少年のころ憶えた標語は一生忘れない。そしてその人の生涯の生活の基調低音としていつも心の中で響いている。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争もすぐに物資不足におち入った。国民生活の贅沢を排除し、最低の生活でも勝利のために頑張れ!と、いう社会運動の為の標語である。
73歳になった現在でも何か高価な物を買おうとすると、贅沢は健全な家計の敵だ!身丈にあった出費の範囲で趣味の生活を楽しめ!と、いう声が聞こえる。欲しがりません勝つまでは!という標語は、欲しがりません月給(あるいは年金)が出るまでは、と読み替えて生涯使ってきた。
新車は贅沢と思い、質素なものにする。1964年に建てた家も修理しながら現在も使っている。今後も新しく建て替えるつもりは無い。別荘地は贅沢なので山林の中にわずかの土地を買い、小いさな家を作った。50歳になってから中古のヨットを買った。どちらも維持費は少なくて済んで来た。
考えてみると戦争中に憶えた標語は別の意味に読み変えれば永遠の価値を持っている。
贅沢は敵だ!という標語は読み変える必要が無い。欲しがりません勝つまでは!は「戦争に勝つまでは」という部分を変える必要がある。充分な月給が出るようになるまでは、と読み替えれば便利に使用できる。貯金が出来るまでは、と読み替えても良い。この標語を忘れると借金をしてでも欲しい物を買ったりする羽目になる。
大東亜戦争は大変な間違いであった。戦争を始めるべきでは無かった。こんな標語を使って国民を塗炭の苦しみを与えた軍部を許すわけにはいかない。あんな時代は二度とあってはいけない! しかし、そんな時代に憶えた標語でも使い方によっては生涯役に立ったと思う。
今日は昭和の日。こんな事を考えながら新緑の公園を散歩して来ました。(終わり)












