Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

大政奉還のあった二条城二の丸御殿

2017年01月26日 | 日記
大政奉還のあった二条城二の丸御殿


節目の年となる史跡Part3

本史の年号を語呂合わせて覚えるのが得意な級友がいた。今のようにインターネットがない時代に自分で作っていたのか参考書に書いてあったのかは今となっては確認する術がない。

 
 休日を利用し、昨年末から一般公開されている二条城、二の丸御殿の大広間を見てきた。勿論、大政奉還の行われた大広間、一の間を見る為である。

 さて、大政奉還が行われた西暦年は語呂合わせではいばるな徳川大政奉還!の1867(いばるな)年となるらしい。

私なら「今はむなしき(1867)武家政治」としたいところだが・・・


ともかく、1867年はこの大広間「一の間」において、40藩の重臣を集め意見を確認し、大政奉還を決定、発表された年であり、くどいが今年で150年の節目の年となるのである。

入場者がとても多かったが、何度も往復して繰り返し観させて頂いた。
残念ながら撮影は一切、禁止されており、張り付けた動画は庭から撮影した二の丸御殿である。

京の空を背景に御殿の甍は歴史を沁み込ませて佇んでいた。


このシリーズの結び

「トランプで占うような米政治」(柳子)

はちょいと洒落がきついか。



伏見七名水 白菊水

2017年01月22日 | 日記
伏見七名水 白菊水

節目の年となる史跡Part2

曜休日の先日、ご先輩のお誘いを受け、京都伏見の「鳥せい本店」に。
昭和51年に酒蔵を改造して開店したこの「鳥せい本店」は、伏見のお酒のメインブランド「神聖」(しんせい)のパイロットショップとしてオープンした店として有名。当日も昼時でもあったこともあるが満席。
動画は店の横にある伏見七名水のひとつ「白菊水」を撮影したもの。

この名水を使って延宝5年(1677年)からこの「神聖」の酒造りが始まっていて、少しこじつけになるかも知れないがこちらも節目の年で今年で創業340年目となる。

ちなみに白菊水の名は、「白菊を愛でる翁がこの地に日照りが続き、稲が枯れるようなとき、私の愛でた白菊の露の一雫より清水が湧き出す」という伝説から取られていると井戸の正面、壁に表記されている。
 湧き出す水は、冷たくてまろやか。道端にあるので誰でも気軽に利用できる。

 はるか昔、伴淳三郎が「かあちゃん一杯やっか」というTVコマーシャルがあったが、この酒がどうやら「神聖」だったようである。

 京都検定には出てこなかったが、参考に補足したい。
伏見の由来が、伏し水と言われる程、良質な伏流水が豊富で、名水七つ井とは、石井(いわい)、常盤井(ときわい)、春日井(かすがい)、白菊井(しらぎくい)、苔清水(こけしみず)、竹中清水(たけなかしみず)、田中清水(たなかしみず)の井戸(湧き水)のことである。
 水は中硬水で灘の水の硬水より優しいと云われ、灘の男酒、伏見の女酒と言われている由縁である。

 もう一つ、故郷広島、西条の酒は軟水である。まっさんが言っていた。

「京の冬、竜馬一献 うまいきぃ」(柳子)


駅伝発祥の地 京都

2017年01月20日 | 日記
駅伝発祥の地 京都


節目の年となる史跡Part1

しく寒さとは縁が遠かった近畿に新年早々から西高東低の気圧配置の日が続いた。そんな気候の中、〝えびすさん″ も過ぎて、すっかり新しい年のスタートを切った感があるものの、『平成29年(2017年)』と書く(キィーを打つ)感覚はまだ慣れていない、ちょっぴり躊躇している私がまだいる。しかし、明日はもう、アメリカの新大統領が就任する20日となるのである。

 新年を意識するこの時期にはこの新しい年が節目の年となる史跡が気になってくるもので建物、碑文の「起こり、発祥、起源」の表記年につい目がいってしまうことに。
よくよく考えれば節目の年になる催事は毎年いくつでもあるのにである。

 さて、休みを利用して、今冬、一般公開されている京都堀川、二条城二の丸御殿を尋ねることに。
大阪より、京都はまだ寒い。京阪三条駅の改札を出て地上に出ると寒風吹き止まぬ三条大橋の東詰に出る。そこにこの動画の碑文が建っている。まさに節目の年表記が入っているのである。
動画では読みにくいので本文に書き改めると次のとおりとなる。

(駅伝の碑)
駅伝の歴史ここに始まる
『我が国、最初の駅伝は奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。スタートは、ここ京都・三条大橋 ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。』

と書かれている。繰り返すが今年は2017年であり、駅伝発祥からジャスト100年となるのである。
 なるほど、京都市街地での駅伝競技が多い理由、由縁なのであろう。
ちなみにこの駅伝の総区間距離はなんと508Kmになるそうで、三年後にかの有名な「箱根駅伝」に引き継がれることになったそうである。