12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

老人クラブ連合会親睦旅行初体験

2011年05月14日 05時31分12秒 | Weblog

 

 

正式には「玉野市老人クラブ連合会」という長い名称の団体が主催する旅行に参加した。旅行の内容は、「佐賀の小京都 小城と唐津を訪ねて 日本三大美人の湯 九州・嬉野温泉1泊の旅」であった。

今年は、震災の自粛ムードもあり、その上片道600kmという強行軍のためでもあったようだが、参加者が少なくバス2台 80名ほどだった。これは例年の数分の一の参加者数だと聞いた。

車中では洗車機の中に居るような豪雨だったのだが、不思議なことに観光地に着くとせいぜい小雨程度で傘のお世話にもあまりならず結構楽しく観光ができたのはありがたかった。

その上我々のバスが通過した後では、次つぎと高速道路が豪雨で通行止めになったとうい幸運にも恵まれ続けた。


この種の旅の楽しみは、温泉と宴会である。めったに食べられない豪華料理に舌鼓を打ち、そして多数のカラオケ愛好家が披露する自慢の喉を聞いたのであった。

足元のおぼつかないあのひとこの人が、朗々たる美声で高らかに熱唱するのである。老人クラブの大宴会ならではの光景であった。


追記1;さすがの小生も、片道600kmにはいささか疲れた。次回はもう少し近場で開催して欲しいと思った。

おいおい整理ができ次第、旅の記録を掲載する予定であるが、新緑が初夏の雨に烟るさまは、喩えようのない美しさだった。

追記2;17日には、八浜方面でウオーキングを開催すると聞いた。参加者は三百人を超えるという。またグランドゴルフ大会でも同様の参加者数だとのこと。これがこの老人クラブ連合会の実力だと思った。 あいにくと所要でこの日は参加できない。

「児島湖流域下水道浄化センター自然環境体験公園」に集合し八浜地区の古い町並みを散策するという。なんとも長い名前の公園であるが一度も行ったことがない。興味を持ったので日を改めて一度見物してこようと思っている。

 


 


 


 

 


NECお奨めサイト・・・質問コミュニティ

2011年05月13日 04時49分34秒 | Weblog

 NECが奨めるサイトである。信頼のおける企業の情報なので安心だと思う。
インターネットの「双方向性」を生かされているのが、「質問コミュニティ」。

発言小町:http://komachi.yomiuri.co.jp/

女性専門質問コミュニティ。子育てや育児など、女性ならではの質問が多いのが特徴。・・・女性にとっては有益なサイトなのであろう。 

OKWavehttp://okwave.jp/

質問コミュニティの草分け的存在。住宅情報や医療などの専門サイトと質問情報を共有しているので、さまざまな分野の質問と回答がある。・・・ソフトの問題解決で時々参照するサイトである。

どちらもあまり使ったことがない。使用経験があるのは、パソコン関係(主としてトラブルの対策とソフトの不具合対策)である。感心するのは、世の中には大変な物知りで親切な人がたくさんいるということである。
 

追記;玉野市老人クラブ連合会主催の嬉野温泉(佐賀県)12日の旅のため1112日の2日間お休みした。写真の整理ができ次第、旅の様子をレポートする。

毎度感じるのは、自分の国のことをいかに知らないのかということである。


「八 十 路 (やそじ) か ら 眺 め れ ば」 マ ル コ ム ・ カ ウ リ ー 著

2011年05月10日 06時01分16秒 | Weblog

 「八 十 路 (やそじ) か ら 眺 め れ ば」 マ ル コ ム ・ カ ウ リ ー 著 草 思 社 (1999年8月)

「老いのかたち」 黒井千次著 に「・・・マルコム・カウリーの著書にある「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」が紹介されていた。

「五十代終り、あるいは六十代初めはまだ「少年少女」 たちである。少年少女は文学には詳しいかもしれないが、人生には必ずしも詳しくない。」というのが小生が大いに気に入っ点である。(以下はある書評から引用した)

” 老人論の本の中から、これは痛快、というものを紹介しようと思う。著者マルコム・カウリーは、アメリカの文芸評論家、詩人、編集者として著名な人。1898年生まれで、1980年に出版した本であり、著者が82歳の時に、この本は出版されている。その後、91歳まで生きて、1989年に亡くなっている。

 この本を書き始めたわけを、まえがきの最初のところに書いている。それがふるっている。

 老年について、すでに書かれたものが数多いことは事実だが、老いを論じた筆者たちは、ざっと眺めた限りでは、その大部分が五十代終り、あるいは六十代初めの「少年少女」 たちである。少年少女は文学には詳しいかもしれないが、人生には必ずしも詳しくない。

 年老いた人間の気持というものが、こういう人たちにはわからないし、また、わかる筈もないのだ。たまたま八十歳の誕生日が間近に迫っていた私には、もちろん老人の気持がよくわかる。とすれば、ここで一つの率直な私的レポートが割り込む余地はまだ残されているにちがいない。

 五十代終わりや、六十代初めは「少年少女」で、そんなのが「老年」について書くなんて、ちゃんちゃらおかしい、とまず宣うのである。訳者は、この「少年少女」を、「はな垂れ小僧」と訳そうとして、危うく踏みとどまった、と訳者あとがきに書いている。気持ちが分かる。

 八十にならなければ、本当の老人の気持ちは分からない。そういう見方からこの本は書かれている。なるほど、すごいことがいっぱい書いてある。八十でも元気、という面と、八十になってはじめて知る老いの側面と、両方が書いてある。少し引用してみよう。まずは八十でも元気という進軍ラッパ高らかな面。

 八十歳の誕生日。それはいわば時期遅れのユダヤの成人式「バルミツバー」なのだ。八十歳に達したものはユダヤ人の少年のように人生の新たな段階へと足を踏み入れるのだ。

 いよいよ最終幕が始まったのである。芝居の正否はこの幕で決まる。

 ホームズ判事は九十四歳の誕生日の数日前まで生きのびた。この判事の名が人々の記憶に残っているのは、まともな理由もいくつかあるが、それよりも、美しい娘を見かけたときの、この人の古典的な台詞に負うところが大である。 「ああ、もう一度八十歳に還れたらなあ!」

 ブルースは五百人もの友人たちに送る毎年のクリスマス・カードで、老いを笑いのたねにするのである。一九七二年のカードには、こう書いた。「去年、私はまだ弱冠八十二歳でしたが、ある人にこんな手紙を出しました。 『今の私は老人の気分ではなく、どこか調子の狂った青年のような気分です』。何の調子が狂っていたのかは今ようやくわかりました。それは忍び寄る中年の影だったのです。」

 フロリダ・スコット・マクスウェルが83歳のときに書いた著書からの引用。「老年は私を困惑させる。老年とは静かな時期であるに違いない、とばかり思っていたので。私の七十代は面白かったし、かなりのどかでもあったのだが、八十代は何だか情熱的なのだ。私は年ごとに激烈になっていく」

 勿論、こんな元気な話ばかりで、この老人論が、埋められているわけではない。年とともに忍び寄る老いの徴しとそれへの恐怖、それとの闘いについても書いてある。

 オリジナルのエッセイが、反響を呼んだことのひとつに、「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」なる、16項目のリストがある。それが、なかなかうがっているのである。その一部を引用すると(これはあくまで、著者=男性の場合である)、

◎以前なら本能的にやってのけた簡単なことが、考え考え、段階を踏んで、ようやくなしとげられる大仕事となったとき

◎去年よりも足先が手から遠ざかったように感じられるとき

◎階段を下りる前に踊り場で一瞬ためらうとき

◎どこかに置き忘れた物を探す時間のほうが、それを自分で見つけて (というより奥さんに見つけてもらって) から使用する時間よりも長くなったとき

◎二つの事柄を同時に記憶にとどめることが困難になったとき

◎美しい女性と街ですれちがっても振り返らなくなったとき

◎入浴、髭剃り、衣服の着脱など、いろんなことに時間が余計かかるようになり、そのくせ時間の進行がまるで下り坂を行くときのようにますます速く感じられるとき。七十九歳から八十歳までの一年間はまるで少年時代の一週間のようだ。

 一つ二つは、思い当たるであろう。老人特有の悪癖についての指摘も厳しい。強欲、片づけられないこと、虚栄心などである。老いると、自分にかまけるだけになること、すなわち、社会的な視野が狭まっていくことを指摘している。そして、

 老人はますます自分の内側へと追いやられ、自分の心の動きを追うだけで手一杯になる。(引用)「老いるのに多忙で、それを邪魔されるのが恐ろしい」。

・・・老齢者にとっては、自己にかまけることは人生の当面の段階にふさわしい営みとなる。・・・(再び引用)「私は私自身になることだけで過去の時間をすべて費やした。あなたの生涯の終わりにあなた自身が残っているだけだとすれば、それは大したことである。

 老人特有のの恐怖についても、鋭い観察を書いている。

 一つは、単純化された第二の自分へと凋落する恐怖、すなわち、成人の複雑な生活から、たった一つの特徴 (お喋り、守銭奴、鬼婆、世捨て人などなど、さまざまを著者はあげている) へと切りつめられてしまう恐怖である。・・・人が自分自身のカリカチュアと化して生涯を終えるなど、考えるだに恐ろしいことではないか。

 もう一つ、・・・死の恐怖ではなくて、われとわが身をどうすることもできなくなる恐怖である。・・・(引用)「死にまつわる私のただ一つの恐怖は、それがなかなかやって来ないことである」

 この恐怖についての処方箋は書いてない。おそらく、「受け止めよ」ということなのだろう。

 その上で、老人ならではの愉しみをいくつも、あげている。

 ただじっと座っていること。このときの、えも言われぬ怠惰の味は、老年以前には滅多に味わえないものである。

 年老いた今、男にはもう勝ち取るべきものも失うものもありはしない。・・・男は人生の戦いを超越している、というより戦いの局外に立っている。遠くからは戦っている男たち女たちの競い合う気配が伝わってくるが、どうしてあんなに戦うのだろう、勝ったところで死亡記事が少しばかり長めになるのが関の山だというのに。

 など。最後には、老後にも計画を持つことを勧めている。

 詩人であれ主婦であれ、実業家であれ教師であれ、老人の一人びとりには、自分の生気を失いたくない限り、何らかの仕事の計画が不可欠である。

 それは当人の最大の努力を必要とするほどの大計画でなければならない。

としながら、昔の仕事の手慣れた一部とか、昔の趣味から派生したことに加え、まったく新しいことでもいいではないか、として、老いてから新しく何かをはじめて成功した例を挙げている。また家族との絆、コミュニティへの奉仕活動なども。この項目は、まあ、月並みだ。その最後は、

私たちはだれしも、それぞれの流儀で、めいめいが芸術家なのだ。

という言葉で結ばれている。

 ほとんど、引用だけの読書紹介になった。何しろこちらは、八十路にとうてい達していない「少年少女」である。こんな人生の達人の言葉を、論評しようがないではないか。引用されているエマソンの詩「テルミヌス」の諦観に達するには、まだまだ早い。

今こそ老いる時、帆を畳む時だ。

海原にも岸辺を設け給う境界の神が

とうとう私を訪れて

申されるには 「もういい!

もはや伸ばすでない、汝の野心の枝、汝の根を。

旅立ちを想え、捏造をやめよ。

汝の天空を縮小せよ、天幕の大きさにまで

 


あと何年

2011年05月09日 02時19分55秒 | Weblog

どんな風に自分の人生を過ごすかを考えない人はいないのであるが、とりわけ高齢者となるとそれを思うのはより切実である。

そこで前提となるのが、あと何年生きるのか、生きられるのか、より正確には健康で健全な状態で過ごせる期間は残りいくらなのかである。

しかし、それを知ることは不可能である。仕方が無いので、平均余命で代用することになる。

平均余命は、平成21年簡易生命表によると;

70歳の男=15.1年、女=19.6年

80歳の男=8.66年、女=11.68年

90歳の男=4.45年、女=5.86年

年とあった。

小生の場合には、平均的にあと15年ほど生きなければならないのである。こうなると80歳から85歳の方々の生き方を調べておく必要があると感じたのだ。


5月5日の記事”「老いのかたち」 黒井千次著・・・年のとり方”で引用されていた「八 十 路 (やそじ) か ら 眺 め れ ば」 マ ル コ ム ・ カ ウ リ ー 著 草 思 社 (1999年8月)について、次の機会に触れることを予定している。

 


便利さで失ったこと・・・久しぶりの手書き作業

2011年05月08日 05時39分06秒 | Weblog

 今年10月に開催予定の同窓会幹事は、広島県在住者と小生の二人である。還暦記念の年回りであり、古希記念の盛大なパーティを計画しようかとも考えたのだが、初めての岡山開催のため出席数が読めず、それで例年並みの計画に留めた。

二人で開催場所探しなどを行い、計画を作成し、案内状発送の準備にかかった。

卒業総数43名、物故者と1名の消息不明者を除くと生存者36名、さらに幹事2名分を除くと、実質34名分が開催案内の対象者である。
 

A4サイズの同窓会案内状と最新版名簿は無事プリントできたが、封筒・はがきの特殊形状物は、プリンターが不調となり用紙を飲み込まず、やむなく手書きした。
 

手書き作業を行ったとき感じたのは、機械任せでは得られない事があるということだった。

一つ一つ宛先にそれの持つ情報を感じるのである。すなわち改めて同窓生の顔と住んでいる街の様子が見えたのである。
 

パソコン任せというか機械化というか、便利になることで失ったことがあるのだと気付かされた。

これからもプリンターを使う頻度は高くない。A4だけ印刷出来れば当分困ることもない。修理に出さずに、10年以上となる大古品のプリンターともうしばらく付き合うことにした。

(その内に、子供達からお古のプリンターを貰うことになるだろう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


恐るべき人生 西東三鬼 

2011年05月07日 04時22分16秒 | Weblog

 6日は立夏の日。NHKラジオの「今日の一句」で西東三鬼の有名な立夏の句を紹介していた。

  おそるべき君等の乳房夏来る

季語は、「夏来る」である。立夏・夏立つ・夏に入るなどと同じ季語である。

一度聞けば直ちに記憶に留まるという実に強烈な句である。西東三鬼でなくては詠めない句である。

(あるサイトから以下を引用した。恐るべき人生を背景にした詠み手なのである。未だに意味が判らない句が沢山あるので困っている。) 

号に三匹の鬼を踏んまえた、昭和俳句の鬼才中の鬼才。業師の異名を持つ。これは機略縦横な句作を指して言うのだが、その裏では、じつは放縦無頼な色恋を暗に含んでいた。三鬼はどうしようもない稀代のドンファンなのだ。 

明治三十三年、岡山県津山に教育者の三男に生まれる。大正十四年、日本歯科医専を卒業、長兄在勤のシンガポールで歯科医院を開業する。当時人種展覧会の観のあった国際都市で「熱帯の夜々、腋下に翼を生じて、乳香と没薬の国を遊行」という薔薇の日々を過ごす。このことが後半生を決定的にする。コスモポリタン、ニヒリスト、バガボンド、エピキュリアン……。(筆者注;vagabond =放浪者,無宿者)

 昭和三年、帰国。八年、勤務先の病院で患者の句会に薦められて出席、三十三歳にして始めて俳句を作る。折しも俳句の新興期で機運に乗って、三鬼はたちまち頭角を現す。


 この異色の前歴が三鬼を特別な作家にする。彼は宗匠帽を被ったような古い俳人らの(高浜虚子の「ホトトギス」)の世界とは無関係だった。ちなみにこのダンディ男はコールマン髭をびしっときめていた。(トレードマークは、口髭とベレー帽。ダンス、乗馬、ゴルフ、ギター、マンドリン、油絵などが趣味で、女性にも・・・。)


十五年、処女句集『旗』を上梓。

  水枕ガバリと寒い海がある 

    白馬を少女瀆(けが)れて下りにけむ

   ハルポマルクス神の糞より生れたり

  湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ

 

 この一集が大評判で彼は新世代の旗手となる。三鬼は俳句に没頭した、そしてそれ以上に真剣であること、三鬼は女性を遍歴した。

彼と深間になった女性の数? 一説に三十五人。だが本当はその数倍とか。なかでも三人の女性である。まずは二十五歳のときに結婚した「戸籍上の妻」上原重子、つぎに三十三歳で知り会った「事実上の妻」堀田きく枝(双方に男児あり)。さらに晩期に現れる「若い愛人」由美子(三鬼の小説「八百匁」の作中名)。多情多恨な男は直情径行である。


関心は俳句より、作者の「劇的なる人間性」「芸術的な人生」にあります。伝記がそのまま通俗小説に成るような俳人はそうそう居ません。

忌日が四月一日と言う落ちまで付けて…。という人もいるのです。


お奨めサイト・・・調べ物編

2011年05月06日 05時07分24秒 | Weblog

NECが奨めるサイトである。信頼のける企業の情報なので安心だと思う。アクセスすれば、その場ですぐに調べることが可能。

インターネット上の辞書や百科事典

●Wikipedia(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/

誰もが無料で読むことができる百科事典。

・・・しばしば利用している。実に便利である。市販の百科事典では到底カバー出来ない広範囲のコトがわかるが、唯一の問題点は信ぴょう性である。

高度な信頼性を必要とする場合には、これ以外にいくつかの情報を集め比較検討し、信ぴょう性を確認する必要がある。


●三省堂 Web Dictionary:http://www.sanseido.net/

“ことば”に関するさまざまな情報を提供。日本語からは国語と和英、英語からは英和を引ける。三つの辞書を同時に引けて便利。

・・・電子辞書のほうが手軽なのであまり利用してはいない。この種の辞書や電子辞書に共通の欠点は、紙に印刷された辞書ほど詳しく掲載されていない点である。いざとなったら、本物の紙の辞書をひく必要がある。


 

●エキサイト翻訳:http://www.excite.co.jp/world/

英語、中国語、スペイン語などのテキスト翻訳、ウェブページ翻訳までが可能な、無料のWeb上翻訳サービス。

・・・このエキサイト翻訳 や他の幾つかの翻訳サイトは、Googleの自動web翻訳などの訳が変だと感じたときに利用することがある。・・・どれも五十歩百歩であるが・・・。


 

これら以外にも沢山の類似のサイトがある。うまく利用すれば賢い生き方の一つにはなる筈である。

 

 

 

 


「老いのかたち」 黒井千次著・・・年のとり方

2011年05月05日 02時11分07秒 | Weblog

先日、この作家の小説「高く手を振る日」について、朴念仁の無粋な思いを書いてしまい、少々反省しているところである。

どうも気が咎めたので、氏の著作を調べてみたら「老いのかたち」という本の書評にたどりついた。そこに小生の波長に一致する一文があった。

一言で言えば、「年のとり方」である。

” 本書は、読売新聞夕刊に連載中の随筆「時のかくれん坊」を5年分纏めたもの。テーマは「現代における老いであり、かつてのようには歳を取りにくくなった昨今の老人はどのように日を過ごし、何を考えたり感じたりしてどう生きているかを確かめよう」とするもの。

著者が日々の生活で感じる「老い」の現象は、その年齢になってみて初めて経験することへの戸惑いと諦めがあり、それに対して諦めきれない思いというのもある。”


著者はちょうど10年先輩なので、小生がこれから経験するであろう10年後までのことを予め教えてくれるだろうと期待した。(80歳への心の準備とでも言えるものだろう)小生が、さすがと最も共感できた事を以下にご紹介する。


"最近年齢のわりに幼いと感じがするひとが多いように思う。昔の50歳ならもう隠居の身となって、それなりの貫禄や威厳があった。年齢相応の姿というのがわからなくなってきているようだ。

としたら、我々は節目も輪郭もない時間をただ生きていくしかない。どうしてそうなってしまったのか。年齢を数字で捉えることに忙しく、そこにひそむ歳月の意味、生き続けて来た命の谺(こだま)とでもいったものに、注意を払わなくなったからではなかろうか。


還暦であるとか、古稀、喜寿、傘寿などといった年齢の節目は、ただ言葉として残るのみである。

もし節目にそれなりの力が宿っていれば、そこに指をかけ爪を立てて年齢相応の老いのイメージを掘り出すことが叶うのかもしれない。老人とはこういうものだ、といった共通の認識が生まれるのかもしれない。

威厳にせよ貫禄にせよ、温容にせよ枯淡にせよ、老人にふさわしい生の佇まいはそのような認識を基礎にして保たれて来たのだろう。

ただ年齢不詳の元気な老人がふえただけでは、老いが豊かになるとはとても思えない。”

ただの年齢不詳の元気な老人で終わりそうな小生に、厳しく問いかけられた言葉であった。老人の威厳とか貫禄を身につけることを意識しようと思い始めたのである。


付記;

1.自分はまだ大丈夫だと思っても、周りからはそうではなく見られてしまう。初めて、赤の他人から「オジイチャン」と呼ばれたときに感じる寂しさ。一生懸命歩いても、さほど急いでいるわけでもない若者に抜かれてしまい、無理をして追いつこうとして疲れ果てる。

2.立食パーティでジュースをこぼした後、今度はそば汁の椀を落としてしまう。食べ物を服にこぼすのは、老人には避けがたい失敗と覚悟するしかないと著者は述べている。

3.ちょっとした段差で躓いたり、ものぶつかったりすることがある。電車の中で本を読んでいて、居眠りをしているわけでもないのに本を落とすことがある。

4.ここ数年の記憶より、若い頃の記憶のほうがよく憶えていることがある。

5.本書にマルコム・カウリーの著書にある「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」が紹介されており、思い当たるのが「骨に痛みを感じるとき」、「誤って歯ブラシを取り落としたとき」、「去年より足先が手から遠ざかったように感じられるとき」、「美しい女性と街ですれちがっても振り返らなくなったとき」。

・・・マルコム・カウリーの著書にある「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」に興味を抱いた。これにについて調べる必要がありそうだ。

 

 

 


ある見識

2011年05月03日 01時28分57秒 | Weblog

4月9日付け読売新聞に、曽野綾子氏が「克服へ 識者インタビュー」というカラムに「国家に頼らず 自ら行動を」と題する記事を発表しておられた。(氏の長い貧しい国に対して行ってこられた支援経験を基にしたご意見だった。)

さすが高い見識の持ち主である。ここ数週間、小生が書いては消して纏めることが出来なったことを、見事に纏めて下さったのである。要約を以下に引用させていただいた。(ご本人から、趣旨が違うと、お叱りを頂くかもしれないが・・・。)

  1. 日本人は、・・・甘やかされた生活が・・・続くという夢が打ち砕かれた。

  2. 日本は夢のような国だ・・・「欲しい」と思えば何でも手に入る社会は、異常社会だ。

  3. 世界中にはあらゆるものがままならない人達で溢れている。それが普通だ。

  4. 政治家は「安心して暮らせる社会を作る」というが、ありえない。

  5. 老年世代までが、政治家を信じて、人任せにし、自分の頭で考えなくなった。

  6. 国家やシステムを疑い、あまり依存しないことだ。

  7. 最後は自分で自分を助けることが出来なければ、人間としての義務に欠ける。

  8. 国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。自分で考え思考する癖をつけることだ。

  9. 被災者の支援も国家に頼るのではなく「痛い」と感じるくらい自らのお金を出すことだ。出さなくてもよいが、その人は人権だ、権利だとは言うべきでない。

  10. 人間は本来、苦しみに耐えるようにできている、子供には耐える体験をさせることが大切だ。

  11. 起こることには意味がある。今回のことから何を学ぶか。一人一人が考えることだ。


曽根氏だから公言できたことである。大変貴重な意見と感じている。

最近の政治家を筆頭に、多くの上に立つものは、口に苦い言葉を避けて、甘い言葉ばかりを先行させる世の中となった。それは、確固たる信念や自信のないやからがリーダぶって、甘言を労しているだけのような気がしてならない。


厳しいこと辛いことを明確に口にし、人々を説得しリードし、そして本当に良い未来に導くことの出来る人がいないものだろうか。

 


小説「高く手を振る日」 黒井千次著

2011年05月02日 05時15分23秒 | Weblog

 

ラジオ深夜便のam4:00から、高齢者についての黒井千次氏の話があったが、あいにくと聞き逃した。その埋め合わせに、氏の著書「高く手を振る日」を読んだ。(黒井千次氏は1932年生まれ)

書評では「ときめきに満ちた高齢者の純愛」と総括されている。

我々の年代となると、男・女という概念の存在は次第に薄らいで、子供の付合いに近くなるのが自然で抵抗のない形態である。そんな環境にあえて一石を投じようとする小説のような気がした。

普通の人々が経験出来ないことを、仮想の場で見せてくれるのが小説であると思えば、小説らしい小説だといえる。

しかし、小生のみならず、読者全般に「そんな面倒な・・・」という抵抗感をお持ちになるのではないだろうか・・・。

参考;あらすじは、次の書評から。

[評者]江上剛(作家)[掲載]2010523

ときめきに満ちた高齢者の純愛

 主人公の浩平は古希を過ぎた男。妻に先立たれ、未来のない行き止まり感に苛(さいな)まれている。古いトランクを片付けているとき、大学時代に同じゼミだった重子の写真を見つける。一度だけ唇を重ねたことがある。

 偶然にも、娘から夫の同僚の母親が重子であることを教えられる。浩平に会いたがっているらしい。娘は、浩平の自宅の電話番号を教えると言う。「七十を越す婆(ばあ)さんだろ」と悪態をついたものの、重子からの電話を待ち続け、やがて、はがきの交換、消息を尋ね合う電話と進み、再会を果たす。

 重子に強く勧められ、初めて携帯電話を持つ。メール操作を覚え、やっとの思いで重子にメールを送る。漢字変換がうまくいかない。すべてひらがなだ。〈はやくあいたい〉。この、ひらがなメールの妙な生々しさは、いったいどうしたことだろうか?

 ある日、重子が突然、自宅に訪ねて来る。老人ホームに行くことを決め、別れを告げるためだ。目の前のたったひとつのもの、重子を奪われたくない気持ちが強くなる。「私達は茶飲み友達ではない」「ない。絶対にない」。浩平は、重子に唇を近づける。学生時代の思いがよみがえる。

 老人を主人公にした恋愛小説は社会問題のテーマに走りがちで、たいてい暗く陰湿だが、本書は違う。古希を過ぎてもまだまだこれほど清純で、美しく、ときめきと緊張感に満ちた恋愛ができるのだ。

 年齢を重ねることは寂しい。しかしこんな恋愛もできると思えば、希望がある。高齢化とは、行き止まりに向かっているのではなく、重子に再会した時の「途中だよ、長い長い途中だよ」という浩平の言葉通りなのだろう。タイトルは別れの際、重子が「私に見えるように、(手を)大きく振ってね」と浩平に頼むことに由来しているが、作者が同世代の読者に贈るエールなのだ。

 ラブレターから家庭電話、携帯電話、メールという恋愛ツールの移り変わりをあらためて知るのも本書の楽しみだ。

 


はるか上がいた

2011年05月01日 04時15分05秒 | Weblog

 

昨日は、自分でも意外だった自転車の効果を、いささかの自慢を含んだ大きな驚きとしてご紹介した。

これに対して、同窓生から次のメールが来た。当然アラ古希であるが、若い人のような激しい筋トレである。小生のなんか、はるか足元にも及ばないのである。

平素の精進がなせるとはいえ、古希にしてかくもすさまじきトレーニングが可能なのである。高齢世代も捨てたものでないと思わせてくれる快挙なのでご紹介する。


小生のトレーニングは下記の通り。

火、木、土の3回ジムに行っています。家からジムまで起伏の多い道を約3キロ早足で歩いていきます。

ジムでは階段登り機で強度を最高の100、膝高さも最高の10にセットして漕ぐこと50分。消費カロリーは600~700カロリーになります。

その後、ダンベルでスクワットと上腕筋を各20回、逆さ吊りシットアップで腹筋20回、ストレッチポール上で腹筋100回、さらに大きな機械を使って背筋、腹筋、大腿筋のトレーニングを各20回、最後にストレッチを10分間というのが標準メニューです。

これで合計90分。木曜日にはエアロビクスにも参加して30分。これでくたくたになります。その後サウナに入ってまた歩いて帰ります。

「大腿部の筋肉増強効果は、自転車の立ち漕ぎより座り漕ぎの方が効果があるように思います」。なるべく膝を高く上げる(または腰を低く落とす)のがポイントのようです。森光子で有名になったスクワットも同じと思います。


私の友人で鹿屋体育大学の学長はスクワットを勧めています。単純に椅子からの立ち座りの繰り返しを毎日5分ほど続けるだけでもかなり効果があるとか。  お互い足の筋力維持に努めましょう。”

衰えは避けられないが、少しでもそれを遅らせ、健康寿命の延命に努める必要がある。