「歴史の中の大地動乱」(岩波新書)を再読しているが
「今」と比べて”面白い”。
「東北アジアを共通して襲ったの自然災害は地震・噴火のみではなかった。より直接的な影響をあたえたのは、むしろ七世紀後半から顕著になった中世温暖期だった。これが東北アジアに、気候不順、特に大規模な旱魃をもたらした」
飛鳥時代の寒冷な気候(大化改心寒冷期)から奈良・平安時代の中世期温暖期では平均気温が4度ほど上昇した。
この影響についての歴史学からの研究はまだ十分ではないそうだが、
「日本の『続日本記』、韓半島の『三国史記』を読めば、ひとしなみに旱魃・飢饉が多かったことは一目瞭然である」
「W・ファリスは723年の大旱魃とそれに伴う疫病の流行によって、日本の全人口の3割近くが死亡したと推計している。これはにわかに信じがたいものの、この年の旱魃によって、和泉・讃岐・淡路・紀伊・大和・河内、さらには遠江・阿波などの諸国で、飢饉が発生した。この飢饉は一時おさまったものの、しばらくして再燃し、そこに九州から流行しはじめた天然痘が重なって、全国各地で多数の死者を出した」
この天然痘(裳痩・もがき)は「唐鬼」と呼ばれたそうで、外国からの侵入が示唆されている。
「七世紀は・・・いわゆる『大化改新』から『壬申の乱』、つまり中大兄皇子(天智)のクーデター事件と、その弟の大海人皇子(天武)の反乱事件が、日本の国家史の中で大きな画期をなしていることはよく知られている。ただ、この時期の国家が、東北アジアを襲った『大地動乱・温暖化・パンデミック』という自然条件に直面したことは、これまでの歴史学では十分に考慮されてこなかった」
「まず指摘しておきたいのは『随書』倭国伝に載せられた阿蘇山の記事である。そこには阿蘇山の厳石から火が立ち上り、天に接している。人々はこれを神異のことと見て『禱祭』を行っているとある」
本日の「毎日」に井口正人さん(京都大学防災研究所火山活動センター長)のインタビューが載っているが
御嶽山も口永良部島の新岳も、阿蘇山も、浅間山も箱根山も
「大地動乱」を感じざるを得ない。
井口氏は「巨大噴火全体への国としての対策が必要」と強調されているが、本当にそうだと思う。
「今」と比べて”面白い”。
「東北アジアを共通して襲ったの自然災害は地震・噴火のみではなかった。より直接的な影響をあたえたのは、むしろ七世紀後半から顕著になった中世温暖期だった。これが東北アジアに、気候不順、特に大規模な旱魃をもたらした」
飛鳥時代の寒冷な気候(大化改心寒冷期)から奈良・平安時代の中世期温暖期では平均気温が4度ほど上昇した。
この影響についての歴史学からの研究はまだ十分ではないそうだが、
「日本の『続日本記』、韓半島の『三国史記』を読めば、ひとしなみに旱魃・飢饉が多かったことは一目瞭然である」
「W・ファリスは723年の大旱魃とそれに伴う疫病の流行によって、日本の全人口の3割近くが死亡したと推計している。これはにわかに信じがたいものの、この年の旱魃によって、和泉・讃岐・淡路・紀伊・大和・河内、さらには遠江・阿波などの諸国で、飢饉が発生した。この飢饉は一時おさまったものの、しばらくして再燃し、そこに九州から流行しはじめた天然痘が重なって、全国各地で多数の死者を出した」
この天然痘(裳痩・もがき)は「唐鬼」と呼ばれたそうで、外国からの侵入が示唆されている。
「七世紀は・・・いわゆる『大化改新』から『壬申の乱』、つまり中大兄皇子(天智)のクーデター事件と、その弟の大海人皇子(天武)の反乱事件が、日本の国家史の中で大きな画期をなしていることはよく知られている。ただ、この時期の国家が、東北アジアを襲った『大地動乱・温暖化・パンデミック』という自然条件に直面したことは、これまでの歴史学では十分に考慮されてこなかった」
「まず指摘しておきたいのは『随書』倭国伝に載せられた阿蘇山の記事である。そこには阿蘇山の厳石から火が立ち上り、天に接している。人々はこれを神異のことと見て『禱祭』を行っているとある」
本日の「毎日」に井口正人さん(京都大学防災研究所火山活動センター長)のインタビューが載っているが
御嶽山も口永良部島の新岳も、阿蘇山も、浅間山も箱根山も
「大地動乱」を感じざるを得ない。
井口氏は「巨大噴火全体への国としての対策が必要」と強調されているが、本当にそうだと思う。