前橋市の名医の息子として生まれた荻原朔太郎は前橋で旧制中学を卒業後、熊本の五高、岡山の六高へ遊学しました。鋭い感性と、溢れる美的感覚で感傷的な詩を数多く作りました。感傷的ではあっても言葉が芸術的に響きあっています。息をのんで緊張して読まないと理解できないような感じでした。記念館に展示してある直筆の詩を数編読んで、とても疲れました。心地よい疲れでした。記念館は敷島公園の北端にありました。今回は割愛しましたが朔太郎の遺品の多くは広瀬川の傍にある前橋文学館に展示してあるそうです。
荻原朔太郎は口語自由詩を確立し、日本の近代詩に不滅の足跡を残しました。彼の生家の書斎、離れ座敷、土蔵の3棟だけが前橋市内に残ったので郊外の敷島公園に移築し、公開してあります。
下の写真は数多くの詩を書きあげた書斎の写真と詩の一部の写真です。
書斎には木のテーブルとイスがあるだけの質素なものでした。このようなわびしい部屋で彼は日夜、思索を深め、言葉の響き合いを工夫して詩を一つ一つ作り上げていったのです。