Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

ハナミズキ と はなみずき 満開

2015年04月25日 | 日記
ハナミズキ のコピー のコピー


平成19年度から進められていた京阪 寝屋川駅前線 事業がやっと完了した。
この寝屋川駅前 線は、京阪寝屋川市駅東側駅前広場と府道八尾枚方線、大阪外環状線(国道170号)を結ぶ、幅員25メートル、延長600メートルの道路。
以前あった民家、商店がなくなってすっかり様変わりした。
安全性、防災性の他、駅へのアクセス改善により利便性の向上が一気に図られるとともに、歩道には「はなみずき」が植栽され並木となった。

 この拡幅道を使って勤務先まで徒歩通勤している小生には得難い風景、通勤路となった。素晴らしいフラワーロードとなったのである。

 この「はなみずき」、旧大阪運輸支局庁舎前にも植えられていたのを覚えている。春は白、秋は紅葉、冬は赤い実をつけていた。
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市内のあちこちで見かける花であり、すっかり寝屋川市の木と思っていたが寝屋川市の花は「桜」であった。

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 ところでこの「はなみずき」、日本の花ではないらしい。「はなみずき」が日本へやってきたのは1915年とされている。すなわち、日本では、ほんの100年生なのである。

 当時の東京市の市長であった尾崎行雄がアメリカ大統領夫人にサクラをプレゼントし、(これこそ世界的な桜の名所となったワシントンD.C. ポトマック河畔の桜である。)、そのお返しとして送られてきたのがこの「はなみずき」。そんなことで「返礼」の花言葉すらつけられている。

風情といい、咲く時期といい、なんと日本の春にふさわしい花ではあるまいか。
寝屋川市にはお似合いの花であると思う。

『風光る 児童の声や はなみずき』(柳子)


蜆川(しじみかわ)

2015年04月17日 | 日記
蜆川(しじみかわ)


関西では桜のバトンを菜の花が引き継ごうとしている。そんな八部咲きの菜の花に冷たく、長い雨が降り注いている。
菜種梅雨(なたねづゆ)を実感する今日この頃である。勝手なもので早く皐月晴れにならないかと思っている。こうしている間に田圃にレンゲが咲き、苗代作りと続く・・日本の四季のありがたさ・・・・

さて、休日を利用した梅田での買い物を終えて、御堂筋を運動がてら徒歩で淀屋橋まで南下、大阪市役所北の「大江橋」北側の梅新南交差点付近に差しかかった時、滋賀銀行ビルの隅っこに「史跡 蜆橋跡」の文字のある台座。まわりこんで見た側辺はやはり「しじみばし」と銘が彫り込まれている。

中之島をはさんで流れる川は北が堂島川、南が土佐堀川である。こんなところに川は流れていないはずと不審に思いつつも帰って調べることにして動画だけ取りあえず撮ることに。

やはりここには「蜆川」という川が近世まで流れていたことが判ったが、調べるうちに浪花のシェークスピア(私だけが思っている。)、近松門左衛門の浄瑠璃、歌舞伎に登場する川であったらしい。大火の後の瓦礫で埋め立てられてしまったようであるが、なるほどその流れに沿って橋の付く地名が多い。

ネット上の昔の地図には大江橋付近から北に分岐、カーブを描いて再度、大川に合流していた川のようである。

そういえば環状線福島駅から大阪ダイハツ販売㈱にお邪魔する時に国道2号となにわ筋線の交わる交差点に「浄正橋」(じょうしょうばし)というきれいな名前の交差点がある。が、これも蜆川に架かっていた橋とのことで納得できた次第。桜橋、梅田橋もそうのようである。

北新地をこんな川が流れていたとは驚きではあるが、ネットでさらに追うと明治期の写真が掲載されている。その本格的(?)な川にまた驚くことに。

めったに行くことはない此地、北新地ではあるが、もし、機会があればこの「蜆川」の上を歩いている感覚で歩きたいものである。


「静まりて 流れの音や 北新地」(柳子)

「シジミ飼う 清き大河か 蜆川」(柳子)


《蜆川が再合流した近辺のリーガロイヤルホテル前》