昔、学校で、「君子のまじわりは淡きこと水のごとし」ということを習いました。
これを心がけて生きようとしていますが小人の私はついつい甘いベタベタした交わりを求めて失敗します。大げさに言えば失敗の連続です。
この言葉は中国の荘子の言葉で「君子之交淡如水、小人之交甘如醴」と言うのだそうです。
醴(れい)とは甘酒のような飲み物だそうです。
この言葉の意味は深く、あまり簡単に考えない方が良いようです。
しかし分かりやすく言い直すと、「周りの人にあまりベタベタ甘えるといけない!」とも意味してるようです。今日はその実例を3つほど書いてみたいと思います。
(1)夫婦関係は淡きこと水の如しを心がけよ。
新婚時代は甘いベタベタした交わりを求めても良いのです。しかしそのような関係はなるべく早く卒業しましょう。水のような関係とは夫婦といえども適切な距離を保って、お互いが尊敬しあえば、幸せな夫婦関係を死ぬまで維持出来るのです。
勿論、夫婦ですから、お互いに甘えても良いのです。相手に過大な負担をかけない甘え方なら時々したほうが良いのです。しかし「小人之交如醴」という言葉を忘れないようにします。さてあなたの夫婦関係はいかがでしょうか?
(2)ネットで知り合った方々とは君子のまじわりをします。
このブログも始めてからもう5年以上になります。感動的な出会いを何度も経験しました。親しくメールの交換もしました。そして実際にお会いしお付き合いもしました。
アジアの手織物や自然染色に魅せられてバンコックやカトマンズに住んで居たhikarunoさんとは東京でのアジアの布の展覧会で何度もお会いしました。しかし急に肺ガンになり3年前に東京の病院で亡くなりました。その折りにも見舞いに行きました。
しかし私は後悔しています。もっと、もっと親しくなろうとしてhikarunoさんに個人的な質問をし過ぎたようです。それはきっと彼の心を傷つけたと思います。
やはり、「君子の交わりは淡きこと水の如し」を守っていれば良かったと後悔しています。
それ以来、ネットで知り合った方々とは会わないようにしています。コメントの交換だけにしています。小人はつい甘いベタベタした交際を求めるという実例のようです。
(3)神父様とのまじわりは淡きこと水の如し。
信者はつい神父様に甘えます。身の上相談をします。生活苦を訴えます。しかし善い神父は個人的な相談には乗らないようにします。
洗礼を受けようとしている人々は神父さんから暖かい言葉で、「是非、洗礼を受けなさい」と言って貰いたいと思います。ところが冷やかに、「それご自分で決めて下さい」と言うだけです。
神父さんは一見冷たい人間に見えます。何故でしょうか?
その理由は、個人的に相談に乗ると、結果的に自分の周りに個人的な支持者の輪が出来てしまいます。この状態は政治家なら得票に繋がるので良い状態です。
しかし神父さんの仕事は人々をイエス様の弟子にすることです。自分の弟子を作ってはいけないのです。それをすると教祖様になってしまいます。キリスト教から派生した新興宗教になってしまうのです。
どこかの国にはそのようなキリスト教から派生した新興宗教があって、結婚相手まで心配してくれます。誤解しなで下さい。それを非難しているのではありません。それも良いと信じています。
ただ伝統的な宗教と新興宗教の違いを明確にしているだけです。あなたがどちら選ぶか、どちらも選ばないかは全く自由なのです。
実は上に書いたことは仏教で同じもことです。人々を自分の弟子にする僧侶と、人々をお釈迦様の弟子にしようとしている僧侶に分かれると思います。
あなたはどちらの僧侶を尊敬しますか?勿論、どちらも尊敬しなくても良いのですが。
宗教の世界へ近づこうとしている方々にご参考になれば幸いです。
すこし込み入った話になってしまったので下に花々の写真をお送りいたします。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
・