昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

元女の子たち、今おば()さんたちがやってくる!

2011-08-31 18:30:02 | 交流
ふるさとの小学校の同級生の女親分から指令がきた
今月末クラスの女軍団が二桁人数で関西に上陸する
一泊二日、お世話をせよとのことだ

そうそう男が一匹、走り使い要因として来るらしい
当時の担任の女先生が関西在住ということで先生を
訪ねるのもひとつの目的になっている

女の子と女先生・・・仲良くしていたが
男の子には女先生は身近ではなかった

昨年5月の70歳の古希を祝う同窓会を最後にして
同窓会は開かないと決まったのだが物足らないのだ
ろうと思う
旅行気分が味わえて先生がいて大阪にいるうるさい
男に現地のお世話はさせようというもくろみだろう

メインは神戸、足が悪くて行動が制約される先生の
ため初日はメンバーだけで大阪を案内せよとのこと

それなら広島風お好み焼きの同級生達に本場大阪の
おいしいお好み焼きを食べさせてやろうか!

2日目の神戸は大型観光船で大阪湾のクルージング
を楽しませてやるのもいいかな?
そんなことが浮かんできた

いずれにしても相手は、うるさい、手ごわい連中だ
口は軽くて足腰は重いはずだからかってが違う
ガムテープは必携だな!

そういえば今年もまた「敬老の集い」の案内がきた
自分がその対象だとまだ自覚していないのでしらん!
暑さが去ると「年齢」を数える秋だな!


心を整える。

2011-08-30 18:16:39 | 本・読書・音楽

先週のNHKラジオ深夜便で名前は聞き取れなかったが
本の紹介コーナーで紹介者が3冊の本の話をしていた

以前は亡くなられた児玉清さんが担当していたと思う

その三冊のうち一冊が

  長谷部誠著 「心を整える」 幻冬舎



サッカーファンならよく知るサッカー日本代表チームの主将
で、10年の南ア・ワールドカップからゲームキャップテン
として活躍を続けているまだ27歳の選手、現在はドイツの
の「ヴォルフスブルグ」に所属している

かって日本代表チームのキャプテンはベテラン選手(井原と
か中沢選手)がやっていた、岡田ジャパンは、あのワールド
カップ戦から年齢的にも中間で特別に知名度の高い選手では
なかった長谷部選手を中心にしたチームに変えていくことに
政綱したといっても過言ではないだろう

サッカー界のことに精通しているわけではないので単なる感じ
たこととしか言えないがそう思っている

その長谷部選手の書いた「心を整える」という本がこの春から
書店の目立つ場所におかれ続けて、ついに販売部数が100万
部を越えたそうだ
一スポーツ選手の本がこんなに売れているのは珍しいという

この本は何度も書店で立ち読みしてきたが、きちんと読んで
みたくなったので買って一気に読んた

なるほど!

スポーツの世界でよくある根性とか熱血派のリーダーシップが
キャプテンのイメージとして定着しているが長谷部選手はその
どちらにも当てはまらない、どちらかといえばどこの会社にも
いるスーツのよく似合うビジネスマンタイプにしか見えない

この本の細かな内容については触れないが驚いたことがある

彼が大変な読書家で読んだ本から読書ノートをつけていると
いうことだ

決して子供の頃から本を読んでいたわけではないそうで、読書
を始めたのはプロのサッカー選手になって先輩が読書している
姿を見て読み始めたそうだ
日本を離れてドイツに移籍して本格的になったらしい

ドイツでは日本の書籍を手に入れるのが難しいので日本にいる
時にまとめて買いして機内へ持ち込むスーツの半分が本だとか
そしてワールドカップ前に読んだのが「超訳 ニーチェの言葉」

雑誌の「アスリートの本棚」に依頼されて紹介した五冊の本が

①「夢を力に 私の履歴書 本田宗一郎著-日経ビジネス文庫」×
②「道をひらく 松下幸之助著-PHP研究所」◎
③「悩む力 姜尚中著 集英社新書」◎
④「人間失格 太宰治著 新潮文庫」○
⑤「アインシュタインは語る 大月書店」×

一冊一冊に簡単なコメントがついている

ほんとうに驚いた!いま27歳の若者がここにあげた本の一冊
でも読んでいるだろうか?
いや、年齢に関係なく、どうだろう?

自分にも聞いてみた
◎→読んだ、手元にその本がある
○→学生時代に読んだ、半世紀前のこと
×→読んでいない

さらに沢山の本が読書ノートとともに紹介されている

彼が読書をする、読書の効果について明確に書かれているが
”なるほど”と感心したり共感する部分が多くある
自分が27歳の頃、そんなことには気がついていなかった

なんでもあの本田選手も読書家らしい
そうして先輩から後輩へ
世界のスポーツであるサッカーの、しかも本場のヨーロッパで
プレーをするということは技術だけでなく強い精神力も備えて
いないとつぶされてしまうのだろう

わずかな時間でも心の平穏を取り戻しプレーに集中できる心身
を整えるのに読書や音楽を心を整えるための大事な時間の過ご
し方にしていると感じた

長谷部誠選手のこの「心を整える」、これから若い人に推薦本
としてすすめたい。


続・高野山を歩く!

2011-08-29 19:49:06 | ウォーキング
昨日の高野山ウォークをオフィシャルブロガーをしている㈱ムーンスターのウォーキングSNSに投稿して原稿のままをこちらに
コピーした・・・

厳しい残暑が続くこの夏最終の日曜日、下界からすこし離れたところで、心静かに歴史の流れを感じながら歩こう!とお世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で聖地高野山へでかけた。

南海電鉄・難波駅から高野線の急行に乗車、新今宮駅でJR組と合流し和歌山県の橋本駅で乗り換え、極楽橋駅へ向かった。
電車が紀ノ川を渡ると電車は上り始める、九度山駅、ここから3年前の秋、2回にわけて世界遺産の高野山・町石道24キロを歩いた最寄駅でなつかしい。(ここブログにも書いている)


ここで大変なことをしてしまった、単線のため特急待ちで停車していた電車からホームに降りて特急を撮影していたところ乗車電車が発車した、あわてて手をドアーにいれたらそのまま閉まった、幸い先頭車の運転手に一番近いドアーだったので事なきをえたがびっくりした、ごめんなさい!


さらに電車は急こう配を時速30キロ程度か?縫うように山中を上り続けて約90分、やっと終点の極楽橋駅へついた。さらにここからケーブルカーに乗り換えて山上の高野山駅へ、何度来ても遠い、降りるとここは聖地・高野山。下界の残暑もなく気持ちのよい空気が心の中まで染み入るようで大きく深呼吸。やっぱり高野山はいい・・・。



今日は高野山の主だったところを巡るウォーキング10キロコース。バスで最初の女人堂へ向かった。明治5年、女人禁制が解かれるまで女性は女人堂まで、ここで祈りをささげていたという。そこから山内へは入ることができなかった。女人堂は何箇所かあったが、現在残っているのがここの1か所だけ。の女人堂には何度も来ているが、ここでみかけるのは女性ばかりで男性の姿は少ない。今日もそうだった。


女人堂から高野山ウオークが始まる。今日の担当は倶楽部のリーダーをしてくれているSNS会員のちゅうさん、(現在四国八十八か所めぐり中、ブログにもアップ)コースを詳細にまとめた手作資料で概要説明、高野山の聖域をめざしていざ、スタート、4年前の7月にひとりで訪れた時とコースがまったく同じなので余計になつかしい。

一列になってどんどん山内に入って行く、みんなの足も高野山を歩くことがうれしいように快歩!
しばらく歩いて高野山はやっぱりここから!大門へ到着、九度山駅から少し上った慈尊院から始まる町石道を上りつめるてくるとこの大門に到達する、高野山の入口ともいうべきところ、東大寺の南大門に匹敵する威風堂々とした朱色の楼門のたたずまいは何度来ても圧倒される。


ここで思わぬ人?に出逢った、こどもたちがいっせいに寄って行く!
平安時代の弘仁7年(816)、弘法大師空海が真言密教の根本道場にするため時の嵯峨天皇の許可を得て高野山を開創して平成25年(2015)で1200年になるが、その年に記念法会が開かれるそうで、そのイメージキャラクターのゆるきゃらが「こうやくん」、そのこうやくんを見つけて大門に来ていた人たちが一斉に集まってきた。


こちらもお願いをしてこうやくんと記念撮影!去年は奈良の平城京1300年の「せんとくん」とやはり倶楽部の例会で記念撮影をしているのでラッキー、これはいい思い出、いいことがあるぞ!この大門の内側に九度山の慈孫院(180町)から続いてきた町石道の表示、6町石の道標があるが、その町石を5、4、3、2・・・と探しながら町石ウォーク!
あった1町石、高野山の中心、大伽藍を囲む石塀の樹木の中に、よく見ないとわからないところに1町石を発見してみんな大喜び。3年前に自分が来た時はあたりの木が茂っていて発見するのに何度もあたりを歩きまわって、やっと見つけたが、その時のことをなつかしく思い出した。

聖地の中心、壇上伽藍の高野山総本山金堂から順にすすむ


すぐ隣に朱の鮮やかな根本大塔、ここには本尊の曼荼羅大日如来が祀られているが、今日は、残念だけど時間の関係でパス!高野山へ行ってここに入らずして、行ってきたと満足させるのは、お世話役として申し訳ないのだが、今度は自分できてください!としか言えなくて、ここがグループウォークの辛いところ


続いて国宝の不動堂、最後に金剛峯寺へ、ここはすべての宗務を行うところで、お遍路さんの姿も見受けられた。



ひととおりぐるりと巡って次へ・・・宿坊やお土産物店が続く通りをお行儀よく一列で歩いて時間は12時前、お昼はお店で食べることになっていたのでメンバー全員が固まって食べられる店さがし。運よく発見、男女6:4名ずつで向い合せになった!
自分の向かいは優しいYちゃん、よかった!俺だって好みがあるからな!これ内緒!
Yちゃんだって好みがあるよ!と、どこかから聞こえてきたみたいだけど・・・。

高野山で目につく特徴に、宿坊が多いこと、53もあるそうだが、それだけ修行僧が多いということ、町と修行者が一体になっている宗教都市の所以はここにある。
いまは、宿坊での勤行、写経、瞑想、精進料理の修行体験が人気らしい、自分も一度、宿泊して修行体験をしておきたいと思いながら、まだ実現していない、思うだけならだれでもできること、やるかやらないかだけだ。

やがてもう一つの聖地、奥の院への入口の一の橋へ着いた。
ここから弘法大師のご廟がある2キロほどの石畳の参道を入って行く、一歩踏み入れるとそこは他ではまったく見ることも感ずることもできない特別な感覚の世界に吸い込まれていくのが不思議で、若い時から思えば10数回は訪れているはずなのにその感覚は変わらない。


樹齢数百年もの巨大な杉が参道に覆いかぶさるように林立する両側に20万基以上ともいわれる武将や諸大名、名士、実業家、名優の墓石が建立されている。
その苔むした大小の墓碑を見ていると1200年の時代を凝縮した霊気が漂っているような気がして思わず足が止まってしまう、行き交う人で混雑した参道を人をわけるようにしてすすむ。

墓石の多くが「五輪塔」の形をしているのも特徴だが、密教の教えでは、宇宙は「空・風・火・水・地」の五つの要素から成り立ち、五輪塔の形は、それから形作られているという、団体客に説明していたガイドさんの話を耳にした。


すべてを丁寧にみていたら1日はかかるだろう、メンバーにはパンフレットから訪ねたい人の墓石があればと聞いたら、武田家、上杉家、伊達家、お江、豊臣家、織田家・・・今年の特徴は、大河ドラマの影響だろうが「お江」の墓石に多くの人が訪れていた。高さ6.6メートル、台石は八畳敷きで大きい。


豊臣家が広い敷地にあるのに織田家が小さいのは、なんで?と、みんなの疑問。



中の橋にくると、ここからご廟まで撮影は一切できない。弘法大師は、いまでも永遠に生き続けて、ここで仏法修行を続けているといわれ、そのそばに行きたい!と人々は訪れるのだろう、その数が、年間250万から300万人と聞いて驚く。宗派を超えて一人の宗教者のためにこれだけの人が訪れるのは珍しいことだと思う、改めて弘法大師の存在が多くの日本人の心の中にあるのだろう。ふと、いま、弘法大師は、なにを伝え続けているのか?と思った。

メンバーのHさんが、“若い人が多いのにびっくりした!”と言っていた。
高齢者が多いのはいつの時代も同じことだが、確かに若者が目立つ、聞いてみないと「その心」はわからないが、モノ離れしている次世代を担う若者たちが、ここに何を求めて来ているのか、形ある物を創り出し享受することに生きてきた我々世代が残したモノに若者たちは、未来の夢を描くことができなくて、何を頼りに生きて行ったらいいのか、根源的なものを見つけるために来ているのではないのだろうか?と勝手な想像をした。

帰り道は、一の橋まで別の道を一列になってウォーキング、そして女性軍に約束していた焼きお菓子とお茶で休憩、会計さんに会費から105円の小遣いをもらって焼きお菓子1個ずつ、おじさん達も子供にもどって、おいしい、おいしい!奥さんからお土産の「ごま豆腐」を厳命されてきたBちゃん、お目当ての店ですでに売り切れ!みんなでごま豆腐探し、なんとか代替品?のごま豆腐を確保してほっとしていたが、奥さんにどういわれたことやら。
ちゃんとお土産を買う人、買わない人、どうやら男どもの買い物の後ろに奥さんとの力関係を垣間見た。お土産など買ったことも、買うつもりもない自分は悪亭主だな!でも、これ、まずいのかなあ?

それぞれの思いを残して聖地からケーブルカーで下界へ降り、南海電車で大阪まで戻り新今宮でJR組と別れて戻ってきた。夜には、さっそく倶楽部のHPの掲示板に書き込みが入っていた。「高野山」はとてもいい1日だったらしい、よかった、よかった!

過去に高野山を歩いたブログの紹介
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/f21164284cd578c6d0a4245dcc1b4d54
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/8a020fdd01654f9f08535ca584f2c634
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/3d2c6a301bee3432daa0dc65524b843c

(今月末の測定値 体重61.9 体脂肪14.8 体内脂肪11.5 体内脂肪が目標値にいかない

高野山を歩く!

2011-08-28 23:36:14 | ウォーキング

このところウォーキングの話題ばかりが続くが
今日はお世話をしているウォーキング倶楽部の
8月例会で高野山へ行った

南海難波から高野線で極楽橋へ
ケーブルに乗り換え高野山駅を降りると下界の
厳しい残暑と打って変わって標高約850mの
山上はさわやかで心地よい空気が流れていた



バスで女人堂へ向かう
ここは明治五年の女性禁制が解かれるまでは
ここより山内にははいれなかったところ



ここからウォーキングで大門へ
威風堂々ということばが適切かどうか、わから
ないが大門を訪れるたびにこの言葉が浮かぶ



人気の高野山ゆるきゃらのこうやくんに会った
のでみんなと記念撮影



高野山の中心、壇上伽藍に向かう
金堂、御影堂、朱のあざやかな根本大塔、国宝
の不動堂、そして金剛峰寺へまわった




昼食をすませて奥の院へむかった
仮萱堂によって一の橋口をわたるとそこは奥の
院への入口



一の橋から弘法大師のご廟のある奥の院までの
約2キロの参道は樹齢数百年もの杉巨木が林立
し、20万基以上といわれる武将や諸大名など
の墓碑が建てられていてそのたたずまいに圧倒
される


(お江の墓碑)

奥の院のご廟へお参りしてもと来たみちを戻り
バス、ケーブルカー、南海電車を乗り継いで戻
ってきた。


もし、できることなら・・・

2011-08-27 22:10:35 | ひとりごと

節電用?の短い頭髪が伸びてきたので散髪にいった
髪を刈ってくれたのが丸坊主の中年の理容師さん
おなじみの店だが初めてあったので新入りだろう

こちらも丸坊主だから仲間意識で刈り上げてもらって
いる間中丸坊主談義?をした

その人、丸坊主した頭をぴかぴかに剃り上げている
1週間に1度、奥さんが剃っているそうだ

もし、どんな格好をしてもいいというのだったら
あこがれているのは「あごひげ」+「坊主頭」だ

つるつるに剃り上げるのはやっぱり抵抗があるが
これまであごひげは一度だけ、伸ばしたことがある
が、似合わないと言われてやめたことがある

自分の仕事上、そんな格好はすべきではないし
今の短髪でもきびしい会社ならぎりぎりだろうと思う
うちの会社ならアウト!と言われたこともある
今年の節電ならセーフになったと思うけど

いまは子供でも坊主頭をみかけない
高校野球の選手達だけなのかなあ
なぜだろう?

最近、ジャイアンツの阿部選手が坊主頭にした
新人の澤村投手も成績が伴わなくて続いた
罰と気合入れとチームへの喝がねらいだろう

昔からスポーツ選手がよくやってきた方法
そういう意味では坊主頭にするとプラスに見られない

サラリーマンで成績が上がらなくて坊主頭にしていたら
恥ずかしくて外を歩けないからなあ

大抵 ”なにかあったの?”と男は聞かれる


夕方から仕事場ビルの管理組合の理事会があった
ぎりぎりには会議室へ入ったらこちらに目が集まった

”なにかあったんですか!?”

”やっと、1ケ月ぶりに世間に出てきました!”

大笑い

それにしてもいつも坊主頭なのになぜ?
今日はいつもよりさらに節電刈り上げしてきたからな

短かい頭にすると長くしょうとは思わなくなる
洗髪がらく、ドライアー不要、整髪不要・・・
なによりも
自分に限るが長い髪より清潔感があると思う
少しだけでも若く見えると思う

男女とも髪は短いのが自分の好みだがそれを言うと
”どうぞ、勝手に!”と言われるだけやから
まあいいか

今日の頭、幸か不幸か写真がなくて・・・。

「あごひげ」+「坊主頭」、あこがれるなあ。


なつかしいウォーキング仲間と歩こう!

2011-08-26 21:32:11 | ウォーキング

8月から復活したナイトウォークのおかげで寝苦しい
夜を過ごすことなくここまで夏を乗り越えてきた

ナイトウォークと言うと飲み歩きと錯覚している人も
いるかもしれないがこちらは至極健全なウォークで
せいぜいコンビニで好物の一口羊羹を食べる程度・・

もう夜空は雲がすっかり秋仕立てに変わってきて
虫の伴奏に励まされて足取りはまずまず軽快である

でもナイトウォークはいいことばかりではない
ゆうべは雷のあと突然の夕立に遭って水浴び状態
三日か四日前も公園のベンチに座った途端に夕立
(夜中でも夕立?)
売店の軒下に逃げ込んで雨が止むのを待っていたら
今度は蚊の来襲を受けて痛いのかゆいの・・・

なかなか止まない雨の道を仕方なく引返していたら
深夜の0時半を過ぎていたのに携帯にメールが届いた

こんな時間に夜更かししているやつはだれだ!
とつぶやいたら
”それはあんたのことやろ!”と言われたようで・・

ここから真剣、真剣!

ブログのウォーキング10年史を見たといって初期
からW倶楽部で一緒に歩いたメンバーからだった

倶楽部は10年半になったが3年半前に名称を替え
メンバーも名称もそのまますべてを引き継いでくれ
る友人に託し自分は新しく現在の倶楽部をつくった

ところが古いメンバーにそのことを知らせずやって
しまったので後から知った古いメンバーから
”自分たちの帰るところがなくなった!”
と言われて辛い思いをしたことがあった

その時のメンバーからのメールだったが、あれから
ウォーキングは一切することなく仕事の責任も身体
もすっかり重くなったと書いてあった

そうか・・・

いまあることは、自分1人でやってきたわけではない
初期の頃から盛り上げてくれていた人のことを忘れて
はいけない・・・

それなら、一度、当時のメンバーに呼び掛けて歩いて
みようか・・・・と今日、チェックしてみたら

転勤、引退、高齢、メールアドレス不明、転居先不明
等で難しい、なにかいい方法はないか、思案中

そんなことで過去のことを少し調べていたら昨日作成
した「ウォーキング10年史」に少し肉付できるもの
があったので追加した

ご関心あれば、とくにウォーキング仲間には懐かしい
自分に会えるかもしれない。

http://www.human-dy.com/walking.life


ウォーキング10年史。

2011-08-25 21:19:25 | ウォーキング
あと1ケ月でウォーキングを始めてから10年になる

第一歩を踏み出したのは2000年10月1日だった
自宅から服部緑地を通り抜け履正社高校前を折り返し
必死で歩いたことをいまでもはっきりと覚えている

夜の公園や道路は危ないから朝のウォーキングにした
ほうがいいと誰にも言われたがナイトにこだわった

当時、仕事場を開放して様々な夜の勉強会を開催して
いたが飲食を伴うために人間ドックの数値が年々悪化
するばかり、これを改善するためには夜の過ごし方を
替える以外ないと「酒」を「ウォーキング」にした

当然、勉強仲間は離れていくし、勉強の機会は減るし
マイナス面もあったが、逆に医者通いの回数も減って
体調面では改善がすすみ歩くことに引きずり込まれた

そのうち歩く範囲が近隣から大阪市内へ、そして奈良
京都へとだんだんと広がり、撮った写真でHPを作成
しているうちにネットから歩きたいという申し込みが
出てきて現在のウォーキング倶楽部の原型ができた

ひとりで始めたウォーキングだったが
集まってきた人を受け入れるために倶楽部をつくり
大勢の人と歩きたくてウォーキング協会へ入会した

60代の前半はウォーキング(歩くこと)が楽しくて
年間の目標をたて、月々の歩くキロ数、年間のキロ数
を設定して頑張ったが膝を痛めて気がついた

面白くなると歩くことがそのまま目標になり歩く数字を
追って無理な歩きをしてしまう

歩く目的はそれぞれ違う・・
目的が違えば歩き方も違ってくる
それに合った目標が必要だから
わが倶楽部では「健康」をキーワードにした

とにかく楽しくあるくことが大前提
少々、不格好でもいい
のろくてもいい
歩くことを好きになればいい
歩くことでリフレッシュできればいい

人の歩きは気になるが
自分の歩く姿は自分には見えない
決してそんなにいい歩き方はしていないと思う
だからあまりこだわらないこと

いろいろ歩いて行くうちに何かにチャレンジしたくなる
それがひとりイベント、シリーズ式のチャレンジウォーク
と名付けて始めた次のウォーク・プログラムだった

63歳の時、琵琶湖から大阪湾まで三日間で歩いた
これが自信になったがここで再びひざを痛めてしまった

64歳で琵琶湖一周


65歳でしまなみ海道


66歳で熊野古道


67歳から70歳の誕生日まで東海道五十三次上りを


そして71歳のいま、伊勢街道歩き・・休止中


自分なりの順番でここまで単独ひとり歩きをしてきた

正直なところこれでもう終わるような気がするが・・
それはもっと年齢に合った、そして関西と言うエリア
を活かした自分独自のライフウォーキングをしたいと
思っている
人のやらないことにチャレンジすることは面白い

ウォーキングを始めてから作成してきたHPは膨大な
記録になっていまはCDに保存してあるが再現はできる
ただし、それをすべて公開すると相当な容量のになり月々
の使用料が相当額になるので残念ながらできない

ウォーキングを始めて3年目に作成したウォーキングロゴ


・・ウォーキング10年史は下記からリンクできます・・・
   http://www.human-dy.com/walking.life

10年史(上記URLのHP)にはチャレンジウォーク
と名付けて歩いた次に紹介するコースの記録を一か所に
まとめてみた

また主宰して10年になったウォーキング倶楽部の記録
の一部も公開している


さらにシューズメーカーの㈱ムーンスターが主宰して
いるウォーキングSNSサイトで2008年から依頼
されてオフィシャルブロガーをしているので紹介をして
おきたい


このオフィシャルブロガーになったことから東海道五十三次
を歩いていた自分の勝手応援隊が結制されてお江戸日本橋に
ゴールした70歳の日には大勢の応援隊が感激の出迎えを
してくれた
これは生涯忘れられない出来事になるだろう

歩くことは楽しい
歩けることはすばらしい
生きている限り足は現役

いつでも、どこでも、だれとでも
明るく、楽しく、元気よく
さわやかに、軽やかに歩こう!


あの日から60代はウォーキングに明け暮れた
よく飽きもせず、ここまで続けてきたものだ

もし、ウォーキングと出会っていなかったら
もし、ウォーキングを始めていなかったら

いま頃はどうなっていただろうと思うと
ぞっ!とする


今年の10月1日の11周年目の記念日はお祝い事で
関東に行っているのでウォーキングブログは書けない

その前にこれまでの10年を振り返ってみた
「ウォーキング10年史」
ほんとうなら記録誌として編集してみたいのだが
それは最優先事項ではないので実現できないだろう

63歳から71歳の今日までの顔写真も公開したが
決して指名手配写真ではない

”よう顔写真を載せるなあ!”と言われるだろうが
顔写真が載せられなくなったらウォーキングなんか
してもしょうがないと思っている

一日一日、時は過ぎる
写真の自分も過去の自分になっていく

しかし、あの時、たしかに写真の自分がいた

そのイメージだけは大事に持ち続けて
いつでも、どこでも、だれとでも、
明るく、楽しく<元気よく
さわやかに、軽やかに、歩き続けたい!

そんな楽しく歩いている「ウォーキング顔」だけは
どんなことがあろうとも忘れないようにという思い
で写真に公開している

どこまで歩けるかどうかわからないが足は生涯現役
生きている限り歩き続けたい。


ブログはどこまでも!

2011-08-24 19:05:04 | ひとりごと

タレントの紳助さんが芸能界を引退するというニュースが
ゆうべから大きく報道されている

なんでもあちらの世界の関係者との親密ぶりを示すような
メールのやりとりが動かぬ証拠になったらしい

二日前には甲子園準優勝校の光星学院のレギュラー選手
3人が昨年暮れに帰省先でビールを飲んだことをブログに
書いていたことが発覚、準優勝旗を持ち帰って歓迎を受け
たばかりなのに・・・当該3人の選手は停学になったそうだ

まさに天国と地獄を味わうことになったふるさと、母校、学校
関係者、なによりもチームメイトのショックは大きかったろう
それにしても今頃になって、なぜ?



この学校、甲子園のベンチ入り18名のうち、15名が県外
で県内は3名、エース他、10名がここ大阪出身らしい
主将は沖縄出身、そこまでして準優勝しながらこの結末を
学校関係者や地元はどう評価していくのだろうか?

日経新聞に関連する記事があった



国民栄誉賞を受けたなでしこジャパンのある選手もブログに書
いたことに火がついて炎上したらしいが、軽い気持で書いたの
だろうが世間には単なるおしゃべりでは終わらなかった

簡単に日記が書けるツイッターやブログが年齢に関係なくいま
どんどん増えている
携帯電話の写真機能が充実して簡単に写真が取り込めるために
写真ネタのブログは短時間でブロガーに仕立て上げる
なによりもおしゃべり感覚の手軽さが受けているのだろう

ここだけの話のつもりで書いたことが「ここだけ」で終わらなく
なって世界に発信されていく
内容によっては大変なことになってしまう

ネット社会はだれでも編集者、記者、評論家等になった気分で
自由に発信できるが、反面、どこの、だれが、いつ、ページを
覗いているかわからないから怖い
それを忘れて気軽に発信すると予期せぬことが発生してしまう
あの蓮舫さんもなでしこさんのお祝いブログも火災になった!

他人事ではない
このブログだってそうだ
たいしたアクセス数ではなくても

どのテーマがよく見られているか
誰が見ているかは最大の関心事で
有料契約してもアクセス分析をしている

内容によっては読まれたくない人もいるし
アクセスそのものを拒否したい人もいる
どこまでも迷惑人間もいる

とにかく垣根のないネット社会だから
なにがあるかわからないことも覚悟して
自分の信念を貫き通すことだと思っている

楽しみに待ってくれている人がいるかもしれない
そう思えなくなったら書く意味がなくなる
応えるためにも一生懸命書いてここまで続いた

一緒に勉強してきた若い人たちには
自分の存在を励みにしてくれている人もいるはず
チャレンジしている姿は示さないといけない

その人たちのためにも励みにして
もうしばらくは「休刊」も「廃刊」もしないように
それなりに気を使いながらこのブログも続けていく。

顔写真をプロフィールに公開しているのは
逃げも隠れもできないように
自分なりに責任の所在を示しているつもりでいる。

いつ、なにが・・・「老いる覚悟」。

2011-08-23 19:00:00 | チャレンジ

昨日のブログの最後で触れたが・・・
俳優の竹脇無我さんが小脳出血で突然に亡くなった
67歳、うつ病を克服し見事に復活を果たしてから
独特の存在感で活躍していたのに残念でならない
また惜しまれて自分より若い有名人が消えていった

自分の周りでも病を抱えても頑張っている人もおれば
病気とは無縁だった人がある日突然に逝ってしまった

しみじみ思う「今日の元気」が「明日の元気」である
とは限らないし「明日の保証」をしてはくれない

いつ、なにがあるかわからない年齢になっているので
その覚悟だけはしておかねばならない、そのためにも
たった一度しかない人生を前向きに生きていかねば!



作家 森村誠一さんの「老いる覚悟」にこんなことが
書いてあった

平凡の中にドラマを自発的に求めるのが覚悟というもの
である。覚悟なき人生は、時間に流されている。
大それたことを願う必要はない。
老いて一見、平凡な毎日の繰り返しであっても
今日は昨日と違う一日にするぞという覚悟が
人生に活気と彩りを与えるのである。

  霧立つや昨日を拒む今朝があり


自分より7歳年上の森村さんのこの書を読んでいると
果たして自分にどこまでの覚悟ができているのやらと
ブログのタイトルが恥ずかしくなる

組織に属さず、どこにも頼らず、自分の力で生きてきた
プロは、何歳になっても「昨日を拒む今朝を迎える」と
いう覚悟を繰り返しながら、いまなお現役を続けていく

「覚悟」とは、簡単な言葉だが、座して待つ、流されて
時を繰り返すのではなく、積極的に日々を活かして自分
の力で小さなドラマの主役をやっていきたい。


夏祭り。

2011-08-22 21:20:46 | 交流


土日の二日間、わが住む地域の夏祭りが開催された
昭和51年に始まったこの夏祭りは今年で33回目

わが家が千里NTからこの地区に引っ越してきたのが
53年だっからそれからでも31回も開催されている

まさかこんなに続くとは思いもしなかっただけに
お世話をする人たちの頑張りと地域の連帯の賜物だ

ちょうど小学校の校区だからPTAもからんでいて
子供達への教育的な効果も考え健康的な祭りだと思う
ここまでトラブルもなく中止の話も聞いたことはない

地域はもとは千里NTに隣接する丘陵の竹林だった
万博開催で道路が延び電車も開通して開発ラッシュで
竹林がマンション街に生まれ変わってしまった

いまでは約200頭のマンションに9000人が住む
大阪の中心地、大阪駅、新大阪駅、大阪空港に近いため
通勤にはもってこいの場所で人気地区になっている
新大阪駅まで電車乗車時間は8分、大阪駅まで20分弱

おまけに隣は大型の公園、空気はきれい・・・
こんなとこないぞ

おかけで?単身赴任や単身者が増え夜の11時代の電車は
遊び帰りの若い世代の男女がわんさこ下車してくる

それはそれとして

地方から大阪に出てきた人達がこの街に住むようになって
マンション街のため希薄になりがちな地域の一体化を図り
子供たちに夏祭りの楽しさを味あわせてやりたいという
地域住民が自治会、学校と一体となって始めた祭りだった
うちの子供も神輿を担ぎドラえもん音頭を踊って育った



二日間、駅ビルに隣接する市営駐車場が会場になり
隣接する道路は通行禁止
便利なので多くの人が集まってきて賑やかにやっている

きのうは夕立ちで大変だったらしいが震災の鎮魂の花火は
市の消防自動車も待機して結構派手にやっていた・・

おなじみの知事さんも町内の住人で参加していたそうだ



お世話をする町内会、自治会、PTA等、大変だと思うのに
この地域はほとんど地方出身か転勤族ばかりなのになせか

およそ祭りには縁のないマンション街で相当数の人が集まる
この夏祭りはわが街の夏の風物詩になったか・・・

子供がいなくなると盆踊りしない大人はどうなんだろう
うちも、やってるやってる!組になってるからなあ・・・

ということで、わが街の紹介をした

難点が一つ、スーパーや大型の商業施設がないことだろう
よく言えばまったく健康的な街で消費しないところだな。

俳優の竹脇無我さんが亡くなった、67歳。また名優が逝った
突然の死、小脳出血、ご冥福を祈ります。

あー 2011の夏が行く!

2011-08-21 17:45:38 | ひとりごと

終日、小雨混じりの曇天で今日も間もなく暮れていく
つい先日までごった返していた新大阪駅もお盆が過ぎ
どうやら平時の休日風景に戻ってきた

あれほど猛暑が続いた関西も甲子園の高校野球が終わると
あー、関西の夏もこれで行く!

気温も30度以下だろう、窓から気持ちのいい風が入る
これなら節電もなんとか持ち堪えて夏を越すかもしれない


管総理の進退問題で国会まで振り回され混乱ぶりが続いたが
政界もいよいよ後継者問題で賑やかになってきた
いつまでもO澤さん詣でなんぞ、みっともない!

マニフェストから原発、震災、円高、果ては大連立までも
ささやかれ、片手では足りない候補者の動きが伝えられるが
もし、今度、へましたら民主党は存在すらなくなってしまう

1人くらい「日本の将来像」と「国家観」をぶちあげる位の
人物が出てこないとニッポン、どこへ行く?
大阪城天守閣の下で吠えるくらいの迫力ある人いないのか!



小さな島の中で綱引きしているうちに四方から網をはられて
そのうち身動きもできなくなる!
議事堂の中でごちゃごちゃ言っているばやいじゃないぞ!

むずかしいことは分からないが
国を愛する気持ちは政治家なんかには負けないわ!

どこでなにしてるのか国会のセンセたちから何も見えない
震災地に行ってひと夏、ボランティアでもすればよかったのに
汗流して見えるところで働いてる姿をみせないと信用しないよ!

竜馬の世界に目を据えた志と命を賭けた行動が今ほしい!。


(昨日のナイトウォークで 服部緑地)

外に出よう、カラオケ探検!

2011-08-20 17:51:03 | 輝いて生きる

ゆうべ、古い友人から誘いがあって半年ぶりの再会を
ゆっくりと楽しんできた

春先に体調を崩して以来、加療を続けていた友人だが
やっと完治して仕事に復帰したので久しぶりにビール
でも飲まないかと要請がありメールで指定された市内
某所の地ビール工場を訪ねた

聞くところによると業績不振工場を従業員のアイディア
で工場の一角を地ビール工場にしたことがヒットして
いまはまったく違った業態で頑張っているということだ

飲み放題・・・と言っても久しぶりの再会でビールより
治療期間中の話、その間の話題、こちらはもっぱら聞き
役で飲み放題時間は過ぎてしまったが、そこはこちらの
話芸?であっさり実態は時間制限なし、でも長すぎたな



この友人には驚かされることが多いのだが、きのうも又
びっくりさせられ、思わぬひと夜になってしまった

なんと近隣のコーラスグループに入って歌っているという
おいおい、歌なんか縁がない人ではなかったか!?

なにしろ好奇心が強くて、人当たりがいいので、時間が
あれば、どこかに行って、なにかを始める人だからひま
はない・・・声をかけられやすいから人が黙っていない
んだと思うけどね

それで話は終わらない・・・
とうとう練習成果発表にとカラオケに行くことにした
街に戻って大都会の歓楽街にカラオケBOXさがし
おーおー、あるある!いくらでもあるぞ!
どこでもいいから入ろう!

通された部屋でさっそく一曲!
それがなかなかスタートしない
カラオケのあの機械?操作が2人ともわからない

そりゃそうだ、やったことがないんだから
興味しんしん、2人で覗きこんでしばらく機械と遊んだ
ああでもない、こうでもない

店の人を呼んで教えてもらうのはプライドが許さん!
やっと一曲目が出てくるまで10分はかかったと思う
ほっとした、覚えたらバカみたいな機械や!
機械も言うてるぞ、バカな親父たち!

それからは時間を取り戻すように
相手の言うコーラスで練習している曲さがしに
必死で機械と悪戦苦闘した

やしの実
ふるさと

浜辺の歌
夏の思い出
この広い野原いっぱい
今日の日はさようなら
ロシア民謡
・・・
・・・

学生時代の歌声喫茶を思い出した
あの頃はよく通ったもんだ

唱歌の時間をたっぷり
本調子になった頃
”あと5分です”と言われて

やれやれ、お疲れさん!
カラオケBOX面白いな!
2人とも変な遊びに興味をもったらしい

ボイストレーニングを受けているそうだ
やるなあ・・・
自分もそれを望んでいるので成果で判断したい

カラオケは楽しいだけでなく
発声訓練に役立つと思っている

元気な人は声が元気でカラオケが好きな人が多い
自分も歌えるところであれば積極的に発声のため
歌うが下手なことは自他とも認めている

でもコーラス?
団員?はおばちゃんが大半らしいから
危なくてやめとこ!

かくして平均年齢65歳の2人はご機嫌で帰還した。


大阪検定の結果。

2011-08-19 17:33:07 | チャレンジ

7月10日に受けた第3回「なにわなんでも大阪検定」試験の
結果が昨日、郵送されていたが見ないままに寝てしまった

今日、仕事場に持参して開封したら、あれっ、びっくりした!

えっ?まさか・・・
なんと合格証が添付されている
今年も2級に「合格」していた



試験後、あまりのミスの多さにあきれて自己採点することも
なく「不合格」と決め込んで教科書も問題用紙も袋に入れて
保存箱に入れたままにしていた

不合格なら去年の「2級合格証」を取り上げられないように
仕舞い込んでいたほどだから・・
まさか・・・ねぇ! 
でも、確認番号の違う2枚の合格証、どう使うつもり?

もし、不合格なら今回限りで検定試験から足を洗うとブログ
でも宣言していたのにこれじゃ、検定から足を洗えなくなる!
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/331d19dfe9e02f886c46ea24b53baa26

また、来年も受けるの!?
また、お勉強をするの!?

幸か不幸か・・・どっちやねん!?

なにわなんでも・・
いや、なにはともあれ合格している級を翌年も受けて
不合格という恥だけはさらさなくてほっとしている


受けた2級(合格点が70点) 

昨年の合格率が 17.2% 今年の合格率が 16.4% 
昨年の合格者が  227人 今年の合格者が  170人
昨年の平均点が 58.5点 今年の平均点が 58.4点    
今年70代以上受験者は67人・合格者は7名(その1人)

1級は超難関

去年の合格率1.8% 今年6.8%で25名が合格すごい!
それにしても大阪検定の1、2級の合格率はかなり低い!

あの日、一緒に受験した人たち、賢そうに見えたけど
83.6%は不合格だから、大半は賢くなかったんやな!
と偉そうにいってるから・・・

2級で出題され最も正答率が高かった問題(正答率91.8%)
で吾輩は×だった、こっちもあほや!

各地区の検定を卒業して、日本語検定、放送大学へと気持ち
が移っていたのにどうする?

そんなことを言うてる暇があったら、仕事しなさい!
とブログの向こうからきつーい声が聞こえたような・・・。


残念だけれど・・・

2011-08-18 16:06:03 | 交流

とうとう包み込んでいた堪忍袋が爆発してしまった
世話をしている会の1人に当分は会への参加を禁じた
積もり積もったものを爆発させることが発生したのだ

それでも気づいて正してくれるようになれば復活も可と
その時間も含め「休会」扱いにすることを発表したが
「復活の門戸はいつでも開けておく!」と

メンバーは理解してくれている内容のはずと思うが
本人にもメンバーにもきちんと理解してもらえるように
これまでの経緯と真相をA4-3枚にきちんと書いて
本人にもメンバー全員にも文書として知らせした

さっそくメンバーからいろいろな反響が出てきた
あれだけの文章を書くには大変なエネルギーが要ったはず
と読書家で文章力のあるメンバーが言ってくれていたが
その通り、研修なら2時間コースに匹敵するほどの内容だ

本人からは謝りを入れながらも「面食らった!」に始まり
言い訳に終始して自己中心人間の善人ぶりがくそ甘い!

言い訳程度で事がすませると思う軽さはここまで積み重ね
てきて出来上がった人間性だから簡単には変えられない

それは人事だけでなく自分自身についても同じことが言える
簡単に変化できるならもっとましな自分になっていたはず
言うは易し行うは難し!

悪人でもなければごく普通の善人でむしろいい人間なのに
ただ会になると趣旨や方向性や周囲との調和やバランスが
求められるがそこがわからなくて周りの迷惑になってしまう

そもそも中年過ぎにもなって人に迷惑をかけていることなど
わかるはずだがそれがいくらサインを出しても言っても改善
されなければ排除していく以外ない

自分流の人間関係を押しつけるつもりはないが
仕事ではない一つの目的をもったサークルなのだから
趣旨の共有ができておれば程よい距離感が摩擦を起こさず
安定した人間関係を維持できる

飲み会プラスのおじさん流の会にだけはしたくない
基本は健康的でメリハリの効いた活き活きサークルだ
踏み込まず、程よい距離感で気持ちのよい会でありたい

メンバーに訴えた
自分が会から必要とされているか?
自分が会を必要としているか?
そのことをチェックしてほしい

自分がメンバーから必要とされているか?
会がメンバーから必要とされているか?
これはいつも自分に問いかけていること

☆公開をしたメッセージを読んで自分のことを振り返るいい機会になった
☆自分にとって会の必要性を改めて確認できよかった
☆○○さんの真剣な思いが、胸に突き刺さる手紙でした。読み終わる頃
には涙ぐんでいました。思いが伝わってきて最後は涙になった

そこまで書いてくれたメンバーもいて
うれしいやらでこちらが泣けてくる

71歳はそこにいるだけではただの老人に過ぎない
せめて「老害」にならないように
むしろ「朗人」になれるように
71歳でも一生懸命にやる姿を見てもらうこと
これ以外に自分の生きる道はない

願いは
「この会に入ってよかった!」
「○○さんと出会ってよかった!」
と言ってもらえるのが夢だが・・・なあ
まだ言われたことない

修行、修行!

このブログをメンバーが読んでいるかどうかはしらない
あまり会のことを書くなといわれるかもしれないが
みんなに与えられた宿題だと思っているので悪しからず。


恐ろしい現実、原発、俺たちモルモット。

2011-08-17 21:27:51 | ひとりごと

ゆうべ朝日新聞の夕刊を見ていてこの活字が目をかたまらせた

 被爆制限いっぱいまで働いた■がん心配結婚は無理
 原発 俺たちモルモット

 福島 苦悩の東電寮生



やっぱりそうか、恐れていたことが現実に!

東電福島原発でいまなお事故処理に従事している従業員が
原発から5キロ離れた独身寮にいた時の管理人夫婦と連絡
をとり続けているそうで「俺たちモルモット」と悲痛な電
話を夫婦の避難先の愛媛県までしてくるそうで、それを聞
くと涙が出るという

「もう俺(放射線被ばく量の)制限いっぱいまでは働いた」
「なんとか(事故)止めるためにやらなきゃいけないけど、
 ある意味モルモットだね」

「いつ、がんになるか分からないから、結婚は相談所に
 行っても無理だね」と言われたときは言葉がでなかった。

「将来のある子たちなのに不憫で」と夫妻はいう

11日の震災当日、5キロしか離れていない寮生に対する
避難指示も適格ではなくて二転三転したようだ

京都の大文字送り火の件で、陸前高田市の被災松を薪に使う
計画が一部の市民の反対で、それも二転三転、結局中止して
千葉県の成田山新勝寺に送られることになったそうだ



京大の専門家が意識が過剰すぎて危険な数値ではないと言う
のに、反対する人がいるということは、先日から何度も書い
ているが、被災地、とくに原発に近い地域に住んでいた人達
対しておのずから差別意識をもっているということだろう

ヒロシマの被爆者、とくに女性は、被爆したと分かれば結婚
はできないと言われ続け差別を受けてきたことを知っている
子供のころからその話はいつも耳にして子供心にもひどいと
思った

この東電原発で働いている若者が、結婚相談所でそこまでも
はっきり言われたのなら人生に夢や希望など持てるはずがない

なぜ、こんなにまで、無理をさせる!
家族がいない独身者だからというのか!

自ら立ち上がったシニア原発隊のその後はどうなっている?

だんだんと現場で働く人たちのことは忘れられていく
完全解決までこれから何年、いや、何十年もかかるだろうに!

どうするんだ!
と言ったとて、なんにもならんな!