Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

ミニカー スバル レボーグ 追尾 衝突回避 ストップランプ

2014年08月21日 | 日記
ミニカー スバル レボーグ 追尾 衝突回避 ストップランプ
大阪スバル(株)本社のスタッフの方からミニカーを頂いた。同社が販売している『LEVORG』のミニカーである。
パッケージには[障害物で止まる]、[線の上を曲がる]、[制動灯が点灯する]との表示。模擬ASV搭載の何とも進化したミニカーではある。
やっと認知されつつあるこのASV。 Advanced Safety Vehicleの略で先進安全自動車の意味である。
ずばりドライバーの安全運転を支援するシステムで、すでに平成3年度から国交省で開発が進められており、乗用車、トラックを問わずこのASVの範疇に入る自動車は加速的に増えつつあり、今や、装備が常識ともなりつつある。メーカー各社のASV搭載を㏚するCMが増えているのはご承知のとおりである。
せっかく提供して頂いたミニカー。追尾性能、衝突回避ブレーキ、ストップランプの点灯状況の動画を撮ることに。
大型紙は知人の方から進呈頂くとともに、水性ペンキは100金で購入。
線の太さ、回転部の半径、直線部から曲線部への接続部分等々、走行させるまでのインフラ制作にかなりの時間を要することになってしまった。
そういえば、現実の世界でもASVの開発と合わせてインフラのほうでも人と道路と車両を一体化する交通システムとしてITS(高度道路交通システム)の開発が進んでいる。その代表がETC、高度ナビゲーションシステムである。
昨年(2013年)6月、政府は新たなIT戦略として、『世界最先端IT国家創造宣言』を打ち出し、ダメ押ししたのを思い出した。
ITSや検討に入ったビックデータの活用により、交通事故の危険や交通渋滞が回避されるのと同時に安全で、環境にやさしく、経済的な道路交通社会が近未来に実現することになるのであろう。
以前に触れたが「自動運転車、ノンハンドル自動車」は試走を繰り返している。
漫画、「鉄腕アトム」で出てきた未来の自動車はもう完成しているのである。

あべのハルカス(Part4)グリコの看板

2014年08月17日 | 日記
あべのハルカスPart2で触れた心斎橋のグリコの看板に関する2014年7月16日(水)(朝日新聞)をスクラップしていた。アップロードしたが画像では読みにくいので原文を記事の下に書き写した。薀蓄(うんちく)を述べるのは避けたい。記事をお読み頂けたらと思う。



タイトル[77年前、紅白でした]
初代「グリコ」の看板は、白や赤のネオンで光っていました。大阪・道頓堀の名物看板を出す江崎グリコが情報提供を求めていた初代のカラー映像が見つかった。77年前、世界初の民生用カラーフィルムで撮影され、神戸市立博物館が保管していた。
グリコは今秋、看板を六代目に一新する。この期に「ルーツを」と考え、白黒写真や「6色だった」という文献しか手元にない初代の情報を探していた。これを朝日新聞の報道で知った神戸市立博物館の勝盛典子学芸員が、当時の道頓堀を撮影したカラーフィルムの存在を思い出した。
初代看板の映像は5秒。上部のランナーは緑、「グリコ」の字は赤く見える。下部にあった花模様は、緑と薄紫だ。グリコは「まさかカラーで残っているとは」(広報部)。ちなみにフィルムの劣化が激しく、ほかの映像の白が緑に変色していることから「ランナーも白でしょう」(同)という。

あべのハルカス(part3 夜景)

2014年08月17日 | 日記
あべのハルカス 夜景


リクエストにお答えし、夜景をアップします。
もちろんブルーが目立ったタワーが通天閣です。手前が天王寺公園、その少し右が四天王寺となりますがここは昼間に見たほうが綺麗です。
昼間ではありますが、晴れた日は京都タワーが見えることになっています。

あべのハルカス(part 2)

2014年08月16日 | 日記
アベノハルカス



季節には少し合わない長雨が続き、多湿さが暑さを倍にしているようなお盆となった。
夕涼みではないが、今回は夕方にアベノハルカスに。

夏休みで、お子さん連れも多く、毎日一万人前後の来場者があるとニュースで伝えていた。

昼間の眺望と違って、特徴のある通天閣のシルエットとブルーのイルミネーションがネオン瞬く中でも引き立ち、その位置がすぐに確認できることに気が付く。それにしても通天閣をはるかに見下ろすこのハルカスの高さ。改めてその高さが認識出来るのである。


ともかく、大阪を代表するネオンは二つ、通天閣のネオンと、もう一つが心斎橋の「グリコ」の看板。こちらのグリコの看板は今秋に刷新されるそうである。

LEDで装飾されるらしいがデザインは開示されていないとニュース。

そういえば、初期のグリコの看板を映したカラーのフィルムが見つかり、そのネオンの色はフィルムが色あせして白の部分が緑色になっていたそうである.(YouTubeに動画あり確認されたし。)


今度のグリコの看板が3Gになって出てくるのか想像するだけでも楽しいのである。

大阪 ミナミの話題が続き、先行するキタへの巻き返しを図っているかのようである。

キュービック(Part2)

2014年08月06日 | 日記
IMG 14041


Part1で紹介した映画「海の若大将」の予告編をYouTubeでご確認いただけたら市営大阪プールのイメージが確認出来ようかと思う。気になる方は加山雄三さんがどのコースに立たれているか静止して確認されるのもよかろう。

それよりもモニュメントとして保存されたスタート台も1カット出てくる。
こちらのほうを是非見て欲しいと思う。 
それでは加山雄三さん、浜美枝さん(?)、星百合子さん(?)さんに失礼になるのか。


キュービック

2014年08月04日 | 日記
キュービック


梅雨あけの台風が西日本に大雨を降らせ、大阪も湿気と猛暑が続いている。
プールはどこも夏休みの学生でにぎわっていると思う。

㈱ホンダカーズ大阪 本社 道路向かいに扇町公園がある。ここに旧市営大阪プールがあった。
昭和25年、1950年に建設され こけら落としは日米豪の水泳競技会だったそうである。

2万5千人収容の三方囲み(U字型)のスタンドが設けられており競泳以外にプロレス、ボクシングも開催されたとある。
老朽化、公園整理、国体開催で少し前に解体された。今は公園南側出入り口の近くにそのプールに設置されていたスタート台がモニュメントとして設置されているだけである。

㈱ホンダカーズ大阪の待合からその跡地が見渡せるが、職員の方にそのプールに関する話題を話そうにもネタがなかったのである。
なかったが、あったのである。

映画、若大将シリーズ、「海の若大将」のロケがこのプールで行われていたのである。映画の予告編までたどり着いた。

予告編の冒頭にプールが大写しされるが、これがその大阪ブールである。なんと優雅なプールであったことか。

若大将は5コースか、6コースを泳いでいる。星百合子もスタンドで応援している。
加山フアンの方は是非この5番か6番のスタート台に登って欲しいものだ。
私もそうしたのである。また蝉が鳴いていた。



関大天六学舎

2014年08月02日 | 日記



以前このブログで枚方牧野にある関西歯科大学舎について触れたことがある。
昭和4年に竣工し、現在でも使用されているようだが、この同じ年に建設された大学の学舎が大阪市内天六にある。
関大天六学舎である。

竣工からどちらも85年となる。関大天六学舎は戦後多くの勤労学生(二部)を受け入れ社会に送り出し、多くの企業のリーダーを輩出してきた。

時代は移り、少子化の時代を迎え、二部制そのものを存続させる必要がなくなってしまった。

そんな理由も一つとなって、今秋でこの関大天六学舎が売却解体され梅田近辺に移転することになったと少し前の新聞に掲載された。

それまでの間、民間の要請に答えられ学舎の一部を解放されていると聞く。
動画を撮らして頂いた日は一般財団法人日本自動車査定協会大阪府支所が行う査定士の研修が開催されていた。
お許しを得て、教室に入れて頂いた。

。プロジェクターなどの近代的な装備はないが高天井で、奥行があって勤労学生のエネルギーをしみこませたような教室は85年の歴史を感じさせる教室であった。

帰途、正面玄関前の大きな くすのき で多くの蝉が鳴いていた。



『学ぶ志を 胸一杯に 詰め込んて 走る廊下に 蝉も鳴きたる 』(柳子)

寝物語古蹟國分橋 京都府

2014年08月02日 | 日記
寝物語古蹟國分橋 京都府


サポートが終了したパソコンを見限って、新しいパソコンを購入した。
慣れないセットアップに時間を要しブログの更新まで手が回らなかったのが本音。
もちろんパソコンの方のコントロールもまだ十分ではない。

さて.運動がてらウォーキングした京都府八幡市内の旧街道(東高野街道の一つと思う)の片隅に奇妙な文言の彫り込まれた石柱があるのに気がついた「寝物語古跡國分橋」とある。

掲載されているのかどうか半信半疑でネットを調べると出てきた。
國分橋は くにわけ橋とよぶらしい。隣接する村の境界線を決めるのに夜明けに双方の村から徒歩で向かい、出会ったところを境界線(国を分けるところ、そこにあった橋なのであろう。)としたとある。

伝承なのか、実際の話なのかネットでは分からない。


国境をめぐる話は今では世界各地であり、言い尽くせないほど報道されている。

この石柱に刻まれた文字は、伝承にしろ なにやら ほっとする話ではある。それで冒頭に寝物語と刻れているのかもしれない。

ちなみに京都府南部にはこのような石柱の道標、案内碑をいたるところで見かける。

江戸後期、博多織の販売で代を築いた三宅安兵衛が市民への恩返しとして莫大な遺産を息子清治郎に託しこれらの道標類を建立させていたことも併記してあった。

そういえば京阪牧野駅の東側にも安兵衛の石柱があり、淀川にあったとされる渡しの名前が刻まれている。