鉄パパの鉄道写真ページ 令和2年7月から不定期でアップします。

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鉄パパの京阪電車(昭和38年の1800型) 平成26年7月15日(火)

2014年07月15日 08時12分44秒 | 京阪

おはようございます。

7月の上旬は台風や豪雨がありたくさんの被害をもたらされた半月でありました。

皆さんはいかがでしたか?

私の住む名古屋は台風の進路に予想され心配しましたが、途中で衰弱して被害はありませんでした。

ご覧の皆様は被害ありませんでしたか?

被害のあった方謹んでお見舞い申し上げます。

 

今回は1800系をご覧ください。

1800系(車体は17m車)は1700系をさらに進めた特急用車として登場、

1801-1802が試験車というべきもので1801にCP 1802にMGを搭載する2両固定編成である。

1801は90Kwモーターに歯車継手を用いた特殊な中空軸平行カルダン(東洋電機) 1802が75KwモーターでWN駆動を採用して

昭和28年7月に川崎車両で完成。

昭和29年4月に1803~1809(Mc) 川崎車両 1881~1883(Tc)  ナニワ工機

1803(Mc)-1881(Tc)・ 1805(Mc)-1882(Tc) 1807(Mc)-1883(Tc) Mc-Tcの2両固定編成で 

1804・1806・1808が増結用Mcとして製造された。

1803-1881-1804編成は製造時から全車ロングシートであった。他の車両は扉間転換クロスシートであった。

昭和29年秋から1882・1883は初のTVカーとなった。

テレビアンテナは乗務員がセルシン(通称)で区間によって手回しで動かした。

 

1810系(車体が18m車)            後に 1900系改造車になる。

1811~1816(昭和31年4月) 川崎車両  1805・1806は両運転台車 その他は奇数車京都方・偶数車は大阪方運転台

1817~1819(昭和32年8月) 川崎車両   奇数車京都方・偶数車は大阪方運転台

1820      (昭和34年12月)川崎車両  1820は京都方運転台車

1884・1885(昭和31年4月) ナニワ工機  制御客車(Tc)

1886・1887(昭和32年8月) ナニワ工機  中間客車(T)

1888・1889(昭和32年8月) 川崎車両   制御客車(Tc)

1890・1891(昭和34年12月) 川崎車両  制御客車(Tc)

1810系の増備車の内 1884 1887は18m車でありながら空気ばね台車をはいていなかったために1800系に残った。

1887は1801-1887-1802の編成をするために両端広貫通であったが、出力が弱かったために持て余していた。

その後貫通路を普通の広さに改造して1887→1852→1872→1882と改番された。

1884→1851→1871-1881と改番して17m車の1800系の間に入って編成された。

1810系については1900系の時に説明します。 

(1) 1802  特急三条  森小路 S38.2.

(2) 1806 上り回送 森小路 S38.1.

 

(3) 1883-1807の2連  普通大阪 中の芝踏切 S38.3.

 

(4) 1820 特急三条 八幡5号踏切 S38.8.

(5) 1818 特急三条 中の芝踏切 S38.7.

(6) 1807 特急三条 中の芝踏切 S38.7.

(7) 1804 特急天満橋 橋本変電所前 S38.2.

(8) 1804 守口車庫 S38.3.

(9) 1802 守口車庫 S38.1.

 

(10) 1800系側面 樟葉ー橋本間 S38.2.

次回は2000系をよていしていましす。


鉄パパの京阪電車(昭和38年の1700型) 平成26年7月1日(火)

2014年07月01日 08時05分04秒 | 京阪

 おはようございます。

今日から7月 今年も半分が過ぎて行きましたねぇ!

今朝の名古屋は青空が広がっています。

先月の雨量名古屋では例年の36%とテレビで話していました。水不足が心配です。

近年異常気象というか豪雨や突風・ひょうや竜巻などが、頻繁に起きています。

鉄チャンしているときなど対策を立てておかなければならないでしょうね!

私も26日(木)に午後撮影に久しぶりに出かけましたが、よい天気だったのに急に暗くなり大粒の雨が降り出し

単車で行っていたもんでずぶぬれになって帰ってきました。

カメラなどの被害はありませんでしたが、常日頃の行いが悪いからかこれからは気をつけます。

さて今月は1700系 18両についてです。

1700系は昭和26年に特急車としてデビューした18両です。

1700形 1701~1709  9両   1750形 1751~1759  9両      

1701~1705 S26.3. 川崎車輌

1706・1707  S27.3. 川崎車輌 

1708       S28.4. 川崎車輌

1709       S28.4. ナニワ工機

1751・1753 S26.3. 川崎車輌

1752・1754・1755 S26.3. 帝国車輌

1756・1757 S27.3. 川崎車輌

1758      S28.4. 川崎車輌

1759      S28.4. ナニワ工機

Mc+Tc の2両固定編成を組み正面は貫通路付3枚窓 側面はd 2 D 9  D 3 の窓配置で連結部は広幅貫通路で両開き扉が設けられた。

車内はエンジ色モケット張り転換クロスシートでアミ棚には座席灯を埋め込み京阪特急を印象づけた

その後1800系の増備に伴い格下げを促進して昭和32年より順次ロングシート化。昭和38年には全車特急運用から外れた。

昭和40年11月に1705-1755の編成が川崎車輌に運び中央両開き扉を新設し、以後自社工場で42年2月まで全車3扉化が完成した。

また昭和42年に1707~1709(Mc) を中間車化(Mo)1787~1789  1751~1753(Tc)を中間車化(To)1751~1753に改造改番した。

1701-1751・1703-1753は昭和57年に、1702-1752・1704~1706-1754~1756と1787~1789-1757~1759昭和58年に廃車になった。

 

 次回は1800系の写真を予定しています。

(1) 1702  上りA線回送 森小路駅 S38.2.

(2) 1700系 宇治川ー木津川間 S38.2.

(3) 1702 特急三条(マイコ号) 中の芝踏切  S 38.8.

(4) 1703 広幅貫通部両開き扉付  守口工場 S38.3.

(5) 1708-1887-1758+1808 守口車庫 S38.3.

1708-1758の中間に両端広幅貫通路付の1887をはさみ1808と編成して2M-2Tとしたが、出力不足のために

長くは使わなかった。

 

 

(6) 1755 守口車庫 S38.3.

(7) 1756 2連守口ー大阪(天満橋)普通 森小路 S38.2.