後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、冬枯れの農村の写真を撮りに行く」

2020年01月31日 | 日記
今日は快晴でしたが寒風が吹きまくり文字通りの冬日です。何故か冬の農村風景を眺めたくなりました。
東京の西北の郊外に広がる「あきる野市」にはまだ農村らしい風景があります。少し遠方ですが中央高速道路を使えば1時間です。
行って見たら、冬枯れの田圃が淋しそうに広がっています。向こうには暗い森が見えます。その上の空には冬の白い雲が流れています。
写真を撮っていると手が寒さで痛くなります。嗚呼、今は冬の大寒なのだと骨身に沁みました。
そして吹きまくる風はあくまで新鮮です。農村地帯の空気はすがすがしく美味しいのです。
身も心も洗われたような気分で帰って来ました。
あきる野市の農村地帯の写真をお送りいたします。





「美しい白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出す」

2020年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
何故、白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出したのでしょうか?
その説明は後にして、まず美しい白鷺の姿の写真をご覧下さい。
初めの2枚は昨日撮った写真で、後の3枚は、https://ja.wikipedia.org/wiki/白鷺、からお借りした写真です。









さて何故、白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出したのでしょうか?
現在の日本人には考えられないことです。
戦後の日本は食料難の時代でした。餓死する人も絶えませんでした。飢餓の時代だったのです。
その飢餓の時代には不味いカラス以外は野鳥も捕って食べました。鴨や雉や山鳥は勿論、罰当たりの人は神社の鳩まで捕って食べました。鳩はフランス料理で使われるくらい美味しいそうです。
美しい白鷺が全国で見られるようになったのは食料難の時代が過ぎてからと私は思い込んでいます。食べなくなったから白鷺が増えたと思い込んでいる私です。この思い込みは間違っているかもしれません。
この思い込みは私がシジュウカラやメジロやスズメを焼き鳥にして食べた強烈な経験があるから出来たのです。
少しそのいきさつを話しましょう。
戦後すぐの頃、少年だった私は近所の「不良のあんちゃん」に可愛がられていました。不良のあんちゃんの子分だったのです。
この「あんちゃん」は裏山でシジュウカラやメジロやスズメを捕る名人でした。
棒の先に強いねばり気のあるとりもちを巻きつけて裏山の雑木の枝に取り付けるのです。そうするとシジュウカラやメジロやスズメが簡単に沢山捕れるのです。
小鳥の羽を取り去って、割いて、竹串に刺してイロリの火で醤油をつけながら焼くのです。それは実に美味しいものでした。特にスズメは美味しかったのです。
こんな経験をしたので、戦後は白鷺も食べてしまったのだろうと想像しているのです。
私を可愛がってくれた「不良のあんちゃん」は美味しい焼き鳥を食べさせた後、何処かに消えてしまいました。それ以来、杳として消息がわかりません。器用で、その上子分を可愛がる性格ですから、それなりに幸せな一生だったと信じています。

美しいい白鷺の姿を見るたびに「不良のあんちゃん」に可愛がられた少年の頃を思い出します。イロリの火で醤油をつけながら焼いた小鳥の美味しかったことを思い出すのです。
その経験は私に不良少年に対する暖かい気持を持たせたのです。この世の不良少年は必ず優しい気持ちを持っていると信じているのです。

親鸞は歎異抄のなかで、「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と書いています。
不良少年は学校の成績が悪くて非行をするものです。先生の敵です。しかし私は不良少年に恩義を感じています。この世に元来悪い人などいないのです。
美しい白鷺の姿を見るたびに不良のあんちゃんの一生が幸多かれと祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)