後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の悲劇(4)サイパン島の玉砕、そして硫黄島の玉砕」

2024年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム
日本軍はサイパン島で全滅しました。続いて硫黄島でも玉砕しました。戦局は坂を下るように悪化しました。サイパン島のアメリカ軍の飛行場からB29が毎晩のように空襲に来るようになりました。日本本土が史上はじめて直接攻撃されたのです。
サイパンの戦いは1944年6月15日から7月9日にかけて行われたました。
7月7日から最後の攻撃をし16日までに全員が玉砕そました。最高指揮官の海軍中将南雲忠一も戦死しました。サイパン島の在留邦人は終始軍に協力し戦闘に参加し将兵と運命をともにしましいた。
サイパン島の戦いは太平洋戦争の中で初めて、膨大な市民が犠牲となった戦いでした。日本人2万人が暮らしていたこの島に、アメリカ軍は爆撃機の拠点を築こうと上陸したのです。日本軍は4万3千の守備隊で迎え撃ちましたが全滅しました。
やがて、サイパン島からB29爆撃機が飛び立ち、日本全土に焼夷弾を投下し、広島や長崎に原爆を落とすことになりました。
サイパン島、そして硫黄島に関連した写真をお送り致します。

1番目の写真はサイパン島の風景です。

2番目の写真はサイパン島の浜辺の風景です。

3番目の写真はサイパン島の浜辺に放置されたアメリカの戦車の残骸です。

4番目の写真は硫黄島の全景です。

5番目の写真はサイパン島と硫黄島で戦死したアメリカ兵の墓を含んだ墓地です。

6番目の写真はマウントカーメル大聖堂です。
スペイン統治時代に建てられましたが、太平洋戦争で倒壊してしまい、1949年に再建された北マリアナ諸島最大のカトリック教会です。日本統治時代には、この周辺にサトウキビ工場があり、サトウキビの豊作を願う神社もありました。

7番目の写真はサイパンにあるパワースポットのひとつです。終戦後に生き長らえたことを神に感謝するとしてマリア像が安置されました。良質の水に恵まれていない土地です。

今日は「日本の悲劇」の(4)として、サイパン島の玉砕、そして硫黄島の玉砕について書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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