フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

このパリの夫妻はこうして「私を甘やか」せた。 

2011年07月26日 | パリ19区

モン・サン・ミシェルから帰ってきたこの日も、疲れも忘れるほど動き、やっとミッシェルさんの家で夕食をとることになった。 

 

彼らが出してくれたのは、ミッシェルさん特製のケーク・サレ(甘くない食事用のケーキ)、と黒ブーダン(豚の血入りソーセージ)である。

 

                                   

                                 

                                  

フォアグラを始め、レバーも苦手な私は、丁重に断ったが、「まあ食べてご覧」と言われ、散々お世話になっていることもあり、意を決していただいた。

見た目よりはまずくはなかったが、やっぱりこれは勘弁願いたい物のひとつである。

煮るより焼いた方が美味しいという声も聞くが、それはまだ知らない。

この二年後、白ブーダンも頂いたが、これはまったく別物で、大変美味しかった。

 

奥さんが「これ日本のお菓子かなと思って買ったのよ。あなたが喜ぶかなと」と言ってキャンディの袋を差し出した。

実はそれは漢字で書かれていたが、可愛いパンダのイラストのついた中国のものだった。しかしそんな無粋なことは言わず、「ありがとう。嬉しい」と、いただいた。何よりもその心遣いが嬉しかった。

 

翌日は15区(その翌日の二泊目は17区)に住む友人宅に宿泊だったので、また彼に15区まで送ってもらう。

 

二泊したあとお昼に戻ってきて、午後は二軒の友人宅でお茶の招待が待っていた。

まず12区の家族のところに送ってもらう。そこで忘れものに気付き電話をして、届けてもらうことになった。これも申し訳なかった。

 

続いて11区の友人宅へと移動。これは12区の友人が徒歩で送ってくれた。

 

夕方、オペラ・バスチーユで待ち合わせには11区の友人が徒歩で送ってくれた。そこでミッシェルさん夫妻、マルチーヌその友人と合流し、緑の小道(la coulee verte)を歩き、その友人のところへと行き、夕食を御馳走になったのであった。

 

                                

 

                                 

 

この日は、何と三組の家を訪問したのだ。大臣並の?帰国前の駆け込み訪問スケジュールとなった。

 

そして翌日は、いよいよ旅行最終日、20時発のフライトまでの時間も無駄に出来ない。

ミッシェルさんとペールラシェーズの墓地へ行き、散策し、お昼を一緒にした。

実はこの日、ジョルジュとランチの約束があったのだが、それではあまりにミッシェルさんに申し訳ないということで、心苦しくもジョルジュの方をお断りし、ミッシェルさんと過ごすことを優先したのである。

 

                           

 

                           

 

                           

 

彼は60代前半であるが、ステーキをぺろりと平らげた。

実は私の胃袋は連日の重い料理で、もう限界であった。

正直、もうこれでこの料理を食べなくてもいいのだと思い、珍しく日本へ帰りたい気持ちになっていたのだ。

 

このあとお土産を見るため、今回初めて同行なしでメトロに乗った。

大急ぎでお土産を買って帰った。

 

しかし、アパルトマンに戻るとやはり寂しさも込み上げてきた。

お礼に折り鶴(金紙と銀紙で折ったつがい)とメッセージを添えることにした。

 

                             

空港までミッシェルさんとマルチーヌが見送りに来てくれた。

「ほんとうにお世話になって感謝の言葉をどれだけ言っても足りないくらい。まるで私のプライベート運転手のようだった」と言うと

「それなら、チップをもらってないね」と彼は笑った。

 

                                

 本当に嫌な顔一つせずよくしてくれた。

                         

 

これほどまで、世話をしてくれる人がいるだろうか?日本人でもなかなかできないことではないだろうか

 

それなのに帰国後のメールには「あなたがいなくなった部屋はとても寂しい。Jクロードはあなたの置き土産(金銀の折り鶴のこと)に感動して言葉がないよ。フランス訪問の時はあなたの部屋はいつでも待っていると言うことを忘れないで」と、どこまでもそれこそ、わたしを「甘やかす」夫妻なのである。

 

そして、二年後その言葉に甘えて、再び滞在させてもらうことになるが、それはまた後のお楽しみに。

 

 



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