後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

まだある我が家の夫婦喧嘩の原因、写真の構図と色彩

2020年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「こんなに考え方が違うのに離婚しない理由」という記事を書きました。
我々夫婦の考え方が大きく違う一つは日本語に関する考え方の違いです。考え方が違うので必ず小さな夫婦喧嘩になります。
考えてみると我が家の夫婦喧嘩の原因は澄みきった夜空の星のように無数にあります。
しかし毎日必ず小さな夫婦喧嘩の原因になっているものが一つあります。私の写真が原因になっているのです。

そこで今日は続編として写真の構図と色彩についての考え方の違いを書いてみたいと思います。私は毎日記事を書いて、その挿絵代わりとし写真を掲載しています。その写真のことです。
家内は私の写真が芸術的であるか否か、内容が豊かであるか否かで批評します。
一方、私は写真は記事の挿絵として撮るのです。その写真は軽い飾りであり、内容が重すぎると記事の魅力を消してしまうのです。私の写真はあくまでも「かざり」であり芸術ではないのです。
ぞれでは妻が撮った写真3枚と私が撮った2枚を掲載して意見の違いをご説明いたします。

1番目の写真は京王フローラル・ガーデンを妻が撮った写真です。ガーデンの全体がどのような感じなのか分かるように撮るのが良いと思っています。
一方、私はこの写真をネットに掲載すると小さいサイズになるので何を撮ったか分からなくなるから駄目だと言います。小さな言い争いになります。

2番目の写真も妻が撮りました。これはかなりクローズアップしてありますからネットに掲載できます。しかしこの写真の意図が分かり難いのです。妻は白いモクレンの蕾が膨らんで春もそこまで来ていると言いたいのです。このように説明をしなければいけない写真はネットの雑文の挿絵としては不適切です。せっかくですが私は使いません。妻は不服そうに頬を膨らませます。

3番目の写真はロウバイの花の盛りが過ぎる頃モクレンの蕾が白くなり咲き出す準備をしている光景を撮った写真です。妻はこういうふうに季節感がいきいき感じられる写真が良いと言います。
成程と思いますが、挿し絵代わりの写真には使いません。説明しないといけない写真は挿し絵代わりとしては失格です。挿し絵はあくまでも文章の内容の邪魔をしないような飾りでなければいけないと私は思っています。小さな夫婦喧嘩になります。

4番目の写真は私が撮った福寿草の写真です。パッと見て綺麗です。季節感もあります。この写真は何だろうと考える必要がありません。挿し絵代わりの写真として使います。これには妻も納得です。夫婦喧嘩になりません。

5番目の写真は私が撮った京王フローラル・ガーデンの一角の写真です。考える必要が無い綺麗な写真です。挿し絵代わりに適した写真です。
しかし妻はこのような園芸種の花だけが人工的に植え込んである写真は好まないと言います。はっきり言うと軽蔑します。
福寿草の写真のように自然な感じの花の写真なら良いと言います。しかしその意見は無視します。小さな仲たがいが起きます。
さて何故、妻は私の写真にいちいち意見を言うのでしょうか?
彼女には写真の構図と色彩はこうあるべきだという牢固とした信念があるのです。
妻の趣味の一つが美術館巡りや絵画展を見に行くことがにあります。
それで西洋の有名な油絵や日本画を心に刻んでいるのです。無意識のうちに心に刻んだ絵画と私の写真を比較するのです。そして私の写真の構図と色彩の配置に細かい意見を言います。
家内は若い頃、自分でも油絵を数点描いたこともありました。構図と色彩の配置は確かにオーソドックスです。デッサンもまあまあです。
しかしちっとも面白くない油絵です。はっきり言ってしまえば下手なのです。自分でも下手だと分かって、それ以来、油絵を描くのは断念しました。
賢明な決断です。そうでなかったら下手な油絵が家に溢れていたことでしょう。

私がネットに掲載する文章に、挿し絵代わりに使う写真はあくまでも飾りなのです。飾りが芸術写真になっていたら文章の内容が死んでしまいます。それでなくても拙い内容の文章なのです。挿し絵代わりに使う写真はほどほどに綺麗であれば良いのです。
そのことが理解出来ない妻が絵画と比較して意見を言うのです。毎日言うのです。
その意見の中には成程と思えるものもあるので一層困るのです。
挿し絵代わりに使う写真は「かざり」です。芸術作品ではないのです。
美しい装飾と芸術作品の違いです。美しい装飾は見て美しいと感じれば良いのです。
芸術作品には深い精神性がつまっています。見る人を考え込ませます。芸術作品の裏にある喜びと悲しみを。背後にある歓喜と絶望を。そして哲学を。

それにしても皆様の奥様は夫が撮った写真にあれこれ意見をおっしゃるでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)