Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

Stop the time !! (Detener el tiempo que 時間よ止まれ)

2011年06月18日 | 日記



昼休みの話題にのれないのは癪なので、不本意ながら「第3回AKB48総選挙」の結果を確認し、三位までの名前を覚えてしまった。ほんものの方の総選挙がこう旨くいかないのは政治が諦められているのか、日頃の憂さを解消出来るものを多くの日本人が持っていないのか、なんとも複雑な気持ちになっているのは私だけではあるまい。
そういえば、この前、某テレビ局で大阪が「世界一住みやすい都市ランキング」で140都市中、12位にランクされたことが話題になっていた。
今年の2月、英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた世界で最も住みやすい都市ランキングでのニュース記事に関連した話題である。
街頭犯罪、ひったくり、自動車盗難等々全国ワースト1排除に向けたキャンペーンが大阪府警で全力で取組まれているが、そんな都市とはかけ離れた順位になっているのだ。勿論アジアナンバー1だし、香港、北京なんて目ではない。今に首位のバンクバーを凌ぐ都市になることは間違いない。
さすが、フレンドリー、本音の都市なんだと本気で思ってしまう。僕のブログに「なにわ」をつけたのは正解だなんて勝手に自己満足している。

そんな時間や話題が流れている中で気づかれている方も多いかもしれないが、我が家もいつのまにかアナログTVと地デジTVの音声のタイムラグがなくなっていることに気が付いた。どこもこの話題には一切触れらていないが、これぞ「着・々」というものだろう。

時の記念日は確か6月10日であったが、まさか、それに合わせて時間のズレ、音のズレを修正したのでもあるまい。



話は更に飛躍する。
時を意識するものとして、時計、カレンダー、日めくり類であろうが小生は古い建築物がそのツールとなる。
そんなこともあって仕事、プライベートを問わず、出かける機会があり、そこに建物があれば本件の仕事や目的を達成する前に会いにいくことにしている。その為には早朝の列車の切符を取ることも厭わない。

動画は東京、御徒町にある「旧岩崎邸」である。広大な敷地と、木々に囲まれた中に佇むこの建物へは何度も足を運んでいる。

勿論、この建物は、三菱財閥初代の岩崎弥太郎が買い住んだものであるが、私のいつものお目当ては1階サンルームにある岩崎ファミリーの集合写真である。

撮影されたサンルームの前面にその集合写真が置かれており、その背景は写真のそのままの部屋が残っているのである。この部屋にくれば、まさに時間が止まっている錯覚に入りこんでしまうのである。
写真の中に抱かれている幼児は今でも健在でおられることを学芸員の方が説明されている。
通り過ぎていく見学者を見送った後、いつも時間の止まった世界のこの部屋の中に、同じように時間が止まったような自分一人だけが佇んでいる。

『弥太郎の気概の色のゆすら梅」(柳子)

【庭園内のゆすら梅】

When did the accident occur ? Yes, June 2 ! (含むアーモンドの結実)

2011年06月01日 | 日記



季節はずれといっていいような台風が接近し、日本全土を冷たい空気で押し込めて広く雨雲が包んでいる。こんな日本列島の明日、6月2日に内閣不信任決議案が提出されると電光掲示板のニュースが流れている。6月2日か、なんと日本は平和な国なのか。

出張で東京にいった。今回も日帰りだ。
名古屋を出て、岐阜羽島を過ぎると関が原、伊吹山、米原と続き、すぐ、西日を反射させる湖面が現れた。この間、15分もかからない。やがて、右手の最奥に数秒間ではあるが、安土山が展開される。山腹に「安土城跡」と書いていると思われる白いたて看板が一定の間隔をおいて建てかけてある。

新幹線は全速力で通過しており、E席横の車窓からはその文字は勿論、読み取ることは出来ない。

いつものとおり、隣席のご婦人を起こさないよう静かに、速やかにデッキに出ることになる。(もうすっかりこの手順には慣れている。)

デッキからガラス越しに焦点を合わせ、ズームレバーに指を、ブログに許容される動画時間を逆算しつつ動画ONボタンを押すことになる。

高速で通過する新幹線車内からのシャッターのタイミングは並大抵ではない。仕損じれば、なにも出来ないまま私は京都駅に運ばれてしまうのだ。一発勝負である。黒澤や、新藤監督ではないのだ。従って、貼り付けた動画は奇跡に近い動画なのである。
ズームアップをして拡大される山が安土城のあった安土山である。(と云っても絶対の確信は持てない。高速で通過しているのだ。)

さて、6月2日といえば・・・・天正10年の6月2日(旧暦)に何があったのか、この夜半、旧本能寺は明智光秀の水地に三つ桔梗紋のフラッグを翻した1万3千の集団で覆い尽くされることになった。(一説には3千人)
あとは戦国中期の分岐点となった「本能寺の乱」となったのは周知のとおりである。

五層七重の天主閣をもっていたとする大城郭、安土城を出て、わざわざ援軍がいない空家となっているような京都・本能寺に宿泊した理由や、光秀が本能寺に向かった理由は諸説あるが、限定できるものはないようだ。油断なのか。「是非もなし。」の言葉だけを残して信長は消えた。

ともかく名古屋を過ぎると、家康の関が原、光成の伊吹、秀吉の長浜、浅井の小谷、信長の安土、同本能寺、秀吉・光秀の天王山と戦国史跡が次々と展開、私は右の車窓に歴史絵巻を見ることができるのだ。もう司馬遼も荘八もいらないのだ。

京都駅を基点に乗り降りする小生には、前回、書いた、天王山の古戦場は車内からみることはない。が、代わりにこの古戦場は山からの大パノラマが楽しめるのだ。

鹿児島まで開通した新幹線を一度利用し、本能寺の乱を聞いて、世に言う「おおがえし」で山崎まで反転急行して勝利した秀吉の経路を車内から検分したいものである。
『水田に 安土写して 早苗たつ』(柳子)

『山上の 永楽通宝 湖東の風』(柳子) (永楽通宝は信長の旗印)


(復興を願って)
「そのままの むなしい夏の 衣変え」

(アーモンドの花のその後)
梅と同様に果実が結実する時期となった。この前撮影したアーモンドの木の観察に出かけたが小木にも拘らず見事に結実していた。果実酒といいたいところだが、撮影させて頂き、そのままにしておいた。熟したら一個だけ頂き皆さんにアーモンドをお見せしたい。