昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

東海道五十三次ウォーキング⑥(石薬師-四日市)

2007-10-31 15:56:48 | 東海道五十三次
東海道五十三次ウォークの第六回「石薬師→四日市」を
きのう歩いてきた。天気がよくて、東海道をのんびり、ゆっ
りとひとり歩きが楽しめた。

ただし、スタートではつまづいた。土日と平日の時間を間
違えたために新大阪のJRスタート時間から少しずつ狂っ
た。東海道線から草津線の接続でおくれ、草津線から関
西線の接続の柘植駅ではなんと1時間近く待ち時間が発
生。駅前のたった一軒の店がコーヒーショップ、ここでコー
ヒータイムをする羽目になった。
亀山行きに乗車。


秋の車窓から・・・関西線柘植・加太間


加太駅を通過。


亀山駅で名古屋行き乗り換え。


新大阪駅を7時20分に乗ったのに現地、関西線加佐登駅
に着いたのは11時。新大阪でわずか8分前に乗車しておれ
ば2時間半ですんだのだが・・・これも懐かしい思い出に
なればいい。

58日ぶりの前回ゴールのJR東海加佐登駅からさあ出発!


駅から東海道へ、ここは国道一号線にそって東海道が
あるのでそちらへ移動していく。車の往来の激しい一号
線に出る、407.5東京からの距離表示。
しばらくすすんで取り入れのすんだ田んぼ道を右に左に
複雑にすすむ。このあたりがわかりにくいところ。




最初の目的地「石薬師の一里塚跡」へ。緩やかな坂道
を上りきったところにあるのが、遠くからでもわかった。



(28日となっているのはその日を予定して作成していた)

石薬師は、歌人の佐々木信綱の出身地で、この一里塚
から町を貫く東海道を東海道石薬師宿「信綱かるた道」
として36の句が道にそって掲示されているのをたどりな
がら進んでいくのだ。



途中にある「石薬師寺」は奈良時代に創建されたもので
佐々木信綱や西行や一休、芭蕉の句碑が境内にあると
ても緑の多い落ち着いたお寺だ。


芭蕉の句碑。”春なれや名もなき山の薄霞”


お寺から道路反対側を少し入っていくと源頼朝の弟、範
頼を祀る「御曹司社」があり


そこから右へ入ると範頼が戦勝を祈願して立てた鞭から
生えたといわれる桜で「蒲桜」、逆桜とも言われる桜と
信綱の歌碑がある。


かるた道をすすむと「信綱の資料館」と「生家」の前につく。
資料館の人が、わざわざ生家へ案内してくださり昔のまま
が保存されている生家の中をみせてもらうことができた。


すずりも筆も巻紙もそのままに・・・


うかつにも、唱歌「うの花」の作詞が佐々木信綱であるこ
とを知らなかった。


生家の庭にも資料館の前にも「うの花」の木?が植えら
れていた。一本100円でも売られていたぞ。

そこから少し行くとこのあたりが石薬師宿の中心だったの
だろうか、ひときわ大きな家がある。
ここが「小沢本陣跡」。明治時代に建て替えられたものだ
そうだが中には貴重な宿帳や貴重品が保存されているら
しい。宿帳には、浅野内匠頭や大岡越前守の名前もある
そうだ。少し行くと信綱ゆかりの大木神社に行く。


北町の延命地蔵さん、ここでおそい弁当を食べる。近くで
休憩わしていたサラリーマン風の中年の男性に話しかけ
たら・・・これが大失敗。この人、仏壇のセールスマンとや
ら、あれやこれとこれから行く四日市の説明をしてくれる
のはいいが、グルメ情報だの自分の仕事のこちだの・・・
弁当たべさせてくれい!12時58分。




信綱かるた道のスタート 一番
「四日市の時雨蛤、日永の長餅の家土産まつと父を待ちにき」




鈴鹿市の石薬師を過ぎて国道一号線にそって歩くと四日
市市に入る。13時36分、一号線の道路標識。


ガソリンスタンドの一角に「采女の一里塚跡」があるがこれ
がなかなか見つからなくて行ったり来たりしてようやく発見。
まさかガソリンスタンドの看板の下にあるとは・・・

少しすすんで国道一号線を横切りななめに緩やかな上り
をすすむとはるか左下前方に四日市の市街地が見えてき
た。やっと関西圏から東海地区へ来たと実感。13時57分。
左が国道一号線、右の道を登っていく・・杖衝坂へ。


坂を上りきったところに「血塚社」がある。日本武尊が坂
で怪我をして足から流した血を封じたところという。


緩やかな上り道から今度は急な下り坂になった。
ここが「杖衝坂・・つえつき坂」という。
日本武尊が剣を杖がわりにして越えたと言われのある急
な坂。
芭蕉も江戸から故郷の伊賀へ帰る途中、馬でここにさし
かかったが、急な坂道のために馬から落ちたそうで、その
時に詠んだ句碑がある。

「芭蕉の句碑」”歩行ならば杖つき坂を落馬かな”


幸か不幸か、自分はこの坂を下っていくほうだから楽だ。
東から西へ向かう人にはきつい坂だったに違いない。


「杖衝坂」道標。


しばらくすすみ内部川をすぎ近鉄線を渡ると国道一号線
旧東海道と伊勢参宮道の分岐点のある小さな緑地帯に
出る。
ここには神水がわき、今日も遠くから車できたという女性
が大きなペットボトル数本に水を汲んでいた。飲んでみた
が冷たくておいしかった。ここには、常夜灯と道標がある。


松並木に残った一本の松の気が遠くから見えてきた。
「東海道名残の一本松」と説明板に書かれている。
昔、このあたりは土手で家はなかったらしい。東海道の
道幅は約5.5メートルで現在も変わっていないそうだ。

すぐ近くで立ち話をしていた80は過ぎていたと思われる
2人のおばあさんと顔があったら、ご苦労さんですね!
ここで立ち去ってはいけない、しばらく話をする。
近鉄四日市駅までどれくらいかかるかと聞いたら、お宅
なら半時間もかからんでしょうと言われたので、予定しの
4時36分には乗れるなと安心。15時12分だ。
・・ところがそんなもんやなかった!


そのすぐ近くに「日永の一里塚跡」があるというが、いくら
探しても見つからない。4人目のおばあさんに聞いたら、お
寺の近くにあるという。
行ってみたがない。時間は気になるし、同じところを三度と
通って倉庫と民家の間に立っている碑をやって見つけた!
あった!と思わず大きな声が出た。諦めないでよかった!
ここで思わぬ時間をとってしまう。
15時32分になっていた。松の木から50メートルもない距離
なのにちょうど20分もかかったことになる。急がないと!




あとは、ゴールの近鉄四日市駅をめざすだけ。
浜田城跡も次回にまわすとして急ぐ。


駅前の大通りに辿りついたので、そこに建てられていた
「東海道400周年年記念」碑を今回のゴール地点とし
て、次回はここからスタートすることにした。16時12分。


近鉄四日市駅


16時36分の快速急行に乗る。中川で大阪なんば行き
に乗り換えて19時21分に戻ってきた。大阪なんば行
きの特急なら直行で早いし本数も多いが、ウォークに来
て特急に乗るのは抵抗あり。
しんどくても急行でよし、その代わりわずかな待ち時間に
駅で缶ビールひとり乾杯!よく歩いた!


歩いた時間よりも電車に乗っていた時間が長かった。
歩数 約24,000 
次回は、四日市から桑名までだ。

ただいま、無所属。ひとりからの再出発!

2007-10-29 18:29:18 | ウォーキング
2002年に立ち上げてから今月まで
6年間で70回の例会を開催してきた
【らくらくウォーキングクラブ】の主宰を
今年末で引退しメンバーに譲ることにした。

土曜日に
一番協力をしてくれた気心の知れている人に
引き継ぎの打診をしたら
ぜひ、やりたいと喜んでくれたので
愛着のある名称もすべてのメンバーも
後に問題が起きないように
一切を譲ることにして身を引くことにした。

ただし、メンバーにはしばらくこのまま伏せて
年末の納会ウォークできちんと説明をして
さわやかに引き継いで行きたいと思っている。

もともと、立ちあげたウォーキングクラブは
主宰していたビジネスマンの学習型交流会の
課外活動として始めたもので
メンバーの運動不足を解消するのが目的だったが
メンバーがすっかり交代してしまって
本来の趣旨はどこへやら
一部メンバーとは微妙なずれをお互いに感じていた。

それでも、クラブそのものは、なにの問題もなく
皆で、仲良くウォーキングを楽しんでいるので
これを邪魔してはいけないし続けさせてあげたい。

ここは、クラブの主宰者として賞味期限が
きたものと認識し身を引くことにして
自分は次のウォーキングをめざすチャンスにしたい。

昨年、ウォーキング指導員の資格を得たのも
健康ウォーキングに役立てたいと思ったからのこと
これ以上、時間を無駄にするわけにはいかないので
ちょうどいい機会になる。

ということで、今年をもって引退することにした。

実質的には、ただいま、無所属・・・
まったくのひとりになってしまった。

これから自分の求めるウォーキングが
どこまでできるかどうかはわからないが
これも飛躍のチャンスととらえて
積極的にチャレンジをする決意をした。

決意したからには
今日からスタート
志を同じくする人がいたら
広く
パートナーとして
また
メンバーとして
参加を呼び掛けたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

やまさきひであきのらくらくウォーキング
新たなウォーキング活動に取組みます。

●健康・ビジネスマン・ウォーキング・交流●

キーワードはこの四つ
現役で仕事をもつ人たちの運動不足を補い
健康増進をウォーキングを通して実現して
いくことを目的としています。

仮称ですが

【●らくらく健康ウォーキングネット●】

 ◎メンバー募集 ◎スタッフ募集
 ◎2008年1月から活動を開始。

 9月26日の朝日新聞の夕刊一面に
「ウォーキング熱加速」と記事が掲載されました。
一番にやりたい運動の1位はウォーキングだそうです。
そうした人たちも含めてウォーキングの好きな人
ウォーキングをやってみたい人・・・
みんなで楽しみながら健康的に役立つ
ウォーキングを一緒にやりませんか!

うっかりの土曜日、病院をパスした!

2007-10-27 22:40:00 | 健康
気がついたら10時を過ぎていた。

ちゃんと7時には目覚めていたのだが
もう少し・・・うつらうつらしている間に熟睡したらしい。

今日は、通院の日
こん月になって、治療中の血圧がかなり高くて
ずっと頭痛が続く
薬もなくなったので、どうしても通院しないといけないと
夕べ、ちゃんと血圧記録ノートも整理していたのに

電車で二駅の病院の受付時間には間に合わなくなったので
事務所へ。

天気もよくなくて小雨ぱらぱら・・
台風の影響か風も強い
気の重い昼食をして

こんな日は、事務所の掃除でもと
ちらかり放題の部屋の掃除をした。

夕方からは
ウォーキングクラブの仲間と打ち合わせで
とうとう、一日、仕事場に缶詰。

まあ、こんな日もあるか、と慰めた。


おなじみの新幹線。


写真事務所から・山陽新幹線レールスター 
ふるさと広島へ帰省する時に利用する。

ハッピーな話、複雑な心境。

2007-10-26 18:16:20 | ひとりごと
大事にしている交流会でよく会う素敵な女性を知っている
三十路も半ば、成熟した大人の女性らしい落ち着きの中に
明るくて、元気がよくて、行動的なしっかり娘さんだ
いい女性だなあ・・・常々そう思ってみてきた。

先日、その女性が仲良くしている先輩の女性から
いい人を紹介してあげてほしいとメールをもらった。

いきなり頼まれても、こちらに在庫?があるわけでもなく
身近にいる独身男性を思い出しても、とても、とても・・

でも、なんとかしてやりたい!

そんなことを思いながら、きのうのナイトウォーク中に
ふと、仕事で関係のある会社の男性のことが頭に浮かんだ。
やはり三十路後半のビジネスマンで長身の好青年だ。

あいつならいいカップルだ!

ここ半年は会っていないが、自分を慕ってくれる
向上心が強くて、仕事もできる素朴な男だ。

さっそく、今朝、さりげなく、近況を尋ねるメールを送ったら
昼の休憩時間に、いつものように、こちらの気分をよくさせる
内容で始まる返事がきた、勉強会を楽しみにしているという。

そして、メールの最後に

”ご心配をいただいていましたが
実は、急な話があって、結婚することが、ほぼ決まりました。
正式に決まればお知らせしようと思っていたところです。”

見合いだったのだろう・・・

仕事も大切だが、家庭を持つことも大事だ
と、会うたびに言って聞かせていたのだが

あー、一足おそかった!Sちゃん、ごめん!
でも
M君、おめでとう!

これまで二組のカップルをゴールさせ
一組だけ仲人を経験したことがあるが
それぞれ幸せな家庭を築いている。

仲人は、柄でもないので二度とやらないと決めてきたが
幸せカップルなら何組つくってもいい。

こうなったら彼女のためにいい人をみつけてやりたい!

久しぶりにほのぼのとした気分になった。

しかし、わが家を思えば

”お父さん、よそのことより、うちの子、なんとかせんと”
家内の顔が浮かんだ。

ただいま31歳、ひとりお江戸でなにしているのやら・・・。
おかげて、おじいちゃんにならずにすんでいるけど。

複雑な思いを残して雨の日が暮れていく。

96歳で10年後の予定!

2007-10-24 18:42:45 | 輝いて生きる
日刊スポーツの22日版にこんな記事が載っていた。

96歳日野原医師が10年先まで仕事予定

日本音楽療法学会理事長で現役医師の日野原重明氏(96)が
22日都内で心を癒やすアルバム「さわやかに生きる音楽(音楽詞編)」
(12月19日発売)の公開収録を行った。

日野原氏が自分で作詞した詞をピアノやバイオリンの
演奏に合わせて朗読する内容。

日野原氏は長寿の秘訣(ひけつ)を
10年先のスケジュールまで入れていることとし
「4年先には小沢征爾さんと平和コンサートを
石原(慎太郎)都知事とは2016年の東京五輪の話をしています。
食事はローカロリーで」と話した。


「生き方上手」でおなじみの日野原重明先生は
100歳まで「生涯現役」をめざす自分の大きな目標の人。

もう一人の目標だったプロスキーヤーの三浦敬三さんが
昨年に亡くなったのでただ一人の大きな希望の星だ。

事務所の洗面所と冷蔵庫には、日野原さんの著書のカバーを
貼っているくらい、尊敬してやまない人だ。




その96歳の日野原さんが、10年後の106歳の仕事予定を
持っていて、それを公開したという・・・

驚き、感動、・・・あー、続く言葉が出てこない!

自分が宣言している一番先の目標といえば
たった3年後の4月13日の70歳の誕生日に
東海道53次ウォークで日本橋にゴール
息子と友人が迎えてくれる約束をしている程度。

なんと、ささやかな

なんと、ありきたりの

そして

あそびやないか!

愕然とした。


夢も希望もランドセルの中には詰まっているが
それを宣言する勇気のなさがほんとうに情けない。

しっかりしろ!

時間はあるぞ

ぼちぼちでも

とにかく具体的に

一歩一歩踏み出して

昨日より今日

今日より明日と

すすむことだ。

ウォーキングで

そのことをよく知っているのに。

力まなくていいが

進もうよ。

求めない!

2007-10-23 15:05:55 | 本・読書・音楽
来月に予定されている勉強会の参加者から先週末
推薦本を紹介してほしいと依頼があった。

自分が読んだ本よりも
一緒に読んでみたい本を選ぶことにして
以前から気になっていた本を日曜日に購入し
一気に読んだ。

さっそく月曜日にメールで参加者に連絡をしたら
一人からNHKで紹介されていたと返事がきた。

タテヨコ15センチもないかもしれない小さな本

   「求めない」

  著者 加島祥造さん

こんな本が書店にひっそりと並んでいるのは
以前から知っていて、タイトルが気になっていた。



「求めない」

ではじまる著者の思いを
短い文で書き上げたものだ。

人はだれでもなにかを求めて生きていくもの
自分もその通りだ。

生きてきた道を振り返ってみても
多くを求めることに費やしてきた人生に違いない。

いまよりも、もっともっと、まだまだと
合言葉のようにして日本中がみんなその道を走ってきた。
バブルがはじけ、震災という大きな体験を経て
それが、どうなんだ?!
と問う人々が出てきたが・・・


この本の著者は言う

人間は求める存在だ
求めることは肯定して
「求めないですむことは求めない」
すると、何かが変わる。


人と人との中でも求めすぎると
関係が悪化し
形あるものを求めすぎると
無駄や浪費につながる。

求めることは決して悪いとは思わない
求めるからこそ努力があり成長があり発展もある。

ほどほどに・・・
このバランスが難しいのだろう。


67年生きてきても

もっと、もっと、と自分に求め続けると
やる気に燃えて自分を叱咤激励する。

67年生きてきたのだから

もう、いいやないかと自分を許してみると
やる気は頑張りすぎない程度でいいと思う。

どっちも大事
どっちも自分だ

いつも言い聞かせている

もう、あれこれ自分に求めるよりは
これまで積み重ねてきたことで
自分を活かせたらええやないか!

そうすると身体全体から力みが消えて
気持ちが楽になり穏やかな自分になる。


昨日の日経新聞夕刊の一面下段に
「求めない」が紹介されていた。

この本が26万部も売れていて大反響
全国書店売上のベストテン入り
文芸部門では1位になっているという。

「求めない」という簡単な言葉が
それほど多くの読者をひきつけるものはなにか

自分もそうだが、なんだか肩の荷が下りたようで
ホッと心が癒される気分になれたからかなあ。

来月の勉強会で参加者と「求めない」について
どんな話が交わされるか楽しみだ。

若者達とどう向き合う・・・自分の使命。

2007-10-20 21:05:08 | 輝いて生きる
午後から半日、某社で入社2年半の社員たち
三十数名と勉強をしてきた。

昨日から同期入社が大阪にある本社に集まり
フォロー研修、その最後の時間に招かれた。

それぞれの現場に配属をされて2年半
ようやく日常の業務については
独り立ちができる段階になりつつあるが

現場の第一線でもまれ続けてきて
この時期が、一番つらい時期のはず
悩みや迷いを持つのは当然だろう

放っておくと退社につながるので
なんとかフォローをしてやりたい
というのが会社の狙い。

事前に担当者から
入社からこれまで、だんだんと元気がなくなっているので
勇気づけをしてほしいと注文があった。



参加者に聞いてみると

気がついたら自分の部屋に戻っていた・・
毎日毎日、遅くまで働いても仕事は片付かない・・
いつまでこんな状況が続くのか・・

あこがれて入社した会社も現実は厳しい
明日の見えないその日暮らしに心身ともに疲れている。


ここで、教訓めいたことを話したり
一方的に励まし続けてもさして意味はないだろう。

いま、現場で自分がどうなっているのか
なにを思い、なにを感じ、なにをどうしたいのか・・

自分に与えられた時間の半分は
彼ら、彼女らのグループ討議の時間に提供して
まとめたものを発表してもらうことにした。

わずか1時間、小部屋に分かれて
真剣に話し合いを続けていた。

そして

これまでの見直しと
今後のことについて
きちんと気持ちを整理して
力強い発表をしてくれた。

自分の息子よりも若い人たちに対して
自分が果たす使命とはなにか
自分になにができるのか
いつも考えさせられる。

一生懸命にノートをしてくれていたが
役にたったのだろうか。

”ありがとうございました”
という大きな声を背に失礼してきた。

・・・

思わぬ出来事
本の話をしていたら
一人の若者が、ラグビー神戸製鋼の平尾さんの本を
読んだのでとプレゼントしてくれた。

せっかくの申し出
ありがたく喜んでもらった。

その代わり
自分が持っていた本を彼にプレゼント。
帰りの新幹線で読むと目を輝かせていた。


木原光知子さん、さようなら!

2007-10-19 14:19:44 | 健康
特徴の大きな目に、絶やさない笑顔が
とてもさわやかで大好きだった。

木原光知子さんが還暦を前に59歳で
なくなったというニュースは未だに信じられない!

親子水泳教室で指導中のプールで意識を失い
搬送された病院でくも膜下出血で亡くなったという。

水泳の選手として何度も自由形の日本記録を
塗り替えた短距離界の第一人者だった。

東京オリンピックでは
400mメドレーリレーのアンカーとして
堂々4位入賞のゴール
見事な活躍だった!

長身の美人系で愛称はミミちゃん
人気者だった当時のことをよく覚えている。

現役引退は早かったと記憶しているが
その後は、お茶の間によく似合うタレントとして
いつもさわやかな笑顔と岡山なまりの語り口で
明るくて親しみやすい人だった。


”老いることは怖くない、目的をなくすことが怖い
 なんでもいいから好きなことを見つけることが大切”


彼女は、いつも言っていた。


日本水泳連盟の理事として
水泳をお年寄りまでの巾広い層に普及させるなど
水泳を通して元気に生きていく力を
多くの人に与えることに力を注いできた人だと思う。

それにしてもすばらしい人を失ってしまった。
59歳、自分より8歳も若いのに・・・

一番驚いているのは、木原さん本人だろう。
まだまだ、やりたいこと、夢もあったに違いない。

スポーツを愛し、健康美の見本のような人が
こんなにあっさりと亡くなっていく
命の儚さを知らされた思いだ。

寿命に順番はない、ある日、突然、人生の定年が
やってくる。

いま、やりたいことに
思い残すことのないように・・
ミミちゃんの遺志を大事に大事にしていこう。


木原光知子さん、謹んでご冥福をお祈りいたします。
ほんとうにお疲れ様でした!

緊急放送、火災発生、避難してください!

2007-10-18 17:37:01 | ひとりごと
正午すぎ、けたたましい非常ベルと共に
館内放送が始まった・・・

緊急放送、9階で火災発生、避難してください!

緊急放送、9階で火災発生、避難してください!

たまにある誤報かと思っていたが
何度も繰り返すので気になって廊下に出ると
あっちの部屋からこっちの部屋から
あわてて、不安そうに出てくる人で異様な雰囲気。

わが事務所は7階
ビルは11階
エレベーターより階段で下りようと
いつも上り下りしている階段に行ってみると
すでに階段も上の階から下りてくる人で列。

9階の知り合いがいたので声をかけると
9階で火災は発生していないという?

館内放送は依然と続いている
おかしい???

去年までここのビル管理組合の理事長をしていた本能?か
下りてくる人をかきわけて9階へ上がって行った。

おかしい、9階に煙は出ていない
避難したのか、人の姿もない。

一戸一戸、ドアをたたいて、隙間からにおいをかいで・・

そのうち、ビルメンテナンス会社を経営している
顔なじみの社長も上がってきた・・・

両端から確認していると906から匂いが・・・

ドアの隙間に鼻をくっつけて、よーく、嗅いでみると
どうやら
バルサンのにおい!

管理人に連絡して、預かっていた非常用のキーで
入り、窓を開けて、煙を逃がした・・

館内放送をしてもらって事なきを得てホッと!

昼時間だけの理事長代行をした。

後からわかったことだが
朝、そこの個人事務所の人がでかけている間に
バルサンをたいていると管理人に届出をしていたらしい。

それを知っているのに管理人は
館内放送を止めることに夢中になって
しかもあわてて操作がうまくいかない・・・あほや!

下りてきた人がフロント前にいっぱいになるし
事務員は、その対応に追われていて
現場がほったらかしの状態になっていたということだ。

まあ、ほんまの火災でなくてよかった。

バルサンを軽い気持ちでたくと
火災報知機が反応してしまいよくこれがある。

一部屋だけたいても、ゴキブリは、よその部屋へ簡単に
移動するのであんまり効き目がないと言うてきたのだが。

どっかのボクサーが、相手を「ゴギブリ」呼ばわりしたばかりに
きついパンチだけでなく、重いおしおきをもらうことになった。

ゴギブリをなめたらアカン!
対策は慎重にやらないと。

それにしても、人騒がせなバルサン。
緊急時に対応できない担当者。

昼の休憩時間だからすでに昼食に外出していた人が
多かったので騒ぎは少なくてすんだが
理事長は、あっちから、こっちから、つつかれるだろう。

「自分の証明」とセキュリティチェック。

2007-10-17 17:38:56 | 仕事

(事務所から新大阪駅の夕暮れ、新幹線、小林&江川の広告塔)

午後、来月初めの○長さんの勉強会の打ち合わせで
市内の高層合同庁舎にある○事院を訪ねた。

ここは、以前から入庁のチェックが厳しいところだが
久しぶりに訪ねた今日は、さらに徹底していた。

入口までの広い通路の玄関10メートル前のところで
入庁の用件を聞かれる。

ドアを入ると三重にガードマンが立っていて
また、行き先をたずねられ
受付へすすむように指示をされる。

受付では、名前と行き先と用件を聞かれて
「自分」が何者であるかを盛んに尋ねられる。
それがすむと、やっとカードに記入させられる。

訪問先の担当者を組織図で確認し
本人に電話を入れて
こちらの申し出たことと照合をして名札を渡され
やっと○階の部署へ。

事前に、担当者から受付には連絡が入れてあったそうだが
そこまで徹底してやっていた。

この庁舎には
○察庁が入っているために
部外者には特にセキュリティ上のチェックを
きちんとやっているのだろう。

それにしても受付で人が重なると時間が
かかってしまうので大変だ。


民間でも受付でチェックを行うところが増えているので
特別なこととは思わないが
それにしても時代は変ったものだ。

一昔前なら
知り合いの会社の近くに行くことがあると
ちょっと近くまできたからと
ぶらりと立ち寄ることもできた。

いまはとんでもないことだ。

昼食時間のオフィス街は首からカードをぶらさげた
ビジネスマンでいっぱいだ。

あれを見ていると
昔、飼っていた犬の首をにつけた鑑札を思い出す。

どこに行っても自分を証明することが求められる時代。

組織に所属しないでここまで生きてきた人間だから
いつも自分を証明することには慣れてはいるものの
改めて

「自分の証明書」

を作成するとしたら、どんなものを作るか・・
ふと、そんなことを感じながら戻ってきた。

諦めないで続けているうちにプロになる!

2007-10-14 18:06:50 | 輝いて生きる
塾の仲間、先輩でもあるデザイナーの
ヤス・アカノさんのファッションショーが
午後から神戸阪急百貨店で開かれた。

応援がてら女性メンバーを誘って行ってきた。

アカノさんが23年間をかけて育てた全国の教え子たちが
自分がデザインし、作りあげた衣装で
自分がモデルになるという楽しいファッションショー。

一週間、毎日のショーから選ばれた70名が
一階のメインコーナーで最終決戦?

塾の塾長でもあるフリープロデューサーの
木村政雄さんが審査委員長だ。

アカノさんは、家庭に眠る衣服の再生をテーマに
とくに着物に着目し、着物を再生したファッションで
海外にも知られ、神戸阪急にも売り場を持っている。


塾での期は違うが、個人的にアカノさんという人に
関心をもっていたので、こちらから接していくうちに
いまでは、すっかり親しくさせてもらっている。

七十代の半ばなのに圧倒されるくらいのパワフルな人で
元気者の私、ランドセル少年もたじたじ・・
人間的にもすばらしい人で
木村さんも一目置かれているくらいだ。

ショーも楽しかったが
なによりもショーの合間に語るヤスさんの
トークがまた心をとらえて離さなかった。

ずいぶんと多事多難の人生に遭遇しながら
それを乗り越えてきたのは
(ここに最大の関心があった)

なにもなくしてマイナスになって

”なにもないから続けることしかなかった”

同じやるなら、楽しく、元気よくとやってきた。


まったく、同感。
いつも思う。

持っている人は、やらない。
やってもうまくいかないとやめてしまう。

安定が約束されている人は闘わない。
闘う必要性がないからだ。

生きるか死ぬか
ぎりぎりの状況に置かれている人間は
必死で生きていくために闘う意外に道がない。

そこからプロ(自立)への道が開かれてくるのだと思う。

学んできた塾は「有名塾」

ビッグになる、有名になるという意味ではない。

組織や社名で仕事をするのではなく
自分の名前で仕事をしようということだ。

自分も、どこにも所属せず、自分の名前だけで
ここまでやってきたからよくわかる。

世間は、個人名では、なかなか信用してくれない。
それで、これまで、どんなに悔しい思いをしてきたことか・・・
いまに見ていろ!
いまに見ていろ!

そう言い続けて生きてきたから、まだ、現役で出番がある。

木村さんもヤス・アカノさんも自分の名前で生きている。

人生の後半まで生きてくると
だんだんと人が見えてくる。

やっぱり本物の人と接していきたい。
それには、こちらも相手にしてもらえるだけの
生き方と値打を持たないと
だれも相手にはしてくれない。

会社の名前も地位もない、名刺もただの紙切れだから・・・。

今日も、いい勉強をしてきた。
一緒に参加した素晴らしき仲間たちも
自分の名前で生きている連中ばかり。

人が集まる人のところへは、
波長の合った人が寄ってくるものだ!


今日は、主宰しているウォーキングクラブの例会日だったが
ウォーキングは、いつでもできる。そちらは任せ、参加しないで
神戸へ行ってきたが大正解だった。

江川さん&小林さん、和解のCM!

2007-10-13 19:33:35 | ひとりごと
あれ、向かいのビルの広告塔が変わっているぞ!

何年も前から、いつもこちらを見つめていてくれた
高島礼子さんが消えてしまった!

七階の事務所の向かいにあるビルの広告塔が
ちょうど、うちの事務所の正面の位置にあって
ずっと昔から黄桜酒造の看板がかかっている。

新幹線からもよく見えるいい場所にあるので
見ている人も多いはずだ。

記憶で一番古いのが、三浦布美子・・・古いなあ。

そして、いろんな人に代わって
ここ何年かは高島礼子だったが

なんと、なんと、この2人にかわった!

(私の部屋から撮影、右が新大阪駅)

1978年プロ野球ドラフトの「空白の一日」で
因縁の対決となった元巨人の江川と元元巨人の小林の2人。

その因縁の二人が28年ぶりに“お酒”で和解した姿を
“和解の酒”にして看板に登場したのだ。

担当者が「ダメもと」で江川に打診したところ
「小林さんがOKなら」と予想外の返事があって
話はとんとん拍子に進んだという。

ふたりは会話を交わすことはなかったそうで
あの日から28年たって初めて話したという。

因縁の2人が初共演の「黄桜」のCM

 小林氏「お互い避けてたんかな?」

 江川氏「え~…」

 小林氏「俺もしんどかったけどな。2人ともしんどかった」

 江川氏「そうですよね」



あの騒動は、いまでも、よく覚えているが
28年の時を越えて、50代の男2人が
杯を差しつ差されつ、球史に残る対談をCMに。

さすが黄桜のCMはうまい、いや、酒も美味い。

これから何年になるか
2人が、向こうから、こちらを見ていてくれる
こんな力強いことはない。


うちのらくらくウォーキングクラブの年末の納会は
毎年、京都伏見の黄桜酒造が経営する
黄桜カッパカントリーで行っているように
黄桜とは、縁が続くなあ・・・

ぼくは、新大阪の案内人!

2007-10-12 23:08:24 | 輝いて生きる
ほのぼのとした余韻が続いている・・

夕べ、出張から戻ってきて
諸々の整理をして午後の11時過ぎ事務所を出た。

疲れた体に重いカバンを下げて新大阪駅東口の階段を
あがってコンコースに出たら

階段横の案内板をのぞきこんでいるビジネスマンらしい
二人連れが目に入った。

その姿を見ると疲れていてもそこは案内人根性で

"どちらに行かれますか"

いつものように声をかけた。

その時間に、暗い新大阪周辺で
迷いでもしたら気の毒だ、ほっとけない。

"メルパルク”に行きたいんです!

うれしそうに寄ってきた。

メルパルクは、現在地とは、まったく逆にある。

持っていた地図を借りて
地図を現在地に合わせると
2人も方角を逆に見ていたことがわかった。

”助かりました”と大きな声で、身体を折るように
丁寧なお辞儀をしたのにはびっくり。

”そこまで一緒に行きましょう”

”でもお時間を取ってはいけませんので”

こんなやりとりをしながら

地下鉄の駅までは、同じ道なので一緒に歩いて
あとは、ちゃんと教えてあげてわかれた。
大丈夫だろう。

東京から出張しきたといっていたが
身体を折り曲げるように何度もお礼を言われて
こっちが恥ずかしいくらいだった。

でも、あの二人とのやりとりで、なにか
ほのぼのとした気分になって疲れも忘れてしまった。

あー、よかった!

実は、新大阪駅周辺は、道が複雑な上に
遠方から新幹線で来る人も多いので
コンコースを通っていると
どこかの案内板の前で地図を片手に
なにかを探している人の姿をいつも見かける。

だから、東口近い案内板、東口広場の案内板で
人を見かけたら声をかけることにしている。
もう、ずっと前からだ。

メルパルク、ココプラザ、○ビル本館、新館は
諸々の催し物や会議等で使われるところで
とくに探す人が多いところ。

駅の周辺は、ビジネスホテルも多い。
これも地図で覚えるようにしている。

知らない土地に行くと一番の不安は道だ。
昨日までいた徳島でも道を尋ねることがあった。

だから困っている人を見かけたら
声をかけることにしている。
おたがいさまだ !


ぼくは、67歳の新大阪駅東口の案内人。

四国に遠征して二泊三日。

2007-10-11 20:38:47 | 仕事
9日の午後から11日の午前11時まで
2泊3日のスケジュールで四国の徳島市を
訪れてきた。
大阪駅前から徳島駅前まで高速バスで2時間半。
途中、明石海峡大橋で淡路島を縦貫、渦潮のまく鳴門海
峡を橋上から楽しむこともできていい旅気分になった。



今回は、中・四国地区の独法くに立大学の管理職さん
55名の勉強会に招かれた。

去年も山陰開催に呼ばれたので状況はわかっていたが
くに立大学も独立法人となって
現場の改革はまったなし、中間管理職の責任が重いだけに
参加者の学ぶ姿勢は真剣そのものだった。

3日間のテーマを

 「私が源点」「主語は私」として訴えた。

「ありがとうございます」ということばも3日間で
ちゃんと定着するほど活気にあふれて楽しかった。

2日目までは、終日立ちっぱなしでも問題なかったが
しかし、ひとりで担当は、さすがに疲れる。

2日目の夜は、3日目に備えて外食は控え
コンビニ弁当をホテルで食べることで我慢したが
3日目は、口がつかれたのか、トチリ続きでまずかった。

毎回毎回、今日は、大丈夫か?

と祈るような気持ちでのぞむのことが
心地よい緊張感になって
皆さんと気持ちの交流はできたものと満足して
戻ってきた。

さて、どんな評価をもらったのやら・・・

久しぶりの徳島は、阿波踊りの時期を終え
穏やかな秋を迎えていた。
渦潮にもまれたおいしい魚を味わうこともできて
徳島遠征は楽しかった。



明石海峡大橋を渡るともう関西、さあ、まだまだ、やるぞ!

白髪にあこがれて・・・

2007-10-08 17:37:34 | ひとりごと
洗面のおり、もみあげ箇所を髭剃りしようとして
白髪を二本発見!!

ありゃ、白髪君、こんにちは!
とは言わなかったが

実は、この歳まで
白髪がまったくないんだ。

珍しいものを発見したのだから
首を横にひねりながら
なんとか掴んでみようとするが
短くてつかめない。

さて、どうしたもんか・・

残しておくと、毎日、気になって
しょうがないだろうと
抜くことにした。

ところが、短くて、どうしてもつかめない

家内に頼むと
毛抜き?を持ってきて抜いてくれた。

あー、勿体ない!

他にもないか、坊主頭の点検を頼んだが
ないそうな!

なんでやろ・・・

どうしたら白髪になるんやろ?

白髪を染めて黒髪にする人もいるが

ならなければならなくて

白髪の丸坊主にあこがれてくる。