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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

生きている明治時代のロマン・・・街々を照らしていた13本のガス燈が毎日点灯されている場所

2013年01月09日 | 写真

明治時代の街の街燈はガス燈でした。

夕方になると点消方という字のあるハッピを着た男が長い棒の先の硫黄の火で点灯して歩いていました。夜遅くになると消して回ります。

街々を明るく照らすガス燈は文明開化のシンボルでした。人々にロマンを感じさせました。大正になり大震災以後は電気の街燈がとって代わります。しかし明治時代は圧倒的にガス燈でした。

そんなガス燈を13本も保存し毎日、ガスに点灯している所があるのです。東京都下の小平市にあるガスミュージアムです。場所は、http://www.gasmuseum.jp/に御座います。

先ほどその点灯している明治時代のガス燈の写真を撮って来たので、下にお送り致します。

それにしても人間は忘れやすいものです。一世を風靡したが忘れられてしまった物は沢山あります。ガス燈もその一例に過ぎません。

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旧懐の情をかけたてる川越の町・・・そして昔の仙台

2013年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

年月の流れは早く、気が付いてみるともう77歳になります。知人、友人、恩人、父母、一緒に遊んでくれた親類の人たち、みんな、みんな何時の間にか居なくなってしまいました。

そんな事を想うと幼少の頃住んでいた戦前の仙台が急に懐かしく思い出されます。

町では商店がいきいきとして売り声を上げていました。店の裏で風呂でも焚いているのか薪の煙の匂いが漂っています。

表通りを歩く下駄の音が響きます。物売りの声もしています。

非番の兵隊さんが二人でのんびりと歩いています。

時々、市電の車輪がレールを軋む音が聞こえます。

昨日、旧懐の情が突然胸に湧きあがりました。そこで昔の仙台の雰囲気の感じられる町を考えます。

町全体を戦前のように再現しているところは埼玉の川越しかありません。東京にはそういう所はありません。

武蔵野の田園地帯を根気よくドライブして往復してきました。車の中で独りしきりに昔の仙台の町のことをあれこれ考えていました。川越で撮った写真です。

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末尾に我が故郷、仙台の思い出の記を数編つけました。

皆様は故郷のことをどのように思い出していらっしゃるのでしょうか。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

追憶の中の我が仙台(1)東洋館、いかり亭、観月亭、黒門下の湯など

追憶の中の我が仙台(2)ベーブ・ルースが来て2本のホームランを打つ

追憶の中の我が仙台(3)仙臺味噌と四代目八木久兵衛とのかかわり

追憶の中の我が仙台(4)思い出のなかの故郷を探す旅

私の一生は邯鄲の夢(1)幼少時に遊んでくれたおじさん、おばさんは皆いなくなってしまった

私の一生は邯鄲の夢(2)仙台の大空襲と昔の故郷の消滅