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Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

スヌーピーJ号見参!あけましておめでとうございます

2017年01月01日 | 日記
スヌピーJ号見参!


『プロペラの 音穏やかに 春飛行』(柳子)


賀正
2017年!  穏やかな正月となりました。
この気球のごとく この1年が ゆっくり 風任せ 太陽に向かって進めるような年になることを願っております。

 平成29年元旦

淀川 カヌー

2016年12月25日 | 日記
淀川 カヌー

がめぐるのがとても速い。気が付けばクリスマスイブである。
「広島東洋カープ」で今年ブレークした鈴木誠也選手の連続さよなら本塁打のパーホーマンスを監督が評した言葉、「神っている」が今年の流行語大賞と決ったのはご承知のとおり。日本古来の美しい言葉ではなく、意外とか、わからないとか、知らないとか いろんなコメントをよく聴き、目にする。が、「これも現代語。」であると理解するならカープのフアンでもあり一応私は納得。

 それでは、この1年の世相を表す「今年の漢字」に何が選ばれるのか毎年、楽しみにし、かつ、自分なりに一年を通じて印象に残る漢字を想像し、予想していた漢字も自分なりにあった。
 
 リオのオリンピックの陸上400メートルリレーの銀メダルを獲った時にチーム着用のパンツの色、内村航平選手、白井選手のパンツの色、セリーグ覇者広島東洋カープのユニーホーム、アメリカ大統領選当選のトランプ氏のイメージキャンペーン帽子の色、レッドソックスの上原の帽子などなど今年の漢字は、そう、「赤」と予測していたのである。

 世界文化遺産、清水寺で森清範貫主の筆によって和紙に書かれた漢字はなんとなんと「金」で、三回目だそうである。
こちらは先行委員での決定ではなく、投票で決められたそうである。「赤」でなかったとしてもすぐ納得。

 さて、話は長くなる。それでは、あるとすれば今年の「英字、英語」は何だろうと思ってしまう。今年よく耳にした英語を三つ列挙する。
AI   (Artificial intelligence)
PPAP  (Pen-Pineapple-Apple-Pen)
Pokémon GO(そのまま)

 結構ついてゆけない横文字が多いのでは。二つ以上判る方は合格、もし、一つなら普通、仮に0なら仕事の量を減らしたほうがよいと思う。
まっ、冗談ではあるがこの一年もどんどん世の中が動いているということだと思う。

 こんなことを考えながら淀川まできた時、上流、京都方面から色華やかなカヌーでロールを下流、大阪湾に向かって漕ぐグループに。

そういえば東京五輪・パラリンピックのボート会場は「海の森水上競技場」(東京臨海部)での開催か「長沼ボート場」での開催かをいまだ協議中であり、こちらは年を越しそうな気配である。

真田信繁&空堀

2016年12月18日 | 日記
真田信繁&空堀


NHK大河ドラマ「真田丸」が完結した。山岡荘八「徳川家康」(全26巻)の大阪の陣とは幾分の違いはあるものの物語の展開は納得しながら追っていたことになる。

動画は大阪市中央区南東部、松屋町筋から上町筋に至る東西約800mのアーケード商店街、空堀商店街(からほりしょうてんがい)を撮影したものである。

古代大阪半島(上町台地)から海側(現、大阪湾)に向かって急峻な坂道が続いていたようで当時のこのあたりの地形がこの動画でもおわかリかと思う。かなりの高低差のある下り坂になっていたようである。

 秀吉は大阪城の築城に際し、自然の海、川に囲まれていない弱点の大阪城の南方面に寺を集積し(下寺町)、その前線付近に大坂城南惣構(みなみそうがまえ)の堀を構築した。

 この堀は大坂冬の陣で和議が成立した後、徳川方に一方的に埋め立てられ大阪城が裸城になったことでも有名である。この空堀通りはその時の堀の遺構なのである。

急峻な坂道を利用した堀であったことからもそれを埋めた徳川の戦略は翌年の夏の陣の戦況に大きく影響したのはいうまでもない。その後の徳川時代を見続けた堀になったのである。


そんな思いを抱きながら商店街を抜け、松屋町筋を左折して南下すれば真田幸村の出城、真田丸のあったとされる公園や、陣を立てた茶臼山、最後の戦場となったとされる安居神社は、それぞれ目と鼻の先の距離である。

「空堀の坂に響きし鬨の声」(柳子)

聖地巡礼

2016年11月20日 | 日記
聖地巡礼「二十四の瞳」 ロケ地小豆島の教室


 開されている映画「君の名は」の中に出でくるいろんな場所を尋ねることが流行しており、これを「聖地巡礼」というらしい。

久しく映画館に行っていないがこの映画は大ヒット中とのことである。

少し興味があって映画が日本初公開されたのがいつだったのか調べると偶然というか、20世紀に入る直前の1896年11月24日で、その場所は神戸であったようである。
 実に今週の24日で満120年になるわけである。(勿論、どんな映画だったのかは触れられてはいなかったが。)

 さて、この聖地巡礼を地でいっているわけでもないが、先日、香川県小豆島の映画村に連れて行って頂き、念願であった女優、高峰秀子さん主演の映画、「二十四の瞳」のロケが行われた教室を初めて訪ねさせて頂いた。

 テレビ、レンタルCDでこの映画は何度も見ているが、教室に入るや否や、映画の巻頭で大石先生が子供達の出席を取るシーンを思い出し、自分だけ一人ボッチとなってしばらくこの教室で留まるはめに。やがて、そのシーンに入り込んだ自分があり、父兄参観を実践したような錯覚に。

 山並み、町並みは時を経て、映画の中に出てくる画面とは一致しなくなっていると感じたが、映画村の帰りがけにちょうど雨が降り出した。これまた、雨の中を合羽をきた大石先生がバスを避けて自転車を持てあますラストシーンとそのバックで流れる「仰げば尊し」のメロディーが流れ出した。その時、「大石 小石、泣きみそ小石〜」と誰が叫んだ、そんな気がした。

整備された橋本砲台跡

2016年11月06日 | 日記
整備された橋本砲台跡


動不足の回避に向け、自宅から京阪橋本駅周辺まで自転車でブラタモリをやってきた。橋本駅の南方エリアは戊辰の役 橋本台場(砲台)跡があって平成22年に国の史跡に指定されて以降、住宅地の開発を含めた整備が続けられてきた。京阪電車からの眺めからみても、ほぼ完成に近づいているようである。

 石柱(道標)も以前、隅っこにあった場所から整備されて輪郭が明らかになった本来の台場跡地、南東部に移設され、当時の京街道に引き込み通路をつないだところに設置されたこの橋本台場(砲台場)のスケールの大きさが実感できることになった。

 このブログの2010年12月1日付け、「おりょうでん」の項でこの砲台の話題に触れさせて頂いてはいるが国史跡に指定された直後であり、田圃、畑が一部に残る、まったく普通の空き地であった。(リンクの貼り方は現在、確認中。しばしのお待ちを)

 入口部に新設された案内表示板も、より具体的なものになり、断面図も添えられていた。そこには堀に沿って構築された塀の上部に三門の砲台用、敵方の射程用に高さ2,2mの土塁も全周に渡って完璧に構築されていたようである。

 施主、守護職松平容保(かたもり)、設計 軍艦奉行 勝鱗太郎ときけば納得がいくというもの。どこかの都市の移転構造物の嵩上げ工事のあいまいさとは幾分違うようである。

 ちょうど昼下がりであったせいもあろう、この公園(?)で見かけた方は帰り際にすれ違った犬の散歩に来ておられたご夫婦一組だけであった。
 周辺の住宅開発、市街化、商店が揃えば多くの人が訪れる名所、スポットとなることであろう。

92年前の名子役再び

2016年11月01日 | 日記
92年前の名子役再び


「ハローウィン」が終わった。
今や、「バレンタインデー」の市場規模を抜き、クリスマスに次ぐイベントとなったことをニュース番組で触れていた。言われなくったって街を闊歩する若者、子供、幼児までマントを羽織り、被っているとんがり黒帽子をみれば納得というものだ。
 
 11月のイベントとしてすっかり定着したなと思いつつ、カレンダーをめくれば残り2枚となっている。(1枚のものもある。)こちらのほうがハロウィンより驚きである。

毎月1日は興行関連で映画の日となっているそうである。(正式な「映画の日」は12月1日)

 先週、小豆島に連れて行っていただき、念願の「二十四の瞳」のロケ地をいろいろ見せて頂いた。何じゅぺんも観たこの映画の各シーンを思い出しながらブログの原稿を書き始めていたら朝日新聞に今回の動画の記事が出た。

 勿論、この俳優は知らなかったが有名な子役だったことが触れられている。もう一人、子役で有名なシャーリー・テンプル(1928 04 23生)より10歳もご先輩のようである。

「二十四の瞳」は次回以降に触れるとして、飛び込んできたこの映画に関連するトピックを情報提供したくアップした次第である。

 因みに日本で映画が一般に公開されたのは1896年11月25日から29日の5日間、神戸市の神戸倶楽部(今のどこなのかは不明。)だったそうで、19世紀の終わり、20世紀に足を踏み入れる直前だったようである。折角だからとことん調べて、エジソンの発明した映画とどうかかわっているのか知りたいところだか、誌面が足りない。ここは皆さんの調査に委ねることとしたい。




動画の記事➡
「ベビー・ペギー」主演、92年前の幻フィルム見つかる

 アメリカの無声映画時代の人気子役で、「無声映画時代の最後のスター」といわれる女優ダイアナ・セラ・キャリーさんが主演した、92年前の映画のフィルムが日本で見つかった。いま98歳、カリフォルニア州で健在のキャリーさんは「5歳のときに出演した映画がまさか日本で」と驚く。

 発見したのは東京在住の活動写真弁士の片岡一郎さん(38)。上映できそうな無声映画の作品をネットオークションで探していたところ、熊本県から出品された9・5ミリフィルムを見つけ、6650円で落札した。9・5ミリフィルムは戦前、劇場用映画を家庭で鑑賞するために作られた規格。保存状態は良く、「1931、DAIREN」「ペギイのお手柄」といった日本語のタイトルや字幕が入っていた。「当時中国大陸にいた日本人が撮ったアマチュア映画だと思っていた」と片岡さん。
 ところが、アメリカの映画史研究家デイビッド・ステンさんらがフィルムを検証した結果、24年にアメリカで公開されたコメディー「OUR PET(私たちのペット)」であることがわかった。主演はベビー・ペギーの名で人気だった当時5歳のキャリーさんだ。

 おてんばなペギーが大人たちを振り回すコメディー映画のシリーズが、21~24年ごろに150作以上撮られた。いまフィルムはほとんど残っていない。ステンさんは「映画史にとって貴重な発見だ」と語る。

 フィルムの長さから15分程度とみられる。フィルムは修復した後、ステンさんに託される。片岡さんは「キャリーさんに映像を見ていただきたい。フィルムをしかるべきところに寄贈し、研究に役立ててほしい」と語る。(伊藤恵里奈)

🎥 🎬

謎の軟式ボール&東京タワー

2016年10月23日 | 日記
謎の軟式ボール&東京タワー



出張先の残り少ない昼休みに駆け足で東京タワーに昇ってきた。
スポットライトを浴びた軟式ボールが展示されており、横の案内文には数年前の解体修理時にタワー先端部から偶然発見された軟式ボールのいきさつが描かれてあった。丁寧な解体修理がなければ発見されなかったであろうこのボールはいろんなことを連想させてくれるボールではある。記事にある謎に迫って頂くとこうなるのではないかと、これまた・・・





コナン
東京タワーが出来たのは昭和33年、当時の軟式野球公認ボールは「A」、「B」、「C」の三種類しかなかったはずです。
「B」は準硬式ボールで、トップボールと呼ばれた重くて固いボールでこの画像のようには割れません。仮に、「C」の刻印があれば少年用ボールということになり、説明書きのとおり近所の野球少年が打ったホームランかファアルが工事現場に保管されていたタワーの先端部に紛れ込んだといえるでしょう。
補足しますが、この年の前年に王貞治選手は甲子園に出場していますので打込んだのは王選手ではないと断定できます。
つまり。この案内文や発見当時の新聞記事には、このボールが東京タワー頂上部に入っていたことは謎として締めくくっていますが、ボールの刻印のことが触れられておりませんし、展示品も始終回転していてその刻印が読み取れませんね。
野球通の記者であればボールの刻印を確認し、ある程度は推理されていたのにとちょっぴり残念な気持ちです。いつか、この刻印がなんであるか公開すれば謎の一部は解決することになります。

コロンボ
おかみさんがいうんですがね。ボールがかなり割れているってことは緩衝材か、振動防止に何個かのボールを入れてボルトを締めて確かめた後、1個だけ残して固定したといいはるんです。しかし、なぜ、一個だけ残したかという理由の説明がどうしてもの残るだろうって言ってやったんですがね。

銭形平次
そんなことはどうだっていいんじゃござんせんか。それよりこの20日のドラフト会議で軟式野球出の菊沢選手がヤクルトに指名されたってことで、この東京タワーの軟式ボールが改めて興味を持ってもらえるってもんです。
どうしても絞り込みをやりてぇーってんなら、直径が67.5-68.5(ミリ)に入っているかどうかも調べればいいってもんです。少年野球対象軟式ボールの寸法でさ。少しは縮んでいるかもしんねぇですが、少年が使っていたボールかどうかはわかるってもんです。

【参考】
In august 2012
The large-scale construction work replacing the antenna post on the top of Tokyo Tower carried out for the first time since its
 construction in 1958.

This rubber baseball was then found from the Inside of the antenna post.
Why this ball has got into such a place .

We asked for the public:

"The ball hit by a baseball boy had slip into construction yard"
It was actually used in the construction worker as a memento...

However, this "WHY" has never been answered and
This ball is now called a "Mystery Ball"

【訳】
平成24年8月

昭和33年に建設以来、初めての東京タワーのてっぺんのアンテ取付け部を交換する大規模な改修工事が行われ、その時にアンテのポスト部から軟式の野球ボールが発見されました。なぜこのボールがこんな場所に入っていたのでしょうか。関係の部門に訪ねてみました。

「野球少年が打ったボールが工事現場にころがりこんだ為。」
「本当は工事現場の労働者が記念に 置いたもの(使っ たもの)。」
しかし、この答えの本当のところはわかりません。それで、今では「謎のボール」と呼ばれています。

鯉 穂谷川 明治橋の袂(たもと)

2016年10月17日 | 日記
鯉 穂谷川 明治橋の袂(たもと)


次いて日本列島に上陸した今夏の台風、また、珍しくなくなった集中豪雨によって各地が災害に見舞われた。
今年の雨量は昨年の1.7倍という数字がそれを物語っている。

そんな気象状況は当地枚方でも同じ傾向ではなかったと思う。雨が降った後しか水が流れていないような感じのする雨樋のような穂谷川が今年は水の流れが川らしく流れていた印象であった。

動画は京阪牧野駅に近い明治橋の橋上から撮影した。久しぶりに見る鯉の小さい群れである。雨による水の濁り、水流もあって天敵の川鵜もめったに見なかったし、子供らの侵入も少なかったのであろう。
ゆったりと遊泳している。

撮影後、しばらく経って観察したたこの遊泳地に多くの小魚が群れ、水面を光らせていた。産卵を終えたものと思う。
気が付かれないよう撮影は控えることにしその場を離れた。

豪栄道豪太郎関 優勝パレード 寝屋川市駅前にて

2016年10月17日 | 日記
豪栄道豪太郎関 優勝パレード 寝屋川市駅前にて


屋川市出身で(四中〜埼玉栄高校〜境川部屋)秋場所に全勝優勝した豪栄道豪太郎関の凱旋パレードが昨日、16日に京阪寝屋川市東出口に接続する幹線道路で行われた。
厳しく、悲しい事件が昨年にこの駅前で起ったこともあり、大方の市民の心は低く立ち込め曇り空のままであったと思う。が、豪栄道関の今回の快挙は多くの市民に活気と元気と勇気を与える出来事となった。

優勝パレードに集まった市民はなんと2万7千人であったと聞く。
沿道の人垣から聞こえる「豪栄道!おめでとう!」が「豪栄道ありがとうな!」に聞こえたのは私だけではあるまい。
パレード終盤に小粒の雨がパラついたが寝屋川市の花、ハナミズキの紅葉をより一層、新鮮なものにする恵の雨ともなったと思う。

『華やかに 先導勤めし 少女らの 掛け声響く 今日の花道』(柳子)





豪栄道豪太郎関おめでとう

2016年09月24日 | 日記
豪栄道豪太郎関おめでとう


々に緊張感をもってのテレビ観戦となった。
豪栄道豪太郎関が念願の本場所優勝を果たした。まだ半信半疑の心持ではあるが、インタビューの涙を見て誰もが喜んだと思う。
金メダルである。
心よりお祝いを申し上げたいと思う。

ハードなニュースが続いた寝屋川市民にとっても待ちに待った本当に明るい話題となった。

この際、一気に幕内最高位に登って欲しいものである。


『場内の 拍手の波の 大きさを 背に浴び 今日の晴れ相撲』(柳子)

『手拍子に 喜び増して 力水』(柳子)

小説の中の大阪

2016年09月24日 | 日記
小説の中の大阪


日、京阪天満橋から天王寺まで歩いてきた。

親友が描いたパステル画が見事入選し、その祝賀会に参加するのと日頃の運動不足解消を目的に歩いたのである。
集合場所はその展覧会会場となった天王寺公園にある大阪市立美術館。
少し早く着きすぎたこともあって、この美術館近辺を散策。

この周辺は市街に拘らず天王寺公園、動物園、真田山、寺、池等のグリーンスポットとなっており、西暦1615年、ちょうど今から400年前に起った大阪夏の陣で真田信繁《幸村》が本拠大阪城の出城、「真田丸」を出て、陣を構えたこの真田山の真裏に位置する。
さて、動画をご覧頂きたい。美術館敷地への入口のすぐ横手に、林芙美子の未完の小説「めし」の一節が刻まれた石碑である。かっての古戦場とは凡そかけはなれたモニュメントである。

この「めし」は先般、亡くなられた昭和の大女優、原節子さん主演で映画化されていたことは知っていたものの、小説の文面を見るのはこの石碑が初めてであった。

現在の新世界とは微妙に異なる名詞が繋がるこの石碑の文章が少々気になり未完も承知で小説「めし」を読むことに。
しかし、古い小説のせいか図書館での借り出しがかなわず、やむを得ず380円の電子書籍を購入することに。

物語は戦後間もない時期(昭和26年頃)の若夫婦の心情をテーマに当時の大阪市街や郊外の南海沿線、住吉、天神ノ森等を中心に物語は展開していく。ばりばりの大阪弁が続いている。

意外にもこの石碑に登場する男女二人は主人公に非ず、その姪と知人の息子の行動を示していたことが判った。興味が削がれてしまわれるかもしれないが敢えて石碑の前後をここに紹介することとする。

小題 「ジャンジャン横丁」

・・・・
二人は、霞町で電車を降りた。
・・・
バラック街ではあったが、どの食物店も、満員だ。汗ばむほどの、陽気のせいか、冷たい黒蜜屋の、呼び込みの声が、賑やかだった。
《ここから石碑の文》
昔、通天閣のあったころは、この、七十五メートルの高塔を中心に、北方に、放射状の通路があり、国技館や、映画館、寄席、噴泉浴場、カフェーや、酒場が、軒を並べていたものだそうである。
芳太郎は、いつの間にか、里子の腕をとって、歩いていた。
《ここまで石碑の文》
里子にとっては、芳太郎の親切は、椅子の腕木につかまっているような、気軽でしかない。
・・・


祝賀会の帰りに入選者の親友が描いたパステル画、紫陽花の絵を頂き、早速、事務所の会議室に飾らして頂いている。

躍動!感動!広島カープが悲願の優勝❣️❣️

2016年09月10日 | 日記
感動!カープ優勝❣️❣️


すべき球団、広島東洋カープが7回目の優勝をした。25年もかかったが、ニュース速報で出るくらいだから皆が驚き、感動した優勝だと思う。

携帯にお祝いメッセージが今も続いている。

若い女性フアンが急増し、フアン層も気質も以前とは全く様変わりした。が、弱小の地域球団を愛するフアンのベクトルは昔と全く変わっていないのである。

一昨年、広島宮島近くにある二軍宿舎を見に行った、。なにやら根性運が伝わってきたのを思い出す。そう、空気が「神っていた」のである。

まもなく菊池選手のユニホームが届くことになっている。


お祝いに今、静かに、声高らかに歌おう。



カープ カープ カープ広島
広島カープ

空を泳げと天もまた胸を開く今日のこの時を
確かに戦い
はるかに高く はるかに高く
栄光の旗を立てよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

勝ちにいくのが選ばれた者の一投一打が勝負のすべて
闘志をつくし 闘志をつくし 今ここで花と咲けよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ


鍛え抜かれた精鋭の技と力
その意気愛して見守るわれら
あしたへ続く あしたへ続く
きりのない夢であれよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

晴れのあかつき旨酒をくみかわそう
栄冠手にするその日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて
たくましく強く踊れ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

『優勝の 所作を知らずに かけよりて あげる胴上げ 外.外寄りに』(柳子)

『つねごんの 気迫せまりし マウンドで 今日投げ込みし 黒田かな』(柳子)




真田丸 石田治部少輔三成 居城 佐和山城跡 のコピー

2016年09月10日 | 日記
成 居城 佐和山城跡 のコピー


海道新幹線上り8時56分発スーパーエクスプレスひかり416号東京行きに乗れば、約15分位で滋賀県彦根近辺をトップスピードで通過していることになる。
気をつけておかなければほんの5秒でその山は左車窓から消えてしまうことになる。


 NHK大河ドラマ「真田丸」がいよいよ佳境を迎え、関ケ原の戦い、関ケ原の合戦の章に入る。西暦1600年10月21日に関ケ原での濃霧明けの合戦である。

 西軍の将、石田治部 少輔 三成がこの合戦の敗戦後に逃げこんだ「伊吹山」は以前ご紹介した。今回の動画は石田光成の居城、佐和山城跡を示す青色の立て看板である。

デッキに早めに移り、ファインダー越しにシャッターチャンスを待ち構えていたが、前述のとおりトップスピードでここを通過するのである。しばしば青色の立て看板を見過ごすか、ピントと構図を取ってもたもたしている間に佐和山は消えることになるである。出張のたびに何度も失敗している。

今回はかろうじて撮影できたもののやはり、ほんの数秒間であり、後で再生した動画は無駄な部分が続く結果となっている。

ということで、後半をカットし、かつ、残った動画部を四倍速のスローモーションに再編集させて頂いた。

立て看板は「佐和山城跡」となっていると思う。自身、佐和山がこの動画のどの部分の山なのかはわからない。

唯、標高233ⅿの山であることから立て看板の後方の最も高い部分が佐和山なのではないかと勝手に決めている。

うまく撮れたかどうかをデッキで確認している間に「名古屋」到着のアナウンスが流れてきた。聞き間違いかも知れないが「なにしとらっせる、名古屋だがや」と秀吉がつぶやいたような気がした。

天神橋筋商店街 夫婦橋欄干モニュメント

2016年08月20日 | 日記
天神橋筋商店街 夫婦橋欄干モニュメント


識も、情報も、興味も、暇もない私にはポケモンブームについて語れるものは全くない。と断言出来る。

しかし、そこかしこでの人の動きや会話でそれらしきものに辛うじて触れているのだろうと思う。

ホンダカーズ大阪本社ビルへのアクセス、公共交通機関はJR環状線「天満」か大阪市交 堺筋線「扇町」となる。

同社に伺う際はそのいずれかの駅を使い分けて使用している。どちらの駅からも扇町公園(以前は大阪プール、それより昔は大阪監獄があった場所)の中を通ることになる。
ポケモンが解禁?、日本上陸?になった数日後にこの公園を利用。いつもの公園とは一変し大勢の群衆、集団に占領されていたのである。
やむなく日本一長い「天神橋商店街」へ迂回。
この商店街でも聞き慣れぬ、「見た見た」、「何匹GETした。」の会話が飛び込んできたのである。後で聞けばこれぞ「ポケモンゴー」であったのである。

 先般、交通安全の催しがあり大阪府警本部幹部の方の挨拶があり、「このポケモンが現在は扇町公園から天保山に集団を引き連れて移動。このアプリ関連での交通違反で多くの検挙者が出ている」と冒頭で触れられていた。
そういえば、各企業の入口にポケモンに関する注意喚起文書も見かけるようになり、各電鉄会社でも「ながら携帯、歩きスマホ」の禁止をさかんに放送するようになった。さてもさても・・・
 このおかげというか本題に入る。
注釈は今後触れるとして、今回、やむを得ず、迂回して通ることになった天神橋商店街の中間地点にある交差点で撮ったのがこの動画である。
橋の欄干のモニュメントである。すぐ横の扁額に「夫婦橋」と書かれていた。後で調べてみれば、ここは、かの太閤秀吉が開削した川、「天満堀川」が流れていたところであり、この橋、そこに架かっていた橋とのことである。
 こんなところに川がと思ったものの、これぞ大阪八百八橋なのである。ポケモンのお蔭で思わぬ拾い物をした思いである。

大阪万博 100円記念硬貨

2016年08月14日 | 日記
大阪万博 100円記念硬貨


ペイン語のT先生の発音ではリオデジャネイロ ではなく リオ ネ ジャネイロ~となる。
当地、大阪では猛暑というか熱暑が続く。リオ ネ ジャネイロ~では平均気温が29度となっていた。当地より穏やかそうであるがやはり相当な気温の様子。

 さて、今日、郵便局のATMで現金の振込み手続きをやっていた時、500円を入れるつもりで500円硬貨を投入口に。
しかし、投入が拒否される事態に。硬貨を入れ過ぎたかと思いつつ、何度も方向を変えたりしてトライするも無理、今度は力づくで入れようにも全く入らず。これ以上やれば投入口が損傷する可能性もあり、まさかと思いつつも、その硬貨を確認してみたら500円硬貨ではなく100円の記念硬貨とわかった。

持ち帰ってネットで調べたらこの100円の大阪万博記念硬貨、直径は28mm、重さ9g、表面は動画のとおり葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「赤富士」がイメージされているものであった。


すんなりと投入出来た500円玉は直径26.5mm。重さ7.0gとなっている。記念硬貨を手の感触は500円硬貨とまったく同じ、
実際は微妙に違い、直径が1.5mm大きいことでATMへの投入を拒否されたのである。

ゴルフ規則で直径108mmもあるゴルフカップにカップインを拒否されるどこかのプレーヤーと同じと変に納得する次第。

さて、皆さんも気がつかれた方もおられよう。この大阪万博記念100円硬貨は恐らく誰も気がつかずに500円玉として流通していたのではないかと思うのは考え過ぎかであろうか。

スーパーのレジのマシンが支払い、釣銭の時の料金の過不足に警告を発する仕組みになっているのかどうか。ATMのような投入口ではなさそうであるが・・・

カウンターの方がお暇の時に一度尋ねてみたいものである。

と 書いている間にリオ ネ ジャネーロ~では女子マラソンの先頭集団が間もなく30Kmにさしかかろうとしている。

福士加代子頑張れ!