Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

浜寺公園駅

2016年01月27日 | 日記
浜寺公園駅


私鉄で最も古い駅舎である南海「浜寺公園駅」を降りて正面、少し歩いたところに浜寺公園がある。
毎年、この公園で秋の全国交通安全運動期間中の秋分の日に「おおさか交通安全ファミリーフェスティバル」が開催されており私共の組織も自動車ディーラー会員様の協力を得てブースを展示、交通安全活動を展開している。今夕《26日》のNHKのニュースでこの駅舎が立体交差事業、高架化工事に伴って今月27日に閉鎖されることを伝えていた。
動画はこの駅舎のあまりの優雅さに昨年のフェスティバル開催時に偶然撮影しておいたものである。



動画冒頭に出てくる銘板には次のことが書かれている。


“浜寺公園駅は明治40年(1907年)わが国近代建築の元勲と言われた東京帝国大学工科大学学長辰野金吾、片岡安博士設計により建てられた洋風木造建築物である。屋根の正面に見えるトーマ窓《屋根窓》や骨組みを壁に埋めずに装飾模様として活かすハーフティンバー方式(木骨真壁作り)、鹿鳴館の二階ベランダ部分に用いられた柱と似た玄関柱が特徴である。

私鉄最古の歴史ある明治の駅として地元を始め多くの人々から親しまれて日本建築学会等学術的にも高く評価されている。
1988年2月23日 贈堺西ロータリークラブ創立5周年記念“

ケプラーモーション

2016年01月25日 | 日記
ケプラーモーション


とてつもなく寒い日が続いている。暑いときは寒い方がいいといつも言っていたくせに。


さて、小学生の頃、買ってもらった小学辞典の中に太陽系惑星の軌道を描いた挿絵があった。
興味は全くなかったが、いつのまにか「げっすいきん・ちかもくどってん・かいめいおう!」と月を除くナイン、その太陽系惑星の並び方を覚えていた。

しばらくして、冥王星よりも大きな天体が見つかり確かこのナインは8つになっていたと思う。

それがどうだ、近頃、太陽を公転するのに1周1万~2万年もかかる地球の約10倍の質量を持つとされる惑星の存在がコンピューターシミュレーションによって発見されたと報道された。

ずばり、「プラネット・ナイン」と呼ばれているようで、最大級のスバル望遠鏡でも確認されていないそうである。

大阪市立科学館会員番号8579でもあり、宇宙に係ることであれば宮沢賢治先生に及ばないまでも少々の物言いは出来ると勝手に自分だけの範囲で自負しているところでもあり、暇なときにはこの館に出向いて時間をつぶすことにしている。
が、このプラネットナインに関する情報は今のところ全くない。

ただ、動画の装置(ラッパ型ステージ)に金属の球を投げ入れ、ケプラーの法則どおりこの金属球が描く楕円の軌跡を何度も追い、また、試しているうち、太陽を回る周期が2万年もかかるとされるこのプラネットナインの軌跡を試すとしたらどれだけのスペースがいるのかつい、想像してしまうのである。
またまた、いつもの想像ぐせが始まっている・・・・と もう一人の私が云っている。

大阪府警と大阪冬の陣お堀埋め立て跡地

2016年01月11日 | 日記
大阪府警と大阪冬の陣お堀埋め立て跡地


ドラマ「半沢直樹」で倍返しでストレスを解消してくれていた堺雅人が真田幸村を演じるNHK大河ドラマ「真田丸」が始まった。

 題字は「カリスマ左官」として名高い「挟土秀平」氏が長野の土を練って作った土壁に「こて」で一気に描いたもの。(これはテレビでも放映されていた。)これに軽快なバイオリンが加わっている。

和歌山県九度山に匹敵する幸村の痕跡が残る遺物が大阪なにわにもある。大阪府警本部庁舎のあたりである。

 幸村は大阪冬の陣で父、昌幸と豊臣方につき、大阪城で唯一、手薄といわれた南方面、天王寺、茶臼山に出城「真田丸」を築き孤軍奮戦。

 茶臼山近辺に陣取った徳川家康本陣を急襲、家康の旗印を地べたにぶっ倒した(家康生涯で二度目と云われる。)、この大阪冬の陣は特に有名でいろんな小説にも出てくる。

 冬の陣の後の和睦で大阪城の堀は家康側に一気に埋め立てられ裸城にされてしまう。その堀こそ現、大阪府警本部庁舎が立っているところであり建設に先立つ発掘調査の内容が表示、公開されているのが動画のレリーフである。

 発掘で出て来たものは食器、硯(すずり)、瓦、下駄、土のおもちゃ、碁石等、当時の生活ぶりがわかるなまなましいものばかりである。よほど急いで埋め立てたものであろう。堀周辺にあった官舎(武家屋敷)などそのまま埋め立てた可能性もある。

 大阪府警本部庁舎玄関ホールにはこの堀からの出土品が展示されているが私が撮影してブログにアップした後すぐに撮影禁止になってしまった。(私のブログが原因かどうかわからないので誤解のないよう。)

ともかく、このレリーフは谷町三丁目交差点から大阪城に向かって歩き、庁舎南側の生垣の中にある。


 この正月三が日は池波正太郎の「真田騒動」を橋爪功の朗読でNHKラジオが連続で全巻放送してくれた。こちらは徳川方についた幸村の兄、真田信之を描いたもの。「真田丸」では兄、信之も追ってみたい。楽しみである。

第95回全国ラグビーフットボール選手権

2016年01月04日 | 日記
第95会全国ラグビー!


豊中運動場は現在の阪急豊中駅の西側にあったそうである。その運動場でキックオフされた高校ラグビー選手権は今年で95回目になっていることが入場券に印刷されている95回の文字でわかる。

 逆算で第一回の大会は大正7年となるようである。高校野球が昨年、ちょうど100年という節目の年であったことからも、高校ラグベーもかなりの歴史、伝統をもっていることになる。ちなみにこの第1回大会の優勝校を調べてみると「オール同志社」となっていた。やはり同志社はこのころから強かったのだと納得した次第。

 ともかく、今年も例年のごとく、正月恒例の花園に出向いた。今、はやり言葉でいえばルーチンである。

 それにしても今年は圧倒的な入場者数の増加である。ルーチンの若侍、五郎丸選手の効果と、この花園がワールドカップ開催会場となったことからしても納得できる。が、メインスタンド、サイドスタンドとも立ち見席が出来ているのを見たのは今年が初めてである。
 
わが街、啓光学園が全盛時代だったせいもあるかもしれないが五郎丸選手が佐賀工から出場した時のプレーはあまり記憶にない、佐賀工は強かったが記憶にないのである。

動画は準々決勝島根県代表の石見智翠館VS関西学院(赤白ジャージ)戦である。

以前はバックスタンドの大会旗が生駒山麓を通過する北風でぶんぶんはためいていたが、このごろは日差しの暖かい大会となっており正月三が日のスポーツ観戦にはなによりのお年玉となっている。
書きそびれるところであったが近鉄「東花園」駅はワールドカップ開催会場のアクセス駅としてすっかりモダンに全面建替えがなされていた。🏉🏉🏉🏉🏉

国宝 岩清水八幡宮

2016年01月02日 | 日記
国宝 岩清水八幡宮



賀正

昨年の雪と違って、好天、暖かな元日となった、


例年同様、京都、洛南、石清水八幡宮に初詣に。
最近にない大勢の初詣客。


昨年10月、本殿を含む10棟が文化審議会から国宝指定に向けて答申され、11月29日には皇太子さまが初めて本殿を参拝されたことも記憶に新しい。

朝廷にも崇敬され武家の信仰も集めた八幡宮であるが焼失が相次ぎ、都度、信長、豊臣秀頼等の造営寄進があり、それを継承して現在の社殿群は寛永10年、1634年に徳川三代、家光が造営している。

本殿は檜皮(ひわだ)ぶきで主要部分に極彩色の彫刻が施され、まだお目にかかったことはないが、信長が寄進した「黄金の雨樋(あまどい)」は特に有名である。

ともかく、この一年がこの好天のような穏やかで温かい一年であること心からお願いをした次第である。


「一望の京都に注ぐ初日の出」(柳子)