ドゥーエ近郊のヴィルジニのお母さんの家に泊めてもらった。
翌日目が覚めると昨夜見た水たばこの道具が置いてあった。私には日本では見たことが無い珍しいものだった。
またこの家にあった絵画が印象深かかった。と言うのはその絵は、第二次世界大戦前からこの家にあったのだが、戦争中にドイツ軍が没収してしまった。
戦後一部返ってきたのだが、絵の裏にドイツ軍が整理する際に付けた番号が残っていた。
ヴィルジニの手作りの朝食をいただいた後、帰り支度をして荷物を持ってリールの街の見学に出かけた。
リールの街に着くとヴィルジニの良く知っているカフェで休憩し、荷物をそこに預けて出かけた。彼はイスラムの礼拝に行くとかで、どこかに行ってしまい、ヴィルジニが案内してくれた。ほとんど徒歩で廻れるのだが、地下鉄も経験にと一駅だけ乗った。
町はかなり大きく、立派な役所の建物、大きな教会、大きな広場、一流ホテルなどがあり、ルイ・ヴィトン等の高級店も並ぶ都会だった。そして少し静かなところで日本人が経営しているらしい「YAMATO」と言う小さなレストランも見つけた。
しかしそれ以外に「TOYOTOMI」
「HOKKAIDO」「くしろドットコム」
等いかにも中国人の経営するらしい日本食のレストランがたくさんあるのにびっくりした。
カラオケの店は「KARAOKE」とネオンが輝いていて、建物自体いかにも中国風だった。ちょっと入る気にはなれない。
この町は都会と言っても高層ビルが並ぶわけではなく、昔からの町並みの落ち着いた雰囲気の街だった。
シャルル・ドゥ・ゴールの出身地と言うことであるが、学校で「リール工業地帯」と言うことを確か習ったが、今はかなり時代とともに変わっているようだ。
知り合いの若い人のいく人かはここの大学で学んであり、大学都市であるとも聞く。
最後にリールの駅まで送ってくれた。
国境に近いこのリールの駅は警戒が厳しく、普通の駅は日本と違って自由にプラットホームに入れるのに、ここでは柵のようなものがあり、切符のチェックがあった。
ヴィルジニは切符を持っていなかった(この国には入場券は無い)けれど、プラットホームに入れた。
「日本人と一緒だから、私も入れたのよ」とヴィルジニが言った。
つまり日本人は悪いことをしないからというわけだ。
フランスは入国審査でも何時も思うが、日本人には優しい。親日的なものを感じる。
かくしてヴィルジニの見送りを受け、その日の内にパリのエリックの家にもどったのだった。
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