12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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60歳から(その1)

2007年05月16日 08時02分54秒 | Weblog

 同窓会ブログで、友人A(強力な演算用のコンピュータ6台を用いて、ホームトレイダーをしている)が、次の新刊本を紹介した。

渡辺昇一(77歳)著「60歳からの35年間を設計する、中高年のための実践的幸福論」、
『95歳へ!幸福な晩年を築く33の技術(飛鳥新社¥1200+税)』

有難いことに、友人Aはエッセンスを纏めておいてくれた。

更に、有難いことに、別の友人B(異文化研修、ビジネス研修、語学研修などを主要業務とする教育・研修の専門機関「インテックジャパン」を経営、コンピュータ7台を使用、IT業務でも活躍中)が、
小生の書き込みに異論を唱えた。

それを以下に併記しておく。
人それぞれ、思いは違って当たり前、しかし、この友人Bは、小生よりはるかに深くものを考えていることが改めて判った。

 どうも、小生は、軽薄・表面的人生を送るように出来ているらしい。

《基本的な心構え》

・晩年は「賢明さ」より「楽しさ」が大切
・・・(小生)その通り、実践中。(お迎えがくればハイそれまでよ)
・・・(友人B)賢明さと楽しさの2者択一はおかしい。むしろ「懸命さ」をとる。60過ぎても懸命にやっていると楽しく感じられる時もある。

 ・時間はたっぷりあるのであせらなくていい
・・・(小生)その通り、実践中。(お迎えがくればハイそれまでよ)
・・・(友人B)時間はそんなに有るという保証はない。いつ時間切れになるか分からない。

 ・ いわゆる理科系的(進歩と競争に追い回される)生活から脱出して、文科系の世界に生きがいを見つけるのが賢明
・・・(小生)その通り、実践中。
・・・(友人B)理科系と文科系という仕分けの理由がわからない。        工学部生は左脳ばかり使うので、右脳も使えということだろうが、
どちらでもよいのではないか。
般若心経を覚えたり筆写したりするのは左右どちらになるの。

・ 「自分もああなりたい」という存在を思い出そう
・・・(小生)思い出せない、探すべきか探さざるべきか?
・・・(友人B)そんな人がいてもシチュエーションが違うから目標にしても意味がない。結局は自分流でいくしかない。

 ・ 手本は天才でなく、平凡な人の平凡な教訓が役に立つ
・・・(小生)その通り、凡人同士助け合えばよい。
・・・(友人B)この期に及んで人の人生教訓などは頭に入らない。他人に教訓めいたことを言う必要もない。

 ・ 《自分のテーマを発見するには》
・自分の能力が生かされることは何か
・・・(小生)判らん、いまさら能力なんかどうでもよい!
・・・(友人B)今となってはそんなことは気にせずに自分が興味を持てることをすることがテーマではないか。もっとも開発途上国の支援に参加するような場合は別だが、残念ながら持ち合わせていない。

 ・ 若い頃にやり残したことは何か
・・・(小生)思い当たらない、忘れた。
・・・(友人B)遣り残したことはない。といってもすべてやりつくしたわけでもない。今度生まれ変わる時は・・・という仮定ならいろいろ言えるが。

 ・何をしている時が楽しいだろうか
・・・(小生)何をしても楽しいのだが?
・・・(友人B)思秋期だから楽しい時よりも憂鬱な時が多い。楽しい時というよりも憂鬱でない時という方が近いのでは。

 ・願望は紙に書いて貼っておこう
・・・(小生)実行しよう、直ぐ忘れるから。
・・・(友人B)紙に書いて貼らないと忘れるような願望ならたいしたことはない。本当の願望ならいつも頭の中に存在しているはずだ。紙に書いて貼るのは、来週の予定とかパソコンのパスワードとか・・・

・実現の手段は考えなくていい
・・・(小生)そういうものかなー?
・・・(友人B)ガムシャラに実行するしかないのでは。継続は力なりという。     ドンドン安易な方に流れてしまわないようにしたいと思う      (スポーツクラブの筋トレではいつもそう自戒している)。

その2に続く