昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

暑いから、汗は、外で思いっきり!

2007-07-29 19:52:14 | ウォーキング
今日も一日暑かった。
選挙投票日で、日本列島は、余計に熱くなったに違いない、

暑い!暑い! と言って、涼しいところで冷たいものでは
決して、身体のためにはならない。

こんなときこそ、思いっきり、汗をかいてこよう
と、淀川にかかる赤川鉄橋ビールウォークに行ってきた。
自分が勝手につけたビールウォーク、赤川鉄橋を渡りきったら
携帯用の保冷袋に入れたビールを河川敷で飲むのを楽しみ
に歩くウォークのこと。
普段のウォーキングで、途中でビールを飲んだりはしないが・・

スタートは、新大阪駅東口にある事務所。
20分ほど歩くと淀川につきあたる手前に「水道記念館」があ
る。赤煉瓦づくりのきれいな建物で、中は、琵琶湖・淀川水系
の淡水魚の展示、水道100年の歴史、暮らしと水道のかかわ
りなどについてわかりやすく紹介している。無料なのがいい。
(大阪市水道局)


淀川には、たくさんの橋がかかっていて、その橋めぐりも楽し
い。河川敷は、スポーツ施設もたくさんあり休日はいっぱいだ。


振り向くと大阪市内の建物が見える。高層ビルは大阪駅周辺。


かって大阪市内は淀川の洪水で被害を受け続けていた。淀川
の流れを調整するために設けられた淀川洗堰。昭和58年に完
成。また大阪湾からの塩水の遡上を防ぎ、新淀川と市内中之
島方面へ流れる大川との水量を調整している。
正面に毛間の閘門があり、堤防上には、与謝野蕪村生誕の碑
がる。



日陰のない堤防を上っていく。だらだら歩きは余計に暑いの
で、ここは、エクササイズウォーキング、たぶん歩巾は85
センチの早歩き、遠くに目標の赤川鉄橋が見えてきた。


このあたりが大阪湾の淀川河口から11キロ地点だ。




スタートして45分、赤川鉄橋に到着。
思い切りエクササイズウォーキングをしてきたために、汗が
噴き出てタオルも汗で湿ってきた。
この橋は、片方が城東貨物線、片方が人道という珍しい橋で
カメラスポットして大変よく知られた橋だ。


橋の上から上流をみたところ。川面を吹く風がとても気持ち
がいい。斜張橋としてきれいな城北大橋が見える。


橋を渡りきって、河川敷グランドのサッカーを観戦しながら
ご褒美のビールはおいしかった。ささやかだが、こうして楽
しめるのも歩けるからできること。


おまけ。サッカー観戦をしていると、なんと火事が発生!


せっかくだから、滅多に通らない貨物列車を撮ってやろうと
しばし待って、ちゃんと撮ってきた。


新大阪駅東口から 往復約13,000歩、約10キロ。

真夏の午後のウォークとしては、適当な距離だが、この暑さ
をしっかりと歩けたことは、また、自信になった。
これで、夕食のビールも、また、格別だろう。

実は↓この写真は、一年前18.7.2に撮った写真。このときも
ビール付きウォーク。


引っ込まないで、自分を活かして生きたい。

2007-07-27 21:32:30 | 輝いて生きる
朝、最寄の駅ビル内にある喫茶店に寄って、資料を校正していたら
ななめ向かいに座った男性が店の女性と親しそうに話し始めたので
なにげなく目を向けると

 ”家内にどこか行って、と追い出されて、行くところがないからまた来た”

どうやら、この店によくくるみたいだ。

63-4歳くらいだろうか、きちんとした身なりの品のいい男性だ。

定年でリタイアした人なんだろうか・・
なにもしていないんだろうか・・
と、勝手に想像しながら

 ”行くところがない”ということばが、気になった。

いつもそうなんだろうか?もし、そうであれば辛いやろうなあ・・
なんだか気の毒になった。

それにしても、もったいない
そんなことを言って家に引っ込んでいるうような人ではないのに。

きっと、どこかの世界で頑張ってきた人に違いない
苦労の末に勝ち取った人生のフリータイムなのだから
のんびりと過ごしたいのだろうか・・。


昨日の厚労省の発表によると
2006年の男性の平均寿命が79歳になったという。

第一線を退いても、まだまだあり余る時間をどう過ごすか
その生き方が、オーバーに言えば、幸せな人生の鍵を
握っているような気がしてならない。

人生の終盤は
所属先の名前で生きてきた生活から解かれて
いよいよ「自分の名前」で
「自分が主役」で生きていく
自分が、自分に戻れる時間を過ごすのだから
引っ込んでいたらもったいない。

積み重ねてきたものを尊い、貴重な財産として
自分のブランドとして生かすことはできないものか。

67歳のいま、どこに行っても、誰に会っても
ほとんどが年下の人になった。

大した経験や人生を送ってきたわけでもないのに
話を聞いていただけるし、意見も求められる。

そして、みなさんが、こんな人間を大事にして下さる。
うれしい。

いつも思う

行くところがあって
会う人がいて
役割(すること)があれば
充実した日々を送ることができると思う。
また、現役として十分に通用すると思う。


それにしても、あの男性
今日一日を、どこで、どう過ごすんだろうか・・・
心配になった。

人生の選択、若者と向かい合って。

2007-07-25 19:30:20 | チャレンジ
きのう、おとついの二日間、某業界有力メーカーの販売店
後継者研修会に行ってきた。

年末までの長きにわたる合宿で厳しいトレーニングをしているが
自分は節目に呼ばれていて、今回は、春の開講時に続いて二度目。

新卒、あるいは、多少の現場を経験している者、他業界から復帰組
といろいろだが、いずれも二十代の前半の若者二十名だ。

一人の青年(もちろん後継者)が

”自分は、まだ後継するかどうか迷っている”

と率直に胸のうちを披露してくれた。

男の子は自分だけ。
周囲は、当然のごとく自分が後継するものと決めかかっている。
しかし、たった一度の人生
自分の生きる道は他にもあるかもしれないという。

業界の展望はむしろ険しい
先は見えない。

しかも、様々な厳しい現場実習や技術、営業研修で
暑い時期を迎えたいま
心身ともに疲労とストレスでいっぱいだ。

それでも、朝黒く日焼けした顔は春とは違うたくましさを
感じさせてくれた。

二代、三代と続いてきた会社のこと
親の苦労や周囲の期待もわかるから
気持はゆれる。

その場を預かる自分の役割、ひとことは重要だ。
実は、毎年、一人二人は同じような若者と出会う。


無責任ではなく

”継ぐとか、継がないとか、いますぐ、決めなくていい”

それより、学べるものは、なんでも貪欲に学び、自分がどこまで
できるか、自分がどんな人間か、真剣に向かい合うことに全力を
注ごうと、いまは、自分を磨こう!と毎年、繰り返し話している。

無理に説得したり、納得させることはない。

まだまだ、遊びたいさかりの若者
普通のサラリーマンなら入社して数カ月
新人ということで大目にみてもらい
厭なら、いつでもやめられる
人生乗り換えフリー切符を持っているのに

ただ、経営者の息子ということだけで
人生の選択肢を持てないままに方向づけられてしまうことへの
疑問と苛立ち。

いまは、起業ブーム
若きも老いも「起業」家になりたがる
しかも、格好よさそうなITやサービス系に集中する。

現場の技術が伴う泥臭い、油くさい事業を起業したり
親の経営を継承することは、敬遠される。

どの業界もそうだが、現場を支える中小企業は、後継者難だ。
そんな中で、苦労の見える事業を継承することに悩む若者の
気持ちはわかる。

ただ、かれらの誰もが、父親をえらい、尊敬すると言う
サラリーマンの子供で、親を尊敬すると言う者がどれだけいるだろうか。

今度、彼らに会うのは、落ち葉の季節11月後半だ。
どんな姿を見せてくれるか楽しみにしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二日間、人生の階段を登り始めたばかりの若者から、真剣に問いかけられ
応える真剣勝負の時間を共にして、心地よい緊張と新鮮な刺激をもらった。

これも現役を続けているからできること、体力では到底かなわぬことだが
人生の先輩として、まだまだ、自分が果たせることもたくさんあると実感。
これが老いにブレーキをかける栄養剤だ。

ビール工場見学付きウォーキング!

2007-07-23 20:33:05 | ウォーキング
おいしいビールが格別のこの暑さ
そのおいしいビールが、ゴールするとただで飲めるという
ビール付きのウォーキングを昨日開催した。

主宰しているウォーキングクラブの月例会として
夏のウォーキングはビール工場見学をセットして行っている。

今年は、アサヒビール発祥の地、吹田工場へお世話になった。

まず、見学の前のウォーキングコースは、高槻市の北に位置
する名勝の摂津峡へ、雨上がりの蒸し暑いハイキングコース
をすすむ。

川沿いにさまざまな奇石、断崖の道をすすむと、水面上に漂
う霧があたり一面を覆う幻想的な光景があらわれてきた。
しばし、みとれて、次のコースへすすむ。




昼食の後、蒸し暑いコースを市内へ。この地は遺跡、史跡の
宝庫。わがウォーキングクラブは、歩くだけでなく学習ウォ
ーキングと称して担当者が、コースに関係する名所、旧跡の
資料を作成し現地で読み合わせをしながら進むというのが特
徴。もう6年目だ。写真は、史跡場所で資料の読み合わせを
しているところ。


西国街道「山崎道」の宿場町


異常な蒸し暑さにも、ビール!ビール!を合言葉に西国街道
を経てJR高槻から吹田へ移動。午後3時前、予約の工場着。
当日も多くの見学者で(1200名と聞いた)工場内は賑わってい
た。写真は工場の建物の前で


約、40分の見学の後、待望のビール飲み。
アサヒ生、クロ、プレミアムの三種類。(プレミアムは期間限定)
ひとり三杯までというルールを違反、出来立てのおいしさに
四杯飲んだ。アサヒさん、ごめんなさい。その代わり、こうし
て宣伝をしておきます。




楽しい写真がたくさんあるが、顔が特定する写真の掲載はひ
かえた。

らくらくウォーキングクラブ
第67回例会「摂津峡~アサヒビール吹田工場」

開催月日:7月22日(日)
集合場所:JR高槻駅中央改札口前 9:35(大阪駅中央改札 9:00)
コース概要:高槻駅~上の口バス停~摂津峡~白滝~桜公園~あくあぴあ芥川~真如寺~阿久刀神社~素盞嗚神社(芥川廃寺)~西国街道~太子堂~芥川城跡~教宗寺~旧芥川宿~芥川一里塚~高槻駅=吹田駅~アサヒビール吹田工場 

このウォーキングクラブを61歳の時に立ち上げて6年目。毎月の例会開催を続けている。
年齢は、年下の現役ばかり。一人で歩くウォーキングもいいが、こうしてグループをつくりお世話をしながら歩くのも生きがいだ。

年齢を理由に引っ込まないように、どんな形でも積極的に自分の居場所を求め、外に出てお役にたてれば、自分の存在場所や役割も実感でき、現役年齢を伸ばすことができると言い聞かせている。


あっ、声が・・・続かない!

2007-07-21 20:18:40 | ひとりごと
あっ、声がかすれる!
話がスムースに流れていかない・・・
大きな声を出そうとすると
うわずってしまう・・

なにか変だ!
ひと呼吸置いて、あわてないで
なんとか、声を小さくして、事なきを得たが

どうもおかしい!
今回だけではない。
最近、こんなことが目立ってきた。

これ、年齢なのかなあ・・・

”歳のせい”にはしないと言いながら
それは、それで、自覚しておかないといけないのか
ちょっと複雑なきのうのできごとだった。

実は、きのう、某社で一ケ月間に亘る現場実習を終えた
新人の報告会を兼ねた発表会に呼ばれて出席をした。

一人10分の報告について、幹部さんに引き続いて
コメントをつけるのが役目。

わかりやすく、はっきりとコメントしないといけないのだが
そんな調子で、最後まで、しっくりといかなかった。

大きい声が持ち味で、それが、歳のわりに元気と言われて
きたが、これでは、ただの年寄りの話で終わってしまう。
それでは無念だ。

また、やってきた、67歳の新たな壁だとして・・・
どうして乗り切るか。

喉も、声も老化がくるのは当たり前のこと。
少しでも、それを遅らせる工夫と努力をすることで
声の張りをなくさないように・・・

アナウンサーだって、毎日、滑舌しているという。
歳のせいとあきらめないで

考えられることは、腹から声が出るように、腹筋を鍛えて
たとえ10分でも朗読をしてみるとか・・・
それならできる。

このまま負けてはいられない。

東海道五十三次をウォーキング③(石部→土山)

2007-07-18 20:42:51 | 東海道五十三次
昔の人は、東海道を12日から15日で歩いていたそうだ。
一日にすると約40キロ、十里くらいだろうか・・・それにしても大変な距離だ。

道の事情や、衣服、履きもの、食べ物等の条件は、いまとは比較にならないほど悪かっただろう、しかも、歩き続けるのだから大変な難歩行だったに違いない。

その東海道五十三次を三年計画で、4月に京都三条大橋から、東京日本橋をめざして歩き始めたが、完歩に要する日数は28日前後を想定している。その半分の日数で昔の人は歩いたというのだから、いかに健脚であったかということだ。比較にもならない。

その東海道五十三次シリーズ第4回を祭日の16日に歩いてきた。

今回のコースは、石部から水口を経て土山まで(いずれも滋賀県)、それぞれ石部宿、水口宿、土山宿があるところだ。

5月にゴールした石部宿道の辺広場(石部中央交差点)を8時30分にスタート。


宿場町の風情の残る早朝の石部の街道を歩く。日の丸が掲げてある旧家が続く。

古い街並みの残る街道をどんどんすすむ。歩道のない道、車に神経をつかいながら歩く。花の手入れをしていたご婦人が”おはようございます”と声をかけてくれた。とても気持ちがいい。
落合橋の手前にあるという石部宿東口跡を探すがないので、草刈りをしていたお父さん軍団に聞いてみた。二人三人と寄ってくるが、結局誰も知らない。
”気をつけて”という声をもらって先を急ぐ。長い距離になるので、早朝に距離を歩いておきたい、ここは、ピッチを上げる。

やがて右側、北島酒造の前に来た。個人的なことだが、普段から、ここ造り酒屋北島酒造のお酒を愛飲している。鈴鹿山系の水を使っているらしいここのお酒はうまい!どうしても見ておきたかった。なるほど、とても風格のある作り酒屋さんだ。このあとも銘酒造り酒屋さんの前を通り写真に収めているが、今回はこちらだけということでお許しを!



川底が道路より高い天井川になっている由良谷川の下のトンネルを通りぬける。


夏目の一里塚で最初の休憩。昨日までの雨で湿度は高く、首にまいたタオルももう汗を含む。今日は、水分補給を十分にすること。

しばらく歩き、また天井川の大沙川のトンネルをくぐる。堤防に樹齢750年という弘法杉の老木がそびえている。弘法大師が通りかかったとき、景色がよくてこの場所で昼食をとり、その時に使った杉の箸を堤防に差し込んだら、のちに成長して大杉になったという伝えのある杉。


さらにすすむ、いつのまにか曇り空、田園風景を楽しみながらどんどんすすむ。
JR三雲駅をすぎ野洲川にかかる横田橋をわたる。


湖南市から甲賀市に入る。野洲川にそって1キロくらいか、ひときわ目立つ横田の常夜灯が見えてきた。ここは、かって横田の渡しがあったところ。常夜灯は遠くからでも旅人の目印になるように10.5メートルの高さがあり、東海道でも最大級のものだそうな。

横田の渡しの常夜灯

野洲川、かっては、このあたりを横田川といったらしく、ここに渡しがあった。当時の石段の一部も残っている。ここで休憩。予定時間より早い到着で、5時にゴールという目処がついた。・・・あとから雨に遭うとは想像もできなかった。


泉川をわたると泉一里塚があり、広い道に出ると、そこからは、道は一直線に伸びている。選挙もまじか。ポスターも至るところに貼られているが、この日、まったく選挙カーには出会わなかった。


街道の名残の松並木があちこちに残っている。ただ、道を拡張したり整備したりして、どうやら、ほとんどの松並木は消滅したらしい。


予定より30分も早く昼食場所と予定していた水口の五十鈴神社に到着した。一角に林口一理塚があった。ここで、ゲートボール帰りのおばさん達としばし談笑。どうやら、ひとり歩きのこのじじいに興味をもったらしい。
こういうことも、ひとりウォークの楽しみの一つ。やっぱり女性の会話力はたいしたもんだ。いろいろと話しかけてくる。楽しい。一人でさびしくないかと盛んに聞かれる。”男は、一週間、黙っていてもなんともないんですよ”というたら、”女性は、しゃべり相手がないと楽しくない”と言い返してきた。そうだろう! 神社の鳥居の横で昼食。


時間に余裕があったので、予定していなかった水口城跡へ足を伸ばした。自然の湧水の堀をめぐらせた城で、別名「湧水城」というこの城は、三代将軍家光が上洛する際の宿館として築いた将軍家専用のもの。周辺を散策して元の道へ、ここで、ほぼ、本来予定していた時間になった。


近江鉄道を渡ると正面にからくり時計のある三筋につきあたり、真中をすすむ、ここが旧東海道。いまは、アーケードの商店街になっているが、往時を偲ぶ古い建物も多い。


問屋場跡・・この碑に書かれていること→【問屋場】は、宿駅本来の業務である人馬の継ぎ立てを差配したところで、宿駅の中核的施設として、公用貨客を次の宿まで運ぶ伝馬と、人足を用意しました。水口宿では、江戸中期以来はここ大池町南側にその場所が定まり、宿内の有力者が宿役人になり、運営にあたりました。


水口本陣跡の碑・碑文から この地は江戸時代水口宿の本陣が置かれていたところです。本陣とは大名・旗本・宮家・公家・幕府役人などが休泊するための施設でこれわ補助するものとしては脇本陣があり、水口宿ではその両方が宿の東部の昨坂町にありました。本陣は規模が大きく、一般の旅籠屋に許されない門・玄関・書院などがあって格式を示し、その経営には宿の有力者があたりました。この本陣は代々鵜飼氏が経営にあたり、間口も一般の三軒分に相当する広大なものでしたが、明治二年に行われた明治天皇の宿泊をもって、その歴史を閉じ、その後建物も撤去されました。


水口宿の町並みをすすむ。


さらに進むと脇本陣跡、ここは、そのまま個人の家として使われている。


国道一号線を横切りすすむと水口宿東見付けにつきあたる。東見付(江戸口)跡という碑が立っている。
【見付け】とは、城郭の門など、外と接し警備を行う場所と書いてある。この地が水口宿の東端、すなわち江戸口となっていた。水口藩が成立し城下町になったので東西に警備所として見付が設置されたようだ。

ここを右に急な坂を下っていく。このあたりから、しばらくは、上り下りの道が続く。いよいよ空模様があやしくなってきた。
道の向い側を反対から来る男性がいるが、地図を盛んに見ているので声をかけなかった。リュックもなしの軽装なので遠くからの人ではないのかなあ・・


しばらく静かな街道をどんどんすすむ。今郷一理塚の前にきた。石碑は、選挙看板でふさがれていて撮れない。お役所仕事はこんなもん、ちょっと横に立てればいくらでもスペースはあるのに。



再び一号線と合流する地点に水口宿の石碑が立っている。とうとう、ぱらぱらと雨が降ってきた。ここで振られても、どこにも雨宿りするところはない。足は大丈夫だが、ついついペースが落ちてくる。クラブで行くと、交代しながらだれかが、ペースメーカーとなって歩くのだが、一人で歩く時は、そこがむずかしい。全体の進み具合と、次の目的地までの距離と時間を設定して、大きくタイムオーバーしないように、しかも、見どころは押さえていかないといけない。写真も撮りたい。忙しい。ついつい、行きすぎて諦めることになる。
右手には「デジカメ」、左手に「地図」


しばらくは、田園の道が続く。かんかん照りも困るが雨はもっと困る。

茅葺屋根の旅籠・東屋跡


名産の土山茶畑


国道一号線を歩道橋で横切ると、ここからの道は、ずっと旅籠跡の石碑が続く。その数はいくらになるやら・・・ここらで雨足が激しくなり軒先で雨宿りしながら、少しずつすすむ。店はないし、もちろんコンビニなどありはしない。
写真を撮りたいし、雨は気になるし・・・道の両側が旅籠跡ばかりだから、写真を撮っていると進まない。


明治天皇聖蹟碑、旅籠跡の続く海道にひときわ大きな碑が立っている。明治天皇の行幸碑はあちこちで見かけた。


東海道五十三次ひとり歩きの証明写真。倉庫の軒先で30分ほど雨宿り、小雨になったので通りかがった男性に撮ってもらった今回たった一枚の証明?写真。


小雨になったのでまた歩き始める。とにかく急ぐ、まだまだ土山宿の中心、本陣跡までは距離がある。足も今が一番しんどいとき。


しばらくすすむと夕立のような雨になってきた。とても歩ける状態ではない。運がよかったのは、ちょうど野洲川にかかる自転車歩道専用橋が目の前、ここは、橋に屋根がかかっていてここで20分の雨宿り、さびしい何もないところだ。


雨の国道一号線をすすむ。東京から441.5キロ地点。これから歩く距離だ。


写真を撮ってくれた男性が、国道一号線に出るとコンビニがあると教えてくれていたのでカサを求めてコンビニや、どこや!と進んで見つけたコンビニは、なんと、閉鎖していた!こらっ、こらこらこらー!

国道から右の街道をすすむ、ここは、両側の至るところに旅籠の碑が続く、一般の家にも、元旅籠○○屋という標識が付けられている。
その数から想像しても、土山宿の規模の大きさには驚いた。






大黒橋に書かれた鈴鹿馬子唄の絵

  坂はてるてる 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る

土山陣屋跡・・【陣屋】とは、代官、その他の役人が在住した屋敷のこと。


高札場跡【高札場】とは・・幕府が発した法令などを記した「高札」を掲示した場所のこと。人の目につきやすいところに設置した。


大黒屋本陣跡・問屋場跡【問屋場】とは・・宿の公用を行う事務所のこと。仕事は、幕府の公用旅行者のための人足や馬や宿泊所の手配をしたり飛脚の管理をしていた。


土山宿本陣跡

土山宿本陣は、宝永11年(1634年)、三代将軍家光が上洛の際に設けられた。本陣は、当時の大名、旗本、公家、勅使が宿泊したもので、屋内には現在でも当時の使用されていたものが数多く保存されており、宿帳から多くの諸大名が宿泊したことを知ることができる。
明治時代になると、皇室の東京・京都間の往来も頻繁になり、土山宿に宿泊されることもしばしばであった。なかでも明治元年九月、天皇行幸の際には、この本陣でで誕生日を迎えられて、第一回天長節が行われ、土山の住民に対し、神酒が下賜され、今なお土山の誇りとして語り継がれている。本陣は、明治維新で大名の保護を失い、明治3年(1870)宿駅制度の廃止に伴いなくなった。(説明板を抜粋)

土山宿問屋場跡

問屋場は、公用通行の客や荷物の人馬継立、宿泊施設の世話、助郷役の手配など宿にかかわる業務を行う場所て、宿の管理を司る問屋とそれを補佐する年寄、業務の記録を行う帳付、人馬に人や荷物を振り分ける場指・人足指らの役人が詰めていた。土山宿の問屋場は、時代とともに場所を移り変わってきた。宿駅廃止にともない問屋場も廃止されたが、その施設は成道学校として利用された。。(説明板を抜粋)

二階本陣跡


雨上がりの土山宿町並み、どこまでもこのような街並みが続き、まるで映画のセットのような感覚になりながら歩いた。


旅籠平野屋には、森鴎外も泊まった。


来見川にかかる来見橋に描かれた東海道の絵





雨も上がったし、ゴールはもうまじかのはずだ。


あいの土山・道の駅が見えてきた。ゴールはその向かいの田村神社。




午後5時37分に田村神社にゴール!


予定より少し遅れたが、雨に足止めされながらよく歩いた。

 歩数 約47,000歩   距離 約34キロ

☆交通経路 往路 JR新大阪→草津乗り換え→石部
      復路 あいくるバス田村神社前→JR貴生川→草津乗り換え→新大阪

☆この日、新潟でまた地震災害が発生した。亡くなられた方にはお悔やみを、災害に遭われた皆様には、お見舞い申し上げます。

雨の週末、お散歩したい!

2007-07-13 22:46:13 | ひとりごと
今日は、梅雨らしい雨の週末になった。

夕べも雨、今夜もナイトウォークは中止、残念!
雨でも歩けないわけではないが、万一の交通事故が怖い。

それに代わるもので、歩きたい気持ちをなんとか
ということで、雨対策用のエクササイズ・・・
今夜は、事務所ン中をぐるりまわり50回
といっても、狭いとこ、右回り、左回りを25回ずつ、目がまわりそう!

それに、ビルの裏階段、1階から7階まで上下2往復
階段は7階まで99段。99×2×2=396段。
実は、ここは、上下筋力トレーニング階段で毎日上り下りしているところなので
特別なことではない。

昨日、ブログに「平均寿命」と「健康寿命」のことを書いたら
アクセスが多かった。
それに「ウォーキング」も・・・・

やっぱり「健康第一」、みんなの願い。

健康寿命と平均寿命、母から思う。

2007-07-12 21:15:03 | 家族
実家の母の容態と帰省のタイミングについて兄と電話で話した。

91歳、去年の春、危険な状態を奇跡的に持ち直して一年余がたつ。

父は、85歳で亡くなったが、寝込んで介護受けたのは二年ほどだった。
母は、もう、何年になるだろうか・・・

人の介護や医療の世話にならならい限り、自分では、どうすることも
できないまま年だけは重ね「寿命」は伸びているのだが・・

数年前、仕事の関係で○健所の所長さんと勉強をする機会が何度か
あったとき、厚労省が国民運動として、「健康日本21」を提唱し推進
していることを聞いた。
病気を未然に防ぎ、生活習慣病の発症を遅らせるための様々な試みを
行っていることを知った。
ウォーキングをしていることを大変ほめていただいたことを記憶している

多分、ねらいは、支援や介護を必要としないで、自分のことは、自分で
できる自立した生活が送れる「健康な期間」を長くしよういうことだろうと
その時は理解した。


母を見ていて

これからは「平均寿命」より、「健康寿命」を重視した生活の在り方を
考えていかないといけないと思っている。

「健康寿命」ということは、世界保健機構(WHO)が提唱したと聞いた。
要介護状態になった期間を、平均寿命から差し引いた期間をいうらしい。

ちなみに、日本での「平均寿命」と「健康寿命」の差は
男性のほうが少ない(短かい)と聞いた。
つまり、女性のほうが長寿だが、要介護期間も長いということだ。

うちの両親もしかりである。

幸せな老後とは、なにか・・・

月並みなことだが、まず健康で、人の手を借りずに
自分のことは自分でできる自立した日々を
明るく過ごせたらそれで十分だろうと思う。

そのためにも、少しでも老化を遅らせ
自分の「健康年齢」を伸ばしていくことを
意識して、積極的にやっていく以外なしと思う。

生涯現役は、足腰が現役であること

と、自分に言い聞かせて行っているウォーキングだが
もっとも効果的なトレーニングだと思っている。

心身の健康のバロメーターはウォーキング。

2007-07-11 22:13:25 | 健康
日曜日に高野山を歩いたことをブログに書きこんでいるうちに

なんだか、また、火がついたみたいだ。

無性に熊野古道を歩きたくなった!

それも、高野山から熊野本宮までの小辺路、いわゆる世界遺産の参詣道。

熊野古道では、一番困難な道と聞いているが、そんなことは、どうでもいい。

昨日のナイトウォークは、異常に張り切って歩いていた!
足が、行きたい、歩きたい!と言っているみたいだった。

どうやら、高野山に行ったとき、思いがそちらへ乗り移ったのかもしれない。


今年の前半、なに事に対しても意欲的になれずに、吹っ切れない日々が続いた
まったく、歩くことに対しても、その気になれなかった。

いま、幸いにも、こうして、歩きたいという積極的な気持ちになれるのも
心身が健康な証拠だと思う。

別な見方をすれば、歩くことが、自分の積極的な気持を引き出す
大きな役割を果たしているのかもしれない。

足は自分の意欲と健康のバロメーターみたいなものだ。


四月から、三ヶ年計画で東海道五十三次を歩き始めたばかりだから
熊野古道へ行くのは、少々、むずかしいかもしれないが
楽しい夢が、またひとつ増えたことには違いない。

とにかく、まだまだ、捨てたもんじゃない。
心身ともに、現役であると思う!

☆昨年、熊野古道-大阪から熊野本宮大社完歩の記録はこのブログのサイド下段
 よりHPにリンク済み。

世界遺産の高野山を歩く(写真)

2007-07-09 16:21:38 | ウォーキング
昨日の日曜日、前から楽しみに予定していた高野山参りをしてきた。

気持も身体もだれやすいこの季節こそ、しっかりといい汗をかいて
筋力を鍛えておきたいと、思い切って高野山へ遠征、ウォーキング
を楽しむことにした。

高野山は、約1200年前の弘仁7年(816年)に、弘法大師・
空海によって開かれた真言密教の修行道場で高野山真言宗の
総本山としてよく知られている。
昨年歩いた熊野古道と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界
遺産に登録をされている。南海電車終点の極楽橋駅からケーブ
ルに乗り換え高野山駅へ。

標高900にある聖地高野山は曇り空、涼しい、一歩を踏み出す
たびに厳粛な気持ちと、自然からいただく癒しの空気が心地よく
てウォーキングをするのは、まことに贅沢なことだ。

まず、バスで女人堂前下車。ここからスタート。明治5年まで女人
禁制だった高野山へ、女性はここから山内に入ることを許されず、
細く険しい女人道を通って弘法大師廟へお参りをしていた。当時は、
高野七口それぞれ女人堂が立ち、女性はそれをたどって遠くから
御廟を拝することしかできなかったそうだ。


いよいよ女人堂前から聖地、高野へ一歩を記していく。ここは、
ただ一つ残る女人堂、不動坂口。ここの雰囲気が大好き。高野山
参りの人はここはバスで素通りするので道路は「独り占め」して
どんどん聖地に入っていく。なんともいえない清々しい気分、足
も軽い。


金剛峯寺 高野山真言宗総本山、全国4000寺、信徒1000万の
総本山として宗務を執っている。


根本大塔 高さ48.5メートル、弘法大師は、高野山開創後
この大塔を真言密教の根本道場として建立した多宝塔。
伽藍の続く中で朱色の鮮やかな塔は際立っている。


弘仁10年(819)に弘法大師が講堂として創建した金堂。
本尊・薬師如来が安置されている。高野さんの主な法要が
営まれているところ。現在の堂は、昭和7年に完成した7代目。


不動堂、東塔、御影堂等、西塔、鐘楼をぐるりと回って国道
バス通りに出て高野山の西の入り口の総門に当たる大門まで
ウォーキング。 大門 高さ25.1メートル。さすがに総門にふさ
わしく威風堂々とした門構えに圧倒される。伽藍から離れて
いるためにここに来る人は少なく余計に大きさ感じた。
現在のものは、宝永2年1705)に再建されたもの。


大門から再び町へユータウンウォーク。途中、昼食場所を探し
ていると「歩ん歩こ」という看板が目についた。
「歩」は、ウォーカーにはなじみの文字、店名は、ぽんぽこ
大関時代の白鵬の色紙が飾ってあった。去年、高野山で大相撲
の巡業があったそうだ。うどん定食がおいしかった。

腹ごしらえをして、元気回復、高野の町をウォーキングしなが
ら奥の院をめざす。左右にお土産物の店や院が続く小田原通り
をすすむ。

霊宝院 1200年の歴史を持つ高野山に残る国宝、重文や貴重な
資料を保管し公開する博物館の役目をしている。下の写真。



やがて奥の院入り口の一の橋へ。ここから奥の院の弘法大師廟
まで参道が続く。


千年を超すのだろうか、杉の大木のまにまにある歴史上の人物
、大名、武将、著名人の墓所、太平洋戦争の英霊まで20万基を
超えるあらゆる時代のあらゆる階層の人達のお墓が延々と立ち
並んでいる参道をすすむ。浄土真宗の親鸞、浄土宗の法然とい
った他の宗派の開祖の供養塔も立っている。写真は、武田信玄
、勝頼の墓。


参道は、奥の院まで二キロ続く。ところどころに「ここは弘法大師
が住まう聖地です」という立て札が立っている。


御廟橋 中の橋を越え、しばらく進み、豊臣秀吉や小田信長の
墓所を過ぎると御廟橋、この奥に弘法大師の御廟がある。
ここから中は一切の撮影が禁止されている。
写真、御廟橋。奥の院は、弘法大師信仰の中心聖域。


奥の院からバスで高野山駅へ、そして、ケーブルで南海電車の
極楽橋へ。


南海電車高野線の極楽寺橋→大阪なんば駅へ


身も心もリフレッシュ、身軽になって下界に降りてきた。
また、思い出に残るウォーキングになった。

今度来る時は、もっと、高野山周辺に足を伸ばして歩いてみよう。

自宅から最短時間でも2時間50分かかり、現地にいたのは
4時間、約10キロのウォーキングだった。


シニアの役割。

2007-07-07 23:30:49 | 輝いて生きる
シニアの役割ってなんだろう・・・

今日は、朝から、夕方まで、去年の春に社会人になった
某社の若者男女22人と一緒に勉強する機会をもらった。

自分の子供よりも、さらに若い人たちの前にして

食い入るようなまなざしと
まぶしいほどの視線とを浴びて 
こちらも身の引き締まる思いの一日だった。

依頼されたテーマはなんてどうでもいい
いま、自分がしてあげられることはなにか

組織のために、仕事のために頑張れということなら簡単なこと
それが、67歳の役割だとは思わない

ここまで生きてきた一人の人間として
社会人の先輩として
できること、伝えることがあるだろう

若い人と接すると、いつも、緊張をする
真剣にノートする姿を見ていると
そのメッセージは、それなりの責任が伴う

昼休み、休憩時間、そこも交流の機会

一生懸命に語りかけ、耳を傾け、七夕の日の
「ありがとうございました!」という声を背にもらって
戻ってきた。

まだまだ、自分の役割もある。
シニアの出番はたくさんある。


あってはならない大きなミス!

2007-07-06 22:48:38 | 仕事
ここに書くことも勇気がいるほどの恥ずかしい
「あってはならないミス」をしてしまった。

今朝、某社の人事から10月某日の日程について問い合わせがきた。
この道34年のキャリアも、ここ数年、徐々に仕事数も減少し
生涯現役と叫びながら、自分の賞味期限がきていることを感じて
危機感を募らせていたので、うれしい電話だった。

まあ、そんな先の日程なら大丈夫だろうと、手帳見てびっくり!

なんと、某国大さんの予定が入っている。
残念でたまらないことだが、某社のほうはお断りする以外なかった。

電話をきって・・・なにか胸騒ぎ? がする・・・
確か、先月、あの日あたりに予定が入ったはずだが・・
・・・書かれていない。

あわてて、月別のカレンダーの欄を確認してみると

あった! 同じ日だ!

なんとなんと、その日、国の出先機関の予定が入っている。
しかも、五年も続けてもらっているテーマの仕事だ。

ダブってる!

思わず、声に出てしまった。

手帳の月別のとこに国大さんのを書き忘れていた。
(日別のところだけに書いていた)

さあ、弱った!
 
弱った!

うーん、弱った!

えらいこっちゃ!

こまった!

うーん、どうしょう!


とにかく、すぐ、連絡をしてお詫びをしよう。

すぐ電話して、ありのままを話し、ミスをしたことを詫びた。
先方からわざわざ、こちらの都合を訊ね、こちらの都合に合わせて
決まった日程なので、謝ってすむことではないのだが。

しかし、あってはならないことだったので、落ち込んでしまった。

長いことかかって得た信用も、たった一つのミスで帳消しになって
今後の仕事に影響がでることになったら大変。

電話のあと、すぐ、丁重にお詫びのメールも送った。


しかし、ほとんどが、空き日になっている 10月の特定の日に
三件の仕事が重なったことに、偶然とはいえ驚いた。

まだ、仕事の依頼はある・・・遠慮してひきこもることはない!
少し、自信を回復した気持にもなった!

夕方、メールの返事がきた。

"気になさらないでほしい、いつも無理を聞いていただいているので・・
12月の件は、お願いします”とのことだった。

その心遣いがうれしくて、救われた気持ちになった。
そちらで、精一杯のお返しをしよう。

しかし、もし、某社の電話がなかったり、違う日だったら
もっとこのことに気づくのが遅れて大変なことになっていただろう!

そう思うとぞっとした。

今日のミスも、なんとか、大事にならなくてすんだ。

自分の現役としての賞味期限を延ばすことに真剣にならないと!


ウォーキングで心身のダイエット!

2007-07-05 22:29:49 | チャレンジ
昨夜は、雨の中のナイトウォーキングになった。

夜は、雨が降らない限り、天気を判断するものはなにもない。
途中で引き返すより、雨のウォーキングを楽しんでやろうと
いつものコースをGOGO!

片道2.5キロを往復するコースで、約7200歩。

片道にかかる時間は、自分の足で28分。
これが、標準タイムだが、最近、きつくなってきた。

あれだけ歩き続けてきても、やはり、体力(歩力)が
徐々に落ちてきているということなのだろう。


「生涯現役」と言い続けながら一番に気になるのが体力面。

中でも、身体全体を支える足腰が、現役でなくてはならないと
還暦から始めたウォーキングが、すっかり生活の一部になった。

歩けることが、健康のバロメーターだし
続けられているということは、体力と意思力があると思っている。

それでも、微妙に筋力の低下を感ずるのは、致し方ないことだ。
だから、ウォーキングをやめるつもりはないし、もっと楽しんでいこうと思う。

”よくウォーキングを頑張りますね”と言われるが
本人は、ちっとも頑張っているという意識はない。

むしろ、自然なことで、生活のごく一部みたいなもので
こんなに楽しいものはないとさえ思っている。

確かに、やめないように、続けられるようにと頑張った時期もあったが
それも、いつの間にか当たり前のこととなり、別に意識しなくても
頑張らなくても自然に体が動くようになったのだから不思議だ。

いい習慣を身につけたと思っている。

一方で、なかなか、早寝早起きができない・・・ でいる自分。
これも長いあいだに自分が身につけてしまった遅寝遅起きの習慣
まあ、サビというものだろうか。

人生67年、いろいろなものを身につけてきた。

プラス面とマイナス面に区分してみて
プラス面は、自分の価値、財産として、まだまだ活用したい。

マイナス面は、少しでも改善して
これからの人生終盤を充実した生活にしたい。

身体でいえば、贅肉、体内脂肪・・・
意識的でいえば、口癖、怠け癖・・・

心身を支配しつつあるそのアカやサビをいかに取り去るか、捨てていくか

 「心身のリフレッシュとダイエット」

それが、生涯現役を続けていくことができるかどうかだと思っている。

ちいさな改革へ一歩前進!

2007-07-04 22:33:20 | チャレンジ
時間を夜型から朝型へ変える試みを書き込んだら
まだ会ったことがない京都のネット友達から励ましの
メッセージをもらった。

毎朝五時半に起きて、新聞とテレビのニュースを見て
メールを確認したあと、電車で大阪の勤務先へ、
しかも、電車を数駅手前で下車して会社まで
かなりの距離をウォーキングしているとのこと。

いや、たいしたもんだ!
自分が起きるまでに、一仕事している勘定だ。

ビジネスマンも、学生も、家庭の主婦も朝が早い
世の中には、朝の早い仕事をしている人などいくらでもいる。
自分もかってビジネスマンだった頃は、早かった。

といって自分がなまけものだと決めつけているわけではない。

要するに、夜、遅くまでやっていることが、ほんとうに必要なことか
夜のほうが落ちついて資料づくりや読書ができると決めつけているが
そのほうがほんとうに能率的なのか・・・

家だから、時間があるからと、だらだらとやっていないか
不必要なものはこの際やめて、朝にできることは朝にやるとか・・・

そんな時間編成を組みかえてみるチャンスにしたい。

どんな結果になるかわからないが、決めたことは実行!


★やめること-その①

 夜、12時過ぎて読書することは、きっぱりとやめることにした。

簡単なことも、変えることはむずかしい!

2007-07-03 19:03:29 | チャレンジ
きのうの決めこど「時間改革」初日の結果について・・・

ほんまにアキマセンでした!

簡単なようなことでも、何かを変えるということは
簡単にはできないことだ!


昨夜、恒例のナイトウォークの途中で急に雨に遭い
公園の木陰に避難、目指すベンチへ暗闇の中を近付くと
なんと、見てはいけないものに遭遇。

また、雨の中へ放り出され、濡れながら戻ってきた。

2時に床に入るも、なぜかしらないが、寝付けず
普段通りの起床になって、結局、初日は×。


中谷彰宏さんの本にこんなことが書かれていた。

  朝5時に起きてできることが 

  本当にあなたの好きなことだ。

  「朝に強い人」と「弱い人」がいるのではない。

  「好きなこと」と「嫌いなこと」があるだけなのです。


自分の経験から

大好きなウォーキングで
熊野古道や琵琶湖一周で現地まで時間のかかる遠方の時
何度も5時半には電車に乗っていた。

  ”なっとく”

ということは

普段、早起きをしていないということは

「好きなこと」がないということ!?