おはようございます。
近江鉄道も今日が最後です。
レールバスの写真探しましたが、見つからず考えてみると各線路に車両がいっぱいあり写真が撮れなかったように思えてきました。
名鉄から廃車になってきたばかりだったと思います。
年寄りが思い出していますが、なかなか思い出すことが出来ず正式な記事になりません。
お許しください。
(1) ED316 彦根車庫 S55.9.12.
(2) モハ203 彦根車庫 S55.9.12.
今日で近江鉄道終了しますが、虎の子南海様 桜川秀則様 エムサ菌様のご協力で無事終わることが出来ました。
ありがとうございました。
これからも懲りずにご協力をお願いします。
レールバスは元名鉄ではなく自社発注です。2軸車だけどエンジンは250psという、なかなか強力な装備でした。彦根の構内が整理されるまで、移動倉庫として残っていました。
本日で、近江鉄道の写真もひとまず終了ですね。ここには出ていませんが、近江鉄道のレールバス(LEカー)のことが書かれていましたが、、私もこのレールバスに乗車したことがあります。私も形式は忘れましたが、推測ですが、確かキハ10型だったように思います。架線の下を走行するレールバスはこの他にも今は無き宮城県の栗原田園鉄道にもありましたね。富士重工や新潟鉄工所はレールバスを製造する有名な会社ですね。
話は違いますが、本年で京阪5000系が登場から40年になるのですねぇ。40年前と言うと私が小学校2年生でした。この5000系は、大手私鉄で5扉車ということで当時は凄く話題になったようです。これを記念して5000系に記念のヘッドマークの取り付けや、5000系の新、旧塗装をデザインした目覚まし時計を12月18日(土)9:00から主要駅の駅事務所などで発売予定です。
何げに眺めていました。その頃の構内は地方の匂いがする電車と多くの貨車に埋めつくされて活気がありました。その後所用でメインルートに乗車しました。都会に近いエリアなので頑張ってもらいたいです。
虎の子南海 様
京葉帝都 様
近江鉄道楽しんでいただきうれしいです。
不明なことが多く写真も出てこず迷惑かけましたが、次回にはちゃんと出せるように探してみます。
京阪5000系がもう40年も経ったのかという感想です。
初日はじめて運転した時のこと今でも思い出します。
朝のラッシュに下り区間急行を担当して旧門真駅(地上駅)で停車のとき(それまで運転台の後ろに扉がすぐにある車両がなかった)HRD-1(電気指令式ブレーキ)も初めてであったので電制が切れてちょっと前へ出てすぐ横にあった改札口に扉がかかって冷や汗をかいたことを思い出します。
旧門真駅は曲線で7連でホーム有効長いっぱいになるためにちょっとでも滑るとホームにかからない。
でも運転台すぐうしろに扉がなかったので1メートル位なら行けたのでしたが、この車両は端に扉があったので大変でした。
5000系にはこんな思い出があります。