Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

平城遷都1300年より古い時代!

2010年05月01日 | 日記
古都奈良では平城遷都1300年祭が華々しく開催され、休日やGWは大勢の見物者で賑わっている。
さて、市内牧野では、平城遷都より遡ること50年、今から1350年前に枚方市牧野本町1丁目と2丁目の境、牧野商店街に隣接して存在していた古代寺院跡の発掘調査が平成17年頃から続けられていた。

自身、平成19年の発掘調査説明会に参加し、こんなところに、よくぞ大規模な寺院があったものと驚きつつ、調査が終わった後はビニールに覆われたままとなり、どうなることかと気にはかかっていたが、枚方市教育委員会の英断、配慮もあって小さい規模ながらも史跡公園となり、先月17日にオープングセレモニーが開催された。


この古代遺跡の名称は「九頭神廃寺」または「葛上廃寺」( くずがみはいじ )と呼ばれ、建立年代は飛鳥時代後期の650年頃、7C中期とされている。
まさに大化の改新後、「藤原京」から「平城京」に遷都される間に建てられていたことになる。
(※古い地図を見るとこの牧野近辺の地名表示は「九頭神」となっていた)

150メートル四方の跡地から出土した遺物、遺構は倉垣院(正倉院みたいな倉)、塔基壇(塔の土台)、築地(平たくいえば土で盛り上げた垣根)、排水溝、門等々であり、これらの遺構類は地方寺院としては稀有のことのようだ。

セレモニーの当日、出土した塔の水煙のパーツや軒先瓦(のきさきかわら 文様で年代が判る。)、土器等が史跡公園に設置されたテント内に展示されていた。

「出土した瓦は後の京都、平城京内に建立された東寺、西寺(どちらも官寺、即ち国営)に使われていた瓦と全く同じもの、同じ窯で焼いたもので相当の実力者が建立したものと推定される。」との説明があった。
 
 今は、子供さんやご年配の方々が時々使われる公園であり、静かな空間となっているが、思えばこの廃寺跡の真南に、穂谷川を挟んで5C後半に築造された「牧野車塚古墳」が存在する。まさに古代のゾーンであることにやっと気がついた。
 参考に出土した水煙のパーツに係る新聞記事を貼り付けることをお許し願う。なんと興味深いことか。

(画面右が「九輪・水煙」のパーツ)
京都新聞(2010.04.12)
塔飾り「水煙」の破片と確認大阪・九頭神廃寺で出土
大阪府枚方市の九頭神廃寺(7世紀中ごろ~9世紀中ごろ)で昭和初期に出土したスペード形の銅板が、古代寺院で見られた塔の先端部分の飾り「水煙」の破片だったことが分かり、同市教育委員会が12日発表した。
 スペード形の水煙は法隆寺、当麻寺(ともに奈良県)に現存するが、出土例としては全国初。塔の先端部分は地震や雷で被害を受けやすく、市教委は「破片ながらも当時の姿を保っている貴重なケース」としている。
 市教委によると、水煙の破片は長さ17センチ、最大幅8センチ。九頭神廃寺が9世紀中ごろに廃絶したことから、それ以前につくられたと考えられる。
 破片には「大阪府北河内郡殿山町大字阪 九頭神廃寺出土 昭和六年七月」と書かれたラベルが張られており、発見者が記録したらしい。
 水煙は炎の形が一般的。今回の破片や法隆寺五重塔(7世紀末)、当麻寺西塔(8世紀末~9世紀初め)のものは特異な形で、塔の創建当初から残された可能性があるという。(共同通信)