後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、印象派の絵画を見ながら時を過ごす」

2020年01月07日 | 日記
今日は印象派の絵画を見ながら時を過ごしました。
やはりエドゥアール・マネの油彩画には心が打たれました。
エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)は、19世紀のフランスの画家です。近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、絵画の革新の担い手となったそうです。印象派の画家にも影響を与えたことから、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられてい画家です。
5枚の絵の写真をお送りします。









「今朝は七草粥を食べながら春の野を想う」

2020年01月07日 | 日記
今朝は家内が、君がため春の野に出でて若菜摘む・・・と呟きながら七草粥を出してくれた。何やら野の風味がするものが何種類か入っている。
「七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」と詠いながら「我家の七草粥は五草粥です」と言う。
いつつだけでも春の野の味が濃厚にします。「蕪と大根、芹、庭のハコベとホトケノザだけ」ということです。
この風習は春の七草の粥を1月7日に食べ、その一年の無病息災を願う伝統行事です。
平安時代の850年頃の光孝天皇の次ぎの和歌があり『古今集』に出ています。
「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
上に書いた七草は関東地方のもので七草の種類は地方によって異なります。
そして七草粥は新年の季語となっています。
こんな風習は中国、台湾、韓国、日本などの漢字文化圏の伝統でしょう。
それにしても西洋文化には七草粥はありません。しかし春の野の明るさや楽しさを描いた絵画はあります。
直ぐに思い付くのはクロード・モネの春の野にヒナゲシの咲いている風景画です。
その3枚の写真をお送りします。

1番目の写真はパリの北にあるアルジャントゥイユの春の野の風景画です。「アルジャントゥイユのひなげし」という油彩画で1873年の作です。

2番目の写真も「アルジャントゥイユのひなげし」という油彩画で1873年の作です。この様な風景画は何枚も描かれています。

3番目の写真は『散歩、日傘をさす女性』(1875年)です。三枚描かれた日傘をさす女性をモデルにした作品の最初のものです。妻カミーユと息子ジャンをモデルに描かれました。カミーユはこの4年後、結核で32歳の若さで亡くなるのです。

クロード・モネは1840年にパリで生まれました。5歳の頃から少年時代の大半をノルマンディー地方のル・アーヴルで過ごしました。少年の頃から絵がうまく、人物の肖像画を売るほどであったそうです。
18歳の頃、風景画家ブーダンと知り合い、戸外での油絵制作を教えられました。
1859年にパリに出て、絵の勉強を始め、ピサロ、シスレー、バジール、ルノワールといった仲間と知り合ったのです。その後の活躍はご存知の通りです。

ついでに私が好きな木造のヨットの絵とサン=ラザール駅の絵をお送りします。

4番目の写真は『アルジャントゥイユの橋』(1874年)です。

5番目の写真は『サン=ラザール駅:列車の到着』(1877年)です。

今日は七草粥の話から突拍子もなくクロード・モネの絵画の紹介になってしまいました。
私の脈絡のなさをどうぞお許し下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)