おはようございます。
京阪100周年のイベントが始まっていますねぇ
見に行きたいですが、行けそうもありません。
私の寄贈した乗車券など展示されているのでしょうか?
今日からはちょっと懐かしい写真をアップしていきたいと思います。
資料が見当たりませんので日付については自信ありません。
フイルムの年月日からの推定です。お許しください。
また以前にアップしているものもありますのであわせてお許しを願いたい。
今朝起きてブログをアップしていたら家内が起きてきて調子がよいというので急きょ京阪百貨店守口まで行ってきました。
8時30分ころ家を出て一宮インターから名神に入り京滋バイパス・第二京阪門真インター・経由で百貨店に11時00分ころ到着早速7階催し会場へゆっくり見てきました。
一時間足らずで切り上げて食事をしてすぐに帰ってきました。
15時30分には家に帰りつきました。
私は寄付した乗車券類も展示してありました。
私には楽しいドライブでしたが、家内にはしんどかった様で家に帰ると寝てしまいました。
これからも元気な時は近場をドライブするつもりです。
一歩進んだ気お持ちがします。
(1) 1301 旧樟葉駅下手(現樟葉駅上手折り返し線付近)で昭和36年3月8日23時05分急行脱線して
くずはゴルフ場クラブハウスに突っ込む
(原因は夜間作業でレール交換のために犬釘を早く抜きすぎ)
S36.3.9.先輩撮影(なくなられた後奥様から許可を得ていただきました。)
この記事は新聞切り抜きからの引用です。
(2) 旧天満橋駅(現OMMビル付近) S38.2.
淀屋橋開通の看板が出ています。
このときは私この駅で信号係をしていました。継電連動装置のてこを扱って
列車の進入や出発信号を扱っていました。
1・2番線は1番線到着ホームでお客様を降車していただき特急車は係員が
座席を転換して乗車ホームに入換をしていました。
最大で4両までしか入駅できませんでした。3・4番線も同じように3番線
到着ホームで降車してから3・4番線に入換していましたが、編成が
長くなってきて5・6連については4・5番線に直接入駅して乗車ホームで降車も扱いました。
今も特急など乗車・降車の入換するのはこの時代からの続きだと思います。
このころの構内配線は私のホームページ「鉄パパの鉄道写真」
構内配線http://www.justmystage.com/home/tetupapa/index.html の京阪本線のところをご覧ください。
(3) 1708 守口車庫 S37.8.
(4) 803 守口車庫 S37.8.
300形と800形が私が入社したとき残っていた木造車でした。
800形は運転しましたが、300形については私が運転士になった
昭和40年には大津線に転属されていました。
300形が宇治線で朝のラッシュ時使用されていたときは車掌が複数人乗車して
手動扉を外から開けたり閉めた後ラッチ(鍵)をかけてベルで合図して発車していました。
そのために車掌は運動靴(今のスニーカー)をはいて到着するとホームを走りラッチを開け
扉を開け乗車が終わると扉を閉めてラッチをかけて自分の定位置に乗車して合図で発車していました。
300形は3枚扉でしたので4両連結では車掌が2~3人乗車していたように思います。
今は楽やなぁ
なお800形は自動扉でした。
(5) 1204 守口車庫 S38.4.
(6) 2201 守口車庫 S40.2.