後藤和弘のブログ

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「欧米の植民地だったアジア諸国、それらの日本軍による解放と戦後賠償」

2021年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前生まれ戦後育ちの日本人にとって太平洋戦争と日本の敗戦ほど大きな衝撃はありませんでした。敗戦前後はまさに歴史的激動の時代でした。日本民族の最大の悲劇でした。
何故このような悲劇が起きたのでしょうか? いろいろな見解がありますが私は第二次大戦前のアジア諸国は欧米の植民地だったことが原因と思います。その植民地を日本が軍事力で解放し日本の勢力圏にしようとしたことが原因だったのです。

今日はこの激動の歴史を振り返って見たいと思います。欧米の植民地だったアジア諸国とその日本軍による解放と戦後賠償の歴史を簡略に書きました。

(1)欧米の植民地だったアジア諸国の地図
明治維新以来、日本は富国強兵政策を取って来ました。自分の国が植民地になるのを防ぐためです。しかし勢い余って、朝鮮や台湾や満州を日本の植民地にしてしまったのです。欧米の悪い政策を真似したのです。
そして最後には欧米の植民地だったアジア諸国を軍事占領して日本の勢力圏にしてしまう政策に着手したのです。それは1941年の12月8日のことでした。

1番目の写真は欧米の植民地だった戦前のアジア諸国の地図です。地図の出典は、http://myasia.world.coocan.jp/Shokuminchi.htm です。

日本が朝鮮や満州を植民地にしたた時代には日本そのものが欧米の植民地に取り囲まれていたのです。インド・パキスタン・バングラデッシュはイギリスの植民地。ビルマやマレーシア、ボルネオの一部もイギリス植民地でした、ラオス、カンボジア、ベトナムはフランスの植民地。インドネシアはオランダの植民地。マカオと東チモールはポルトガル植民地。フィリッピンはアメリカ植民地。シンガポールと香港もイギリス植民地であったのです。
独立国は僅かに日本と中華民国とタイの3国だけでした。写真の地図がその様子をしめしています。
考えると物凄い弱肉強食の時代だったのです。

(2)太平洋戦争、別名大東亜戦争による日本軍の欧米の植民地だったアジア諸国の占領
太平洋戦争、別名大東亜戦争は1941年の12月8日の真珠湾攻撃と同時のアジア諸国への侵攻の開始で始まりました。
日本軍は1941年6月からマレー半島攻略に向けた訓練を行っていました。日本軍による最初の攻撃はマレー半島攻略でした。日本時間12月8日午前1時30分、日本の第25軍はイギリス領マレーの北端に奇襲上陸したのです。
イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは上陸部隊を撃滅すべくシンガポールを出撃しましたがマレー沖海戦で日本軍の航空攻撃により両艦を撃沈したのです。
第25軍はマレー半島西側をシンガポールを目指して進撃を続け、1942年1月31日にマレー半島最南端のジョホール・バルを占領しました。
第25軍は2月8日にジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸します。イギリス軍の降伏の使者が到着しました。そしてイギリス軍は10万人が捕虜となったのです。
この後、日本軍はアジア各地をを占領してしまいました.

2番目の写真は日本軍の占領地の最大の頃の1942年の地図です。出典は、https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/nihon_saidaihanto.html です。

(3)日本が占領したアジア諸国への戦後賠償
1945年の敗戦後、日本は戦争で損害を与えた欧米諸国だけでなく日本が占領したアジア諸国へも戦後賠償をしました。

3番目の写真は日本が占領したアジア諸国への戦後賠償です。写真の出典は、https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/nihon_saidaihanto.html です。
現在、日本は中国、ベトナム、インドネシア、タイなどに日本の会社が工場を作って利潤をあげています。戦後生まれの日本人がアジアで経済活動をする場合は戦前に日本軍のした色々な圧政を忘れてはいけないと思います。

今日は欧米の植民地だったアジア諸国、植民地だった諸国の日本軍による占領、そして占領したアジア諸国への戦後賠償についての歴史を簡略に記しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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