後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、午前は武蔵野日赤病院、午後は京王フローラル・ガーデン」

2020年01月20日 | 写真
今日は快晴で暖かな一日でした。
朝に「日韓友好促進のために日本人は朝鮮文化を深く理解しよう!」という記事を書きました。
午前9時出発して武蔵野日赤病院へ行きました。家内が聞きにくくなったというので精密検査を受けて来ました。お医者さんが薬を2種1か月分くれてまた来て下さいと言います。お医者さんの雰囲気が深刻でないので安心しました。これも老化現象のようです。
午後は久しぶりに京王フローラル・ガーデンに行きました。パンジー、ガーデンシクラメンの他水仙2種、ローズマリー、ヒイラギナンテンなどが咲いていました。
花々の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









日韓友好促進のために日本人は朝鮮文化を深く理解しよう!

2020年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
世界にはいろいろな民族が住んでいます。宗教もいろいろです。しかし全ての民族の文化には優劣は絶対にありません。それぞれの文化には特徴はあります。しかし西洋文化が東洋文化より優れているということもありません。
従って中国の文化も朝鮮の文化も日本の文化にも優劣なんてある筈がありません。
中国も朝鮮も日本もお互いに相手の民族文化を尊敬し友好を促進することは絶対的な善です。
そして日韓友好促進のために日本人は朝鮮文化を正しく深く理解すべきと思います。

今日は朝鮮の歴史と文化を簡単に書いてみます。朝鮮とは現在の韓国と北朝鮮のことです。
我々日本人が学校で習う朝鮮の歴史はおもに3件の出来事です。大和朝廷と高句麗、新羅、百済との交流と、豊臣秀吉の李朝時代の出兵と、1912年の朝鮮併合のことです。すべて政治的な事件です。
しかし朝鮮に花咲いた文化については教えません。
ですから日本の学校では朝鮮に古代からあった郷歌のことや百済、新羅、高句麗の三国時代の『三国史記』や『三国遺事』のことは一切教えません。
日本に古事記や日本書紀、万葉集があったように朝鮮にも同じような文学作品や歴史書があったのです。
これを知れば日本人は韓国と北朝鮮に親近感を感じるはずです。これこそ友好関係を築く第一歩です。
さて朝鮮文化を知る第一歩として、韓国の世界遺産を見ることから始めてみましょう。
そしてその次に韓国の古典文学を概観してみます。萬葉集や源氏物語に相当するような文学作品をご紹介します。そして最後に韓国人なら誰でも知っている「春香伝」、「沈清伝」、「薔花紅蓮伝」などの小説のあらすじご紹介します。

さて韓国の世界遺産です。以下にその一覧を示します。
世界文化遺産:
石窟庵と仏国寺 - (1995年認定)
海印寺大蔵経板殿- (1995年認定)
宗廟 - (1995年)
昌徳宮 - (1997年)
華城 - (1997年)
慶州歴史地域 - (2000年)
高敞、和順、江華の支石墓群 - (2000年)
朝鮮王陵 - (2009年) 
大韓民国の歴史的村落:河回と良洞 - (2010年)
南漢山城 - (2014年)
世界自然遺産:
済州の火山島と溶岩洞窟- (2007年)

以上の世界遺産の中で朝鮮王陵を見てみると李朝朝鮮の歴史が一挙に分かります。
朝鮮王陵は、韓国と北朝鮮にある李朝の朝鮮王朝時代の歴代王族の王陵です。朝鮮王陵は、1408年から1966年のおよそ5世紀にわたって造られたのです。2009年6月27日に朝鮮王陵40基がユネスコにより世界遺産として登録されています。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%E9%99%B5 より)

1番目の写真は世界遺産の李氏朝鮮第4代国王・世宗の墓の写真です。

2番目の写真は世界遺産の昌徳宮の全体の写真です。このソウルにある昌徳宮の概略を説明すると以下のようになります。
朝鮮王朝の開祖李成桂は1392年に開城で王に即位、その2年後の1394年に漢陽(漢城、現在のソウル)への遷都を決定します。
無学大師の風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれ、李成桂が開城で政務を執っている間から王宮の建設が始まったのです。鄭道伝によって「景福宮」と命名され、1395年から李氏朝鮮の正宮として使用されたのです。1397年には漢陽の城郭と四大城門が完成しました。
1592年の文禄の役において、国王の宣祖が漢城から逃亡して治安が乱れると、先陣争いをする小西行長らの一番隊や加藤清正らの二番隊の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり再び焼失したのです。

3番目の写真は世界遺産の昌徳宮の大門の前の風景です。1397年に漢陽の城郭と四大城門が作られのですが、その大門を復元したのです。

4番目の写真は韓国の世界遺産の南漢山城の写真です。

5番目の写真は世界遺産の「大韓民国の歴史的村落:河回と良洞」の風景写真です。郷愁を感じるような農村風景です。

さて次に朝鮮の古典について概観してみましょう。
その為にいろいろ調べましたら次の研究論文が明快な概説だと感心しましたので、その概要を示します。
「文学からの接近:古典文学史:―― 時代区分とジャンルを中心に」、山田 恭子著http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nomahideki/edu_04_004_yamada_se4l.pdf
この研究論文ではまず韓国古典文学史を考える上で重要な時代区分やジャンルについて言及し,韓国古典文学の全体像を把握することを目的としています。
そして時代区分を以下のように6つの時代に別けています。
碑文学,漢文学,国文文学(ハングル文字)の関係から,古代前期、後期,中世前期、後期,近世,近代の6 期に分けて考察しています。

碑文学は5世紀になって漢字や漢文学が入ってくるまでの口承文学です。この口承文学は後に「帝釈本解」へと発展します。
そして古代後期とは,建国神話の出現,漢字伝来と漢文学の成立,郷歌の形成に至るまでの時代をさすそうです。
郷歌とは,新羅の三国統一期である6 世紀頃から高麗中期である13 世紀まで存在した文学形式を意味します。しかし広義の郷歌とは紀元前からあった形式で中国漢詩に対する当時の朝鮮の歌謡を広くさす呼称でした。
そして百済、新羅、高句麗の三国時代には.『三国史記』や『三国遺事』が書かれたのです。
それはさておき、中世文学の時代は、漢文学の時代です。科挙制度の前身ともいえる新羅の読書出身科が788 年に,本格的な科挙試験は958 年に実施されたことも漢文学の隆盛とつながったのです。しかし漢文学は訓民正音を用いた国文文学とも共存しました。
最初は漢字を利用した吏読 を通じて,次には朝鮮語を直接表記できる訓民正音とも併用されたのです。

私が想像しているのはこの訓民正音は日本の万葉仮名に相当するものと思います。
中世前期は郷歌と漢文学,特に漢詩が盛行したのです。
そして1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が、「訓民正音」を正式に公布し、公文書にも使用するようになったのです。それが現在のハングルです。
朝鮮では日本と同様に教養のある人は現在でも漢字の読み書きが出来るのです。
末尾に「春香伝」の粗筋を示しましたのでお楽しみ下さい。
以上のように朝鮮の文学は日本と同様にいろいろな分野があり、内容も豊かなのです。
これを知れば日本人は韓国と北朝鮮に親近感を感じるはずです。これが友好関係を築く第一歩です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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(1)春香伝とは、
春香伝は李氏朝鮮時代の説話で、妓生の娘と両班の息子の身分を越えた恋愛を描いた物語です。
18世紀頃、民族音楽的語り物であるパンソリ、すなはち「春香歌」の演目「春香歌」として広まるとともに、小説化も行われました。韓国では現在も人気のある作品であり、映画化も何度か行われています。
あらすじは次のようなものです。
南原府使の息子・李夢龍と、妓生(キーセン)である月梅の娘・成春香は、広寒楼で出会い、愛を育みます。しかし、父の任期が終わり、夢龍は都に帰ることになります。夢龍と春香は再会を誓い合って別れます。新たに赴任した卞府使は、春香の美貌を聞きつけて我が物としようとすますが、春香は夢龍への貞節を守って従いません。激怒した卞府使は春香を拷問し投獄します。都に帰った夢龍は科挙に合格して官吏となり、南原に潜入します。夢龍は卞府使の悪事を暴いて彼を罰し、春香を救出し、二人は末永く幸せに暮らしたという話です。
韓国人なら誰でも知っている話です。
「沈清伝」や「薔花紅蓮伝」なども検索すると内容が出て来ます。
「沈清伝」;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E6%B8%85%E4%BC%9D
「薔花紅蓮伝」;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%8A%B1%E7%B4%85%E8%93%AE%E4%BC%9D

(2)「帝釈本解」の内容、
裕福な家に1 人の娘がいて,大切に扱われていた。ある日両親は娘を置いて出かけなければならない用事ができ,娘は一人家で留守番をしていた.
そのとき道僧が尋ねてきて布施米を請うた.娘は米を袋に入れるが,穴が開いていてなかなか米がたまらなかった.こうしているうちに夜遅くなり,僧は娘の家に一晩泊まることになった。道僧が帰った後,娘がはらんだことを知った両親は激怒し、娘を家から追放する。
娘は僧を訪ねて行き,そのまま住みつき3 人の息子を生んだ。道僧はそれが自分の息子であることを確認するために試練を課し、父子関係を認めた。
このような内容は,超現実的方法によって父母の承諾もなしに妊娠し追い出される点や,息子と父親との出会いと親子関係の確認が行われる点で,李圭報(1169-1241)の『東国李相国集』などに共通しています。

(3)この欄に掲載された朝鮮の歴史と文化に関する記事の一覧、
2014年11月4日から6回にわたって以下のような連載記事を掲載してきました。
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(6)完結編:豊かな朝鮮文化(2014年11月15日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(5)革命的な磁器焼成と李朝の白磁(11月11日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(4)日本人に感動を与えた朝鮮の少女」(11月9日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(3)朝鮮の古典文学(11月7日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(2)朝鮮の歴史の概略(11月5日掲載)
「あなたの隣人を愛せますか?・・・朝鮮文化を少し知ろう」(1)韓国の世界遺産」(11月4日掲載)

美しい日本のカトリック教会の中と外の写真

2020年01月19日 | 写真
日本には約75000のお寺があるそうです。神社の数はもっと多いのです。ですから日本人ならお寺や神社はよく知っています。
しかしカトリック教会の中に入った人は非常に少ないと思います。
そこで今日は美しい日本のカトリック教会の中と外の写真をお送りしようと思います。

1番目の写真は函館のカトリック元町教会です。カトリック教会が造られたのです。フランス人神父によって造られました。創建以後、3度の火事に遭います。現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。
この教会の内部の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。

2番目の写真はカトリック碑文谷教会で、東京都目黒区碑文谷にある東京教区の教会です。
「江戸のサンタ・マリア聖堂」として1954年にサレジオ会によって建立され、その後運営を東京大司教区が受託しました。別の名前のサレジオ教会としても親しまれています。
36m余の鐘塔を備えたロマネスク様式の大聖堂で、1708年に来日し、小石川切支丹屋敷にて死去した宣教師ジョヴァンニ・シドッティを偲ぶカルロ・ドルチのマリア像「悲しみの聖母」(江戸のサンタ・マリア)の模写が内部に掲げられています。聖画は日本の国宝で、本物は国立博物館に所蔵されています。鐘はミラノの信者から寄付されたもので、美しい音色を奏でています。

3番目の写真は京都府の日本海側の宮津市にるカトリック宮津教会で明治29年に建てられました。
国宝の大浦天主堂は明治12年に建てられたので、それに次いで日本で2番目に古い教会になります。
そして現役の木造教会としては日本一古い教会なのです。
ステンドグラスの美しい畳敷きの教会です。信者は入り口で靴を脱いで畳の上を静かに歩きます。
畳敷きの教会も良いものです。少し寛いで自然な気持ちで祈ることが出来のです。

4番目の写真は佐世保市の中心部にあるカトリック三浦町教会の外にあるマリア様とルルドの泉です。

5番目の写真は佐世保市のカトリック三浦町教会です。この教会は明治30年(1897)にコンパス司教により小教区として設立されました。その後、脇田浅五郎神父の尽力により、現在の教会が建立され、昭和6年(1931)10月1日早坂司教によって祝別された教会です。
戦時中は空襲を避けるためにコールタールを塗られ、 黒い教会となりました。 そして佐世保大空襲の時にも全く被害を受けず、 現在も建築当初の美しい姿を保っています。
ファサードのアーチ前には主が手を広げています。内部全体が白く、すべてのアーチは尖頭形で柱頭を有する円柱で、やや大きめな柱頭には入念な装飾が施されています。また天井はお決まりのリブ・ヴォールド天井になっています。

以上では函館のカトリック元町教会、東京のカトリック碑文谷教会、京都府のカトリック宮津教会、佐世保市のカトリック三浦町教会の4つの教会だけをご紹介しましたが、全国の都道府県には必ず美しいカトリック教会があります。
全てのカトリック教会は昼間なら扉に鍵をかけていません。誰でも出入り自由なのです。
是非近くのカトリック教会をお気軽に見物なさってください。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

内田洋子著 「旅する本屋の物語」 の書評

2020年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
この本の題は「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語 」と長いので表題では簡略にしてあります。内田洋子さんが書いて 方丈社が2018年に出版した本です。
内容はベネチアの古本屋の話と、本の行商をして生計をたてていた山深いモンテレッジォ 村の訪問記です。
一種のドキュメント風の物語です。
ベネチアの路地裏で見つけた古本屋に心が奪われ何度か通うことになります。その店主によるとイタリア北部トスカーナ州の山奥の小さな村では古本の行商をしていたのです。
山奥の村人が本の行商で暮らしていたとは日本に無い珍しいことです。
この謎めいた暮らしかたに興味を持った内田洋子さんがこの山奥の村を訪ねます。それはミステリー小説のような不思議な物語です。
この村の名前はモンテレッジォ。ミラノから険しい山道を車で上って3時間、村民32人、うち4人は90歳代の限界集落だったのです。
この本を読んで私は次の3つのことで非常に面白く感じました。

(1)イギリス、フランス、ドイツには稀な強烈な地域文化がイタリアにあること。
この本にあるベネチアの古本屋はベネチアの歴史、政治経済、芸術、そしてベネチアを舞台にした随筆や小説を細大漏らさず収集し店内にうずたかく積んであるのです。そして店主のアルベルトが全ての本の内容に精通していて、お客の質問や相談ににこやかに答えてくれるのです。それはまさしくベネチアの文化センターなのです。
これで思い出しますのが、須賀敦子さんの「コルシア書店の仲間たち」という本です。ミラノの本屋の物語です。こちらは思想家で本の好きな人々の倶楽部のようになっています。一風変わった人々の暮らしの哀歓を描いた一種のドキュメント風の物語です。
ベネチアやミラノの本屋は日本と非常に違い面白いのです。

(2)山奥の村人が本の行商で暮らしていたという歴史は日本には無い。
険しい山々なので畑も作れない。牧畜も出来ない。主食は数百年、周囲の山々に根気良く植えてきた栗の粉をマカロニやスパゲテにしたものだけです。金持ちしか小麦粉を食べられません。
生きるためにはこの土地特産の栗や石を籠に入れて売りに行き、本を出版社から仕入れて行商する他なかったのです。行商でも本が貴重だった昔は高く売れて生活が出来たのです。
日本には魚の行商や野菜の行商はありますが本の行商はありません。
モンテレッジォ 村の本の行商をしていた人々がミラノやベネチアに出て来て古本屋を開業しているのです。
彼等はモンテレッジォ 村に強い郷愁をもって村の建物の維持管理に努力しているのです。その様子が私の心を打つのです。

(3)著者の内田洋子さんの文章が分かり易く、そして美しいのです。
古い本に対する愛着がほのぼのとして読む人の心を温かくします。昔の村への郷愁がせつない想いをかき立てます。
そして内田洋子さんの挿絵のような写真と文章には一種独特な雰囲気があるのです。それがこの本の魅力になっているのです。

さてモンテレッジォ 村の写真とこの本や主食の栗の写真をお送りします。出典は、http://hojosha.co.jp/free/another_montereggio です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)










「今日の日記、車を車検に出し、家で桜草の写真を見て時を過ごす」

2020年01月17日 | 日記
今日は朝に「トランプ大統領の人間性と全世界に駐留する米軍の脅威」という記事を書きました。
今日は車検の日です。日産の店の人が車をとりに来てくれました。車検をして夜に届けてくれるそうです。
一日車が無いので家に閉じこもります。
午後は退屈なので2年前に撮った西洋サクラソウの写真を見て楽しみました。
隣町の東久留米市のサクラソウの花を育成している石塚園芸店で撮った写真です。
10年ほど以前からご主人の石塚健壽さんと仲良しになったのです。
毎年冬になると広い温室の中にサクラソウの花を一杯咲かせています。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。1番目の写真の水色の花は石塚さんが開発した新種の「湖畔の夢」です。









トランプ大統領の人間性と全世界に駐留する米軍の脅威

2020年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム
いろいろな統計がありますがアメリカ軍の兵員は208万人と報じられています。
そしてアメリカ軍の陸海空の通常戦力と核戦力は世界のどの国をも圧倒していることは明白です。
その世界一の軍隊の総指揮権はトランプ大統領にあるのです。
トランプ大統領はかつて北朝鮮沖に空母打撃群を派遣し威喝しました。結果的に北朝鮮は核兵器廃絶の方針を発表し長距離ミサイルの実験を中止しました。
最近では中東で武装勢力の拠点を爆撃しました。そしてイラクで米軍攻撃活動中のイランの有名な司令官を殺戮しました。
トランプ大統領は軍事力を実際に使うのです。
これに比べて人間性の良かったオバマ前大統領は軍事力の使用を最小限にしようとしていました。
アメリカの軍事力の脅威は総指揮官の大統領の考え方や人間性によって左右されます。好戦的な性格の大統領の場合はアメリカの軍事力の脅威が増大するのです。
この危険な傾向はアメリカの同盟国の日本に住んでいると分かりません。しかしアメリカに対して軍事的に対抗している中東の国々やタリバンや武装勢力にとっては文字どうりアメリカの軍事力は目前の脅威なのです。

そこで今日はアメリカ軍の巨大な実力と世界各地に展開し駐留している様子を見てみたいと思います。
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ軍からの抜粋です。
アメリカ軍は陸海空軍・宇宙軍及びアメリカ海兵隊の常備軍ほか、アメリカ沿岸警備隊を含めた6軍からなっています。
このアメリカ軍の特徴として 次のことがあります。
(1)陸海空の通常戦力、核戦力双方において他国を圧倒している。
(2)実戦経験が豊富である。
(3)全世界に拠点を持ち短時間で展開可能である。
(4)宇宙空間やサイバー空間においても優越している。
(5)国内に石油や鉄鋼資源が存在することから継戦能力も高い。
(6)ボーイング、ロッキード・マーティン、レイセオンなど世界の軍需産業の中核となる大手企業が集まっているため、世界最高水 準の装備品を国内で開発・調達可能である。

これらの能力は他のいかなる時代のいかなる国家においても保持したことがなく、人類史上最強の軍隊と評されています。
「世界の軍事力ランキング トップ25[2018年版]」によると以下の通りです。
人口 : 3億2662万5791
兵員 : 208万3100
航空戦力 : 1万3362
戦闘機 : 1962
戦車 : 5884
主要艦艇 : 415(空母20隻)
軍事予算 : 6470億ドル
そしてアメリカ軍は次のように全世界に展開し作戦出来るようになっています。
管轄地域別の一覧です。
アメリカ北方軍(USNORTHCOM)- 北米担当
アメリカ中央軍(USCENTCOM)- 中東担当
アメリカアフリカ軍(USAFRICOM)- アフリカ担当
アメリカ欧州軍(USEUCOM)- 欧州担当
アメリカインド太平洋軍(USPACOM)- アジア・太平洋地域担当
アメリカ南方軍(USSOUTHCOM)- 中南米担当
以上の管轄地域別の一覧に従って駐留国も全世界に分布しています。
アメリカは米ソ冷戦における安全保障政策を受けて、150ヶ国以上の多くの国家に駐留していました。
そして約60ヶ国に大規模基地を置いて現在も軍部隊を駐留させているのです。
アメリカ軍が常時駐留している国家は以下の通りです(2019年9月30日現在)。

日本〔55,245人〕、 韓国〔26,525人〕、ドイツ〔35,275人〕、 イタリア〔12,902人〕(ガエータに海軍第6艦隊が駐留する)。
そして中東の諸国は次の通りになっています。
アメリカ中央軍(USCENTCOM)
アフガニスタン〔非公開〕
アフガン攻撃から継続。最盛期は約2万人。
クウェート〔1,798人〕
イラク〔非公開〕
イラク戦争により駐留。最盛期には15万人以上が配置されたが、終戦により大半が撤収した。
バーレーン〔4,202人〕 、海軍の第5艦隊が駐留。
カタール〔545人〕、中央軍の現地司令部が置かれている。
ヨルダン〔95人〕
アラブ首長国連邦〔352人〕
エジプト〔276人〕
サウジアラビア〔314人〕 、湾岸戦争前後は数十万まで増加したが、現在、主要部隊は周辺湾岸国へ移転。
シリア〔非公開〕
パキスタン〔27人〕
オマーン〔14人〕:マシーラ空軍基地、スムライト空軍基地に駐留、海兵隊
イスラエル〔69人〕

以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ軍 からの抜粋ですが、その全部を見るとアメリカ軍の強大さに圧倒されます。
アメリカ軍は全世界を占領しているようなものです。
この趨勢は日本、ドイツ、イタリアなどが第二次世界大戦で敗北したことと、1991年にソ連が解体した歴史が作ったのです。
現在でもアメリカ軍の駐留が多いのは第二次世界大戦で敗北した日本、ドイツ、イタリアなのです。
日本には敗戦後ずうっとアメリカ軍の駐留が続いていたのでアメリカ軍の存在は空気なように意識しません。
このアメリカの覇権に挑んでいるのが中国です。今後、世界はどのようになるのでしょうか?
中国の動きを注意深く見守っていかねばなりません。

今日の挿し絵はアメリカ軍の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、市役所へ行って、スーパーに買物に行く」

2020年01月16日 | 日記
介護保険のお世話になるとは思いませんでした。それが「脊髄小脳変性症」という難病になり5年ほど前から「要支援1」の支援を受けています。今日は午前中にこの介護保険関連の書類を貰いに市役所の自立生活支援課に行きました。
「脊髄小脳変性症」は治療法の無い老人病です。ゆっくりですが次第に歩くことが困難になる病気です。
車は以前どうり運転出来るのであちこちへ写真を撮りに行ってこの欄に掲載しています。そんなことをしながら毎日楽しく過ごしています。
午後はスーパーに花を買いに行きました。明日はお世話になった近所の方の命日です。帰宅後、家内が届けました。
スーパーからの帰り道に、家内と奥多摩の「鳩ノ巣」の思い出を話し合いました。
いまから丁度60年前の1960年の夏に初めてのデートで訪れた曽遊の地です。
昔のデートが懐かしく、奥多摩に行くたびに奥多摩線の「鳩ノ巣駅」の写真を撮りにいきます。
3日前も写真を撮って来たのでお送りいたします。こうして老境の一日が何事も無く流れ行きます。





「ゴーンさんの人間性と資本主義の残酷さ」

2020年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は二つのことを考えたいと思います。
(1)ゴーンさんの人間性が悪いとしても人権は守るべきという考え方。
(2)ゴーンさんのルノーと日産での多量の首切りの功罪。
ゴーンさんは大量の首切りをして不幸な人々を作りましたが、これは資本主義に従って行ったことです。この資本主義の残酷性を理解し民主主義の裏にある競争原理の功罪を考えてみます。

私はゴーンさんが起こした騒動には人間として考えなければいけない重大なことが幾つか含まれていると思います。
上記の(1)に関連してNishikawa Kohki さんのご意見を紹介します。
同じく(2)に関連してMotoko Boutdumondeさんのコメントをご紹介したいと思います。

(1)悪い罪人でも良い人でも基本的人権は平等に守るべきこと。
ブダベスト在住の日本人、Nishikawa Kohki さんのご意見です。(https://www.facebook.com/profile.php?id=100009535370188 )

ゴーン問題はもう飽きたという人を、私はとても残念に思う。なぜなら、それは、日本の今後の基本的人権の存立に関わる事だからだ。
いま日本で沸き起こっているゴーン叩きは、基本的に、関東大震災の時の朝鮮人大虐殺と同じ心性によるものとしか私には思われない。相手が金持ちか、貧しい朝鮮人かで、人権を認めるか認めないかをコロコロ変える人々を、私は全く信用しない。
やっかみ、嫉妬に基づく他者への罵倒ほど、人間のもつ様々な性質の中で醜いものはない。
ヒトラーがかつて、「ドイツ人の貧しさは、ユダヤ人が社会の重要なポストを占めて、ドイツ民衆から富を奪い続けているからだ」と煽り唆し、「ユダヤ人など皆叩き殺してしまえば良いのだ」と民衆を動員したのと本質的に変わらない。狡猾な金持ちは皆打ち殺してしまえとは、国家社会主義たるナチスのキャッフレーズの一つだった。
他人の人生を左右する、裁判上の有罪無罪の判断を、人の伝聞や感情的予断で決めつけ、さらに吹聴して罵り、溜飲を下げるというような振る舞いほど恐ろしいものはない。
ほとんどの人が、有価証券報告書に虚偽記載されたという50億円について、ゴーン氏が1円も受け取っていないという基本的事実を知らない。
近年は、痴漢の冤罪逮捕などについては、かなり一般の人も気にするようになったと思われるが、相手がゴーンのような富裕な経営者だと、叩き落として皆で唾を吐きかけることに一切疑いを持たず、そこにカタルシス(快感)を見出して、興奮しているようだ。
一時はあれだけゴーンさんを称賛拍手しておいて、急に罵詈雑言を浴びせるのは異常な光景だ。今の日本社会にストレスと貧困が充満して、余裕がなくなっているのだろうか。・・・

以上のNishikawa Kohki さんのご意見には過激な言葉もありますが、主張していることは基本的人権は金持ちでも貧しい人でも等しく尊重すべきであるという事です。罪を犯して牢獄に入っている人の基本的人権も尊重すべきという主張にもつながっています。
これは神の前では人々はみな平等だというキリスト教の教えにも関連があります。

(2)資本主義の残酷性が生んだ悲劇の具体例です。
上記のNishikawa Kohkiさんの意見に対してフランス在住のMotoko Boutdumonde さんがコメントを投稿してくれました。
尚、Motoko Boutdumonde さんは何時も私の記事へ客観的で公平なコメントを下さる日本人です。尊敬している方からのコメントなので深く考え「資本主義の残酷性」に想いが行きました。

Motoko Boutdumonde さんのコメントです。
・・・Nishikawa Kohkiさんの意見は的を得ていると思います。
しかし、日本やフランスなどでカルロス・ゴーンを非難する人たちにも一理あると考えます。彼の性格は今に始まったことではなく、ルノーの会長になる前からそれを問題視する人たちもいました。ルノーの会長になるとすぐにベルギーの工場を閉め、多くの失業者たちを出しました。ルノーのテクノセンターや工場ではプレッシャーに耐えかねて自殺者が数人出て、労働条件の厳しさも指摘されていました。
ゴーンのワンマンぶりに泣かされた人たちも多かったようです。実際にテクノセンターでは、カルロス・ゴーンの就任以来空気がピリピリしていたのを部外者の私でさえ感じられました。ですから今感情的な意見が出ても当然でしょう。
それにいくら日本の司法システムが欧米のそれとは違っているとはいえ、逃亡を企てるということは論外だったと思います。
そうでなければ正直に日本にとどまったグレゴリー・ケリーは馬鹿だったと言われるでしょう。
もちろんゴーンへの批判は嫉妬もあるでしょう。しかし真面目に働いていても生活が大変な多くのフランス市民、そしてまたかなり前から苦しい生活を強いられているレバノンの国民たちがゴーンの「金の力」を借りての逃亡というのを苦々しく思っていることも当然のことのように見えます。・・・

このコメントはフランスでのゴーンさんへ対する評価でしょう。一方ゴーンさんは日産の村山工場を閉鎖して2万人の従業員を露頭に迷わせたのです。
しかし現在の資本主義では大量首切りは合法的なのです。倒産しそうな大企業では多量の首切りをして残りの従業員を救うことは許されのです。これが資本主義の自由競争の原理です。資本主義の残酷性です。首切りをされた従業員の不幸にもかかわらずそれを実行したゴーンさんは多額の報酬を受けていたのです。
此の世の悲しい現実です。資本主義は共産主義より良いと言いますが考えさせられます。

今日の挿し絵代わりの写真は自分で撮った梅の花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





「今年も梅の花が咲く季節になりました」

2020年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は歳を取れば取るほど季節の流れが速くなるのでしょうか?
クリスマスとお正月が過ぎたと思ったらもうすぐ節分と雛祭がやって来ます。そして復活祭が来ます。
初春にはまずロウバイ、梅が咲きます。そして梅に続いてコブシ、ハクモクレン、ユキヤナギ、モモ、サクラ、レンギョウなどが一斉に咲きます。春は美しい花々が次々に咲き出します。
年々花は同じように咲きますが、人は過ぎ去って行き同じではありません。私の友人たちも一人去り一人旅立って行きました。
春は花々の華やかさのなか一抹の淋しさを感じる季節です。
それはそれとして今年は梅が咲き出すのが遅いようです。小金井公園の梅園もやっと一輪、二輪咲き出したばかりです。梅の園の隣にロウバイもようやく咲き出した状態です。ここ小金井の梅の開花も例年より10日ばかり遅れるようです。
そこで過去に撮り貯めた梅とロウバイの花の写真から5枚の写真を選んでお送りいたします。









多数の梅の写真を眺めていたら、昔行った水戸の偕楽園の梅林の風景を思い出していました。
いろいろな梅林のなかで偕楽園の梅林ほど印象深い所はありません。南向きの梅林が満開になっていて良い香りが濃厚に漂っています。
その上、何と言っても枝の剪定が非常に上手なのです。
梅は黒い太い枝に咲きますが、剪定が上手だと黒い武骨な枝々が梅の花の陰になって見えないのです。好文亭に上がって見下ろすと紅白の花だけが春風に漂っているように見えるのです。それぞれの梅の木の姿が優しい丸みをおびた形に仕上がっているのです。
梅林の斜面を南に下りた先には白鳥の泳いでいる千波湖が春の陽に輝いているのです。
流石、水戸徳川家が長年愛した梅林だけのことはあります。
そんな思い出を楽しみながら全国の梅の名所を調べてみました。
各地に沢山あるのです。皆様のお住まいの近所にも必ずやあると存じます。
以下に全国の梅の名所をお送りいたします。
(1)梅の名所;
「日本全国 梅の名所や撮影スポット盆梅展・梅まつり 2018年 梅図鑑 ウメの専門サイト 」(http://www.87spot.com/link/hsp@ume.htm )より抜粋します。

北海道・東北地方 - 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県
平岡公園 壮瞥公園 三笠あすか梅の杜 津軽フラワーセンター 大沢の臥竜梅  盛岡城跡公園 
国営みちのく杜の湖畔公園 瑞巌寺臥龍梅 堤梅団地 浜田森林総合公園 真室川梅まつり 
湯田川温泉梅林公園 専称寺 西田町梅の里 花見山公園 

関東地方 - 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県
偕楽園 弘道館 筑波山梅林 越生梅林 大宮第二公園 ふかや緑の王国 清水公園 成田山公園 
亀戸天神社 京王百草園 小石川後楽園 小金井公園 せたがや梅まつり 神代植物公園 高尾梅郷 
府中市郷土の森博物館 向島百花園 谷保天満宮 湯島天神  
小田原・曽我別所梅まつり こどもの国 三溪園 保土ケ谷公園 湯河原温泉・梅の宴 

北陸信甲越地方 - 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県
田上町梅林公園 梅護寺 豪農の館 高岡古城公園 兼六園 西田梅林 
浅間神社 敷島総合公園梅の里 不老園 放光寺 信州伊那梅苑 

東海地方 - 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県
梅林公園・ぎふ梅まつり 熱海梅園 伊豆四季の花公園 伊豆月ヶ瀬梅林 岩本山公園 おおひと梅まつり 
大高緑地 佐布里池 名城公園フラワープラザ いなべ市農業公園 かざはやの里

関西 近畿地方 - 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県
長浜盆梅展 坂本盆梅展 大阪天満宮 道明寺天満宮 郡山盆梅展 万博公園 
綾部山梅林 世界の梅公園 岩代大梅林 紀州石神・田辺梅林 月ヶ瀬梅林 南部梅林

中国地方 - 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県
樗谿公園梅鯉庵 尾高城跡梅園 河原城 野花梅渓 石見銀山 三隅梅林公園 
RSKバラ園 岡山市後楽園 神崎梅園 半田山植物園 梅の里公園 
梅の里 縮景園 ちゅーピーパーク 満汐梅林 
古熊神社 吉香公園 ときわ公園 東行庵 妙青寺梅園 冠山総合公園梅の里(冠梅園)  余田臥龍梅

四国地方 - 徳島県 香川県 愛媛県 高知県
明谷梅林 観梅苑 阿川梅の里梅林 美郷の梅 滝宮天満宮 梅津寺公園 松山城  綱敷天満神社 
七折梅園 南楽園 市民の森梅林園 松軒山公園 高知城 白木谷梅林 土佐山嫁石の梅 

九州地方 - 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県
舞鶴公園 小富士梅林 普光寺臥龍梅 嘉麻市梅林公園 白木谷梅林  石橋文化センター 
太宰府天満宮の飛梅 谷川梅林  高伝寺 みゆき梅林園 牛尾梅林 御船が丘梅林 
梅園身代わり天満宮 松森神社 島原城 熊本城飯田丸梅園 谷尾崎梅林公園 人吉梅まつり 
中尾山自然公園 吉野梅園 日田おおやま梅まつり 愛の園朝倉文夫記念公園  月知梅 かいごん塔 
湯之宮座論梅 本東寺慧日梅  仙巌園 藤川天神の臥龍梅

(2)全国の梅の名所一覧は、https://www.navitime.co.jp/category/0702002/ にあります。

(3)梅の名所ランキングは、https://www.enjoytokyo.jp/feature/flower/ume/ に出ています。
(4)全国梅の名所は、https://www.navitime.co.jp/category/0702002/ にも掲載されています。

皆様のお住まいの土地の梅は咲いたでしょうか?
日本は南北に長い列島なので、もう散った所もあるでしょう。現在満開の所もあります。そして深い雪に埋まって梅の花どころではない地方もあります。そして北海道では5月に梅も桃も桜も一緒に満開になるそうです。春が待ち遠しいですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「寒々とした多摩川上流の写真をお送りします」

2020年01月14日 | 写真
冬の奥多摩は都心より随分と寒いのです。そこを流れ下る多摩川は寒々とした厳しい風景になります。
そんな冬らしい風景も良いものです。
東京にも例年1月下旬から3月にかけて雪が降り一面の銀世界になります。
昨日撮って来た写真をお送りします。





「奥多摩の酒蔵と地酒のロマンとその物語」

2020年01月13日 | 日記
昔はお酒は貴重で毎日晩酌をする人は少なかったのです。冠婚葬祭のような特別な機会に人々が集まって楽しく飲むものでした。
そして現在のように全国に流通しているお酒はまれで、地元の小さな酒蔵が手塩にかけて醸造していました。
このように全国に流通していないで地元だけで飲まれている日本酒を現在は地酒と呼びます。
「地酒」にはその地方の独特な文化や歴史がつまっています。地酒の蔵元は地方の文化の担い手でした。そんな地酒の蔵元が東京にもあります。郊外の多摩地方にもあります。

昨日は晴天でしたので奥多摩の元禄15年創業の小澤酒造の写真を撮りに行きました。
今日はこの小澤酒造の写真をご紹介し、あわせて小さい酒蔵の中村酒造、田村酒造、そしておまけに山梨県の「山梨銘醸」の写真をご紹介したいと思います。
全て自分で撮った写真です。何故か私は地酒というものにロマンを感じ何度も写真を撮りに行ったのです。

1番目の写真は小さな小澤酒造の醸造工場の入り口の門です。東京以外にお住みの皆様は「澤乃井」という地酒の名前はご存知ないと思います。「澤乃井」は「沢井村」で出来た酒なのでそう命名したものです。旧沢井村は青梅市の奥の奥多摩街道を登った所にあります。

2番目の写真は多摩川上流にある小澤酒造の母屋です。母屋は茅葺の江戸時代の家です。現在でも家族が住んでいます。

3番目の写真は秋川の幻の地酒、千代鶴の中村酒造の写真です。
小さな酒蔵ですが大きな杉玉があり資料館も公開しています。車を酒蔵の内庭に入れると駐車場があります。

4番目の写真は多摩川上流のほとりにの羽村にある文政5年創業の田村酒造です。この酒蔵は多摩川の伏流水を用いて「嘉泉」という地酒を作っています。
「嘉泉」という地酒が出来た歴史です。
・・・代々、福生村の名主だった田村家の「半十郎(豊真)」から数えて九代目の「勘次郎(賢真)」は28歳で名主役を継ぎ、文政5年(1822年)の46歳の時に酒造業を興しました。
当時の江戸は華やかな文化文政期を迎え、急速に発展していきました。酒の需要も増え、主流だった上方(関西)で生産する“下り酒”に代わるものとして幕府は“江戸地廻り酒”の生産を奨励しました。
田村家は敷地内の井戸に、酒造りに好適な中硬水の秩父奥多摩伏流水を得た喜びから“嘉泉“と酒銘を定めました。・・・

5番目の写真はおまけです。甲州街道の台ケ原宿に江戸時代から続く小さな酒蔵の山梨銘醸株式会社です。七賢という地酒を作っています。台ケ原には現在も旧甲州街道にそって江戸時代の宿場を偲ばせる家々が並んでいます。
江戸時代に初代蔵元 中屋伊兵衛が、信州高遠で代々酒造業を営んでいた北原家より分家して作った酒蔵です。白州の水の良さに惚れ込んで、甲州街道台ヶ原の地で酒造業を始めたそうです。

私は地酒を大切にしています。
全国に流通している松竹梅や剣菱や高清水や八海山などは洗練された美味しさがありますが、地酒には独特な味があって魅力があります。時には野生の風味が強すぎて困ることもありますが、それがまた魅力なのです。酒談義をしていると長くなるのでこの辺で終わりにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山壮人)

「どんな趣味でも人生を豊かにする!趣味を持とう!」

2020年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の生計を支える為に多くの人は一生働きます。私も働きました。その仕事も楽しく精神も豊かにします。
しかし仕事とは関係の無いいろいろな趣味を持つと人生がより一層楽しくなります。
1月11日に「生涯続けた面白い趣味のはなし、今年も続けます」という記事を出しました。
そして少数民族の暮らし方を調べる趣味をご紹介しました。この趣味では、例えばアイヌや琉球人の歴史や暮らし方を調べます。中国の少数民族のことを調べます。そして日本人の歴史や現在の暮らし方と比較します。これが私にとって生涯、面白くてやめられない趣味なのです。この趣味は家の中で行う趣味です。

そこで今日はアウトドアーの趣味を一つご紹介します。自分で25年間したヨットの趣味です。
3日前に江の島のヨットハーバーで撮った写真をご覧下さい。





このヨットの趣味の面白さは白い帆に一杯風を受け青い海を快走することにあります。エンジンを使わないで風の力だけで走るのですから静かです。聞こえるのは船体が波を切る音とセイルに当たる風の音だけです。その音と船の動きが素晴らしいのです。魂が魅了され自分が風に舞い上がる心地がします。これこそがヨットの醍醐味です。
しかしヨットの趣味の面白さはこれだけではありません。
ヨットを係留して、その中で料理を作り、パーティを楽しむことも出来ます。夜が更ければ小さな寝場所に寝ます。朝は香り高いコーヒーを淹れて海を眺めながら静かなひとときを過ごします。

4番目の写真は私自身が持っていたヨットの炊事用の2口コンロ台の写真です。ヨットが波で揺れても鍋が水平になっているようにコンロ台が吊り下がっています。この装置をジンバルと言います。

5番目の写真は友人たちとヨットの中で小さなパーティをしている様子です。
ヨットのコックピットに出れば星空です。
夜が更けたら小さい寝場所に潜りこみます。つまりヨットは海に浮かんだ別荘でもあるのです。
その生活を快適にするために電動水洗トイレもついています。
このようなヨットの趣味を25年間続けました。家内と一緒に何度も泊まりました。
最後にヨットの楽しさをまとめておきます。
風を受けてセイリングする楽しさ、ジーゼルエンジンで霧の海をゆっくり走る低音のエンジン音の楽しさ、流線形の船体を美しく塗りあげる楽しさ、室内の木製の床や壁にニスを塗る楽しさ、キャビンの中で炊事をしてパーティをする楽しさ、ゆっくり流すように巡航し海鳥や冬鳥を観察する楽しさ。とにかく色々な楽しさがあります。

私は9年前の75歳でヨットの趣味を止めました。25年間ほど続けて来ました。
この楽しい趣味の思い出は今も私の人生を豊かにしてくれます。

趣味を持っていると人生はより一層楽しくなると思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山壮人)

カトリック小金井教会の今日のミサ、新成人の祝福

2020年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム
今日のミサの主題はイエズス様がヨルダン川で洗者、ヨハネから洗礼を受ける場面です。
キリスト教に入信する時、現在でも洗礼を受けるという儀式はこのヨルダン川でのイエズス様の洗礼に習ったものです。
今日のミサには日曜学校の開校式と新成人の祝福が組み込んでありました。残りの部分は何時もの主日のミサと同じです。
今日のカトリック小金井教会のミサの写真をお送りします。

1番目の写真は教会に行ったらお祈りするマリアさまです。何時も美しい花が供えてあります。

2番目の写真はミサに組み入れた新成人5名の祝福の場面です。

3番目の写真は祝福後、こちらを向いて挨拶する新成人の一人です。この子は幼い頃から毎回ミサに来ていました。小さい幼児がこんなに大人になったのです。さぞ親や祖父母は嬉しいに違いありません。

4番目の写真は何時もの場面で神父様が葡萄酒を高く捧げているところです。こうして葡萄酒をイエズス様の血に聖変化させるのです。神が聖変化してくれるのです。

5番目の写真は聖なるパン(聖餅)を信者1人、1人に手渡している場面です。聖なるパンは聖変化によってイエズス様の肉になっているのです。ですから神父様は「イエスの体」と言ってパンをくれます。受け取った信者は「アーメン」と言いすぐに食べます。
これがミサで一番重要な部分です。
今日はミサの間、朝に投稿した「日本への布教活動の基地、マカオの教会の写真」を思い出していました。
ポルトガルの領地だったマカオは日本へのカトリックの布教活動の基地でした。
ザビエル神父もロドリゴ神父もガルペ神父もマカオを出発して日本に来たのです。その布教が今日のカトリック小金井教会のミサにつながっているのです。1549年にザビエル神父が日本へカトリックを伝えてから連綿としてミサが行われてきたのです。日本各地で。不思議ですね。

皆様のご健祥を祈りながらこの記事の終りと致します。

「日本への布教活動の基地、マカオの教会の写真」

2020年01月12日 | 日記
ポルトガルの領地だったマカオは日本へのカトリックの布教活動の基地でした。
ザビエル神父もロドリゴ神父もガルペ神父もマカオを出発して日本に来たのです。
当時のマカオの様子は原作遠藤周作、スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』の初めの方の場面に出てきます。(2017年01月28日 掲載記事)
島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が行方不明の司祭を探しに無謀にも九州へ潜入して来たのです。ロドリゴ神父とガルペ神父です。この2人がマカオの教会を背景にして石段を下りて来る場面が印象深いのです。
かつて尊敬していた司祭のフェレイラ神父は棄教し、幕府側になってキリシタンを捕縛、棄教させる役をしているという噂です。潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は信者にかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。
この映画の話はさておき今日はマカオのカトリック教会の写真をお送りいたします。

1番目の写真は世界遺産聖ポール天主堂跡です。1637年に建てられました。
写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。
3回の火災で建物の前面しか残っていない状態が歴史を考えさせます。 存在感があるのです。

この記事をご覧になっている皆様へ感謝します。どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「ゴーン氏を非難する前に考えるべきこと!」

2020年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
私はゴーン氏は権力を握ってから悪い事を沢山したと思います。罪は法廷で罰すべきです。
しかし感情的な罵詈雑言は見苦しいものです。
それを言っている人は自分で自分の人格を傷つけているのです。
次の一文を是非お読み下さい。

ブダベスト在住の日本人、Nishikawa Kohki さんのご意見です。(https://www.facebook.com/profile.php?id=100009535370188 )

ゴーン問題はもう飽きたという人を、私はとても残念に思う。なぜなら、それは、日本の今後の基本的人権の存立に関わる事だからだ。
いま日本で沸き起こっているゴーン叩きは、基本的に、関東大震災の時の朝鮮人大虐殺と同じ心性によるものとしか私には思われない。相手が金持ちか、貧しい朝鮮人かで、人権を認めるか認めないかをコロコロ変える「リベラル」の人々を、私は全く信用しない。
やっかみ、嫉妬に基づく他者への罵倒ほど、人間のもつ様々な性質の中で醜いものはない。
ヒトラーがかつて、「ドイツ人の貧しさは、ユダヤ人が社会の重要なポストを占めて、ドイツ民衆から富を奪い続けているからだ」と煽り唆し、「ユダヤ人など皆叩き殺してしまえば良いのだ」と民衆を動員したのと本質的に変わらない。狡猾な金持ちは皆打ち殺してしまえとは、国家社会主義たるナチスのキャッフレーズの一つだった。

他人の人生を左右する、裁判上の有罪無罪の判断を、人の伝聞や感情的予断で決めつけ、さらに吹聴して罵り、溜飲を下げるというような振る舞いほど恐ろしいものはない。
ほとんどの人が、有価証券報告書に虚偽記載されたという50億円について、ゴーン氏が1円も受け取っていないという基本的事実を知らない。
近年は、痴漢の冤罪逮捕などについては、かなり一般の人も気にするようになったと思われるが、相手がゴーンのような富裕な経営者だと、叩き落として皆で唾を吐きかけることに一切疑いを持たず、そこにカタルシスを見出して、興奮しているようだ。
一時はあれだけ称賛拍手しておいて、異常な光景だけれども、それだけ、今の日本社会にストレスと貧困が充満して、余裕がなくなっているのだろう。