12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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恐るべき人生 西東三鬼 

2011年05月07日 04時22分16秒 | Weblog

 6日は立夏の日。NHKラジオの「今日の一句」で西東三鬼の有名な立夏の句を紹介していた。

  おそるべき君等の乳房夏来る

季語は、「夏来る」である。立夏・夏立つ・夏に入るなどと同じ季語である。

一度聞けば直ちに記憶に留まるという実に強烈な句である。西東三鬼でなくては詠めない句である。

(あるサイトから以下を引用した。恐るべき人生を背景にした詠み手なのである。未だに意味が判らない句が沢山あるので困っている。) 

号に三匹の鬼を踏んまえた、昭和俳句の鬼才中の鬼才。業師の異名を持つ。これは機略縦横な句作を指して言うのだが、その裏では、じつは放縦無頼な色恋を暗に含んでいた。三鬼はどうしようもない稀代のドンファンなのだ。 

明治三十三年、岡山県津山に教育者の三男に生まれる。大正十四年、日本歯科医専を卒業、長兄在勤のシンガポールで歯科医院を開業する。当時人種展覧会の観のあった国際都市で「熱帯の夜々、腋下に翼を生じて、乳香と没薬の国を遊行」という薔薇の日々を過ごす。このことが後半生を決定的にする。コスモポリタン、ニヒリスト、バガボンド、エピキュリアン……。(筆者注;vagabond =放浪者,無宿者)

 昭和三年、帰国。八年、勤務先の病院で患者の句会に薦められて出席、三十三歳にして始めて俳句を作る。折しも俳句の新興期で機運に乗って、三鬼はたちまち頭角を現す。


 この異色の前歴が三鬼を特別な作家にする。彼は宗匠帽を被ったような古い俳人らの(高浜虚子の「ホトトギス」)の世界とは無関係だった。ちなみにこのダンディ男はコールマン髭をびしっときめていた。(トレードマークは、口髭とベレー帽。ダンス、乗馬、ゴルフ、ギター、マンドリン、油絵などが趣味で、女性にも・・・。)


十五年、処女句集『旗』を上梓。

  水枕ガバリと寒い海がある 

    白馬を少女瀆(けが)れて下りにけむ

   ハルポマルクス神の糞より生れたり

  湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ

 

 この一集が大評判で彼は新世代の旗手となる。三鬼は俳句に没頭した、そしてそれ以上に真剣であること、三鬼は女性を遍歴した。

彼と深間になった女性の数? 一説に三十五人。だが本当はその数倍とか。なかでも三人の女性である。まずは二十五歳のときに結婚した「戸籍上の妻」上原重子、つぎに三十三歳で知り会った「事実上の妻」堀田きく枝(双方に男児あり)。さらに晩期に現れる「若い愛人」由美子(三鬼の小説「八百匁」の作中名)。多情多恨な男は直情径行である。


関心は俳句より、作者の「劇的なる人間性」「芸術的な人生」にあります。伝記がそのまま通俗小説に成るような俳人はそうそう居ません。

忌日が四月一日と言う落ちまで付けて…。という人もいるのです。