ショートウォーキングを楽しんでいるが、今年は「名古屋編」

名古屋といえば「味噌カツ」
それに「尾張名古屋は城でもつの名古屋城」
この二つを結んで名古屋コースを楽しもうというもの。

意外や、メンバーのほとんどが名古屋のことは知らない

まず、メンバーがネットで調べた味噌カツ評判の店へ
地下鉄を一駅前で降りて最初のウォーキング
目指す店が視野に入ってまず驚いた
店のあるビルをぐるりと人の列列・・・
30分あまり待ってやっと入店。

奮発して味噌たれの鉄板トンカツ定食1680円に挑戦
出てきた味噌カツを見て驚いた、自分には二食分の量だ
それぞれが自分のメニューで大満足。


そこから名古屋の中心サカエを通って名古屋城まで
食後のウォーキング、
雨予報も外れて曇り空、意外と涼しくて歩きやすかった。

そこから名古屋の中心サカエを通って名古屋城まで
食後のウォーキング、雨予報も外れて曇り空
意外と涼しくて歩きやすかった。

この日、初参加のメタ君、1??キロの体重で貫録歩き
この人、そのユーモラスな雰囲気が気に入られて会員◎
わがW倶楽部は過去の失敗からメンバーの賛同が入会条件
メンバーの平均年齢は自分を除くと40代半ばに下がったが
体重は大幅にアップ・・・・


久しぶりの名古屋城、事前の資料で臨時の学習会
そして、じっくりと見学をしてかっての城下の名所めぐり



そしてJR名古屋駅まで一気に早足ウォーキング
結局2万歩でそれなりのウォーキングになった。

自分は今年6度目の青春きっぷ18きっぷ名古屋入りだったが
メンバーのほとんどが名古屋を知らないということで
駅前の大きなビルをみて想像以上の大都会に驚いていた。

初参加のメタ君が、まるで修学旅行のようで楽しかった
と言っていたくれたので引率者としてほっとした。

関西圏と名古屋圏、新幹線なら50分でおとなりさん
18きっぷの東海道線だと3時間の小さな旅になる
一日くらいゆっくり歩こう、ゆっくり楽しもう。終わり。

次回から、メンバー全員参加による運営にしていくための
役割分担を発表、ただのウォーキングだけでなく
より充実した倶楽部にしていくことを確認した。

ご心配をおかけしました。

2008-08-26 18:31:05 | 健康
17日づけのブログで内輪のことを書き込んだために
日頃から親しくしている方
お目にかかったこともないブログファンの方
この拙い日記を見てもらってい何人もの方から
ご心配やらお見舞いのメールをいただいてびっくりした。

お騒がせしたことのお詫びと
お気遣いにお礼申し上げたい。

大きい病院を紹介していただき、検査や治療を
続けている段階で、最終結果は出ていないが
今回のような症状は今後もありうるとして
夜間も含めて緊急対応のルートだけはできた。

完治はしないとはっきりと言われたことで本人の
行動範囲が限定されたことはつらいことだと思うが
普通に生活することに大きな障害があるわけでは
ないのでその分はほっとしている。

ブログを通していろいろな出会いがあるが
こういうことを通してで心を寄せていただく方が
いることをうれしく思うし心強く思う。




心配ごとが続く、憂鬱な日々!

2008-08-17 22:44:10 | 健康
ストレスの影響か、二日間、早朝の血圧が高くて
予定していたお盆ウォークはやめて
仕事場で資料作成をしていたところ

昼過ぎ、田舎の兄から母の容態が思わしくないと電話があった
病室が最上階のため冷房があまり効かなくて夜も暑いらしく
ここ数日は点滴だけになっているという、気持ちが滅入る。

4時過ぎに今度は家内から電話がはいった
よく聞き取れない、咳き込んでいる、様子がおかしい!

近所で買い物中に血をはいたという
それもハンカチでは防ぎきれないくらい量が多いという
すぐタクシーで北にある救急病院に行くように指示して
こちらもかけつけた。

ずっと以前からC型肝炎と気管支関連の治療を続けているので
それに関係しているのだろうと思ったが血を吐いたことはない。

大型の救急病院にかけつけると、そこはお盆休みというのに
待合室の人の多さにはびっくりした。

女房はどこだ・・・
ぐるりと見渡して、えっ?あそこの?
すみっこにちょこんと座っている白髪まじりのおばあさん?
まさか! 近づいてみるとなんと!

どう見てもおばあさん、自分より年下なのに
どう見ても年上にみえるやつれた顔
ここ数年、自分の病気と実母の介護とで
歳をとったなあ・・・とは思っていたが
それにしても昔の面影などみじんもないぞ
すっかり疲れてまったのだろう・・・
苦労もかけた。

見てはいけないものを見た気がして辛かった。

すでに診察を受け、レントゲンを撮り、血液検査をしたところ
その結果待ちをしている間も咳き込んで血を吐いている。

2時間の点滴を受けて、明朝まで異状がれば来るようにと
言われてやっと戻ってきた。

明日は、近くのかかりつけの医院へ今日撮ったレントゲンを
もっていくことにして、今夜、何ないことを祈りつつ
ブログを書いている。

自分がウオーキングをして足腰の鍛錬をしているのは
もちろん生きている限り自分で歩きたいということだが
体が弱い家内の面倒を見てやらなければならないからという思いも強い。

いつの間にか、こんな年齢になってしまって
お互いのどちらかの健康が損なわれると
片方のダメージは大きくなる。

心身の身体のほうは歳とともに衰え故障が起きてくるのは
致し方がないことだが
心の部分の健康は、年齢とは関係なしに維持することは
可能だから、一番の大敵、ストレスをいかに防止して
日々をすっきりと安心と安定した過ごし方をするかだ。  



丸坊主。

2008-08-16 19:59:50 | チャレンジ
オリンピック出場中の野球日本チームのエース格
ダルビッシュ投手が丸坊主になったている姿が写真入りで
大きく取り上げられている。

第一線のキューバ戦に必勝を期して登板したダルビッシュ投手が
不本意な投球で敗戦の因となってことへの責任と次の登板で雪辱
に賭ける気持ちを長髪を丸刈りにすることで表しているのだろう。

そのとばっちりを受けたのか最年少のマー君こと、楽天の田中将
大投手まで丸刈りになり、さらに負傷欠場の川崎選手まで続いて
いるという。

男が丸刈りをすると、たいてい「なにかあったんですか?」と聞
く。そういえば、女性が長い髪を切るといろいろと噂をされる。

何か期するものがある時にその気持ちや意思を髪を切るという行
為で自分自身や周囲に伝えようとしているのだろう。
 
実は、自分も丸坊主、これはかれこれ3年前になるが
大人の小学校Y塾に入学した時に、小学生だから坊主になって
小学生になってふるまってやろうとランドセルまで背負って行っ
たら大受けして、以後、生涯丸坊主宣言をして坊主頭を続けてい
る。

これが実にいい、気分的にもフレッシュだし
第一、少なくなった髪や髪形を気にしなくてすむし
人にも覚えていただきやすい、目立つのだ

だから

仕事の場
大事な場所

では緊張する

変なあやしいおっちゃんに映るか
明るくてさわやかな感じのジジイに映るか
積極的で元気いっぱいの男に映るか
この人ならと安心と信頼をえられる人間に映るか

頭が第一印象を左右すると行っても過言ではない
うまく演じれば(映るようにすれば)力になる

丸坊主にして、髪がなくなってから
頭のことを気にするようになったのも意外だが

自分の頭から話題づくりができることで
結構、プラスになっている
関心を持たれて話題にもされる・・・なぜ?

しかし

最近はその出番もかなり少なくなってきた
ネット上の出番が増えて
そのことでつまらない時間を浪費しているので
意識の部分もマイナス的なことは刈り取って
すっきりと行こう。



終戦記念日に思う。

2008-08-15 14:59:32 | ひとりごと
今日8月15日は63年目の終戦記念日
5歳の時にこの日を迎えた自分に記憶はまったくないが
厳粛な気持ちで迎える特別な日であることに変わりない。

8月6日、ヒロシマの慰霊碑にお参りしてきたことを書いたが
自分が所属するある組織で

「平和ボケといわれようが平和がいい」

という書き込みがあった
この時期にそう言うことを平気で書く意識レベルとに驚き
言いようのない悔しさと腹立たしさを感じた。

先の大戦で日本人だけでも300万人余のかけがえのない命が犠
牲となり戦後は残された人の汗と苦労の末にいまの平和が築きあ
げられたことを思うととてもそんな発言は礎になった多くの人に
申し訳がたたない。

まして、その平和を未来へ守っていくためには、過去の歴史の反
省と悲惨さを忘れることなく、後世未来に伝えていく義務がある。

平和ボケで平和を守ることはできないし
まして、未来へ引き継いでいくことはできない。
いまもなお、世界のいたるところで自国や民族の平和を守るため
に戦火が繰り返されていること、平和とは命がけのことなのだ。

いま、自分だけが平和であればそれでよし・・・とは、実に稚拙
な発想で過去を直視することなく、まして多くの被害と苦痛を与
えた近隣のことなど思うこともないからいつもアジア諸国から責
められ歴史ボケといわれるのだ。

原爆慰霊碑にお参りし、不戦の誓いをしてきた日に、そいう書き
込みをみて犠牲になった多くの御霊になんとお詫びしてよいのや
ら・・・と思った。

ボケていて平和はありえないのだと言いたい!

(祈る人-20.8.6広島)



奈良燈花会に行って。

2008-08-13 16:56:20 | ひとりごと
奈良燈花会ナイトウォーク! きのう、夕刻から奈良の燈花会に行ってきた

燈花会とは、古都奈良をろうそくのやさしい灯りで照らし出し
訪れる人が幸せになれるようにという願いをこめたイベントだ。

午後5時前に近鉄奈良駅に着くと夕立ちで足止めされたが
すぐに上がったので、まず、おなじみの奈良町へウォーク
細かく分かれた古都の道々をあっちに行ったりこっちに行ったり
夕立ち後の暑さは盆地の奈良、半端ではない
スポーツタオルを買い込んで右手、左手交互に顔の汗をぬぐう。


ただ、足だけは快調、いくらでも歩いてくれる
日没になると路地の両側に立てられているろうそくに
各家や店の人が灯をつけていく姿がみられて
これに観光客やカメラマンがまた集まる。



燈花会の会場の点火は7時なのでそれまでを
興福寺と猿沢の池へ
この時間、鹿もたくさんいる。



国立博物館前を通って大仏さんの東大寺へ

、そして二月堂へ
二月堂の回廊から眺める生駒山に没する夕日はすばらしいが
ことしは奈良町ウォークでおそくなったので見られなかった。


中心会場の浅茅ケ原へ行くとすでに点灯が終わり
すばらしいろうそくの灯りが感動的
手塚治虫生誕80周年を記念して火の鳥をイメージしたものだそうだ。



若草山にも灯りがついている
続いて浮雲園地、春日野園地を見て回る
観光バスの団体客も多くて大変な人人人・・・


公園内を移動して
鷺池に浮かぶ金色に輝く浮御堂へ
人が多くて写真を撮るのに苦労、その作品もうまく撮れていなかった



最後は、もう一度、興福寺の五重塔へ
さきほど夕暮れにみた五重塔とライトアップされた五重塔とは
まるで違っていて荘厳で神秘的なたたずまいに引き付けられた。

猿沢の池をまわって再び奈良町へ
最後は、行きつけの隠れ店によって
おいしいビールと奈良の銘酒春鹿とで乾杯!

すっかり出来あがって近鉄難波駅に戻ってきたのが
11時20分、歩数計を見たら22,000歩、意外と歩いていた。

なぜかなつかしさを覚えるろうそくの祭典・燈花会は
何度訪れてもあきない夏の楽しみになっている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

☆コメントをお書き込みくださることは歓迎いたしますが、過去
削除させていただいたり、認証を拒否させていただいた方のコメ
ントは固くお断り致します。

自分が一番、自分より上はいないという信念とイメージづくり。

2008-08-12 15:05:11 | 輝いて生きる
北京オリンピック
北島康助選手が100メートル平泳ぎでオリンピック二連覇
しかも世界新記録での金メダル獲得はお見事という他ない。

本人が「完ペキなレース」と言い切ったのだから
快心のレースであったに違いない
”アテネより超うれしい”と言ったのもうなづける。

その北島選手も
アテネ以降、故障や不調で一時はこれまでかと言われた時期が
続いたしかし、オリンピックに合わせてちゃんと答えを出して
くれた努力という言葉では表現できないものがあると思う。

彼は、”金メダルが一番ほしいと思っているのは自分だ”
と思い続けてきたらしい。

それが故障や成績の不振な時でも支えとなり
そのために勝たなければならない相手はだれかと
ライバルをつくり、勝つための工夫や練習をしてきたのだと思う。

スポーツ選手とライバルの存在はどこでもいわれるし
モチベーションを高めたり維持するにはその必要性もあるだろう。
その上で、一番勝ちたいと思っているのは自分と、メダルをとって
いるイメージをしっかりと作って信念をもって日々の猛練習に
明け暮れてきたのではなかろうか。

あのイチロー選手が
だれよりもヒットを打ちたいと思っているのは自分だ
と言っていたことを思い出す。

すごいと言われる人たちは
自分を燃やすものをつくるのが上手なんだろう
それがライバルであったり記録であったり

それに執着する気持ちと具体的な行動(練習)が
伴って初めて実現できているものと思う。

自分に置き換えてどうだろう・・・か。

果たして、だれよりも自分が一番、というるものがあるか?

先月末、周囲の人の思いとどまるようにという助言を
無視するかのように酷暑の東海道五十三次を二日間あるいた。

炎天下の東海道五十三次を歩きながら思った
自分より歩きたい!と思っている人はいないだろう・・・
暑い、しかし、それ以上に楽しい、面白い、やめられない
やっぱり歩くことが誰よりも好きなんだと思った。

オーバーな言い方をすれば
それで命を落としても納得!
という心境だったのかもしれない。

現役で働き続けている以上
仕事の分野でそういう気持ちを駆り立てるものがなければ
現役を続けることは困難になるばかりだ。

残念ながら、いま、そこまで思うものが自分にはないことを
不幸なことだと思う。

熱闘甲子園、ここにも青春が!

2008-08-11 19:13:36 | 輝いて生きる
甲子園は暑かった!
今日は何の予定もなかったので甲子園グッズをリュックに
入れて甲子園球場へでかけてきた。

息子の系列高校の出場があるので応援をしたい、とくに
キャップテンが自分の住むT市の出身らしいのでなおさらのこと。

お盆前の月曜日、ひょっとして甲子園の外野席最上段の特等席
がとれるかもしれない・・・という淡い期待があったが

どっこいそうはいかなかった、球場へついた時には、完全に
ふさがっていた。仕方なくスコアボードのライト側、二段目に
陣取ったが最上階と二段目とでは天国と地獄の差がある。

なぜ、最上階が天国か、それは、まず、看板で日陰になって
いることと、海からの浜風が吹き上げて涼しいからだ。
二段目にはその恩恵がない、灼熱の太陽は容赦なく照りつける。


甲子園の高校野球は、外野スタンドで観戦するのが通だ
どちらかのチームを応援するというより、いい試合を楽しむ、どっちも
応援するといったほうがいいかも、いいプレーには、関係なく拍手を送る。
(試合前のあいさつ)


試合は応援した高校の勝利、応援も見事で満足した!


甲子園の高校野球との付き合いは古いが、高校野球の真髄は
変わらないし球児たちの白球にかける姿勢にも変わるものはない
ここにこそ、青春の原点があるような気がする。


今年の甲子園は中盤、これからどんなドラマが待ち受けている
のやら・・・もう一度、外野スタンドの特等席をとりに行きたいが
お盆がはじまると超満員になるのできついかなあ・・・。
とにかく甲子園は、熱くさせてくれるすばらしいところだ。


ヒロシマの祈りの日を訪ねて、青春18きっぷの旅三日目。 

2008-08-07 23:04:41 | ひとりごと

青春18きっぷの旅 第3日 8月6日

○広島へ移動して原爆記念日、慰霊碑にお参りするのが3日目
の目的 7時23分、小倉駅発→下関乗り換え→岩国乗り換え
→広島で途中下車15時54分広島発→岡山乗換→姫路乗換→
22時4分新大阪駅へ帰着。

今回の2泊3日の青春18の旅は、最終日の3日目を広島原爆
記念日にヒロシマの地に立つことを目的に逆算して日程を組んだ。

広島生まれで広島育ちのDNA、この日は県人として特別の日だ。
久しく6日の記念日に慰霊碑を訪れていないので、ここ数年、ぜ
ひ、訪れておきたいと思っていたが、やっと実現することになった。

あれから63年目、5歳だったあの日のことは、はっきりと覚え
ている。
広島に着く、久しぶりに駅前に立つ、広島も暑い!


まず「広島焼き・広島魂」で昼食。


広島駅から平和公園の慰霊碑、原爆ドームまで往復を歩くこと
にしたあの日、被爆した人たちのことを思えば、今日だけは電
車やバスには乗るまい、今日の広島は、あの日同様に猛烈な
暑さ、それでも歩こう。


暑い道を自分のいのちの歌「ひろしま平和のうた」を口ずさみ
ながら歩く 原爆投下直下の爆心地、島外科病院前に行き、平
和公園へすすむ。


島外科病院前の「爆心地」の碑に書かれていることは
・・テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」
によって
人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約580メー
トルでさく烈しました。爆心直下となったこの一帯は、約3,000
度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受けほとんどの人びとが
瞬時にその生命を奪われました。
時に1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことでした。

大勢の人が訪れている、とにかく外国人が多い
日本人はどうなのか
ヒロシマ、ナガサキを訪れたことがあるのだろうか?
埼玉県原水協の幟をもった人たちもいた。

最初に平和公園の平和の鐘の前にたたずんだ。


公園のいたるところに人だかりがしている
被爆体験の語り部さんを取り巻くようにして話を聞いているのだ。


おなじみの原爆の子の像の前へ、沢山の折鶴がかけられて
いる自分も高校生のころ、活動をしていたなあ・・・


神様、私達に愛と平和を創り出す力を!!


佐々木禎子さんの詩を朗読している人たち、それを聞いて
いる人たち思いはひとつ、平和だ。


美空ひばりさんは昭和49年に広島平和祭で歌った
「一本のエンピツがあったら」という曲の中で

一本のエンピツがあったら・・・いのちと書く
一本のエンピツがあったら・・・戦争はいやだと書く

と歌った。

公園内をめぐりながら慰霊碑の前に立った



そこから元安川に沿って歩いた
あの日、熱さから逃れるために、水がほしくてこの川に殺到
した人たちはそのまま命とともに流された。



原爆ドームをぐるり一周して思い切りたくさんの写真を撮った
息子からわが家系にずっと語り継ぎ残しておくものとして記録
するためだ。






さあ、帰ろう・・・
市電の通りに出た
原爆ドームと電車通りをはさんで広島市民球場がある
ここは広島カープのホーム球場、しかし来年は広島駅近くに
新球場が完成するために今年で歴史を閉じる。

広島カープは、親会社を持たない市民、県民球団として歩ん
できた原爆で廃墟と化した広島の人々に野球で元気と勇気を
与えようと創設された広島カープはどこの商業球団とも違う
大きな使命を持って誕生したチームだった。
だから最初から広島と言う地名を入れて変わることはない。

何度も経営難に陥りながら、そのたびに市民、県民がバック
アップ
して球団名わ変えることなく広島カープであり続けたことは
カープファンの誇りなのだ。


路面電車が走っている、これも広島の楽しみの一つだ。






さすがに往復して両ほほが直射日光で暑かった
日焼け止めも塗らなかった
アイスメッとも使わなかった
とてもそんな気にもならなかった。

自宅にもどり、頬と首筋が熱をもったのか暑くて痛くて眠れなかった
あの日、熱線を受けた人たちの思いが自分にも伝わったのだろう・・・
それならいいと思う。

こうして2泊3日の2008、夏の青春18きっぷの旅、第一章は終わった。


関門海峡ウォーク、青春18きっぷの旅二日目。

2008-08-07 23:03:28 | ウォーキング
第2日 8月5日
○昼間予定は 下関、門司関門ウォーク
○夜の予定は 1年前に半年間学びあった福岡県の人達と小倉で懇親会

朝、ゆっくりスタート、まず下関駅近くのホテルから街中を散策
ウォークしながら唐戸桟橋へ、まずは小次郎、武蔵の決闘でお
なじみの「巌流島」をめざす。



観光船で10分、潮の渦巻く流れのはやい海峡にある巌流島
へ上陸。




小次郎、武蔵の決闘の場面が目の前で繰り広げられていた
昔を偲ばせる人工の浜と武蔵の乗ってきた船が再現されて
いた。



再び唐戸桟橋にもどり下関史跡ウォークへ、暑さが厳しいので
約束ごとをしておく。
○同じ歩幅で同じ速度で、だらだらしないで歩くこと
○しっかり吸って、しっかり吐いてきちんと呼吸をすること
○心拍数は110を上限に、それ以上になると休憩をすること
先週の東海道の疲れが残っているに違いないからより慎重に
と言い聞かせる。

下関市の氏神、亀山八幡宮へ。


ここに林芙美子の文学碑や砲台跡や世界最大ふくの像があった。


鳥居前には山陽道の起点の道標があった。(下関-西宮)


明治28年、日清講和会議が開かれ下関条約が締結された日清
講和記念館日本の全権は伊東博文、陸奥宗光。清国は李鴻章。


その締結会場となった伊東博文命名の春帆楼へ
ここは博文が「ふぐ料理」の許可をした1号店だったそうだ。


続いてはなやかな朱色で竜宮づくりの赤間神宮へ
ここは関門海峡の鎮めの神と仰がれている。



赤間神宮には、源平壇ノ浦合戦で敗れ、わずか8歳で関門
海峡に入水した安徳天皇と平家一門が祀られている。写真
は安徳天皇阿弥陀寺陵。


平家一門の七盛塚


小泉八雲の耳なし芳一の芳一堂


源平壇ノ浦の戦いで平家の大将知盛はすべてを見収め、碇を
背に海中深く、幼い安徳天皇のお伴をした。「碇知盛」の名
で能や歌舞伎でも演じられているが、赤間神宮参道の入口に
当たる海辺に碇を奉納して御祭神のみたまを慰め、海峡の平
安を祈っている。


また、ここは、朝鮮通信徒上陸港留之地でもあったらしい。


正面に門司の町が見える。


さらに関門橋を目標に海岸線の照り返しの暑い道をすすむ。
関門海峡を行き来する大型船をみながらのシーサイドウォーク
は退屈しないで楽しい。



関門橋の下を通り過ぎるときれいに整備されたみもすそ川公園
に着くここが「壇ノ浦古戦場」跡だ。


源義経と平知盛の戦いの像。


安徳帝御入水之処。
 二位尼辞世
今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは

(二位尼とは、平清盛の正室、清盛亡き後は一門の精神的支柱
として重きをなした。壇ノ浦の戦いで一門が源氏に敗北を喫し
た際、外孫に当たる安徳天皇を抱き、「浪の下にも都の候ぞ」
『平家物語』と言い聞かせ、海中に身を投じて自殺した。)

また、幕末に外国船に砲撃した長州の砲台が並んでいる様は
迫力満点だ。この関門の地は、日本の歴史上でも大きなスポッ
トライトを浴びたところだ。


公園の向かいに「関門トンネル人道入り口」の下関側の入口
があるいよいよ関門海底トンネルを歩いて九州上陸は今回の
楽しみのひとつ。


トンネル内は、ウォーキングを楽しむ人や観光客が結構歩い
ている歩行者天国だ。山口県と福岡県の県境を通る。



あっという間に門司側に着いた。


ここからしばらくは、海のそばにある観潮遊歩道をすすむ。


関門橋の下を通過する船を眺めているだけでもあきない
さっきまで歩いていた下関側の景色がすぐ目の前にみえる。


しばらく海岸線を歩くと門司の市街地が見えてきた。


レトロ建物見学はここから始まる。
観光客も多く下関とはまるで雰囲気が違うのも楽しい。

NTT門司電気通信レトロ館


国際友好記念図書館

旧門司税関



旧大阪商船


海峡プラザ



海峡ダイニング


旧門司三井クラブ


レトロな町並みは続く


17時前にレトロ駅の門司港駅から小倉へ移動


夜の懇親会に備えてホテルで休憩、19時に迎えがきたので
会場へ移動する。
博多で一緒に勉強をした時のリーダー、事務局を担当してくれ
た担当者、関係の経営者、この秋に新たに勉強会に参加予定
のメンバー7人と遅くまで楽しいひとときをもった。

もったいないような歓待を受けて昼間のつかれも吹っ飛んだ。

ハードな二日目だったが、余韻を残して小倉の夜が過ぎた。

ふるさとに母を見舞って、青春18きっぷの旅一日目。

2008-08-07 23:02:18 | 家族
青春18きっぷ「ふるさと帰り・2008夏の旅①」

恒例の夏の青春18きっぷを利用して2泊3日の夏休みの旅に出た。

第1日・8月4日

○広島の母の見舞いと墓参り
○宮島に行きたいという友人も途中まで一緒に
○下関でSNSの友人に会うこと

新大阪6時46分発→姫路乗換→岡山乗換→糸崎乗換→広島で途中下車

この時期は青春きっぷ組で電車がこみあうのは何度も経験している
のでとにかく座席を確保して長い電車の旅を快適にすることが第一

幸いに芦屋から席を確保できたので姫路まで一安心
一番込み合う姫路から岡山行きもなんとか座り込めて救われた。

岡山から三原行きに乗り、手前の糸崎で下車、岩国行きに乗り換え
ここも座れたのでのんびりと車窓から景色を楽しむことができた。

普段は新幹線ばかりを利用しているので忘れてしまっていた
三原から広島までの車窓の風景がなつかしかった。

ふるさとでは、待ってくれていた兄や甥と名物のあなご飯を食べな
がらしばらく、母の現状を聞き、病院の母のところへ行った。

”だれ”といきなり聞かれてさすがに驚いた。
兄たちは、いつも言われているようで、これも最初の挨拶らしい。
少し、話をしていると普通の会話にもどれる。

暑さのせいか、食欲がなくて兄も心配だと言っていたが
見舞うごとに細く、小さくなっていく姿を見れば
この夏が乗り越えられるかどうか、そう思った。

細くなった手をとってまたくるよと言って別れた。

父と先祖の墓参りをして再び電車に乗る。
もっとゆっくりとして、兄嫁にも会わないといけないのだが
後の時間がつまっているので勘弁してもらった。

あわただしいことで、友人とは、うまく時間が調整ができず
この時点で別行動をとることで了解した。

海岸線を走る山陽本線の車窓から夕方の瀬戸の海をながめ
一路終点の下関へ、下関に19時18分に着いた
現地の友人が待つ下関グランドホテルへ急ぐ。

屋上のビアガーデンで、すでに友人たちは、食事を始めていたが
そこに合流して親しく過ごさせてもらった。

昼間の暑さはどこへやら目の前の海峡から潮の香のする風が
さわやかで対岸門司と関門橋のすばらしい夜景をながめながら
飲む冷たいビールが格別においしくて歓談はつきなかった。

男性だけで二次会にでかけて遅くまでのんびりと過ごして
下関の夏の日は、楽しい思い出になった。

いのちのうた

2008-08-01 22:45:01 | 輝いて生きる

7月21日に「いのちのうた」について書いてから
自分にとっていのちのうたとは・・・とずっと考えてきたが
やっぱりこれだ!と思うのは「ひろしま平和の歌」だと確信した。

実は、この歌については、作成しているHPで去年、紹介している。
8月6日、この歌は、広島の平和式典でよく歌われている歌で
ひろしま生まれの自分が子どものころから口ずさんできた歌だ


   ひろしま平和の歌

  作詞:重園贇雄(しげぞの よしお)
  作曲:山本 秀(やまもと みのる)

1 雲白く たなびくところ
  空のはて 東に西に
  おお高く こだまひびけと
  鐘は鳴る 平和の鐘に
  いまわれら 雄々しく起ちて
  その栄え ここに興さん
2 波青く たゆとおところ
  海のはて 南に北に
  おお遠く 祈りとどけと
  鐘は鳴る 平和の鐘に
  いまわれら 試練を越えて
  その行手 ここに仰がん
3 風清く かがやくところ
  国のはて 世界の友に
  おお熱く 想いかよえと
  鐘は鳴る 平和の鐘に
  いまわれら 手をさし伸べて
  その睦み ここに歌わん