フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

おいしかったサン・マロの海の幸

2011年07月27日 | ブルターニュ

今回は 以前日本にやってきたレンヌのカップルの話である。 

 

ムッシュがフランスで日本の某有名電機メーカーに勤めている事は前に述べたとおりである。 

 

自分のヨットに桂離宮から取った「KATSURA」と名付け、飼い犬に別府から取って「BEPPU」と名付けた人である。 

 

2007年私は世界遺産モン・サン・ミッシェルを見たくてレンヌのこのカップルにお世話になることにした。 

 

その前にプロバンスにいた私は、マルセイユからマイレージを使ってレンヌの空港まで飛んできた。

鉄道でパリからプロヴァンスに移動した後、レンヌへの移動は、一時は諦めかけていた。パリに戻るには時間のロスがあり過ぎる。

 

空路と決めてからも午前出発のマルセイユ空港からのフライトは値段が上がるからだ。その時、ふと思いついた!!

日本からはANAで往復した今回のフランス旅行だが、以前エールフランスを利用したときのマイルがあるのでは?と考えたのだ。

 

ちょうどこの分だけをカバーするマイレージが貯まっていた。これでモン・サン・ミシェルへ行ける!!とすぐに予約を入れたのだった。 

 

             

この飛行機はわずか50人乗りの小さな飛行機であった。

 

 

空港で、二人は待っていてくれた。

レンヌの自宅に泊まるように誘われていたが、日程上無理でそれは今度に必ずお世話になるからと勘弁してもらい、この一日、車での案内をお願いしていたのだった。

 

すぐにサン・マロと言う第二次世界大戦の激戦地であったノルマンディーの海岸に連れて行ってくれた。

 

海岸の小高い所にドイツ軍が造った分厚い鋼鉄製のすごいトーチカ(砲台)が残っていた。連合軍の艦砲射撃弾が命中し、ベコベコになったまま残してあった。当時のすごさを想像して余りあるものだ。

 

              

 

しかし最近私は少し気になることがある。

このベコベコは本当に艦砲射撃によるものだろうか?という疑問である。

その根拠は穴が海側だけでなく、陸側にも開いているからなのだ。 

この疑問はまだ未解決のままだ。

 

             

 

とにかく映画「ザ・ロンゲストデイ」を思い出さずにはおれない。

 

美味しい魚貝類の料理の昼食を御馳走になった。これはおいしかった。

         

  

         

そのあとサン・マロの城塞町に行き、城壁の上を歩いた。第二次世界大戦の時、この城にドイツ軍が立てこもったので、連合軍が爆撃し、ほぼ灰燼に帰していたそうだ。

今は立派に復元されている。

相当大きい城壁に囲まれた町であった。

 

             

 

中世には、フランス国王の公認の元、この町からバイキングが出撃したという話も聞いた。国王公認の海賊とはびっくりした。

 

続きはまた。



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