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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅の花の香りを楽しみながら写真をゆっくり撮ってきました

2014年02月17日 | 写真

この季節は花といえば梅の花しか咲いていません。今年の蝋梅は美しく咲きましたが、もう散ってしまいました。

小金井公園ではまだ数本しか咲いていませんが、今週から梅まつりの幟を立てています。

先程、咲いた梅の香を楽しみながら構図を考え、考え、ゆっくり写真を撮ってきました。

いつも家内がアングルや構図について建設的な意見を言うのです。でもいささかうるさいと感じる時もあるのです。今日は一人だったので静かに写真を撮ることが出来ました。白梅はまだ咲きはじめですが清らかな香も楽しんで来ました。

下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

まず広い駐車場の前にある芝生広場の左側にある雑木林の写真です。

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この雑木林の左隣に下のような梅林があります。

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この日本に住む幸せ(4)69年間、平和が続いた国に住む幸せ

2014年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

いきなり最初からつまらない写真ですが、まずご覧ください。

公園で母と子供が遊んでいる光景です。よく見ると母の胸にはもう一人赤ん坊が抱かれています。

この光景を見て私の胸が熱くなったのです。ああ、平和とは有り難い。そして戦争中の仙台空襲で焼け死んだ人が焼け跡に転がっていた光景を思い出したのです。

大人、子供、幼児そして乳飲み子を抱いたままの母親などの姿が忘れられません。

この平和な光景を見て、涙が出そうでした。こんなありふれた光景に戦前生まれの日本人はひどく感激して、遠方から静かに眺めるのです。

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戦後のこの69年間の日本の平和は占領軍が作ってくれた戦争放棄を明記した平和憲法のおかげなのです。

この憲法の出来た後で朝鮮動乱が起きました。しかしマッカーサーは日本人を義勇兵として動員しなかったのです。掃海艇は出ましたが戦死者は1人だけでした。

マッカーサーは日本人は奴隷になっても戦争は嫌だ、平和だけが欲しいと切望していた状態にあるときに平和憲法を与えたのです。

国民はこの平和憲法に涙して、有難がったのです。

やがてマッカーサーがトルーマン大統領に解任され、羽田から日本を去る日には何十万人という日本人が沿道に出て別れを惜しんだのです。

現在の若い日本人は、日本の憲法は占領軍が押し付けた憲法だと非難します。それはトンデモナイ理解不足なのです。日本人が感激して受け入れた憲法だったのです。

朝鮮動乱以後、アメリカは中南米派兵、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、湾岸戦争、イラク戦争と数多くの戦争をしてきました。しかし日本は徹頭徹尾平和でした。

平和だからこそ経済も成長し、新幹線も高速道路も完備出来たのです。

このように平和が長く続いた日本に住む幸せをしみじみと感じています。

その平和条項をも一度お読み下さい。

憲法第9条: 

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2.  

  3. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 憲法第96条: 

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

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さて現在、若い日本人は上の第九条を削除しようとしています。

本当にそれで良いのでしょうか?削除して本当に平和が守られるのでしょうか?

削除した後でどのような政策で平和を守るのかの議論が無いのです。

実に危険な状態です。

しかし人間は世代交代をすると戦争の悲惨さや平和の有難さを忘れるのです。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)