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「八 十 路 (やそじ) か ら 眺 め れ ば」 マ ル コ ム ・ カ ウ リ ー 著

2011年05月10日 06時01分16秒 | Weblog

 「八 十 路 (やそじ) か ら 眺 め れ ば」 マ ル コ ム ・ カ ウ リ ー 著 草 思 社 (1999年8月)

「老いのかたち」 黒井千次著 に「・・・マルコム・カウリーの著書にある「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」が紹介されていた。

「五十代終り、あるいは六十代初めはまだ「少年少女」 たちである。少年少女は文学には詳しいかもしれないが、人生には必ずしも詳しくない。」というのが小生が大いに気に入っ点である。(以下はある書評から引用した)

” 老人論の本の中から、これは痛快、というものを紹介しようと思う。著者マルコム・カウリーは、アメリカの文芸評論家、詩人、編集者として著名な人。1898年生まれで、1980年に出版した本であり、著者が82歳の時に、この本は出版されている。その後、91歳まで生きて、1989年に亡くなっている。

 この本を書き始めたわけを、まえがきの最初のところに書いている。それがふるっている。

 老年について、すでに書かれたものが数多いことは事実だが、老いを論じた筆者たちは、ざっと眺めた限りでは、その大部分が五十代終り、あるいは六十代初めの「少年少女」 たちである。少年少女は文学には詳しいかもしれないが、人生には必ずしも詳しくない。

 年老いた人間の気持というものが、こういう人たちにはわからないし、また、わかる筈もないのだ。たまたま八十歳の誕生日が間近に迫っていた私には、もちろん老人の気持がよくわかる。とすれば、ここで一つの率直な私的レポートが割り込む余地はまだ残されているにちがいない。

 五十代終わりや、六十代初めは「少年少女」で、そんなのが「老年」について書くなんて、ちゃんちゃらおかしい、とまず宣うのである。訳者は、この「少年少女」を、「はな垂れ小僧」と訳そうとして、危うく踏みとどまった、と訳者あとがきに書いている。気持ちが分かる。

 八十にならなければ、本当の老人の気持ちは分からない。そういう見方からこの本は書かれている。なるほど、すごいことがいっぱい書いてある。八十でも元気、という面と、八十になってはじめて知る老いの側面と、両方が書いてある。少し引用してみよう。まずは八十でも元気という進軍ラッパ高らかな面。

 八十歳の誕生日。それはいわば時期遅れのユダヤの成人式「バルミツバー」なのだ。八十歳に達したものはユダヤ人の少年のように人生の新たな段階へと足を踏み入れるのだ。

 いよいよ最終幕が始まったのである。芝居の正否はこの幕で決まる。

 ホームズ判事は九十四歳の誕生日の数日前まで生きのびた。この判事の名が人々の記憶に残っているのは、まともな理由もいくつかあるが、それよりも、美しい娘を見かけたときの、この人の古典的な台詞に負うところが大である。 「ああ、もう一度八十歳に還れたらなあ!」

 ブルースは五百人もの友人たちに送る毎年のクリスマス・カードで、老いを笑いのたねにするのである。一九七二年のカードには、こう書いた。「去年、私はまだ弱冠八十二歳でしたが、ある人にこんな手紙を出しました。 『今の私は老人の気分ではなく、どこか調子の狂った青年のような気分です』。何の調子が狂っていたのかは今ようやくわかりました。それは忍び寄る中年の影だったのです。」

 フロリダ・スコット・マクスウェルが83歳のときに書いた著書からの引用。「老年は私を困惑させる。老年とは静かな時期であるに違いない、とばかり思っていたので。私の七十代は面白かったし、かなりのどかでもあったのだが、八十代は何だか情熱的なのだ。私は年ごとに激烈になっていく」

 勿論、こんな元気な話ばかりで、この老人論が、埋められているわけではない。年とともに忍び寄る老いの徴しとそれへの恐怖、それとの闘いについても書いてある。

 オリジナルのエッセイが、反響を呼んだことのひとつに、「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」なる、16項目のリストがある。それが、なかなかうがっているのである。その一部を引用すると(これはあくまで、著者=男性の場合である)、

◎以前なら本能的にやってのけた簡単なことが、考え考え、段階を踏んで、ようやくなしとげられる大仕事となったとき

◎去年よりも足先が手から遠ざかったように感じられるとき

◎階段を下りる前に踊り場で一瞬ためらうとき

◎どこかに置き忘れた物を探す時間のほうが、それを自分で見つけて (というより奥さんに見つけてもらって) から使用する時間よりも長くなったとき

◎二つの事柄を同時に記憶にとどめることが困難になったとき

◎美しい女性と街ですれちがっても振り返らなくなったとき

◎入浴、髭剃り、衣服の着脱など、いろんなことに時間が余計かかるようになり、そのくせ時間の進行がまるで下り坂を行くときのようにますます速く感じられるとき。七十九歳から八十歳までの一年間はまるで少年時代の一週間のようだ。

 一つ二つは、思い当たるであろう。老人特有の悪癖についての指摘も厳しい。強欲、片づけられないこと、虚栄心などである。老いると、自分にかまけるだけになること、すなわち、社会的な視野が狭まっていくことを指摘している。そして、

 老人はますます自分の内側へと追いやられ、自分の心の動きを追うだけで手一杯になる。(引用)「老いるのに多忙で、それを邪魔されるのが恐ろしい」。

・・・老齢者にとっては、自己にかまけることは人生の当面の段階にふさわしい営みとなる。・・・(再び引用)「私は私自身になることだけで過去の時間をすべて費やした。あなたの生涯の終わりにあなた自身が残っているだけだとすれば、それは大したことである。

 老人特有のの恐怖についても、鋭い観察を書いている。

 一つは、単純化された第二の自分へと凋落する恐怖、すなわち、成人の複雑な生活から、たった一つの特徴 (お喋り、守銭奴、鬼婆、世捨て人などなど、さまざまを著者はあげている) へと切りつめられてしまう恐怖である。・・・人が自分自身のカリカチュアと化して生涯を終えるなど、考えるだに恐ろしいことではないか。

 もう一つ、・・・死の恐怖ではなくて、われとわが身をどうすることもできなくなる恐怖である。・・・(引用)「死にまつわる私のただ一つの恐怖は、それがなかなかやって来ないことである」

 この恐怖についての処方箋は書いてない。おそらく、「受け止めよ」ということなのだろう。

 その上で、老人ならではの愉しみをいくつも、あげている。

 ただじっと座っていること。このときの、えも言われぬ怠惰の味は、老年以前には滅多に味わえないものである。

 年老いた今、男にはもう勝ち取るべきものも失うものもありはしない。・・・男は人生の戦いを超越している、というより戦いの局外に立っている。遠くからは戦っている男たち女たちの競い合う気配が伝わってくるが、どうしてあんなに戦うのだろう、勝ったところで死亡記事が少しばかり長めになるのが関の山だというのに。

 など。最後には、老後にも計画を持つことを勧めている。

 詩人であれ主婦であれ、実業家であれ教師であれ、老人の一人びとりには、自分の生気を失いたくない限り、何らかの仕事の計画が不可欠である。

 それは当人の最大の努力を必要とするほどの大計画でなければならない。

としながら、昔の仕事の手慣れた一部とか、昔の趣味から派生したことに加え、まったく新しいことでもいいではないか、として、老いてから新しく何かをはじめて成功した例を挙げている。また家族との絆、コミュニティへの奉仕活動なども。この項目は、まあ、月並みだ。その最後は、

私たちはだれしも、それぞれの流儀で、めいめいが芸術家なのだ。

という言葉で結ばれている。

 ほとんど、引用だけの読書紹介になった。何しろこちらは、八十路にとうてい達していない「少年少女」である。こんな人生の達人の言葉を、論評しようがないではないか。引用されているエマソンの詩「テルミヌス」の諦観に達するには、まだまだ早い。

今こそ老いる時、帆を畳む時だ。

海原にも岸辺を設け給う境界の神が

とうとう私を訪れて

申されるには 「もういい!

もはや伸ばすでない、汝の野心の枝、汝の根を。

旅立ちを想え、捏造をやめよ。

汝の天空を縮小せよ、天幕の大きさにまで