鉄パパの鉄道写真ページ 令和2年7月から不定期でアップします。

昭和の写真を鉄パパの鉄道写真として公開していました。
古い写真残します。
全国昭和の鉄道写真不定期で見て下さい

鉄パパの京阪電車(昭和38年の1300形) 平成26年6月15日(日)

2014年06月15日 08時22分13秒 | 京阪

おはようございます。

最近天候が不順で晴れていたのに急に雨が降ったりするので気をつけています。

雨が降ると腰痛がでて困っています。

今週の天気予報には晴れマークが続いています。

 

今日は1300系の写真です。

 1300系は戦後初の新造車です。

京阪神急行時代に造られたために少し京阪にはない車両のように思います。

車体幅が2720mmあり入線に際しては各駅のホームを削って天満橋ー守口間から順次京都側へ延長されて行きました。

1300系は

1301~1310のMc 両運転台車で昭和23年5月 川崎車両製

1311は京都方1312は大阪方に運転台があるMcで 昭和24年10月 ナニワ工機製

1601-1605は昭和24年3月 ナニワ工機製

1606-1608は昭和25年2月 ナニワ工機製

全車京都方運転台付制御車です。

1303.1304は昭和27年4月特急用として、1303は大阪方 1304は京都方の運転台を撤去、乗務員扉跡に小窓を設け

シートを延長した。

1311.1312は当初から片運転台車で1608と3両編成で京阪初の車内放送設備を取り付けた。(1311+1608+1312)

パンタは全車京都方(1312のみ大阪方)であった。昭和42~43年に片運転台化(奇数車大阪方偶数車京都方運転台撤去)・3扉化・窓枠アルミ化が行われた。

1600形は1601~1606は昭和42~43年に(中間車)T化1351~1355となる。

1606~1608は(中間電動車化)Mo化して1381・1382となりました。

昭和57・58年度に全車廃車になりました。(昭和58年12月1500V化昇圧のため) 

(1) 1304 普通三条 ダラマ川上手(寝屋川市ー香里園間) S38.1.

(2) 1304 普通三条行き 樟葉ー橋本間 中ノ芝踏切 S38.3.

(3) 1606 普通三条行き 樟葉ー橋本間 中の芝踏切 S38.3.

(4) 1310 守口工場 S38.2.

(5)  1602  守口車庫 S38.2.

(6) 1606  守口車庫  S38.2.

(7) 1307 急行三条 中の芝踏切 S38.3.

(8) 1304 守口車庫 S38.2.

次回は7月1日(火) 1700形です。 お楽しみに

 

さて12日(木)~13日(金)に家内と富士山に行ってきました。

朝はよい天気でしたので富士サファリーパークへ昼食後雨が降り出しました。

そのために宿舎に帰るためにドライブをしていると神社の駐車場に下記の写真のような車両が置かれていました。

調べてみましたが、大栄車両のメーカープレートがありました。京成電鉄の車両更新なども行っていた会社だそうで

遊戯用車両も制作されたようですが、どこで走っていたかは不明です。

今回の旅行の唯一の鉄ちゃんでした。 

翌日はおかげさまでよい天気になり富士山がよく見えました。

 

(1) 全景 雨が激しく降っていました。 客車2両と機関車1両と車掌車?みたいです。

客車 台車は仮台車みたいなものでした。

客車

機関車ですが、ジイゼルエンジンみたいでした。

JRの車掌車(ヨ)のようにも見えましたが、台車はありませんでした。 記号などありませんでした。

16 

寶永號とありました。

機関車の後ろ姿です。

メーカープレート (株式会社 大栄車両 昭和46年)

平成26年6月12日 村山浅間神社(静岡県富士宮市村山) 神社駐車場にて

以上の写真で分かりましたらよろしくお願いします。

 

車の中からの富士山 


鉄パパの京阪電車(昭和38年の800形1000系)  平成26年6月1日(日)

2014年06月01日 09時08分47秒 | 京阪

おはようございます。

今朝も青空が広がっています。

昨日は名古屋は33度を超えました。今日も予想では34度となっています。

急に暑くなりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

私は家で家内のリハビリの補助をして過ごします。

昨年の5月から「鉄パパの近況」でやってきましたが、「鉄パパの京阪電車」にかえてみました。

 そして写真は京阪を主体に昭和の時代の写真を見てください。

これからもよろしくお願いします。

説明は私の調べられる範囲でしていきますが、忘れてることが多いので説明不足の部分はお許しください。

 

800形は元琵琶湖汽船の100形として昭和2年2月に登場した。

木造のセミクロスシート車であり、101~112の12両製造されました。

京阪に合併後本線に移管されることになり昭和4年9月に101~106が801~806として昭和5年2月から使用された。

さらに昭和6年5月に107~112が807~812と改番され、昭和6年5月と昭和15年に本線に移管された。

その後昭和21年8月1日に807が天満橋橋梁上で脱線転覆して川に転落して廃車になる。

昭和41年に全車廃車になり車体更新して350形に生まれ変わり351~361になった。

 

1000系は1000形1100形両運転台付Mcは奇数車は京都方は流線型4枚窓・大阪方は貫通車で半流線型で

偶数車は京都方は貫通車で半流線型大阪方は流線型4枚窓で車体は1000形は側窓配置がd1D9D2d 扉間クロスシート車

1100形は側窓配置がd2D8D2d ロングシート車であった。(注) d=乗務員用扉 D=客用扉 数字は窓数

当初から中間T(1500形)を入れて3連で使用することになっていた。

製造は1000形は昭和13年川崎車両と田中車両(現近車)1100形は日車・汽車会社であった。

1000形は昭和31年に貫通側運転台撤去とロングシート化 1100形も昭和33年に貫通側運転台撤去

昭和34年度に地下線乗り入れ用準備工事、昭和39年度に中間車にも入れるようにジャンパーを取り付けた。

1200形1201~1204 昭和18年川崎車両で製造された両運転台付Mcであった。

1500形1501~1514の14両が昭和14年から21年まで製造されました。戦時中は中止されていた。

1505は昭和41年8月3日の蒲生信号所での事故で廃車されました。

 

昭和42年から45年にかけて車体更新により700系に生まれ変わった。

700形701~712 750形751~762 780形780~799(注)780は799まで車番がいったために780に戻ったようです。

 

なお1000形1100形が貫通側を先頭車として営業したのは私は見たことがありません。(昭和22年以降)

いつも奇数車が京都方・偶数車が大阪方で編成されていました。

記録については私のノートと鉄道ピクトリアル昭和48年7月臨時増刊号を参考にしました。

 

(1) 811 枚方市ー私市普通 村野付近 S38.2.№154

北川橋梁から村野駅を望む

(2) 805 枚方市ー私市行き 村野ー郡津間 S38.2.

北川橋梁(村野ー郡津間)を渡る805号車 今はきれいに整備されています。

(3) 808 枚方市ー私市行き 村野ー郡津間 S38.2. №155

村野駅を出発して郡津へ向かう私市行 左端に村野駅が見えます。

(4) 810 枚方市ー私市行き 村野ー郡津間  S38.2. №155

郡津を出発して北川橋梁に向かう810号車枚方市行 単線であるのが電柱でわかります。

(5) 1009 急行三条  森小路  S38.1.  №154

森小路駅を通過する急行京都三条行 ホームの階段部分だけ柵がありました。

(6) 1010 急行三条  森小路  S38.1.  №154

上りホームから上り列車を撮影・今もあまり変わらないですねぇ!

(7) 1104 急行大阪天満橋  寝屋川ー香里園間ダラマ川上手  S38.2.  №154

ダラマ川上手曲線をゆく下り急行天満橋行き5連です。現在はこの付近に国道170号線架動橋ができています。

編成は京都方から1103+1500+700+1500+1104と思います。

(8) 1108  普通大阪ー守口(紺地に白字) 森小路  S38.1.  №154

編成は京都方から1107+1500+500+1600+1108

 

(9) 1004 急行京都三条行き 樟葉ー橋本間 中の芝踏切 S38.2.

国道1号線(現府道京守線)と並走していました。ときどき国道からトラックなどが線路上に転落して不通になりました。

 

(10)  1204 守口車庫 S38.3.

1200形も両運転台車でした。

(11) 1201 守口車庫 S38.3.

横の柵は構内試運転線で試運転をするときに使用していました。

(12) 1502 守口車庫 S38.3.

1500形は中間車として使用していました。

(13) 1509 守口車庫 S38.3.

追加しました。 6月3日

(14) 663号車搬入時の隣に1000形の反対側の運転台が映っていました。 38.3.