昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

心が乾かぬように・・・今を刻む。

2009-09-30 22:12:53 | 輝いて生きる
今朝、よく行くご近所の喫茶店に寄った
昨日作成したA4サイズ5枚の原稿を
コーヒーを飲みながら校正するためだ

仕事場ですればいいのだか
そこに行くと不思議と落ち着いて
アイディアが浮かぶ

いつものことだが
お客さんのほとんどは
自分と同じ世代の男性ばかり
スポーツ新聞を読む人
タバコを吸っている人
何かを目的に来ているわけでもなく
ただゆったりと
時間を過ごしているように見える

電車内をみても
同じような年代の人でスーツ姿に
ビジネスパックを持った人などいない
仕事の現場にも勿論同輩の姿はない

ふっと孤独感を覚えることがある

いつまで続くのだろうか・・・
いつまで続けるつもりなのか・・・
生涯現役と言いながら
ふとそんなことを思う

これも自分の人生

そんな気持になると
心が乾かないように
心に潤いを持たせるために

お寺巡りウォークがしたくなったり
書店に足が向く

買った吉野山大峰千日回峰行を満行された
塩沼亮潤さんの書

「心を込めて生きる」を読んでいると


「自分の人生をどう刻んでいくのか」

こんな言葉に出会った

過去を追うな、未来を願うな
過去はすでに捨てられた
未来はまだやってこない

ただ今日なすべきことを熱心になせ

こんなことが書かれていた

今なすべきことを
地に足をつけて
しっかりと心して歩め
人生の時をきちんと刻めということ

それを後に続く人に実践で示すのが
自分たちの役割なのかもしれない

自分が見本になればいい
とまた生意気をことを言う

でも生意気くらいがいい
ひとり行くのには。

こんな日もある・・・

2009-09-29 23:21:09 | ひとりごと
ブログを書き続けることは
別に苦にはならない

しかし

書きたいという自分と
書きたくないという自分が
けんかをすることが
たまにある


今日はそんな日

書きたいネタはあるのに
なぜだかわからない

まあ、ええやろ・・・

ということで
訪ねてこられた方には
申し訳ない

多分
疲れているのだろう
やたらとねむい

今日は先週の勉強会の報告書を作成して
読みたかった本を読んだだけなのに

・・・・・・・・・・

あっ、ここまで書いている
ぐちゃぐちゃ、みっともないぞ
ほんまにアホや!

こんなこともあるか!

励ましメール!

2009-09-28 22:45:41 | 仕事
先週末から始まった勉強会のメンバーに
今朝一番、励ましメールを送った

来年3月末に終了するまで
「励ましメール」は続ける
ここに書いて自分に約束すれば
間違いなく続けられる

これが継続する秘訣だ

さっそく元気のいい返事がきた

I さんからは
"今朝の朝礼でみんなを前に
自分の約束事を発表した"と

「有限実行」

言った以上は続けること
その範を示そう

半年間かけて彼らと勝負する
彼らの成長のために
自分の成長のために

言った以上は続ける
その範を示す。

うれしいお守り。

2009-09-27 16:20:38 | 東海道五十三次
福岡のウォーキング仲間のTさんからお守りが
送られてきた(贈られて)

ひいきのふるさと広島カープのお守りだ
"東海道でお使いください、きっと元気がでます"
とメモ書きが添えられていた

Tさんは某シューズメーカーが運営しているウォーキング
SNS会員(登録約3,000人)のメンバー仲間で
自分のブログ「東海道五十三次ひとり歩き」の
勝手応援隊コミュニティの二代目管理人を
してもらっている(メンバー20名)

先週のピースひろしまツーデーマーチに参加した際
Tさんがマツダスタジアムで買ってくれたらしい

こういう心遣いがほんとうにうれしい
残された小田原からお江戸日本橋まで
このお守りを身につけて歩くことにする

そのTさんからNHKの「街道てくてく旅・山陽道」の
ことを聞いていたが、今日の午後から総集編で
広島県編を放映していた

山陽道を大宰府から平城京まで歩く番組を
北京オリンピック・シンクロナイズ銀メダリストの
原田早穂さんが歩いていたが

ふるさとの広島県、しかも地元に近いところが
放映されていてわくわくしながら見た
見ているだけでも街道歩きはほんとうに楽しい

三年前に歩いた尾道からしまなみ海道の一部も
放映されていて身を乗り出すようになつかしんだ

東海道五十三次を歩いた後に
山陽道を歩くことも検討したので
ぜひ、Tさんに歩いてほしいと思っている。



●しまなみ海道を完歩(尾道→今治 65歳)
 http://www.human-dy.com/shimanami.walk.html

新しい出会いから力を得て!

2009-09-26 21:19:11 | 仕事
二日間、事業を引き継ぐ経営後継者たちと
みっちり勉強会をして午後5時半に終了した

後継にまったなしの50代に手が届くメンバーから
20代までの同じ立場にあるメンバーが
年齢差を越えて真剣に学びあい
充実した二日間を過ごせたことがうれしい

月曜日から現場でどんな姿を見せてくれるやら
二日間の成果を生かして
次回まで課題の実践に取り組んでほしい

もう自宅に帰りついたというメンバーから
力強いメールが入ってきた

また、勢いをもらって寿命が延びた!


また始まる新しい出会いとチャレンジ!

2009-09-24 18:00:54 | 輝いて生きる
明日から2日間
新しいメンバーを迎えて
12期がはじまる

出番を迎える前日の夕方からが
一番気持が盛り上がる

そして

よし、やったろ!
と闘志がみなぎるのは
いくつになっても変わらない

この強い気持ちがある限り
まだまだ現役は続けられる

スタッフとの打ち合わせもすみ
東から西からやってくる
参加者の詳細なデータも届いた

本番前の準備が大事だから
昨日、今日は、資料を点検
多分使うことはないだろうと思われる
ものも万一に備えて用意した

自分にだけ与えられた役だから
その使命感と責任感が
自分を蘇えらせてくれる

ありがたい
さあ、こい!

仕事場から見える暮れゆく空が
気持ちいい。


うれしいランチタイム!

2009-09-23 21:42:12 | 交流
東海道五十三次を歩き始めた頃
箱根越えをしたらご馳走をすると
言ってくれた友人が忘れずに
昼前にわざわざ仕事場へきてくれた

昼間からビールつきのランチで
話がどんどん広がりビールもすすんだ

たかが箱根越えだが
車を足代わりにしている友人には
驚きらしい

そりゃそうや
二年半もかけて飽きもせずに
箱根越えに挑む者など
そんなにいないはず

それはともかく
お祝いが続いて
これでお江戸日本橋へ無事に着いたら
どんなご褒美があるやら

歩く目的はご褒美になりそうだ

それは甘いぞ!

衰えの自覚。

2009-09-22 21:26:56 | ひとりごと
テレビの歌謡番組を見ていた
ベテラン歌手の声量が落ちている

プロで鍛えている人たちでも
全盛期が過ぎそれなりの年齢になれば
昔のような声は出なくなるんだなあと
辛いようなさびしいような
そんな思いで聞いていた

先々週、仕事の現場で
最後尾の席からマイクを
使ってほしいと言われた

縦に細長い会場だったが
たかが50人足らず
声が大きいことには自信があった
昔ならマイクなど使っていなかったので
声量が衰えているのだと気付かされた

日常的なことでも
あれ?昔はそんなことはなかったのに
と思うことがよくある

悔しいけれど
「老い」という言葉はいやだが
「衰え」は当然のこととして
自覚しておかないといけないし
受け入れていかないといけないと
再確認をした。

朗人の日のプレゼント?

2009-09-21 21:05:13 | 交流
敬老の日、ふーん・・・毎年のこと
今年も集いと商品引き換えのはがきがきたが
どこへやったのやら

別に抵抗をしているわけではないが
老人と言われるとどうもしっくりこない
確かに69歳は若くはないけれども
孫がいるわけでもないので
じいちゃんと呼ばれたこともなく
ピンとこない

そこで勝手だが
「朗人」と呼ぶことにしている
「敬朗会」はどうだろう
それなら行くかもしれないが

遠く福島県から
まだ会ったことのない友人が
素敵なプレゼントを贈ってきた

ガラス技術を駆使して
瓶に手間と時間をかけて
デザインした絵と文字を彫りこんだ
ご当地の焼酎だ


たまたま先日
東海道五十三次の「箱根越え」したことの
お祝いとしてプレゼントしてくれたものだが
自分では「敬朗の日」のプレゼントとも
思っている

ありがたい。






飛鳥の秋にロマンを求めて。

2009-09-20 21:14:36 | ウォーキング
奈良の明日香村をシルバーウイークの楽しみに選んで行ってきた。飛鳥はこれからゆったりと秋が深まり始め、神秘的に色づいていくとき、古代ロマンの里として、日本の心のふるさとを感じさせてくれる、そこが気に入っている。

1400年前に都がおかれたところ、大化の改新の舞台であり、聖徳太子の誕生地であり、高松塚や石舞台や猿石や亀石等、古代ロマンが広く点在し、ひとつひとつ訪ね歩くのは、まさにロマンのかるたとり、飛鳥ファンにはこれがたまらない。それにプラスして、彼岸花と銀色の稲穂に彩られた飛鳥の棚田まで遠出してくることにした。

8時30分に家を出て、電車を乗り継ぎ10時5分に近鉄飛鳥駅に到着、車中からリュックを背負った人がぞろぞろ下りる、ホームには人があふれるくらい・・・。


駅前から、バスで、レンタサイクルで、ウォーキングで、それぞれのスタートをしていく。飛鳥は、何度訪れているか分からないほどで地図は頭の中に入っており時間もインプットしているのでその通りにすすむ。



最初に訪れるのは高松塚古墳から、そこまでの道中で、田んぼのあぜ道に咲いた彼岸花が手招いて、そっちへ引きづり込まれる。シルバーカメラマンがいっぱい。高松塚で某W協会の一団に会う、団体やグループに巻き込まれると狭い道は自由に動けないので次へ急ぐ、飛鳥歴史資料館を経由して鬼の俎板、雪隠へ。飛鳥には不思議な謎の石が点在しているがここもその一つ。




次は亀石へ、この辺りの田んぼも彼岸花が咲き乱れていて、なかなかまっすぐに進めない。刈り入れ前の黄色の稲穂と彼岸花の赤と空の青さとがデジカメの格好の被写体になってにわかカメラマンが腕を競うように撮っている(自分もその一人だが)


田んぼのあぜ道を行ったり来たりしながら、亀石を過ぎ午前中の目的「橘寺」へ向かう。飛鳥を訪ねると必ず立ち寄るところが三か所あるがそのひとつがこの橘寺。
橘寺は、聖徳太子生誕の地といわれ、太子が自らの生誕地に建立したといわれる橘寺は、聖徳太子創建七寺のひとつとされている。



本堂には35歳の聖徳太子座像が安置されている。(重要文化財)また、境内にはよく知られている善悪二面の顔を彫った二面石がある。今年から始めた古寺巡礼のご朱印をもらってしばしベンチでくつろがせてもらった。ここも大勢の人が訪れていた。




橘寺からバス通りへ下りて、眺めるように見上げる橘寺の光景が大好きで、来るたびに写真に収めているが、今日の一枚はこんな作品になった。


バス通りの向かい側が、川原寺跡、ここは斉明天皇が655年に造営した川原宮を改めた川原寺で跡地は広いスペースになっている。ここから石舞台をめざす。


12時半に石舞台前の公園に到着して弁当と予定していたが5分おくれで着いた。暑くて木陰をさがして昼食。


13時、いよいよ飛鳥の棚田を目指して山の懐へ緩やかな上り道をすすむ、やがて、彼岸花が赤い点や線となって鮮やかな色採りが広がる棚田が現れてきた。
道にはかかしが展示されておりかかしロード。棚田の一番奥まで上り坂をすすむ、広がる棚田の美しさには目を奪われた。あたりかまわずシャッターを押し続けた。これがいつまでもカメラの腕が上がらない素人さん。狭い道を乗りつける車、自転車、ウォーキング・・・・・・人出の多さにはびっくりした。






14時、一番奥の棚田から再び通常の飛鳥コースの岡寺をめざす、途中の石舞台前の休憩所でしばらく休んだ。

いつも寄る二つ目の「岡寺」へは、急な坂道を上る、これが結構きつい、岡寺の入口手前にお茶屋さんがあることを知っているのでそこでコーヒーを飲むことを楽しみにして、500メートルはあるだろうか、きつい坂道を休まず一気で上った、コーヒーのつもりが、ぜんざいが目に入いりそちらにした。待つ間に店中に貼られている色紙を見ていて驚いた、なんとわが母校生(高校)の書いた色紙があるではないか。T大はみかけなかったが、座った場所から東京六大学の五校の色紙もあった、とくに東京の高校、大学が多かったのは修学旅行やサークルできたのかもしれない。おかみさんとしばらく歓談・・・岡寺は、西国三十三ヵ所の七番札所。厄除け観音と知られている本尊の如意輪観音坐像は高さ4.5メートルと大きい、日本最大の塑像でしばらく前に座らせてもらった。



ご朱印をもらい、足腰のお守りを買った。実は、子供が小学生の頃にここにきてわらじのお守りを買い長くリュックにつけていたがいつのまにか失ってしまった。いつかこのお寺で同じお守りを買いたいと思っていたが、わらじのおまもりはなかった。


気がついたら16時15分、予定より30分も遅れた。

あわてて坂道を下り次の飛鳥寺をめざす。拝観は17時までだから間に合うがゆっくりはできない。途中で古代史を彩る大化の改新の舞台になった伝飛鳥板蓋宮跡へ寄った。645年、中大兄皇子(のち天智天皇)と中臣(藤原)鎌足は、蘇我馬子の孫の入鹿を殺し、入鹿の父、蝦夷は、甘樫丘の邸宅に火を放ち自害、飛鳥時代の前半の政治を支配した蘇我家が滅びた。その舞台になったところだ。甘樫丘はすぐ左手に横たわっている。


そこから田園の中を5分ほどで飛鳥寺へ着く、16時39分になっていた。太陽はすでに甘樫丘に傾いた。


三つ目の「飛鳥寺」は、蘇我馬子が聖徳太子らとともに七世紀初頭に完成させた日本初の仏教寺院。中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場としても知られている。ここの本堂には、飛鳥大仏として親しまれている釈迦如来坐像が祀られている。日本最古の仏像(606年)でもある。板の間に腰をおろして坐像の前に座ってじっと見つめるのがこの寺の楽しみ方。17時になったので頼んでおいたご朱印をもらって失礼する。



すぐ近くにある蘇我入鹿の五輪塔の首塚へ寄る。その後ろに甘樫丘がなだらかに控えている。


水落遺跡に寄って最後のポイント、甘樫丘へ、長い階段をここも一気に上がる、展望台から大和三山の畝傍山と耳成山がすぐそこに見える。

(左端が畝傍山、右端が耳成山)

二上山、葛城山、生駒山も見える、ここから沈む夕日を見るのが最後のお楽しみ、大勢の人が集まっていた、17時42分没し始めて44分まで暮れゆく飛鳥の里をながめていた。


ここから近鉄橿原神宮駅まで最後のウオーキング。公式では45分の道のり、薄暗くなった道をラストスパート、18時21分に駅着、31分の急行に乗れて自宅に着いたのが19時55分、帰宅目標の20時にセーフ。歩数は約32,000歩だった。

シルバーウィーク、いくつになっても・・・。

2009-09-19 21:14:04 | 輝いて生きる
丸刈り頭は
ひと月もほっておくと
中途半端な長さになって
みっともないので
頻繁に散発しなければならない

行きつけの散髪屋さんへ行って
いつものように刈り上げてもらった

刈り上げたあとは
すっきりして気持ちがいい
丸刈りは正解だと思う

今日、髭そりとシャンプーを
担当してくれた人は
初めて見たので新入りだろう
60代も半ばくらいだと思うが

なんだかぎこちなくて
髭そりはひやひやしたが
一生懸命に頭を洗ってくれている手から
温かみみたいなものを感じた

次に寄った食品スーパーでも
レジにそれなりの年齢の男性がいた

いま、どこに行っても高齢者の男性が
働いている姿をよく見かける
ごく自然のこととして映る時代になった

売り場はおばさんの領域と思われてきたが
いまやおじさんも堂々と働いている

長いビジネスマン経験があるからだと思うが
言葉かけもマナーも気配りも安心できる

働かなければならない人達ではないと思うが
社会とかかわっていたいのだろう・・・

その姿がほほえましく思えるのは
楽しく働いていると映るからだろう。

半歩前を行け!

2009-09-18 22:10:17 | 本・読書・音楽
鳩山内閣が誕生して
新任の大臣が所轄の職員を前に
所信を発表している姿が
映し出されているのを見て

政権交代
自公政権との政策の大転換は
頼もしき期待にしたいと思うと同時に
大丈夫かなと不安に思うことがある

その大胆な政策を実行していくのは
ひとえにリーダーシップ次第だろう

たまたま書店で政治学者姜 尚中さんの新刊書

「リーダーは半歩前を歩け」・・金大中というヒント・・


が目に付いたので買って読んでみた

政治も経済も未曾有の混迷期にある現在
指導者不在が叫ばれる日本社会で
リーダーシップを問い直す必要があるという

先月亡くなられた韓国の金大中元大統領との対談は
何度も死線を乗り越えて不屈の精神で韓国の人々を
引っ張ってきた金大中氏が
リーダーは「半歩前を歩け」という

鳩山総理や新閣僚のみなさんに
このことばが語りかけている
一気に取り組まないと変革はできないが
だからこそよく見えるように
着実に半歩前を歩いてほしい

と生意気なことを言うようだが・・・。

鳩山内閣発足!

2009-09-16 22:54:23 | チャレンジ
政権交代、悲願を実現した民主党の鳩山内閣が
今日、発足した

「脱官僚」、「政治主導」、「国民主権」を掲げ
地域主権の社会をつくり上げていくという新政権
果たしてどこまでやってくれるのか
「期待」と「不安」が入り混じるが
ここは「期待」に賭けて見つめていきたい


内閣の顔触れもその道に精通した人が多いようだし
じっくりと腰を落ち着けて頑張ってほしい

朝早くから国会の門の前に並んだ新人議員
国会議場の最前列に並んだ新人さんたちは
まるで入社式を迎えた人たちのように見えた

その気持ちを忘れることなく
新しい歴史をつくる一員として

志は高く
身は低く
行は早く

つねに
国民との接点で

365日
24時間
フル操業で
命を賭けた
その姿を見せてほしい。

イチローの夢

2009-09-15 22:53:32 | 輝いて生きる
大リーグ・マリナーズのイチロー選手が
メジャー史上初の9年連続200安打を達成した
きのうはそのニュースで日本中がわきたった

イチローについていまさらここで書くこともない
ただすばらしいとしかいいようがないから

関心があるとすれば
朝から晩まで彼の生活や野球に取り組むスタイルが
定形化されているということだ

それは目指すものを明確にしていたから
ただそこに行くまでに信じて同じことを
練習化して行ってきたのだろう

その原点を小学生の時に書いた作文に見た


       「夢」

ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校で全国大会へ出て
活躍しなければなりません。

活躍できるようになるには、練習が必要です。
ぼくは、その練習にじしんがあります。

ぼくは、3歳の時から練習を始めています。
3才から7才までは、半年くらいやっていましたが
3年生の時から今までは、365日中、360日は
はげしい練習をやっています。

だから、一週間中、友達と遊べる時間は
5時間から6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから
必ずプロ野球の選手になれると思います。

・・以下略 鈴木宣之「息子イチロー」二見書房から・・



「希望学」ってなんだ!

2009-09-14 22:44:09 | ひとりごと
「希望学」なる学問がいま注目を集めているという
不覚にも「希望学」があることを知らなかった
それも東大にあるという
古くではなく新しい学問のようだ

自分のブログのタイトルが「希望・・・」であり
昔から「希望」という言葉が好きで
仕事でもテーマによく使っている「希望」

当たり前のように使ってきたこの二文字が
いま、なぜ、学問として取り上げられているのだろうか

世の中が混とんとして
とくに若者世代に将来への希望を喪失している
将来の日本を背負う若者たちが将来に希望を
持てないとしたら大変なことになる

「希望とは何か」を科学的に読み解こうという
一大プロジェクトが研究者を集めて行われているらしい

「希望再生」に取り組もうということか・・・。