昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

69歳からの人生ウォーキング。

2009-04-30 02:01:56 | 輝いて生きる
69歳の古希を区切りにして

残された日々を

明るく楽しく元気よく

+面白く

過ごしていくには

どうしたらいいだろう・・・

自分の望む姿と

これまで過ごしてきたことを

整理しておきたくて

毎日、毎日、メモを書き続けた

少しずつまとまってきた。

これからの行き方(生き方)も少しずつ見えてきた。

メモ書きしたA4のコピー用紙が

いっぱいたまった(50枚以上か)

ノートにもいっぱい書いた。


パソコンで13日以降の日毎のメモを整理していると

だんだんとつながって

中身が少しずつ軽くなってきた。


これまでたまった68年間のアカとサビを落として

心身ともに身軽になって

フットワークと

ヘッドワークと

ハートワークで

いい日を過ごしたい。


「暮らしの手帖」編集長の松浦弥太郎さんの

「軽くなる生き方」はいいヒントになった。


長門裕之&南田洋子さん、言葉にならない・・・

2009-04-29 18:06:32 | ひとりごと
おしどりカップルのすばらしい

芸能人夫婦と見てきた

長門裕之さん&南田洋子さんの本が

いつも寄る書店の通路側の目立つ所に

並べられていた


 ”待っててくれ、洋子”

 昨日の洋子に戻ってくれ。
 神様、この時計を、もういっぺん巻き戻せませんか?

・・・老老介護の現実と夫婦愛。

南田さんが伏せていて長門さんが看病をしている
という話は聞いていたが

まさか、まさか・・・

本をめくって拾い読みした

それ以上、読むのをためらった。


南田洋子さんの知的で上品な人柄が好きだったが

本の装丁にある南田さんは

あの南田さんではなかった

人目にふれること、痛々しい・・・。


老老介護

他人ごとではない

もしかして

自分だって・・・


もう一度

昔のらぶらぶカップルを見たい

長門さん、辛いだろう

痛まないように。


福知山線列車事故から4年。

2009-04-26 23:57:23 | ひとりごと
4年前のあの日、朝、7時45分頃、現場に近いJR尼崎駅を
山陽線で西に向かっていた。

夕方、仕事を終え出張先のホテルに入って事故のことを知った。
深夜までテレビを見ていたことを鮮明に覚えている。
次の日、21時前に尼崎駅を通って帰阪した。

あれから4年、時の流れの早さに改めて気がつく。
犠牲になられたご遺族、傷ついた方には、あの日から時間が止
まっていることだろう。


2年目の6月
お世話をしているウォーキング倶楽部で慰霊ウオークを行った
メンバーが折った1000羽の折鶴を現地の慰霊場所に捧げた。

現場を見て思った。
傷がついたままの狭いマンション
地下へ一両目が入ったというが
とてもそんなスペースはない
地獄だったろう。


急カーブの線路
想像するだけでも鳥肌がたった。


今日、1両目の車両から22時間後に救出された大学生
(当時)と
救出した救急センター医師との対面場面がテレビで報じ
られていた。

杖をついて歩く青年のさわやかな顔がうれしかった。
幸せになってほしい。

いまなお、後遺症で苦しまれている方の快方が1日も早い
ことを願わずにはおられない

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。



人生の軌道修正!

2009-04-25 22:32:41 | ひとりごと
古希を機会に

ここまで歩いてきた道(人生)を振り返り

これから歩いて行く道(人生)を考えている。

大袈裟かもしれないが

これまでと同じことを繰り返していては

体力や知力が衰えていく年代を過ごすのは

無理が出てくる。

そんなことを思っていたら

こんな本が目についたので読んでみた。

 人生の軌道修正  和田秀樹著



著者は、老年医療の専門家、精神科医

大事なことは

思考パターンを複雑にすること

決めつけをしないで

行動は開き直れということ

白黒以外に答はある

こだわらなければ

行動もしやすくなるということだろう。

これはよくわかる

こだわりすぎると

視野が狭くなり

行動も方向も狭くなる

残された時間は保証されていない

思考パターンを軌道修正し

やりたいことは

やればいい

これからの道は

ハードルも低くして

生き生きと

歩いて行きたい。

間寛平さん、ロッキー山脈を越える!

2009-04-24 22:01:30 | チャレンジ
二日前の新聞を見ていたら
地球一周のアースマラソンに挑戦している
間寛平さんがロッキー山脈を越えたという
ニュースが掲載されていた、すごい!


大阪をスタートして
千葉の港までのマラソン、そこから太平洋
にヨットで船出したときのこと、アメリカ
(サンフランシスコだったか)に上陸した
場面等、テレビで見ていたが
もう、ロッキー山脈まで行っていたとは
すごいのひとこと。


大阪発から126日目、総移動距離 14,960.6キロ


自分の東海道53次500キロ、3年計画のことなど
言葉にするのも恥ずかしい。


寛平さんの偉いのは
自分の力以外頼れないことに挑戦すること
手抜きのできない
ごまかしの出来ないことに
チャレンジすること。

それには日々の計画的な
トレーニングを
積み重ねてきているからこそ。


タレントさんのお遊びではない
本気なのだ。


なにが、こんな過酷なことに
間平さんを挑ませるのだろう?


このあとのコース予定は、
ニューヨーク→リスボン→コペンハーゲン(10年2月)
→中国青島→鹿児島へ(11年2月) 


まだ2年先のことだが、
彼は、いまもアメリカ大陸
横断に走っているところだろう。


いま、そこまで駆り立てるものが・・・
自分にあるか?


身体が燃えてくる
寛平さんからのパワーだ
夢をめざして飛び出せ!

時刻表1000号!

2009-04-22 23:36:02 | 本・読書・音楽
JTB発行の時刻表が通巻1000号になった。

その記念号が「おかげさまで1000号」として発行
されたので買った。


創刊が大正14年、84年の歴史になるそうだから
こんなに長く発行され続けてきた出版物は他にない
だろう。

時刻表は一昔前までは出張や旅には欠かせなかった。
その習慣はいまも続いていて小型版の時刻表を年に
何冊かは買っている。

東海道五十三次でもリュックの中に必ず入れていて
知らない土地に行くと駅名と現在地を確認する。

時刻や乗り替えを調べるのにはインターネットで調べる
方が早いし金額もわかるので便利だが、時刻表は単に時
刻調べだけでなく、時刻表をみながら全国どこへでも仮
想の旅が広がっていく楽しさも味わうことができる。

あの路線図を見ているだけでも実に楽しくなるのも自分
だけではないと思う。

息子は幼稚園の頃から親父の不要に(古く)なった時刻
表が大好きで、いつも、ページをめくって遊んでいたが
子供なりに何かを想像して楽しんでいたものと思う。

中学生になってからは小遣いで毎月、買ってきてはよく見
ていた、その時刻表はいまでも主のいない息子の本箱に納
まったままになっている。
それがあってか、大学では鉄道研究会で活動をするほどの
鉄っちゃんになった。いまも変わりない。

1000号の付録についている戦後復興初編集の全国鉄道
路線図は興味深い。

1000号は今年で二冊目・・・
自分にとって時刻表はいまなお大事な旅の友だ。

奈良公園ウォーク・倶楽部例会で。

2009-04-20 17:35:48 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で奈良公園を
ぐるり歩いてきた。
八重桜は咲いていたがあたりはすっかり新緑に包まれ奈良は
春本番。
メンバーに奈良はお馴染みの場所だが、今日は見学はほどほ
どにウォーキングが主目的。

とても4月とは思えない真夏日の奈良公園は暑くて鹿も木陰
で休んでいた。(この日奈良の最高気温は28.4度)

集合場所のJR奈良駅から古い街並みが保存されたの奈良町
へ向かう、町家をそのまま生かした店やレストランが並ぶ門
前町のたたずまいがそのまま残る道を楽しみながらすすむ。


ポイントでは、例会担当者が資料を作成してきて読み合わせ
をしたあと解説を加える、これがわが倶楽部の伝統。
今日はリーダーのちゅうさんが10ページの資料を作成して
きた。文句のない手作りの資料、なにもしなくてもメンバー
がリーダのちゅうさんを中心にやってくれるので自分は参加
するだけでよい、気楽なもんだ、ありがたい。


中将姫ゆかりの徳融寺には八重桜がきれいに咲いていた。


町家を再現したならまち格子の家を見学、中は広く、しっく
りと落ち着いていて町家の雰囲気を満喫。


奈良町を歩いていると家々の軒先から真っ赤な身代わり庚申
が長い糸に結ばれて軒下からつるしてある光景が続く。


庚申堂に寄る、江戸時代に盛んであった庚申信仰を伝えるお堂
身代わり庚申をお守りに買ってさっそくリュックにつけた。


世界遺産の元興寺、かっては東大寺に次ぐ寺格だった。もとは
日本初の寺と言われる飛鳥の法興寺が前身で平城遷都と共に
ここに移されたという。パスで観光客が大勢訪れていた。


おなじみのさるさわの池にはしだれ柳が水面に影を落として
興福寺の五重塔も影を映し奈良のお馴染みの姿を見せていた。


カメも陽気にさそわれて甲羅干ししていた。ここも夏のライト
アップのカメラスポット。


春日大社への入口、一の宮から浮御堂へ向かう、池に浮ぶ
六角堂が緑の中に映える、ここもライトアップがきれいなとこ
ろ、暑いのだろう鹿が水に入り水飲みしていた。



うっそうとした木々の続く道を志賀直哉旧居を右に、石燈籠の
続くささやきの道を世界遺産春日大社へむかう、ここの参道に
も大勢の参拝客が続き、鹿も集まっていた。



春日大社で参拝して次へ


木陰の茶店も新緑に包まれて。


若草山を右に見ながら・・・修学旅行生が目立つ。


芝の広場がひろがる奈良公園へ、ここで楽しいお弁当時間、
実は芝生の上は鹿のふんがあって座れず、奈良公館の横で
シートを敷きみんなで弁当。


食後は、個々のウォーキング活動、健康管理の報告の時間。


午後はおなじみの世界遺産東大寺へ、ここも大変な人出、
修学旅行生も多い。メンバーはよく知っている東大寺なの
で拝観はパスして次へ。


三月堂へ向かう。


そしてお水とりでおなじみの二月堂へ。
ここの回廊から眺める新緑の奈良平野は絶景、個人的には
ここから生駒山へ没する夕日が大好きだ。


二月堂から土塀の続く裏参道へ、振り返ると二月堂が見え
るここからの光景はカメラスポット、奈良公園を訪ねると必ず
通るお気に入りの道。


ここをまっすぐにすすむ、右へ行くと正倉院へつながるが
今日はそのまますすみ戒壇堂へ。



戒壇院は僧となるために仏教の戒律を授かる場所で鑑真
が来日したのを機に建てられたもの、ここからの若草山の
景色もすばらしい。


しばらく奈良の町をウォーキング、最後の興福寺をめざす。


興福寺もみんなにはおなじみのところ。
いまは国宝の阿修羅像が東京上野博物館へ出張中でお目に
かかれない。左が東金堂、右が五重の塔、おなじみの風景。


西国三十三か所の九番札所南円堂から三重塔を経て帰路へ。


ここの商店街で行列のできる店、餅つきをみせながらつきた
ての餅が食べられる中谷堂でメンバーのゆみちゃんが誕生祝
いに買ってくれた。うまい!


時間も早めなので冷たい飲み物を求めて商店街のコーヒーシ
ョップへ寄りしばらくくつろいだ、16時38分のJR奈良
駅発の電車で戻ってきた。

参加者10名、久しぶりにDRのKさんも参加、ただ一人の
喫煙者、おかわり君がKさんの指導よろしく禁煙を宣言した。

わが健康ウォーキング倶楽部に喫煙者はいなくなり、誰に対
しても胸を張って「健康をめざすウォーキング倶楽部」と言
えるようになる、これで体面も保てる。
以後、入会条件に「禁煙」を入れることにした。

今回のウォーキング距離は約15キロ、初心者として入会し
てきたメンバーも日々の様々なウオーキング活動ですっかり
健脚になって、問題なく完歩してくれうれしく思った。

イチロー選手の偉業。

2009-04-18 23:28:36 | 交流
イチロー選手が、張本選手の持つ3085本の日本プロ野球
最多安打記録を日米通算で3086安打に塗り替えた。

イチロー選手は、打率には興味がなくて安打数にこだわっている
と聞いているのでさぞやうれしかったことだろう。

なぜ打率に興味を持たないのか・・・

打席の結果で上がったり下がったりする打率に一喜一憂するのが
いやなのだそうだ。

それより増えるばかりで下がらない安打数のほうがモティベーション
が維持しやすいらしい。

非常にわかりやすい
自分も積み重ねて行くことに興味をもつほうで
なにごとにも番号を打っていく

数が怠けたくなる気持ちをとどめ
行動を引き出し続けさせてくれるからだ

イチロー選手が少年野球の子供たちに話している
シーンがテレビで放映されていた

自分でも1000回打って成功するのは300回
700回は失敗する

このことを覚えておいてほしい

繰り返して言っていた

一番いいたかったことなのだろう

イチロー選手が言うと重みが違う。


母から自然の恵。

2009-04-16 22:18:13 | 家族
ふるさとの兄から竹の子が届けられた

いなかの実家近くにある野菜畑の横に
20本程度のささやかな竹林がある。

野菜畑も竹林も長く母がお世話してきた
家族の大事な食糧補給地だった。

今年はその竹林に異常なほど竹の子が
生えてきているという。

義姉が茹でてパックに入れてくれていたが
食べきれないほどの量が入っていた。

その竹林と畑との間に実家の墓があって
去年の11月に父の待っていたその墓に
母がはいった。

竹の子が好きなことをよく知っていた母が
送ってくれた自然の恵みだろうと思った。





誕生日の東海道五十三次歩き(江尻→興津→由比)

2009-04-15 18:59:19 | 東海道五十三次
13日、日帰りで東海道五十三次ウォークに行ってきた記録。
前回に静岡市の第19番目の府中宿まで進んでいたのでその続きの18番江尻宿、17番興津宿から16番の由比宿までを歩いた。

3年計画で70歳の誕生日にお江戸日本橋へゴールすると決めて京都三条大橋をスタートしてから、昨年の68歳の誕生日は愛知県の岡崎市で迎え、今年の誕生日も東海道のどこかで迎えたいと決めていた。

今回は、他県で深夜までの合宿をしていて睡眠不足に陥っていたので、前夜ぎりぎりまで決めかねていたが、睡眠時間3時間ながら目が覚めたので行くことにした。

早朝6時38分の新幹線で新大阪を経ち、静岡駅から在来線に乗り換え一つ目の東静岡がスタート最寄り駅。


朝の静岡市は快晴、日差しも暑いくらい、これなら今回の楽しみ、興津・由比間のさった峠から富士山を望む絶景に会えるだろうと心は早くもわくわくどきどき。
スタートの黄金橋から東海道線の下を通り、静岡護国神社前に寄り静岡鉄道にそって江尻宿に向かう。国道1号線を交差したり側道をすすんだり、いつものことだが交通事故だけには気をつけようと自分に言い聞かせながらすすむ。

東名高速の下を行くと旧清水市、いまの静岡市清水区に入る。草薙神社への大鳥居が道路わきにあるのにはびっくりした。


草薙一里塚を過ぎ、馬走1里山の信号を左へ入り小学校の横をすすんでいると正面に冨士山が見えてきた。すぐそこに見えている!多少は霞んでいるがそれでもはっきり見える。思わず、やった!


電柱や電線が邪魔なので写真はもう少し先に行って撮ろうと思って史跡さがしに夢中になっていて気がついたら、もう、冨士山の姿はなかった。
どれくらいたっていたのだろうか・・・狐に包まれたみたい。ありゃー、しまった! あとのまつり。

道端にいたおばさんに聞いたら、きのうはよく見えていたけど、きょうの天気では見えないかもしれませんね、とあっさり言われた、ショック!

追分踏切と表示された静岡鉄道の踏切を渡り、金谷橋をすすむと追分羊羹の看板が見えてきた、ウォーキングには必ず羊羹を持参するほどの羊羹党だからおやつに買っていこう。店の近くまで行くと様子がおかしい・・・なんと13-14日は改装のため臨時のお休み。工事中、ありゃー、ショック2! 後で知ったのだが有名な老舗だそうだ。

店の隣に「是より志みづ道」と彫られた清水道道標が立っていた。

さらに古い建物の連なる道をすすむと江尻宿木戸跡の石碑が道路わきにひっそりと立っていた。ここから江尻宿の東の入口か。江尻宿は駿府では府中宿に続く大きな規模の宿場だったが、いまその面影はまったくない。


さらにすすみ三叉路を左へ行くと稚児橋に出た。橋の手前に河童の腰掛け石がモニュメントになっていたので、ここは人間の腰掛け石にさせてもらってしばし休憩、コースの確認。

この稚児橋の欄干4カ所にはゆかいな4体の河童があって愉快だった。
このあたりがサッカーの発祥地だという。


稚児橋を渡って右へ、さらに左の伝馬通りをすすみ、信号四つ目の交差点を右へ行くとJR清水駅、12時を少し過ぎたところだったので駅前の商店街で昼食にした。完熟トマトとあさりのカレー、930円、あさりは大好きでおいしかった。


交差点のすぐ近くのしらすの店先に行列ができていた。しらすも大好き・・・でも買ってもこの暑さでは持ち歩きはできないだろうとあきらめた。
再び伝馬通りをすすむ、辻町の三叉路に行くとそこには一本の細い松が立っていて説明板があり、モニュメントになっていた。なんでもここに、かっては360メートルの松原で1106本の松があったそうだが、第二次大戦中に松根油の原料として伐採されたという。


次の興津宿までの道は見所も少なくて退屈な道、それに暑いので、コンビに寄って羊羹とのど飴を買う。レジの年配の男性が、なぜだか、これから、どちらまで行かれますか?と聞いてきたのでさった峠に行きます、冨士山見えますか?と聞くと、昨日はきれいに見えました、・・・今日は霞んでいるのでどうですかね・・・あーやっぱり駄目か!?

延命地蔵前から側道に入り古い屋並みを曲がりながらすすみバイパスをくぐると再び、さっきまで歩いていた道へ出る。
ここで不思議な光景に出会った、向かい側の道路にそった家々が少し斜めになって立っている、後から撮った写真で確認しても確かに斜めだ・・・なんでやろ?

さらにすすむと左手の高台に清見神社が見えてきた、国指定の史跡で家康や秀吉にもゆかりある寺だそうだ。ここに清見ケ関が設けられた時に守護として仏堂が建立されたのが始まりという。
寄っていきたいのだが、道路の反対側ですぐに渡れないし、早くさった峠の富士山に会いたいので我慢して通り過ごした。


また国道1号線に出てすすむ、磯の香りがしてきて興津の町だ。
ここには第17番目の興津宿があったところ。この宿は、東の由比宿との間に難所で知られたさった峠があり旅人には重要な宿だった。海岸はすぐ近くにあるのだが、寄り道をするわけにはいかない、興津西本陣跡、東本陣跡、道路脇に碑があるだけ、広々とした道路は興津の町をまっすぐに通っていて気持ち良く歩けた。

興津宿のモニュメントがある興津宿公園で一休憩。ここで資料の確認をしておく。
興津一里塚を過ぎるといよいよ由比宿へ向かうのみ、その間にあるさった峠が今日一番の楽しみだ、いい誕生日のプレゼントをしてくれるかどうか、とにかく急ぐ。
ここまでほぼ予定の時間通り、足にもまったく問題はないのでこのまますすむ。


興津川にかかる興津橋を渡るとさった峠への標識が目に付いた、左の道、JRの下をくぐってすすむように表示がはっきりとしてある。こちらの持っている資料はこのままJRに沿って直進だ、自転車を押してきた男性に聞くとJRの下をくぐれという、それにそっちからどんどん人が来る・・・はて?資料が古いので道が変わったのか??? 



でも、ここは、確認しておいたほうがいい、多分、峠へ上る道がいろいろあるのだろうと、資料通り直進する。こちらにもさった峠への標識があったので安心して急な登り坂を行く。だんだんと視界に太平洋が広がってきた。

風に吹かれて残り少なくなった桜の花びらが顔にまで舞ってきて疲れをいやしてくれる。ただ、あたりがうす暗くなってきて、太平洋の水平線と空との区別ができないくらいになった。それに曇って来た。ここで、もう、冨士山の出迎えはないものと覚悟した。


あっけないくらい簡単に峠の最初のビューポイントに着いた。やっぱり富士山の姿はなかった。それでも写真で目に焼き付いていた風景が広がっていた、イメージ通りだった。


しばらくすすむと二人ずれの男女に出会った。
今日が誕生日なので記念の写真を撮っておきたいと話すと“おめでとうございます”と言って親切に撮ってくれた。地元の夫婦でこの峠は散歩道にしているという、大阪から来たというと冨士山の見えないことをとても残念がってくれた。“お気を付けて”と言って自分が来た道をすすんで行った。
とても気持ちのいいご夫婦だった、ありがとう、お二人さん。


次のビューポイントの小さな展望台に行った、ここには何人かの人がきていた、同年配の二人に声をかけた、この人たちも地元の人で車で来たという。このあたりのこと、由比宿のことを説明してくれた。昨日は、向かいに伊豆が見えたという、また、ここからの伊豆の夜景もきれいだと言っていた。


峠の下りで夏みかんの収穫をしていたおじいさん・・・といってもこちらと変わらないかもしれない・・話かけたら夏みかんを一個とってくれた。たった一個だが、自宅まで持ち帰って食べた、みずみずしく甘くておいしかった。

ベンチで携帯電話をのぞいてみると誕生日祝いのメールが数通入っていた。ブログを読んで知ったという、とくに思いもしなかった人からのお祝いメールは余計にうれしい。

峠を降りるとそこは興津宿と由比宿の中間にあたる間の宿、間の宿西倉澤だ。
ここには昔の茶店の建物が保存され、宿場の雰囲気が漂っていた。一方が山、一方はJRと海。狭い一本道が曲がりながら町を貫いていた、旅人はここで一休みするか泊まってさった峠に向かったのだろう。



さくらエビ日本一という標識がいたるところに掲げられていた、ここはさくらエビの本場、今が旬なのだろうか。ゴールのJR由比駅にはほぼ予定通り午後4時半に着いた。約39,000歩。
さくらエビで早い夕食でもと駅前のさくらエビの大きな看板のある食堂に行ったら本日定休日、あー、がっかり。


4時57分の電車で静岡駅へ、新幹線こだまはすいていた、缶ビールでひとり乾杯!
思い切って69歳の誕生日にきて、楽しく歩くことができていいスタートになった。60代最後の1年、いい年にしたい!

69歳になって・・・二日目。

2009-04-14 22:44:25 | ひとりごと
今日は、フリーの日。
このところずっと睡眠不足が続いて眠くて眠くて
・・・無理をしたらあかんのかなあと

人並なこともしていないくせに生意気なことを
考えて自分を甘やかしてしまう、いかん。

三日間、仕事場を離れて戻ってきてパソコンを
オンしてみるとメールやら掲示板やらブログやら
手紙やら、いっぱいたまっていて

今日は、半日はそれにかかりきりになったが
それでも追い付かず、とうとう手紙への対応が
まったくできなかった
SNSのブログ書き、なんとかしないと

69歳の二日目、こんなことじゃ、夢は夢で終わるぞ
と反省している。






69歳になりました!

2009-04-13 22:31:46 | 輝いて生きる
今日は69歳の誕生日
東海道五十三次を歩いて迎えたい
その思いは消えることなく

二日間の出張泊まり込みの仕事で
昨夜は深夜帰り
わずか3時間の睡眠しかとれなかったが
早朝の新幹線で静岡へ

前回からの続きで
東海道五十三次の江尻宿、興津宿、そして
さった峠越えして由比宿まで歩いた

午前中はよく晴れていて日差しが熱く
富士山の姿を少しみることができたが

午後からは春霞なのだろう
まったく太陽の姿をみることもなく
楽しみにしていたさった峠からの
富士山も見ることができなかった

それでも午後4時半、JR油比駅に
予定通りゴール約39,000歩
69歳はいいスタートができた

去年68歳は愛知県岡崎市の旧東海道で
今年69歳は静岡県で

来年の70歳は日本橋で迎えられるように
これから1年を元気で過ごして行きたい

大勢の方から誕生祝いのメッセージを
いただいた

ありがとうございます。

今日は睡魔に襲われて頭がすっきりしないので
明日、改めてブログに書き込ませていただきます。



天皇、皇后両陛下の結婚50年。

2009-04-10 22:01:29 | ひとりごと
天皇、皇后両陛下が今日、結婚50年を迎えられた

忘れもしない昭和34年4月10日

あの日は、大学の入学式だった

入学式を終えて電気屋のテレビで

あのパレードを見たことを覚えている
店先は黒山の人だかりだった

あれから50年

天皇、皇后両陛下のお姿を見るたびに
あの日を思い出し

大学に入学した日のことを思い出すと
ご成婚のことを思い出す

思い出はいつまでも鮮明に残っているが
50年は長かった

いつも睦まじくさわやかな両殿下のお健やかな
日々が続くことを願いたい

それが多くの国民の願いだろう

50年おめでとうございます。

応援してるよ横浜の工藤公康投手。

2009-04-09 21:03:42 | 輝いて生きる
いま、気になるスポーツ選手がいる

横浜ベイスターズの工藤公康投手(45)だ

昨日8日、横浜スタジアムの巨人2回戦に先発した
工藤投手は実働年数を28年、プロ野球最長記録に
伸ばした。

しかし、今期初登板を4本のホームランを浴びるなど
5回投げて8失点、惨めなスタートになった。

工藤選手に関心があるのは
プロ野球の一流選手といえども
40歳まで活躍できるかどうがだが
今年で46歳になる工藤投手が
現役として活躍しているのはなぜか?

176センチ、決して大きくない彼が
現役の寿命を延ばしてきた要因はなにか?

あと4日で69歳になる自分も現役寿命を
どうして伸ばすことができるか
何かヒントになることがあるに違いない。


工藤選手が書いた本が二冊あったので
買って拾い読みしてみた。

その一冊、工藤公康投手の著書「現役力」
には工藤哲学が随所に書かれていた。


彼は、29歳になった時、筑波大学を訪れて
身体理論を学び、持久系の心肺機能トレーニング
から始めたらしい。

いい先生との出会い、身体のためになるならと
次々とトレーニングをとりいれ続けてきている。

いい成績を上げても成功体験は捨てて
常に新しいことに挑戦しなければ
第一線には残れない

特別なことはしなくてもいい
変わるきっかけはころがっている
気がつくかつかないか
それが未来を分ける境界線という。

工藤選手の言葉の中から一番心に響いたのは

 「続かないのがプロ」

プロの寿命は短いということ
相手も研究をしてくるので
それ以上の研究と対応をしていかねばならないこと。

自分に置き換えてみてもよくわかる

今年いただいた仕事が来年もくるという保証はない
現にこの時期、例年いただいていたいくつかの仕事が
音沙汰なし、中止したのか他へ行ったのかわからないが

若くて有能で魅力のある同業者と同じことをしていては
新鮮なそちらに指名がかかるのは当たり前のこと。

生涯現役とずっと言い続けてきたが
言うことは簡単、しかし、現実は簡単ではない
賞味期限が切れたと判断されたらそれまでだ。

しかし

69歳だからできること
69歳からでもできること

まだまだ可能性もチャンスもあると信じている。

自分もプロのはしくれ
プロは自分の名前で生きていくもの

工藤公康選手はそういう意味では希望の星だ
彼の今後の活躍を注目、応援していく。

その工藤公康選手の「夢」は
プロスポーツ選手を志す子供たちのために
アカデミーをつくることだそうだ。

だから大学に行きたいという
早稲田大学院に入った元巨人の桑田さんと重なる。

必要な時に必要な言葉をかけてあげられる人で
ありたい!という。

この含蓄のある言葉は、苦難を乗り越えた来た
プロの言葉だからこそ胸に響く。

自分もそんな人間になりたい・・・。

ベイスターズ・工藤公康投手、応援してるよ!

若者たちへ思い出の写真を!

2009-04-08 23:27:03 | 輝いて生きる
先週の土日に一緒に勉強した若者たちへ
約束した思い出の写真を送る準備をした

勉強のまとめとして
彼らが時間をかけて作成し
模造紙に書き上げた
三年後の自分の姿

全員の前でプレゼンテーションした

彼らにとっては
社会人としてスタートする
思い出の日、思い出の出来事

その貴重な門出のシーンを
忘れないように
三年後の自分の姿が書かれた模造紙と
発表している本人の姿を一緒に
ひとりひとりデジカメで撮った

何かでつまづいた時
その写真を見て勇気を出してほしい
この自分のことを思いだして元気になってほしい
写真はそんな思いを込めて送ってあげたい

模造紙は本人たちに持ち帰らせた
大事に保管して宝物にしてほしい
毎年毎年
当たり前のように行ってきたことだが

来年もできるだろうか・・・

やりたい!


今年の新人さんへの推薦本