Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

大兵馬俑展

2016年07月23日 | 日記
大兵馬俑展


Young ではなく yongと中国語で発音する漢字の「俑」は「よう」と発音する。ようである。

中国で墳墓に副葬された人形を意味し日本では古墳に埋葬した埴輪がこれにあたる。
恐らく埴輪も中国、アジア大陸から伝わったものかもしれない。

ともかく、この俑の文字の入った大兵馬俑展が大阪、中之島、国立国際美術館で開催されており興味もあって見にいった。
テレビでは何度もみていたがやはり実物は大きく、かつ歴史も迫力も感じるものがあり墳墓以外の空間におかれた個々の俑がなにやら窮屈そうに感じたのも私だけではあるまい。
そんなこともあってか、実物の9体は1体毎にかなりのスペースをとって展示されているコーナーも。

埋葬当時の色彩はすでに剥がれてはいるものの丁寧に、かつ、リアルに作られており、個々の俑がそれぞれの当時、秦時代の生活、組織、職制をにじませているのである。

動画は恐らくレプリカだと思う。撮影可の看板もあり、第一これほどの集団に移動してもらうには到底無理というものである。

真田山

2016年07月21日 | 日記
真田山


南谷真鈴(みなみや・まりん)さんが日本人最年少の19歳で世界七大陸の最高峰登頂に成功したニュースが流れた。
昨年1月、南米大陸のアコンカグア(6959メートル)に登頂から7月4日、最後の一つとなっていた北米大陸のデナリ山(マッキンリー山=6190メートル)登頂に成功したそうである。
そこに山があるから登ったのではなく、目標に向けた登山だったそうである。

お名前がその山の方ではなく海の方をイメージさせるマリンさんでありことさら印象深い。



さて、海抜10m、真田山は大阪環状線「玉造」か「鶴橋」から徒歩でアプローチ出来る。
NHK大河ドラマ「真田丸」でこれから出てくるであろう大阪冬の陣で真田幸村が構築したとされる出丸(出城)があったところ(山)とされ、その場所は現在の明星学園付近にあったとされる説が多い。

動画は明星学園の南に位置する真田山公園とその中にあるグランドに向かって撮影した。炎天の下、明星中学の野球部が練習しており、フリー打撃中の野手の掛け声が公園に響渡っていた。

ユニホームに懐かしい「Meisei]の文字が躍っていた。
この公園横の坂道を下れば査定協会にたどり着く。梅雨も明け猛暑
の坂となった。




伊吹山

2016年07月02日 | 日記
伊吹山


月めくっていたのに気がつく間もなくカレンダーは後半の6枚を残すのみとなってしまった。
熊本地震の後、日本の天気は二十四節季の言い伝えどおり梅雨入りし、各地に大雨の被害までもたらしてしまっている。

平成26年の消費増税以降、消費マインドは回復せぬまま推移し、軽自動車の増税、燃費問題等々が重なり今年の新車販売台数が500万台を下回る予想がこの時期に、巷にもう出てしまった。

そんな思いを巡らせながら上り新幹線の車窓を何気なく見つめていたら雄大な単独峰が左車窓から新幹線を追尾してきた。

「伊吹山」である。動画、麓の景色と見比べて欲しい。その雄大さに圧倒される。東海道新幹線から見られる山としては富士に次いで存在感を見せてくれるのである。新幹線に近いこともあり、関ケ原に多い降雪や霧が出ない限りそのご尊顔を覗かせて頂けるのである。E席は上り、下りとも特等席となる。

 その肩書も多く、日本百名山、新・花の百名山、一等三角点百名山、関西百名山、近畿百名山、ぎふ百山等、多くのタイトルを保有している。

毎週見ている大河ドラマ「真田幸村」に出てくる西軍、石田治部少輔三成は関ケ原の戦いの後、この山に逃げ込んだ。この山を見るたびに小説『徳川家康』に行きつき、関ケ原の戦いの編を思い出すのである。

そういえば来月、8月11日、木曜日は新設された「山の日」が初めて登場する。この伊吹にはスキー場も存在していたが、南斜面のゲレンデ、暖冬による降雪量の減少、経営母体の鉄道会社の経営縮小でもうだいぶ以前にリフトも撤去されている・・・リフト事故で深夜にゲレンデ小屋に入ったこともまた思い出す・・・伊吹山が車窓から消え去った後も瞑想はまだ駆け巡る。

間もなく名古屋到着の車内アナウンスが瞑想を打ち切って入ってきた。時計は10時前になっている。