後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

なんじゃもんじゃの花を見、共産主義を想う

2019年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は大きな樹木に咲く花々をご紹介いたします。木が大きく葉を繁らせていますので丁寧に眺めないと花がよく見えません。昨日、都立薬用植物園で見上げたなんじゃもんじゃの花と紅花栃の木(マロニエ)です。
それに以前、かつての棡原村(ゆずりはらむら)の山で撮った朴の木の花と山桐の花もご紹介いたします。

1番目の写真はなんじゃもんじゃの花です。この木は以前とても珍しく誰も正しい名前を知りませんでした。それで「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていたのです。
しかし本当の名前はヒトツバタゴ(一つ葉タゴ、一つ葉田子、Chionanthus retusus)なのです。本種は小葉この木は単葉であることから「一つ葉タゴ」とも書かれます。
私があるお寺で初めてこの花を見た時は本当に驚きました。思わず「何じゃ、この花は?」とつぶやいたことを思い出します。

2番目の写真はなんじゃもんじゃの花を大きく写した写真です。細い花びらが重なるように咲いています。不思議な花です。
日本においては希少種のひとつであり、絶滅危惧類 に指定されているそうです。
中国、台湾、朝鮮半島および日本では対馬、岐阜県東濃地方の木曽川周辺、愛知県に隔離分布する珍しい分布形態をとっているようです。しかし流行の波に乗ってあちこちで植栽され、現在ではそれほど珍しいとは言えませえん。

3番目の写真は紅花栃の木(紅色のマロニエ)の花です。
パリの街路樹として有名で5月に白い花を咲かせます。昔住んでいたドイツではカスタニーエと言って並木が見事な白い花を咲かせていました。東京では警視庁のそばの堀端にマロニエの街路樹があります。秋には栗に似た大きな実を付けます。

4番目の写真は棡原村の山で撮った朴の木の花です。人里離れた山奥にこのような大輪の白い花が静かに咲いている光景は神秘的なものです。甘い香りが漂っていました。

5番目の写真も棡原村の山で撮った桐の花です。新緑の樹々の間に淡く控え目な色で咲いています。優しい穏やかな気分になります。山に咲いているので山桐と言いますが栽培種の桐が鳥に運ばれたものです。

さて昨日は、薬用植物園のなんじゃもんじゃの花の大木を見上げながら何故か共産主義のことを考えていました。
一言でいえば共産主義はヨーロッパ文化が生んだ人類の壮大な悪夢でした。
ヨーロッパ文化が共産主義という人類の壮大な悪夢を生んだのです。
キリスト教では労働者や貧しい農民は幸せになれないので武力革命を起こし彼等を幸福にする政府を樹立するという考えです。
この考えは一見素晴らしいもののように見えます。それまでの西洋文明の中でしいたげられ、蔑げすまれてきた下層階級の人々を平等に扱うというのです。フランス革命で謳われた自由と平等な社会が一向に実現しなかったので、共産革命が必要だと主張する人々が現れたのです。
しかし人々はこの思想の欠陥に気が付か付かなかったのです。この思想を使って政治を行う場合の最大の欠陥に気がつかなかったのです。
この理想的な思想は人間の持っている利己心、権力欲、支配欲などの欠点を完全に無視した思想でした。
この大きな欠点が露呈し、大部分の人類が共産主義を放棄するまでには、いろいろな悪夢のような悲劇が起きたのです。

世界で初めて共産主義革命で政府をつくられたのはロシアです。1917年のことです。その結果、ソビエト連邦共和国が生まれました。そのソ連は1991年に崩壊しますが、それまでの74年間にキリスト教に対する弾圧が続きました。従来のヨーロッパ文化の根幹をなしていたキリスト教を否定し、弾圧したのです。はかり知れない悲劇が起きました。
一つの例だけを示します。1931年にスターリンの命令で爆破され崩れゆく救世主ハリストス大聖堂の写真は有名です。ハリストとはロシア語でキリストのことです。
その救世主ハリストス大聖堂は70年後の1991年に再建されたのです。
再建された聖堂の前の参道を人々がのんびりと歩いています。

このソ連は全世界を共産化しようとしました。
例えば、ソ連は中国共産党と協力してベトナムを共産化しようとしました。彼等の支援で北ベトナムとアメリカが支援した南ベトナムの間に残酷なベトナム戦争が10年間ほど続きました。
その結果、共産勢力が勝利して、南北ベトナムは共産主義国家として統一されたのです。
ベトナム戦争は1964年のトンキン湾事件でアメリカの本格的介入が始まり1975年のパリ協定で終了しました。その間アメリカ軍の戦死者は5万人にのぼる熾烈な戦争だったのです。べトナム人の犠牲者は数百万人と推定されています。
共産党による南北ベトナム統一が終了すると宗教関係者や経済を握っている華僑が弾圧されます。彼等は弾圧を逃れるために船に乗って沖に逃げたのです。いわゆるボートピープルです。
アメリカをはじめ自由主義の国々がボートピープルを拾い上げる為に大型船を沖合に派遣しました。

このボートピープルの一人だった人が私どもが通っているカトリック教会の主任神父のヨゼフ・ディン神父さまでした。主任司祭として8年間つとめました。とても優しく信者の面倒をみる素晴らしい神父様でした。
このディン神父様はベトナムで神学生でした。ベトナム戦争後の弾圧を逃れ日本に来ます。そして東京大司教区で日本の司祭になるための勉強を続け27年前に正式に叙階されたのです。
東京のあちこちのカトリック教会の主任司祭を務めてから私共の教会に来たのです。
ディン神父はベトナムで過酷な体験をした筈です。しかし一切話しません。沈黙しています。たまにベトナムから兄弟や親族が会いに来ます。神父様は日本の土になるのでしょう。
この神父さまを見る度の私は共産主義は悪夢だったと何度も実感したものです。

ミサの間、いつもは忘れていた共産党のキリスト教弾圧のことを時々思い出していました。
神学生と言えば数多くの聖堂の爆破を命じたスターリンも神学生だった時代があったのです。グルジアの神学校に通っていたのです。それなのに何千万人も粛清した残忍な独裁者になったのです。人間の恐ろしさに粛然とした思いになります。

何故か、なんじゃもんじゃの花の大木を見上げながら昨日は共産主義のことを考えていました。私の連想にはいつも脈絡があません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)