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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「真珠湾攻撃の特殊潜航艇の9軍神と生き残った坂巻少尉のその後」

2023年01月18日 | 国際・政治
真珠湾攻撃では、ゼロ戦による空襲を思い浮かべる方は多いと思いますが、海の中からも攻撃が行われていました。

1番目の写真は’海軍特別攻撃隊’’の特殊潜航艇です.。前方から見た特殊潜航艇です.。「en:Submarine Force Library and Museum」(アメリカ・コネチカット州)にて展示。

この’’海軍特別攻撃隊’’は特殊潜航艇(別名甲標的)という小型の潜水艦に乗り込み真珠湾に出発します。

5隻特殊潜航艇に2人ずつ乗組み、未帰還となった海軍中佐、岩佐直治ら以下の9名が「特別攻撃隊の偉勳」として9軍神とされたのです。

9軍神は以下のとおりです。
岩佐直治 中佐
横山正治 少佐
古野繁実 少佐
広尾彰 大尉
佐々木直吉 特務少尉
横山薫範 特務少尉
上田定 兵曹長
片山義雄 兵曹長
稲垣清 兵曹長

2番目の写真は9軍神です。

潜航艇は1隻2人乗りで、生存者の酒巻和男少尉は捕虜となったのだが、大本営発表ではこの事実は伏せられました。

しかしVOAの報道により実態は日本では密かに流布されていました。

100隻の特殊潜航艇を作り、訓練が行われた愛媛県伊方町の三机湾には慰霊碑が設置されています。

以下は青木弘亘のプロジェクトページ、https://otsucle.jp/cf/project/3419.html から抜粋です。

「真珠湾奇襲攻撃 酒巻和男の手記」(増補復刻合本改訂版)

酒巻和男さんは、徳島県阿波町馬場の生まれ。

脇町中学校を卒業後、海軍兵学校に入学。

昭和15年に海軍兵学校を卒業。

少尉任官と同時に水上機母艦「千代田」に配属される。

昭和16年の4月から三机湾で特殊潜航艇の訓練を開始。

1945年12月の真珠湾攻撃の際に米軍の捕虜となり、4年間の捕虜生活を送る。

昭和21年に帰国後はトヨタ自動車工業に入社し教育訓練・輸出関係に従事。

その後、14年間ブラジルトヨタ社長を務める等、戦後日本の復興発展の最前線で約40年にわたり企業戦士として献身的に活動しました。

3番目の写真はブラジルトヨタ社長時代の酒巻和男氏です。

定年退職後、関連会社の豊田総建社長を勤め、昭和60年に退社。

平成11年、81歳で生涯を閉じる。

戦争になると実にいろいろな攻撃方法が考え出されられるのです。戦争は本当に悲劇です。嗚呼。

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