後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

小金井・阿波踊りと文化的無節操さ

2009年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

夏、お盆になると地方地方で特色のある伝統的な盆踊りがあります。ところが小金井では何年も前から夏になると阿波踊りがあるのです。私は東京の小金井市で徳島の阿波踊りをすることに長い間反対でした。勿論そのことは誰にも言いませんでしたが、よその地方文化を平気で持ち込む無神経さに辟易していたのです。大げさに言えば文化的な節操の無さを内心少し軽蔑していたのかも知れません。(どうせ節操がないのなら、せめて郡上八幡の盆踊りを持って来てもらいたかったです)。 

ところが老人になると文化的節操の無さも気にならなくなります。それも許せるようにないます。数年前から楽しい気分で、家内と一緒に見物に行くようになります。

駅前の南と北の広場と通りを7月の最後の週末の2日の夕方交通を遮断して数百人の踊り子が阿波踊りを繰り広げます。近所の仲間や職場の仲間でブループをつくり、「さくら連」とか「むさしの連」と染め抜いた揃いの浴衣で踊るのです。見ていると東京のあちこちからも連が友情で参加しています。昨夜は快晴で、阿波踊りを楽しんできました。動きが早く、暗いので良く撮れませんでしたが、家内の撮った写真を3枚だけ掲載します。(終わり)

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性格の良い芸術家の紹介ー陶芸家・音楽家の宍戸真知子さん

2009年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

自分に無い才能を持った人を尊敬します。憧れます。ごく普通のことと思います。私には芸術的才能がありません。したがって芸術家を尊敬しています。憧れています。

しかし芸術家は神経質で、難しい性格の人が多いと雑誌や本でさんざん読んで来ました。作品は美術館へ行けば見ることが出来ます。しかし芸術家と知り合うのは躊躇しがちです。

ところがインターネットのお陰で、本物の芸術家と気軽に友人になれるのです。とくにBYOOLというSNSの会員には芸術家が多いようです。自分から私は本物の芸術家ですと名乗っていないのです。始めは気軽に、友人になって下さい、とお願いします。

今年の5月22日にこのブログでご紹介した、パステル画の村田 旭さんがそのような方です。数多くのパステル画は彼のHP:http://www.k5.dion.ne.jp/~vasenoir/ 御座います。(BYOOLの中での彼のハンドルネームはvasenoir)

さて今日は二番目にお友達になった宍戸真知子さん(BYOOLではAmadeusさん)をご紹介いたします。ウイーン国立音楽院を卒業し、アメリカで音楽家として、そして陶芸家として大活躍をしています。輝かしい経歴は、http://www.baragaro.com/garally/shishido_ryakurekii.html をご覧下さい。彼女の作品は銀座の薔薇画廊:http://www.baragaro.com/top.htmlに展示してあります。

下にネパールのカトマンズから昨日送ってきて下さった陶芸作品の写真を2枚ご紹介いたします。ご主人がカトマンズで働いているので、夏の休暇の間、アメリカからカトマンズへ行ってご主人と一緒に休暇を楽しんでいらっしゃるようです。

私のブログではカトマンズに住んでいる ひかるの さんを何度もご紹介しました。アジアの手織り布やサリーの展示会の度に場所や日時もご紹介してきました。ひかるのさんを宍戸さんのご主人へご紹介しました。昨日、お会いしてとても意気投合したようです。昼食を挟んで4時間のお話したそうです。BYOOLの会員のhanaさんも宍戸さんご夫妻と友人だそうです。

hanaさんと、そして、ひかるのさんとは直接、東京でお会いしました。何か不思議な縁を感じましたので、付記しておきました。

Narcissus3 Summer_ocean

宍戸真知子さんから送られた作品についての説明を添付します。

「作品は上から光をあてますと、透き通り細かく彫刻した磁器から図柄が浮き出るようになっています。同じ物は一つもございません。とても薄いので作って行く段階で壊れます。

半分以上壊れて棄てる覚悟をしながら、でも壊れてしまう迄は一つ一つ大切に彫っていきます。完璧に出来た作品でも窯の中で、何かが起こって壊れてしまう場合もあります。

結構、精神修行になっております...

自由に自分の作品を焼ける本焼きの窯を未だ持っておりませんので、最近は作品を作る段階の厳しさに加え、そういったテクニカルの部分の問題もあり、新作のアイデアは沢山あるのですが、地を這うような出来上がるまでの段階を考えると、フッと止めてしまいたくなる心境です。自分でも残念です。・・・・・・・・以下省略」

宍戸真知子さんのHPと輝かしい経歴のURL:http://www.machiko-porcelain.net/ と

http://www.baragaro.com/garally/shishido_ryakurekii.html

薔薇画廊のHP:http://www.baragaro.com/top.html

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村田 旭 画伯のHP:http://www.k5.dion.ne.jp/~vasenoir/


病気で体が痛くて困っている人々への朗報ですー痛みを和らげます!

2009年07月25日 | うんちく・小ネタ

前立腺ガンになり手術を受けます、と公表しました。ネットの上の多数の友人から励ましのメッセージを頂きました。その上、ガン治療の情報が集まりました。昨日、JPAPというNPO法人の高橋さんからコメントを頂きました。あらゆる病気で肉体的な痛みに悩んでいる人々を支援しようとする真面目な団体のようです。

少し固い文章ですがJPAPのホームページの冒頭部分を以下に示します。

JPAP®Japan Partners Against Pain)とは・・・
JPAP®
は、「疼痛治療に関する情報を幅広く提供し、認知や理解の向上を図ることにより疼痛治療全体の発展に寄与し、ひいては患者さんやご家族の方々が少しでも苦痛から解放され、疼痛治療の恩恵を享受できるような社会の確立を目指す」という趣旨のもとに、2003年に医療従事者により設立された団体です。
痛みを持つ患者さんのQOLQuality of Life)向上への貢献を目指してさまざまな活動をしています。

私たちJPAP®200811月に発足5周年を迎えます。これを記念して、IASP(世界疼痛学会)が推進する「the Global Year Against Pain」に賛同し、毎年1020日を『疼痛ゼロ(トー=10,ツー=2,ゼロ=0)』の日と制定。疼痛治療に対するさらなる理解促進のために活発な活動を展開してまいります。HPのURLは、

http://www.jpap.jp/1020/index.html です。

下に高橋さんからのコメントも示します。私のブログを褒めて下さっているので赤面します。

ここで示すのは止めようと思いました。しかし、上の硬い、冷たい文章からこの団体の人々も冷たい人々と誤解されないようにと、高橋さんのコメントを全文、そのまま転写しました。きっと優しい人々が働いているようです。痛みに悩んでいる方々の相談を親身になって乗ってくれると信じています。

藤山さま:素敵なブログだったので初めてコメントさせていただきます。藤山さまの自然を愛する感性の豊かさ・エッセイで魅せる知性の高さを感じながら、楽しく拝見させていただきました。さて、私はがん患者さんを支援するNPO法人JPAP(Japan Partners Against Pain)事務局の高橋と申します。なにかお役に立てる情報があるかもしれませんのでご覧いただければ幸いです。http://www.jpap.jp/1020/尚、現在JPAPでは、活動の一環として「スマイルアワード」という、がん患者さんによるアート・文芸作品の表彰を行っており、もしご関心をお持ちいただければ、是非とも、当アワードへ藤山さまの作品をご応募いただければと思っております。(写真・エッセイ大募集です)募集要項では、「痛みの治療を受けた方」と規定しておりますが、がんと闘うすべての患者さんから広く作品のご応募を募っておりますので、ぜひともご検討頂ければ幸いです。これからもブログの更新を楽しみにしておりす。また訪問させていただきますね。これから暑さの厳しさが増してまいりますので、くれぐれもご自愛下さいませ。投稿高橋 | 2009/07/24 16:57

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今日は病気で肉体的な痛みで悩んでいる方々の為にお祈り致します。その痛みが少しでも和らぐようにと。 藤山杜人


僕の若い友人のブログー「dr yuki の部屋」をご紹介します

2009年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

彼は正義感の強い直情径行の青年です。若いときはヤンキーでした。そのうち航空自衛隊に入って真面目になり除隊後は会社に入社し、ある商品の営業で抜群の成績を上げます。家庭も持ち、幸せな生活を続けます。しかし成功しすぎると人間は時々考え違いをするものです。職場も家庭も失いました。現在は犬と暮らす独り者のようです。その彼がブログを書いています。毎日沢山書きます。悲劇的な体験を情熱的に書くので若い読者が集まり、毎日20、30人の若者からコメントが投稿されます。若い人に人気のあるブログで毎日1000人以上の人々が読んでいると想像しています。

1年以上前に彼のブログを「みんなの足跡」というSNSで知り読みました。彼の強烈な愛国心と社会正義感に共感を覚え、友人になって下さいと申し込みをしました。それ以来、個人的なメールの交換も数回しました。そして1年が経ちました。飽きやすく、薄情な私はなんとなくご無沙汰がちになり最近は交流が途絶えがちになっていました。その彼から以下のようなメールが来ました。短いメールですが私にとっては踊り上りたいほど嬉しいメールです。

========dr yuki さんからのメール=============

藤山杜人 様(小生の本名が書いてありました)
拝啓、お体の具合が悪いとの事を、
前にプログで拝見致しました。来月手術をされるという事で
何とも・・・遠くながら 心配致しております。
早く直ってヨットに僕も乗せて下さい。
お願い致します。
私は現在は足元はまだ不安定でございますが、
自分の道を見つけ精進しております。
藤山様が早く回復する事を心よりお祈り致します。
敬具
ゆき(ゆきは筆名ですが、本名が書いてありました)
追伸:メールアドレスが変わりました。古いのは廃棄して下さい。

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http://fanblogs.jp/dryuki/ が彼のブログのURLです。高年齢の方々にも是非お読み頂きたい内容の深いブログです。特に7月22日に書いた「これが侍だろう?」とその下の記事の、「血縁の因縁」には深く考えさせられます。

それから彼の少し古い記事も開けて見て、そこに投稿された数多くの若者らしい人々のコメントをご覧下さい。皆が真剣に人生を考えて生きているのです。感動すると思います。よく老人は、「最近の若い者は気迫が無い、努力が足りない」 などと非難しますが、とんでもない事です。いずれにしても、そういう若者が居る限り日本の将来は心配する必要が無いと思います。文章は若者の言葉なので読み難いところもあります。しかし、色々な意味で感動的なブログです。お読み頂ければ小生も嬉しく思います。(終わり)


ムクゲの花のこと、

2009年07月24日 | 写真

私はこのコンピューターの前に毎日、数時間座っています。目の前のガラス窓の向こうには6月から咲きだしたムクゲが毎日つぎからつぎへと花を咲かせます。あまり咲き過ぎるので枝を剪定しています。何十年か前に家内が30cm位のムクゲの木の苗を買ってきたものを庭に植えたものです。この写真のムクゲがいつの間にか増えて狭い庭に4本の大きな木となり同じように花を毎日咲かせています。夏の間中、咲き続けます。夏の間中といえば庭の水盤のスイレンの花も間をおきながら一輪ずつ可憐な花を咲かせます。夏の間は花が少なく、ムクゲとスイレンの花だけです。それでもムクゲが豊かに咲き誇りますので毎日楽しんでいます。皆様も写真でお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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鰯の頭も信心から、そしてキリスト教文化との比較

2009年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

若いころ、ある宣教師から英会話を教わっていた。ある時、宣教師と学生数人で田園地帯へハイキングへ行った。

田の畦道に平な大石があり、腰を下ろすのに丁度良い。歩き疲れた皆がごく自然に座り、しばし休憩をする。すると一人の老婆が寄って来て、手を合わせ我々を拝むようなしぐさをする。その意味が分からない。と、大男の宣教師が顔を赤らめて飛び上がった。我々もつられて、立ち上がり、大石のそばから離れる。老婆は何事も無かったように大石の前に2、3本の野の花を供え、膝まづいて祈り始めた。それを見た宣教師が英語で説明してくれた。「あの大石は田の神様なのでしょう。今年も豊作になるように祈っているに違いありません。我々は神様の上に座っていたのです」。

大男のアメリカ人宣教師は我々に老婆の信仰を大事にしなさいと話した後、「どんな信仰心も立派なのです。信仰の対象に優劣がないのです」 と強く話す。

あの場面は一生忘れられない。その宣教師の名前はウイリアムズさんと言った。もう50年以上前の仙台の近くの田園でのことであった。

明治維新の文明開化以来、日本人の欧米崇拝は時々度を過ごす。第二次大戦で負けた後は何でもアメリカ一辺倒になる。本来、優劣の無い民族文化や宗教の問題でも日本人は過度な劣等感を持っていた。高度成長をしてからはそんな考えも消えて行ったが。

しかし現在でも知識人の書いたものに、「多神教の日本古来の宗教よりもキリスト教の方が優れている」 という評論を見ることがある。挙句の果ては、キリスト教から生まれた西洋の絵画は日本の絵画よりも上級だなどと訳の分からない話をする人も居る。

文化の一部である科学技術には明確な優劣がある。その優劣は誰の目にも明白である。しかし科学技術以外の文学、宗教、芸術、など全ての分野には優劣は無い。そのように信じている欧米の知識人が多い。

自分は、1971年にカトリック立川教会で塚本金明神父様から洗礼を受けた。それ以来、宗教には優劣が無いと確信が持てるようになった。問題は「信仰と行為の関係」なのだ。

強くキリスト教を信じ、毎週教会へ通っている欧米人が他人を傷付けることを平気でする。戦争では熱心なキリスト教信者が平気で残虐行為をする。

しかし田の畔道の大石に祈っていた老婆の日常生活はどうだったのだろう?時々そんなことを考える。きっと心優しい人間で他人を傷付けることはしなかったかも知れない。あるいは逆に冷酷な性格で毎日 嫁いびりをしていたのかも知れない。行為の優劣は有っても、信仰の対象に優劣は無い。そのことを私は時々考えています。あなたは、「鰯の頭も信心から」と他人の信仰の対象を少し見下したことはありませんか? 私は時々他人を見下すことがあります。しかし、そうしないように努力しています。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人


日本にある唯一つの道教寺院・埼玉県にある聖天宮の写真

2009年07月23日 | 写真

この下の記事で横浜、中華街の関帝廟の写真を出しました。日本ではあまり見慣れない建築様式なので、中国の道教寺院を検索して見ました。日本には唯一つ埼玉県の本格的な道教寺院があるそうです。台湾から多くの宮大工を連れて来て建てたそうです。その写真を2枚、http://www.diviner.jp/HolyPlace/SeitenKyu/index.html から転載させて頂きました。

関帝廟とよく似ています。すると関帝廟は道教の一部と考えても大きな間違いは無いと思います。道教は中国に古くからある民間宗教です。日本には入って来ませんでした。陰陽道は道教から派生したとも考えられています。どなたかご存じの方からお教え頂ければ嬉しく思います。

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 関帝廟への信仰

2009年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

中国へ行くと仏教の寺院やラマ教の寺院をよく見かけます。しかし少し注意深く観察すると関帝廟と孔子廟があちこちにあり、人々が長い線香を煙らせて拝んでいます。三国志時代に活躍した実在の武将の関羽様の像へ対する信仰です。日本にも武将を神社に祀って一家安全、無病息災をお願いする例がいろいろあります。東京には東郷神社や乃木神社があります。

それと似たような宗教的な行いと思います。先日、横浜の中華街の中に関帝廟があり参拝者が絶えません。参拝している人々は日本人です。関帝様は海を越えて日本人も守って下さっているのです。1800年前の中国の戦国時代がこうして日本人へかかわっているのです。何か感動して、私もお賽銭を上げて拝んできました。私はカトリックですが、人々が信仰している方へ敬意を表するのが礼儀と思っています。

関帝廟を検索して、その説明文の一部を示します。

朝廷と民衆の両方から支持をうけて、関帝廟は唐の時代に全国津々浦々各地に広まり、数千の廟が建てられました。あまりにも建てられた関帝廟が多くて、関帝一人では手がまわりかねるので、代理の関帝が務めたという、面 白いエピソードも残っている程です。  

 関帝廟は文廟と呼ばれる孔子廟に対して武廟と呼ばれていますが、実際は武神のほか、民間では老爺とよばれ、幽界のもっとも有力な神としても崇められていました。
  また武将として理財にも精通していたため、商人は「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰しています。 武将にとっても商人にとっても一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚く奉られています。関羽様に対する信仰は中国本土にとどまらず、次第に世界各地に広がりました。

下に横浜の中華街の関帝廟の写真を示します。(終わり)

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あなたは外国が好きですか?嫌いですか?日本は狭い島国だと思いますか?

2009年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

中学校の先生の影響は大きいと思います。敗戦後に出来た新制中学校では復員してきた先生が3人ほどいました。「日本が戦に負けたのは狭い島国だからです。君たちは外国へ行って勉強しなさい。そして帰って来て日本の復興へ貢献しなさい」。何度も何度も聞きました。その影響でアメリカへ留学をしました。その後、ドイツやスウェーデンにも住みました。

あなたは外国が好きですか?嫌いですか?日本は狭い国と思いますか?

あまり意味の無い、つまらない質問のようですね。しかしこの問題が戦争を避け、平和を維持する重要な問題と思います。好きな人々が住んでいる外国とは戦争はしたくない。日本が十分広いと思えば領土を獲得する戦争も必要が無い。

わたしは色々な外国が大好きです。そうなったのは比較文化人類学の一般向けの本を沢山読んだ為と思っています。その分野の学者は、「どんな民族の文化も深く研究すると素晴らしい文化です。民族の文化には絶対に優劣は有りません」、という前提で仕事をしています。

比較文化人類学では民族の住んでいる土地に住みこんで民族の日常生活を観察し、その歴史や考え方を聞きだすことが大切です。いわゆるフィールドワークです。フィールドワークの様子を書いた本を沢山読みました。現地に住み、現地の言葉を話し、現地の人々を尊敬する。これが比較文化人類学の研究で一番重要な出発点です。もちろん学問の一分野ですから得られた情報の解析と総合、そして体系的な論考も重要です。

私には尊敬しているネット上の友人がいます。現在ネパールのカトマンズに住んでいるHikarunoさんと南フランスに住んでいるParisimidoriさんです。URA は夫々、http://asiancloth.blog69.fc2.com/  http://blog.livedoor.jp/parismidori/ です。

ひかるのさんはタイやインドやブータンにも住んでいました。現在、彼は政情不安定で停電の多いカトマンズに住み着いています。色々な民族が混じって暮らしている様子を観察し、人情味溢れる記事を毎日掲載しています。まさしく研究者のフィールドノートのようで興味津々です。東南アジアの現地語を何種類か話せるようです。ひかるのさんの観察は客観的でどの民族へも優劣をつけません。先日の盲目のインド人夫婦の暮らし方をレポートした記事と写真は秀逸でした。

話はいきなり南フランスへ飛びますが、そこにはParisimidoriさんがフランス人の旦那さんと2人で仲良く住んでいます。仲良くくらしている様子は幸せそうに笑っているご主人らしい人が写真に時々出てくるので分かります。彼女は旦那様の自慢はあからさまには書きません。大和なでしこです。その大和なでしこさんがフランスのお菓子を作るパテシエとして活躍しています。ぶどう酒の産地の農村の人々と交流しています。美味しいお菓子を作れば人が集まってきます。尊敬もされます。その人の書くブドウ農村の生活の様子が興味深いのです。フランスの農村の文化がよく理解できるのです。正しくフィールドノートのようなのです。そのローカルな文化と山梨県のブドウ農村と比較して、ああ此処は同じだ、ここは違うと独りで楽しむことが出来るのです。

Prisimidoriさんは文化人類学の研究をしているつもりではありません。ご主人を愛し、ケーキ作りを楽しみ、そして村人と仲良く暮らしています。その事実が日本にいる両親への最大の親孝行なのです。話が脱線しました。

決論を言います。比較文化人類学の本を読んだお陰で、私は全ての民族が好きになりました。民族には優劣がないのです。その延長で日本を見ると、とても広い感じがします。そして地方地方には必ず興味深いローカルな歴史と文化が全然と存在していることに気がつきます。あなたの住んでいる地方にはどのようなローカルは歴史と文化があるでしょうか。

最後にひかるのさんのブログからカトマンズの夕暮れの写真を2枚転載させて頂きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人

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感動的な武蔵野赤十字病院の応対、その完璧なコンピューターシステム

2009年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

武蔵野赤十字病院には色々な検査のため、この2ケ月の間に5回ほど行き、延べ30人程の人と少しずつ話し合いをしました。毎回感動して帰ってきます。とにかく会う人全てが明朗で、親切で、説明が過不足なく実に明快なのです。若い女性の看護師、受付の人々、X-線やCTスキャンをする若い男性の技師、生体検査をする若い医師、全ての人の応対が最高点です。

受付カウンターに居る女性は座っている私の席に来て半分膝まづいて書類の説明をしてくれます。待ちの時間が少し長くなると寄ってきてニッコリ笑って、もう少しですよ、と声をかけてくれます。

サービスの良いレストランではフロアーマスターが客の様子を注意深く観察して必要な指示をウエイトレスへ与えています。良いレストランには優秀なフロアマスターが居るものです。例えば、地下鉄の広尾駅そばのレストラン平松がそうでした。言葉では説明の出来ないような実に質の高いサービスなのです。サービスの奥の深さを考えさせた所なので忘れられないのです。

武蔵野日赤病院には別にフロアーマスターが居る訳ではありません。患者への応対が良くして患者を増加させようとしているのでもないのです。働いている人々全てが患者へ奉仕したいという気持ちでしているのです。訓練だけで出来るものではありません。赤十字を創ったナイチンゲールの奉仕の精神が病院の中にあふれて居るようなのです。

その上、コンピューターシステムが完備しているのです。病院へ着くといきなり入口にある受付専用コンピューターへ診察券を入れます。すると、次はどの建物の何階の診察室へ行くべきかを明記した紙が出てきます。様子が分からないので顔を曇らせると、身軽なボランティアの案内人がスッと寄ってきて遠方の処置室まで連れて行ってくれます。そこへ行くと処置受付のコンピューターがあり、又診察券をいれます。入れると番号札が出てきます。すると看護師さんがニッコリしながら何番の部屋の前で待っていると15分くらいで名前を呼ばれますからお待ちください、と説明してくれます。治療が終わると、治療代の計算書を持って看護師さんが席まで来てくれて、膝をついて支払の内容を説明してくれます。「御大事に、」という声で送られます。一階の出口にある自働支払機で支払いを済ますと、次回の予約と領収書が一緒になった紙が出てきます。この流れ作業は良く出来ています。コンピューターと看護師さんの連携が良いのです。とても温かい歓迎を受けた感じがするのです。

すっかりこの病院が好きになり洒落た喫茶店でコーヒーを飲んで一休み。最後に駐車料金の自動支払いで1時間100円の料金を支払って帰ります。自宅までは車で20分です。

あんまり病院を褒め、好きになってしまったと書くと、神様がそれでは何度も行けるようにしてあげようと言います。それも困りますので、武蔵野赤十字病院の話はこれで終わりにします。

写真は入口の受付専用コンンピューター、泌尿器科受付カウンター、治療代金自動支払い機、民間のコーヒー店の病院内出店、そして最後に駐車料金の自動支払い機の順に5枚示します。他にも良くあるものでしょうが、全てが良く出来ていると感動しましたので撮ってきました。

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洒落たお医者様の会話

2009年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は8月早々の手術の前の検査をいろいろ受けました。最後に切ってくれるTY先生と面談です。サッパリした気風の良い外科医です。最後に一番重要な質問をしました。

「先生、手術前はビールを飲んで良いですか?何日前に止めるべきですか?」

TY先生がビックリした顔で私をしばし見つめて言いました、「私は飲んでも良いとかいけないとかは言いません。でも二日酔いで入院しないで下さい」。

この言葉でこのTY先生を信頼したくなりました。

帰路の車を運転しながら考えました。洒落た答え方です。でも何故しばし私の顔をみたのでしょうか?こんな質問をしたのでアルコール依存症か見け分けたのでしょう。

さもありなんと、この3日間は禁酒をしていたのです。お酒は匂いますから。

このTY先生とは3回会って話をしました。まだ40才代で元気の良い明るいご性格です。サッパリと切って取って下さいと言ったら、いささか喜んでいるようでした。私もこの先生に切って貰うのが安心です。つまらない話で失礼しました。(終わり)


アメリカが冷戦に勝利したのでインターネットがこうして自由に使える

2009年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカがソ連との冷戦に勝利したのはベリリンの壁の崩壊した1989年ということになっている。その年を境に、アメリカ軍が軍事技術を民間へ解放しはじめた。ソ連を屈伏させるために開発し、極秘にしていた数多くの先端技術を解放したのだ。

インターネットも軍事技術だった。現在は、そのインターネット技術が自由に使える。

カーナビに使われているGPSも軍事技術としてアメリカ軍が開発した。人工衛星も偵察目的で開発されたが現在は気象情報の収集にも使われ毎日の天気予報の精度が格段に良くなった。

アメリカの魅力は最先端の多くの軍事技術の必要性が少なくなると民間に開放して行くことにある。と、私は個人的に思う。アメリカ社会の開放性へ尊敬の念を禁じ得ない。

日本の軍隊では「極秘」扱いの情報はその必要性が無くなっても極秘にする傾向があった。現在でも中央省庁は民間へ開放して良い情報まで秘密にしようとする。官庁の秘密主義と官尊民卑がいまだにお役所に住み着いているのだ。

ついアメリカのほうが日本より良い社会文化を持っているような気がしてならない。

実は若いころアメリカに留学し、多くのアメリカ人に助けられた思い出が私の自由な発想を縛っているのかも知れない。黒人のオバマさんが大統領になるアメリカ社会のダイナミックな変化能力が素晴らしいと感動する。

そんなアメリカへ何故移住しないのか?と聞く人が居る。答えは簡単である。日本で生まれ22歳まで育ってしまうと向こうの人間に馴染めない。尊敬する社会ではあるが日常接する人間に何となく馴染めない。アメリカ食に馴染めない。水道水が不味い。車がないと日常生活が極端に不便になる。

もっと根本的には日本への愛着、いささかの愛国心がアメリカ移住を阻止してる。人間はしょせん理想的な社会だからといって移住するものではない。個人的な好き嫌いがもっと重要なのです。 皆様はアメリカへ移住したいと思いでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人


横浜・中華街の華やかな色彩をお楽しみ下さい

2009年07月21日 | 写真

今日は大学の金属工学科の同窓会がありました。1958年卒業の30人のクラスでした。3人が亡くなりました。今日は11人が福島、三島、山梨、八王子、日野、千葉、横浜などから集まりまり談論風発でした。京華楼本館の四川料理を一緒に食べて来ました。

幹事のGさんがいろいろ苦心して選んだ店だけに美味でした。お勧め出来ます。関帝廟通りに面しているので直ぐ分かります。HPは:http://www.kyokarou.com/ です。

中華街の色彩豊かな写真をお送りいたします。思い出のある方々はきっと懐かしく、お楽しみ頂けるとおもいます。以前より随分と繁盛している様子です。駐車場も近くに多くあります。一度、出かけ下さい。(終わり)

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日本から消えた炭鉱町、しかし私達は毎年1億トンの石炭を国内で消費しています

2009年07月21日 | うんちく・小ネタ

炭鉱が消えてから久しい。しかし国内で毎年1億トンの石炭を我々は使っているのです。遠方の海外から大型石炭船で運び込むのです。今後も続きます。驚きではありませんか?

毎年1億トンの石炭は、製鉄業で消費されているのです。

巨大な溶鉱炉では石炭を焼き固めたコークスが絶対に必要です。鉄鉱石を溶鉱炉の上から、硬いコークスを混ぜて入れ、下から熱風を吹き込み、溶けた鉄を取り出すのです。

溶鉱炉の下の方までコークスが燃え尽きないで、そして崩れないで少しずつ降りてゆくことが溶鉱炉操業のカギです。崩れると目詰まりをして熱風が万遍なく昇って行かなくなるのです。それでは部分的に、還元されない鉱石が残ってしまいます。生の鉱石がゴロゴロと炉底まで降りてきてしまい、溶けた鉄が出来なくなってしまうのです。ですから溶鉱炉にとっては硬いコークスが絶対に必要なのです。

溶けた鉄を溶鉱炉で1トン作るのに、約1トンの石炭を必要とします。輸入した石炭はコークスオーブンという炉で焼いて(乾溜して)コークスにします。それから溶鉱炉へ鉱石と共に入れるのです。

日本では毎年9000万トンから1億トンの鉄が作られています。従って必要な石炭は大雑把に言えば9000万トンから1億トン必要になります。

それでは何故、国内の炭鉱から出る石炭を使わないのでしょう?

日本の石炭の大部分は焼き固めても(乾溜しても)、硬いコークスにならないのです。強粘結炭ではないのです。ですから溶鉱炉では使えません。その上、日本の石炭は人件費が高く、高価過ぎるのです。オースラリア、南米、やアフリカでは石炭をブルドーザーで野天堀りをしています。

「鉄は国家なり」という言葉は死語になりました。それと同時に人々は製鉄業を忘れてしまいました。しかし日本では相変わらず1億トン近い鉄を溶鉱炉で作っているのです。高品質の鉄です。そのお陰で日本の車が丈夫で故障しないのです。

昨日、常磐炭鉱の栄枯盛衰の記事を書いたので、石炭のことを書き加えました。

このように日本の工業界は世界中からいろいろな原材料を運び込んでいるのです。その為にも日本は平和な国際関係を必要とします。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人


榎本武揚たちが開発した常磐炭鉱の白水村の人々の哀歓

2009年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

福島県の太平洋側に常磐炭鉱がありました。幕末に石炭が出ることが発見されます。函館で明治政府軍へ降伏した榎本武揚が新しい政府の石炭開発担当大臣になります。常磐炭鉱の開発のために現地、白水村へ何度も足を運びます。そしてそこが大きな炭鉱として大繁栄するのです。明治、大正、昭和と続く激動の歴史です。昔から住んでいた人々、全国から集まってきた人々が悲喜こもごもの人生を繰り広げます。「狼皮のスイーツマン」さんの郷里がこの白水村です。彼が郷土の人々の生涯を慈しみながら丁寧に書いた物語が「白水物語」です。日本のある一地方にこんなことがあったのです。なにかしみじみとした歴史物語です。

私達が学校で習う日本の歴史には書いていないような地方の人間の歴史です。このような歴史観が伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」というミステリー小説の背景にあると思うと興味が尽きません。地方の人間の歴史にご興味をもっている方々に是非お読み頂きたい話です。その地方史は、別サイト『狼の皮を被ったスイーツマン』所収の郷土史『白水物語』  (  http://okoshi13.blog.ocn.ne.jp:80/blog/ )に御座います。読んだ後で何故か心が静かになります。人間の幸や不幸を考えさせます。(終わり)