Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

豪栄道豪太郎関おめでとう

2016年09月24日 | 日記
豪栄道豪太郎関おめでとう


々に緊張感をもってのテレビ観戦となった。
豪栄道豪太郎関が念願の本場所優勝を果たした。まだ半信半疑の心持ではあるが、インタビューの涙を見て誰もが喜んだと思う。
金メダルである。
心よりお祝いを申し上げたいと思う。

ハードなニュースが続いた寝屋川市民にとっても待ちに待った本当に明るい話題となった。

この際、一気に幕内最高位に登って欲しいものである。


『場内の 拍手の波の 大きさを 背に浴び 今日の晴れ相撲』(柳子)

『手拍子に 喜び増して 力水』(柳子)

小説の中の大阪

2016年09月24日 | 日記
小説の中の大阪


日、京阪天満橋から天王寺まで歩いてきた。

親友が描いたパステル画が見事入選し、その祝賀会に参加するのと日頃の運動不足解消を目的に歩いたのである。
集合場所はその展覧会会場となった天王寺公園にある大阪市立美術館。
少し早く着きすぎたこともあって、この美術館近辺を散策。

この周辺は市街に拘らず天王寺公園、動物園、真田山、寺、池等のグリーンスポットとなっており、西暦1615年、ちょうど今から400年前に起った大阪夏の陣で真田信繁《幸村》が本拠大阪城の出城、「真田丸」を出て、陣を構えたこの真田山の真裏に位置する。
さて、動画をご覧頂きたい。美術館敷地への入口のすぐ横手に、林芙美子の未完の小説「めし」の一節が刻まれた石碑である。かっての古戦場とは凡そかけはなれたモニュメントである。

この「めし」は先般、亡くなられた昭和の大女優、原節子さん主演で映画化されていたことは知っていたものの、小説の文面を見るのはこの石碑が初めてであった。

現在の新世界とは微妙に異なる名詞が繋がるこの石碑の文章が少々気になり未完も承知で小説「めし」を読むことに。
しかし、古い小説のせいか図書館での借り出しがかなわず、やむを得ず380円の電子書籍を購入することに。

物語は戦後間もない時期(昭和26年頃)の若夫婦の心情をテーマに当時の大阪市街や郊外の南海沿線、住吉、天神ノ森等を中心に物語は展開していく。ばりばりの大阪弁が続いている。

意外にもこの石碑に登場する男女二人は主人公に非ず、その姪と知人の息子の行動を示していたことが判った。興味が削がれてしまわれるかもしれないが敢えて石碑の前後をここに紹介することとする。

小題 「ジャンジャン横丁」

・・・・
二人は、霞町で電車を降りた。
・・・
バラック街ではあったが、どの食物店も、満員だ。汗ばむほどの、陽気のせいか、冷たい黒蜜屋の、呼び込みの声が、賑やかだった。
《ここから石碑の文》
昔、通天閣のあったころは、この、七十五メートルの高塔を中心に、北方に、放射状の通路があり、国技館や、映画館、寄席、噴泉浴場、カフェーや、酒場が、軒を並べていたものだそうである。
芳太郎は、いつの間にか、里子の腕をとって、歩いていた。
《ここまで石碑の文》
里子にとっては、芳太郎の親切は、椅子の腕木につかまっているような、気軽でしかない。
・・・


祝賀会の帰りに入選者の親友が描いたパステル画、紫陽花の絵を頂き、早速、事務所の会議室に飾らして頂いている。

躍動!感動!広島カープが悲願の優勝❣️❣️

2016年09月10日 | 日記
感動!カープ優勝❣️❣️


すべき球団、広島東洋カープが7回目の優勝をした。25年もかかったが、ニュース速報で出るくらいだから皆が驚き、感動した優勝だと思う。

携帯にお祝いメッセージが今も続いている。

若い女性フアンが急増し、フアン層も気質も以前とは全く様変わりした。が、弱小の地域球団を愛するフアンのベクトルは昔と全く変わっていないのである。

一昨年、広島宮島近くにある二軍宿舎を見に行った、。なにやら根性運が伝わってきたのを思い出す。そう、空気が「神っていた」のである。

まもなく菊池選手のユニホームが届くことになっている。


お祝いに今、静かに、声高らかに歌おう。



カープ カープ カープ広島
広島カープ

空を泳げと天もまた胸を開く今日のこの時を
確かに戦い
はるかに高く はるかに高く
栄光の旗を立てよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

勝ちにいくのが選ばれた者の一投一打が勝負のすべて
闘志をつくし 闘志をつくし 今ここで花と咲けよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ


鍛え抜かれた精鋭の技と力
その意気愛して見守るわれら
あしたへ続く あしたへ続く
きりのない夢であれよ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

晴れのあかつき旨酒をくみかわそう
栄冠手にするその日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて
たくましく強く踊れ

カープ カープ カープ広島
広島カープ

『優勝の 所作を知らずに かけよりて あげる胴上げ 外.外寄りに』(柳子)

『つねごんの 気迫せまりし マウンドで 今日投げ込みし 黒田かな』(柳子)




真田丸 石田治部少輔三成 居城 佐和山城跡 のコピー

2016年09月10日 | 日記
成 居城 佐和山城跡 のコピー


海道新幹線上り8時56分発スーパーエクスプレスひかり416号東京行きに乗れば、約15分位で滋賀県彦根近辺をトップスピードで通過していることになる。
気をつけておかなければほんの5秒でその山は左車窓から消えてしまうことになる。


 NHK大河ドラマ「真田丸」がいよいよ佳境を迎え、関ケ原の戦い、関ケ原の合戦の章に入る。西暦1600年10月21日に関ケ原での濃霧明けの合戦である。

 西軍の将、石田治部 少輔 三成がこの合戦の敗戦後に逃げこんだ「伊吹山」は以前ご紹介した。今回の動画は石田光成の居城、佐和山城跡を示す青色の立て看板である。

デッキに早めに移り、ファインダー越しにシャッターチャンスを待ち構えていたが、前述のとおりトップスピードでここを通過するのである。しばしば青色の立て看板を見過ごすか、ピントと構図を取ってもたもたしている間に佐和山は消えることになるである。出張のたびに何度も失敗している。

今回はかろうじて撮影できたもののやはり、ほんの数秒間であり、後で再生した動画は無駄な部分が続く結果となっている。

ということで、後半をカットし、かつ、残った動画部を四倍速のスローモーションに再編集させて頂いた。

立て看板は「佐和山城跡」となっていると思う。自身、佐和山がこの動画のどの部分の山なのかはわからない。

唯、標高233ⅿの山であることから立て看板の後方の最も高い部分が佐和山なのではないかと勝手に決めている。

うまく撮れたかどうかをデッキで確認している間に「名古屋」到着のアナウンスが流れてきた。聞き間違いかも知れないが「なにしとらっせる、名古屋だがや」と秀吉がつぶやいたような気がした。