Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

札幌テレビ塔からの展望

2015年10月31日 | 日記
札幌テレビ塔からの展望




高いところへ昇るのが性にあっているのがどうか、ここ三年でそんな高いところに結構昇っている。

五稜郭タワー
東京タワー
通天閣
アベノハルカス
京都タワー
神戸ポートタワー
そして、今回の札幌テレビ塔である。(動画の終盤に札幌ドームが見えている。)

実に数えると7つもある。フォルムといい、色調と言い、街(場所)とのバランスといいこれらの建造物は大抵その土地のランドマーク、シンボル、当然観光地にもなっており、設計者は名だたる建築家ばかりである。


 いずれかの塔、タワー、建物に昇られた経験もおありだと思う。
今、世間では杭打ちに関するデータ改ざんが問題となっており毎日、関連のニュースが流れ一向に収まる気配がない。

これらの塔、建物群も胡散臭い話を憂いているに違いない。

気晴らし、北海道シリーズの締めとしてこれらの塔に関連したクイズを出題させて頂く。それぞれの高さを再認識して頂けると思う。


次はオーナーが訪れた塔、展望台を高さ順に並び替えたものである。アベノハルカス、通天閣、札幌テレビ塔はどの【   】に入るか答えよ。

【   】(288m)⇒東京タワー(250m)⇒京都タワー
(100m)⇒【   】(91m)⇒神戸ポートタワー(90.8m)⇒【   】(90.38m)⇒五稜郭タワー(90m)

さて、来週土曜日の夜、NHKブラタモリで札幌が登場することになっている。見逃せない。

阿寒湖の秋

2015年10月29日 | 日記
阿寒湖の秋


 時間があったら「まりも」を見にいくことにしていたが、前も、後ろも時間がなく、やむなく限られた時間だけの湖畔めぐりとなってしまった。
結果的にはそれがよかった。

雄阿寒岳はスカイブルーの中にでっかくポーズを取ってくれていたし湖岸は昼時であったこともあり観光客もまばら。昼下がり、私は秋の阿寒湖岸をゆっくり探索できたのである。

 昨年は噴火前の箱根、芦ノ湖を訪ねたが今回の道東、阿寒湖はこの芦ノ湖の約1.9倍の広さ、平均水深でも2.8メートル深い17,9メートルもある、意外と大きい湖である。

 以前、NHKが「まりも」がまるく形成される過程、生態を特集していたことを思い出した。阿寒湖面を吹く風、波が大きく関与していた内容であったように記憶している。


そんなことをいろいろ思い出しながら撮影ポイントを探していた時、遊覧船が私を待っていてくれていたかのように水面にゆるやかな波紋立てながら出航してくれたのである。

素人にはなかなか取れないタイミングでシャッターが押せたのである。


『 秋湖岸  まりものような  波よせて 』(柳子)


「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」

2015年10月28日 | 日記
摩周湖




 初めて摩周湖を訪れた。

噂の霧は全くなく快晴で摩周ブルーにお目にかかることが出来た。
霧が出てこその摩周湖との意見も聞いたが、バスガイドは長年の経験からか絶景を予測しての車内案内であったような気がする。やはり、摩周ブルーの青さを遠路の観光客に勧めたいのである。
摩周湖の霧の伝説を下に示す。また、この伝説以外に青い湖面をみたら晩婚になるとの別の情報もあった。興味深い。これも伝説に出てくる老婆(シュ)の影響なのか。

ともかく伝説をお読みになって、画面を見て頂きたい。霧があるより数段、神秘的であり、美的だと思う。



(霧の伝説)
宗谷のアイヌの集落同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方の集落は敗れ、ほとんどが殺されてしまう。敗れた集落の老婆とその孫は命からがら逃げるが、逃げる道中で孫がはぐれてしまう。
老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着く。
老婆はカムイ・ヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い、許される。が、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとう湖の中央に浮かぶカムイシュ島になってしまった。
いまでも、摩周湖に誰かが近付くと老婆は孫が現れたかと喜び、うれし涙を流す。この涙が雨であり霧であり吹雪なのである。

弘前城の秋

2015年10月27日 | 日記
弘前城の秋


雄大な岩木山が弘前城の一角にある展望台から眼下に広がる弘前市街の屏風のようにどっかりと座っていた。冬良し、秋良し、春夏に良しの山ではある。

小学5年の一学期の国語の時間に朗読を指名された詩、「いわきやま」だっだと思う。内容もはっきり覚えていないが岩木山が津軽の子らに雪解け、春の訪れを告げる内容だったと思う。

ともかくその山が弘前城の一角から眺められるのである。津軽の殿様はその存在を厳しい冬の間、眺め、尊敬し、誇りに思っていたに違いない。

 場内を埋め尽くす桜は紅葉の最盛期にあったが、市街地を眺めている間に曇天の中にお岩木山は薄いベールをかぶりシルエットだけになっていた。
やっぱり撮影するのはやめることにした。


『あかみどり お岩木山の 里の秋』(柳子)


札幌時計台の二階展示室

2015年10月26日 | 日記
札幌時計台の二階展示室


外交が続いた中、10月も駆け足で過ぎていった。
10月25日に外交先、北海道から帰阪した。移動時間までの調整時間に念願であった札幌、時計台の資料館、塔(機械)時計を見学した。

展示パネルに札幌農学校の教頭ホイラーがアメリカのハワード社に塔時計を発注したのが137年前の1878年(明治11年)10月25日とある。


写真撮影が自由とのこと、ファインダー越しに(クラーク博士を思いつつ)講堂の梁、壁面、窓枠、床板を追っていた。


ちょうどその時、塔時計が鐘をつき始め、高い鐘音が講堂に11回、鳴り響いた。

1978年10月25日に発注した鐘の音であった。





みちのく一人旅

2015年10月25日 | 日記
秋晴れが続いた北日本の天気も週末には冬型の気圧配置に入れ替わり、津軽地方は強い北風と曇天の空に変わった。

ときおりどこかしこから差して来る陽の光も小走りに歩く人々の早さに遠慮するかようにすぐ隠れてしまう。

車窓を流れる太宰の故郷はまだ赤い果実がふんだんに残る濃い緑の田畠をあちこちに残して晩秋を迎えようとしている。

異国の人と津軽の人の言葉が混じった車内はこの前とは随分と印象の異なるみちのくとなっている。
とその時太宰が何か喋った。

近畿地方も木枯らし一番が吹いたと電光掲示板が伝えている。



『三味(しゃみ )の音(ね)が 送る列車や 秋深し』(柳子)



『晩秋の 駅舎を出でし 客室の 棚の林檎の 手笊(てざる)は揺れて』(柳子)





境港行き 水木ワールド

2015年10月12日 | 日記
境港行


連休を利用して山陰、鳥取県、境港まで。
紅ズワイが出るシーズンでもあり、それが第一目的、次が水木しげる記念館、それに至るロードの見学が第二の目的。

 二年くらい前の環状線の車内イラストに大きな猫のキャラクターがドアに張り付けられ年長さん達が歓声をあげていた。
のちに彼は年少者に絶大な人気者「ジバニャン」という名前を持っている妖怪キャラクターであることを教わったが、大人達も「妖怪体操」なるものをやっていた。この時から私世代にもよく似たキャラクターが登場する水木しげる氏の漫画を思い出し、数年前のNHKの朝ドラ「ええ女房」の好印象がこれを後押しをしてくれての山陰路であったわけである。

 10月31日はハロウィンの日である。どの国も祝日、祭日には設定されていないようだ。
ネットの資料ではかなりの歴史、由緒のある行事のようである。世界各国、本来のしきたりから変化しているかもしれない。ただ、収穫を祝い、感謝し、有害な精霊(妖怪と少し異なる?)から守るための行事として全世界に浸透してきたのに間違いはなかろう。

 水木ワールドも日々の生活に感謝し、これを妖怪キャラクターが補足しているようである。日本的なキャラクターがロードに設置されているが全く古さを感じなかったのは私だけではあるまい。