フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

アヴィニョンの夜遊びマダム

2011年05月15日 | プロヴァンス

私が初めてホームステイを経験したのは、南仏プロヴァンス地方、アヴィニョンである。
期間は12日間なので、短かったが、学生時代からの念願が叶った。


パリの切符売り場で、「アヴィニョンまで。」と言うと、優しそうなムッシュが「何しに行くの?」と。
「フランス語の勉強に」と答えると、「パリでも出来るのに、なぜアヴィニョンなの?」と。
今なら言えるが、まだその時は「パリは料金が高いから。」とは、答えられなかったのである。語学力においても、また恥ずかしいという気持ちもあった。


アヴィニョンに到着した。近代的な新駅だ。
そこにはマダムと、その娘さんとその友人の三人が、立っていた。

四人乗りの小さな車で、旧市街へと向かう。15分くらいしたころ、大きな河が見えてきた。
そしてその向こうに城壁が見える。
「あれがアヴィニョン橋」と「アヴィニョンの橋の上で・・」を歌う陽気な娘さん。



マダムは一人暮らしで室内犬が一匹いた。娘さんは5階に住んでいた。

部屋を案内され、街を案内しようと広場まで散歩に行く。マダム達は行きつけのカフェでコーヒーを飲もうと言った。
お店の人とも顔なじみで、私にも初対面でいきなりビズ(頬にキス)だ。思えばこれがフランス人との初めてのビズだったか。
南の人はフレンドリーだと言うが、まさにそうだった。

そしてまた家に帰り、夕食は20時だった。この時間がフランスで夕食の始まる時間だと言うことも、この時解った。
料理上手のマダムはさっと支度をした。
彼女は少し付き合う程度の食の細いマダムであった。

そして彼女は、夕食の後、それは土曜の夜だったのだが、「今から出かけるからね。」と、出て行った。
初めての滞在の日、日本なら考えられない。
ろくに会話もできない状態で、「どこへ行くのか何時に帰るのか?」もちろん聞けるはずもない私は、呆然としながらも見送るしかなかった。

マルチーズと留守番することになったが、もちろんその犬は主人を恋しがり、一晩啼き続けた。
「大丈夫か?このホームステイは?マダムは?」と、不安な夜を過ごすことになった。

やっと犬が啼きやみ、マダムが戻ってきたことを部屋で知った。
何と、明け方四時であった。
70代のマダムが夜遊び?何と言う国だ。

翌朝、明るくマダムは朝食の準備をしていた。
聞けば、彼女はどうやら娘さんたちとダンスパーティーに行っていたということだ。
「踊ったの?」と尋ねると、「まさか、見ていただけよ。」と。

私のホームステイがこんな夜遊びマダムと一緒に過ごすことになろうとは、夢にも思わなかった。
「月曜日、ホームステイ先を変更してもらおうか」と本気で考えた。
学校が始まり、昼過ぎに戻っても彼女がいることはほとんどなかった。
一度、広場のカフェで、急ぎ足で歩いていた私を見かけたと言うくらいだから、カフェで娘さんたちと過ごしているのか。

しかし結構料理もおいしいし、彼女の友人も招いて一緒に食事をしたり、悪気はなさそうである。
慣れてくると、そのくらい構われないことが、逆に楽になり、二週間目には快適に暮らせるようになるのだから不思議なものである。

最後にお礼にと日本食を作った時も、肉じゃがだったが、スープまで飲んでくれた。
「これおいしいもの。子供みたい?」と、言いながら完食してくれた。
やはりグルメの国、そして料理が好きな人なんだなあと、感心した。

別れの際、大きなハグとビズで感謝を告げた。
この後、彼女と再会し、そんな「夜遊びマダム」と、また違う印象を持つことになるであろうとは、この時は知る由もなかった。
そして今まで二度しか会ったことはないが、強い絆を感じることになる。



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