鉄パパの鉄道写真ページ 令和2年7月から不定期でアップします。

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京阪〈2000系)

2008年01月14日 07時24分32秒 | 京阪
おはようございます。今朝はちょっとゆっくり寝てしまいました。昨夜友人のSさんから電話があり長くしゃべってしまい21時ごろから23時ごろまでお話しました。鉄道の昔話をしていて写真提供をいただくことが出来ましたので近く掲載しますので楽しみにお待ちください。私より古い写真を所蔵されていますので皆さんにも珍しいものです。

さて今朝は京阪の2000系です。
2000系は1650形(1651+1652)で各種試験を行った結果をもとに高性能の75Kw補償巻線付複巻電動機を採用、HSC-Rブレーキ(応荷重付)とともに高加速・高減速性能(加速4.0Km/H/S 減速4.5Km/H/s) を有していた。予備ブレーキを取り付けたために手ブレーキが廃止された。通勤車に始めて空気バネ台車を使用した。車体は卵形断面軽量のもので窓配置は1次車は900mm幅のd1D3D3D1 2次車は800mm幅で d1D3D3D2 および 2D3D3D2 である。外見からは連結部のドアと車端の間の窓が1次車は1つ 2次車は2つで見分けていました。
2000系は当初Mc-Mcを1単位として増結する予定であったが、増備の途中で地下線乗り入れによる乗客増などのために編成長大化にさしかかったので後半は多くの中間車の増備となり、運転台撤去と改番も盛んに行われた。
昭和34年8月から41年9月まで増備が続きました。2001~2068・2101~2132の100両が製造されました。
1次車は2001~2024 2次車は2025~2068 2101~2132
であったが、2101~2105はM化準備工事されていたが、Tのまま改番された。(2151~2155) また2200系のTcであったが、2251~2253の3両がT化され2000系に編入(2156~2158)になった。
また2000系の2059~2068は運転台撤去して中間車化2133~2142になった。
最終的に2000系は2001~2058 58両 2106~2142 37両 2151~2158 8両 合計103両になった。
昭和58年に1500V化が行われることになり2600系に改造(新造)されていった。



〈1〉 2006 



(2) 2008



(3) 2020




(4) 2026



〈5〉 2044




(6) 2056


明日は3000系の写真を掲載します。