Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

芝公園

2018年06月16日 | 日記
芝公園


回の続編となる。

東京に出張した際に時間の調整を兼ね、増上寺前の芝公園を散策した。
芝公園にはいろんな歴史資料が残っている。動画はペルリー、ペリー提督像とその向かいにある日米修好通商条約批准書搬送の徳川幕府使節団の渡米記念碑である。

碑には以下のことが書いてあった。

≪西暦1860年2月9日(万延元年正月18日)新見豊前守正興一行は日米修好通商条約批准書交換の使命をおびて江戸竹芝より米艦ポーハタンに搭乗、初の使節として米国に赴いた。副使 村垣淡路守 範正 の詠にいう、
 
『竹芝の浦波遠く  漕ぎ出でて
       世に珍しき 舟出なりけり 』
 
遣米使節渡航より百周年にあたり、日米両国民の友好親善の基礎を築いたその壮途をここに記念するものである。
1960年6月 日米修好通商百年記念行事運営会≫



淡路守は旗本(外国奉行)であったようだか、その時の心境は 

🚢江戸の竹芝に打ち寄せる海辺から 蒸気船まで漕ぎ出してきた。これから遠い遠い異国の国ワシントンまでに出立する 江戸開府以来、鎖国をとってきたのにこちらから出立とは夢でもみているようだ」

となるのではないかと思う。因みにこの一行がワシントン到着直前にこの渡米と直接関わったことになる井伊大老の「桜田門の変」が起きている。

収集している記念切手を思い出した。私と同じく切手の収集を趣味としておられた職場の先輩から譲り受けたものである。

一枚の船の切手はこの淡路の守の乗船した米国蒸気船ポーハタン号を護衛して巡航、勝海舟が乗船した咸臨丸である。

もう一枚はワシントンで批准書を手交している絵画のようである。が、関連資料は検索できなかったので定かではない。

全く関係ないが、今年の「海の日」は7月16日である。