現役の映画監督で最年長だった新藤兼人さんが昨日
亡くなられた
ちょうど100歳、いかにも映画監督らしい幕引き
だと思った
郷里が同じ広島県ということもあって新藤監督には
特別の関心があった
いま思えば、あの映画が最後の作品になったと思う
「一枚のハガキ」を見たいと思いながら映画館まで
足を運ばないままになってしまったことを悔む
しかし社会派の新藤監督といえば、なんといっても
あの「原爆の子」は忘れられない
まだ小学生だったが、確か学校に巡回してきた映画
を講堂で見たことを記憶している
その映画で先生役をしていたのが乙羽信子さんだった
後に乙羽さんが後に新藤監督の夫人になったのだから
「原爆の子」は監督にとっても特別な作品だったに
違いない
見ることができたら「原爆の子」見てみたいたい!
ご冥福をお祈りいたします。
(産経新聞 24.5.31)
亡くなられた
ちょうど100歳、いかにも映画監督らしい幕引き
だと思った
郷里が同じ広島県ということもあって新藤監督には
特別の関心があった
いま思えば、あの映画が最後の作品になったと思う
「一枚のハガキ」を見たいと思いながら映画館まで
足を運ばないままになってしまったことを悔む
しかし社会派の新藤監督といえば、なんといっても
あの「原爆の子」は忘れられない
まだ小学生だったが、確か学校に巡回してきた映画
を講堂で見たことを記憶している
その映画で先生役をしていたのが乙羽信子さんだった
後に乙羽さんが後に新藤監督の夫人になったのだから
「原爆の子」は監督にとっても特別な作品だったに
違いない
見ることができたら「原爆の子」見てみたいたい!
ご冥福をお祈りいたします。
(産経新聞 24.5.31)