『さらばラバウルよ ー又来るまではー しばしわかれの 涙がにじむ.・・・』という歌の通り日本軍はラバール基地を撤収しました。
その経緯は次のとうりです。
ラバウル航空隊とはラバウル基地から戦闘に参加した日本海軍・陸軍の航空部隊の総称です。
1942年(昭和17年)1月から日本軍はラバウルに進出しラバールを重要拠点にしました。
しかし日本軍は劣勢になり1944年(昭和19年)2月にラバウルから撤退したのです。
この撤退が日本軍の敗戦を決定的にしました。
ラバールはパプアニューギニアの東ニューブリテン州の都市です。
1番目の写真はラバール市のある島の遠景です。
2番目の写真はラバール島の残るアメリカ軍の飛行機の残骸です。
3番目の写真はラバール島に駐機当時の日本の航空隊です。
4番目の写真はラバール島の戦いに参加した零戦を復元塗装したものです。