今日の商店会長 (早稲田商店会相談役 安井潤一郎)

日本でただ一人、商店会の会長現職で衆議院議員になった、早稲田商店会前会長日記。公式ホームページは左下ブックマークから。

被災物件の撤去と建築基準法の解釈について

2006-01-04 23:08:59 | 商店会長のコメント
阪神淡路の大震災と、一昨年の新潟中越地震で被災倒壊した物件の撤去と建築基準法の解釈について、今までお聞きした事を参考にして私の意見を書かせていただきます。

阪神・淡路大震災では、個人・中小企業所有の家屋、ビルに限り市町の行う災害廃棄物処理事業(当時は厚生省、今は環境省の事業)として、特例的に解体費用についても公費で負担したそうです。国が、費用の2分の1を補助し、地方負担額についても災害対策債の発行を許可し、その元利償還金の95%を特別交付税で措置したということです。なお、「災害廃棄物処理事業」は、通常は災害廃棄物の収集、運搬、処分にかかる事業であって、個人所有の敷地内にある家屋等の解体・撤去は対象でなく、これは本当に特例的な事案だったようです。

住宅でも、道路の通行を阻害したもの等は、行政が撤去し、そうでないものについては、自衛隊が撤去したと思われます。また、途中から、公費負担のがれき処理が開始されたようですが、国の負担は半分程度だったようですし、所有者に対して金融支援したと見受けられえる資料もありました。県や市町村が撤去主体であったかもしれません。

なお、現行制度では、被災者生活再建支援制度の助成対象のマックス300万円の中に、住宅の除却費が対象項目として入っており、その財源は、国と都道府県の積み立てた基金ですが、阪神の当時はそれが乏しかったようです。現行制度では、被災者生活再建支援制度の助成対象のマックス300万円の中に、相当大きく損害を受けた場合の修繕費の借入金の利子(修繕費自体ではない)が助成対象になっています。さらに、建物の改修費用の助成についてですが、さほど大きくない限度額の範囲内でしたが、中越地震では、災害救助法の適用として、公共団体が修繕の実費もち(国庫補助あり)で修繕を行う制度も適用していました。


建築基準法の解釈ですが、違反でない建物の崩壊を所有者以外のものの責任とする根拠条文は現行には無いそうです。震度6での倒壊ということだと、設計者の問題なのか施工上の問題なのか、明確ではなさそうで、現場監督が責任を取る制度というのは、かなりの無理を感じます。建築士にも、設計どおりの施工をさせる監理責任がありますが、施工の責任を問うならば現場監督というよりも施工業者として法人として責任を負わせるのが通常の考え方のようです。いわゆる「設計ミス」、「施工ミス」でない限り、所有者以外の者が責任を取る法体系は困難で、そのためにも保険制度があるというのが、通常の考え方のようです。

「責任」という言葉、日本人はアバウトに使いますが、欧米の政治家などは、そこはきっちりとしていて、「法的責任」(liabilityライアビリティ)はないが、政治として、あるいは政府として、きちんと対応する責務(responsibilityレスポンシビリティ)を果たす、という言い方をするそうです。

個人に対して行政が法的責任として金銭支給を行うのは2種類しかなく、国家賠償法に基づく損害賠償か、公共事業等による損失補償だそうです。前者は、故意または過失により損害を発生させた場合で、河川管理が不十分で損害が発生した場合などが該当し、後者は、私有財産を公共目的のために収用等する場合、当然なされるべき買い取り行為等をさします。このいずれかに該当しない場合、私有財産に被害が生じたからといって金銭支給をする法的責任はありません。

この点から考えると財務省が、「被災者への個人補償はできない」と呪文のように言い続けているのも、「補償」という言葉を法的責任と解釈すると、正しいことになります。しかし、そうはいっても、救済を必要とする場合があるではないか、ということになるわけですが、それがresponsibilityとしての対応です。行政法学者は、「政策的支援」と言っています。つまり、法的責任はないが、政策判断として支援する、というものです。

いわゆる従軍慰安婦の問題で、政府は法的責任があると公式には言えないけれど、必要な対応をする、ということで基金(たしかアジア女性基金?)を設立、それに国費を助成しています。北朝鮮拉致被害者で帰国した人への支援金も、内閣府が法律を作っていますが、これも法的責任とは別の、政策的支援金だそうです。

阪神淡路のあと成立した被災者生活再建支援法も、政策的支援で都道府県が基金を設置、国がこれに助成するという仕組みで、実質都道府県1/2、国1/2で被災者へ最大300万円の支援金を支給する仕組みになっています。天災のように、誰が悪いと特定できないけれど、現に困っている人がいる場合、その人たちをいかに救済するか、という問題は、古今東西、政治の重要なテーマなのです。

偽装問題で北側国土交通大臣が、「国にも責任がある」と早々と発言されたのも、responsibilityとして言われたことだと思います。誰に法的責任があるか特定するには時間がかかる、その間に必要な救済措置を講じることは、行政のresponsibilityだと明快に説明されています。

法的責任を無理矢理誰かに押しつけても、所詮たいしたことにななりません。それよりも、政策判断として、必要な対策をどう講じるべきかを議論することが、より重要なことだと思っています。我がワーキングチームもこの視点から「迅速な具体的な支援」を念頭に動いています。なお、生活保護のようなものは、「法的責任」なのか、「政策的支援」なのか、ということに関し、憲法論争が続いています。通常の政策的支援よりは、法的責任に近いものと位置づけられています。このため、被災者支援も、当然なされるべき福祉であると理論構築しようとする学説もあります。

従来の災害では、屋根にブルーシートを張るといった簡素な支援がなされていたところ、新潟中越災害では、1世帯あたり51万9千円の範囲で(⇒その後、豪雪配慮で60万円に増額)現物給付で住宅の必須の部分の応急修理が実施されたということです。こうした運用は、新潟中越以降の災害においても、地元自治体の判断で可能になっております。長文失礼いたしました。
コメント (2)
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